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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第二章

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15、至上の献身①

 午後になり、少しだけ傾いた初夏の強い日差しが、キラキラと周囲に反射する。

「ふぅ……あっつい……」

 パタパタ、と扇で顔を仰ぎながら、十三歳になったミレニアは、桜色の唇から物憂げな呟きを漏らした。傍に控えていた侍女が、サッと何も言われずとも掲げていた日傘の角度を変える。

 傅く者たちをさも当然、という様子で従えながら、ミレニアはゆっくりと皇城の中を歩いていく。

 何百年も変わらない気候に文句を言うのもお門違いとはわかっているが、帝国のこの灼熱の夏の熱さだけはどうにかならないものか――と、考えても仕方のないことをぼんやりと考えていると、後ろから不意に声を掛けられた。

「どこへ行くんだ、ミレニア?貴婦人はお茶会の時間ではないのか?」

「――ギークお兄様」

 笑いの混じったその声は、明らかに侮蔑のこもった響きを滲ませていた。相手の顔を確認するまでもなく、それが第一皇位継承権を持つ一番上の兄であることを悟り、わからぬように密かに嘆息してから振り返る。

 褐色の肌に、黒髪黒目――どこからどう見ても帝国貴族らしい外見だが、ニヤニヤ笑う頬からは人の悪さが滲み出ている。ギュンターの年齢を考えれば、ギークもまた良い年齢であるはずだが、親子ほど歳の離れた一番下の妹を揶揄する精神は、十三歳のミレニアなどよりよほど幼いと言っても過言ではないだろう。

(こんな男がこの国の次期皇帝だなんて――全く、世も末だこと)

 いっそ口に出してやりたい皮肉をぐっとなんとか飲み込んで、ミレニアは優雅に振り返る。

「先ほど、まさに令嬢たちとのお茶会が終わったところですの。男子禁制の楽しい時間でしたわ」

 ふわり、と笑む姿は、まるで天使のように愛らしい。蝶が蛹から羽化するように、少しずつ大人の女性へと魅力を花開かせていこうとするミレニアは、巷で”第二の傾国”と綽名されるにふさわしい魅力を兼ね備えていた。

「そうか、そうか。それは良いことだ。お前に社交の才能もあったとは、意外なことだよ、ミレニア。最近体調を崩しがちな父上もそれを聞けばきっと喜ぶだろう。午後の会議で、カルディアス公爵にも伝えておこう」

「……それはどうも」

 ニタリ、ともの言いたげに歪んだ笑顔に、顔を軽く扇で隠して答える。

 ギークは、昔からミレニアのことを快く思っていない皇族の筆頭だ。次期皇帝として、幼いころから厳しくしつけられ、ギュンターのような偉大な皇帝になることを期待され、必要以上に抑圧されながら生きてきたのに――孫と言っても差し支えないほど離れた娘を作った父は、自分の時とは打って変わって、目尻を下げ切ってミレニアを甘やかし尽くした。砂糖菓子のように甘く溺愛しながら――それでも、自分よりもずっと高度なことを教え、付きっ切りで皇族の心構えを授け、幼いミレニアとギークを比較するようなことすら平然とやってのけた。

 ミレニアから言わせれば、全ては優秀ではないギークの自業自得なのだが、小者は小者ゆえに、優秀な妹への嫉妬も人一倍強く、ことあるごとに責任転嫁をしては、昔から幼いミレニアに嫌がらせをする労力をいとわない。

 ミレニアが奴隷を買い上げ、傍に置くと聞いたとき、一番目を輝かせたのは、間違いなくギークだった。皇族としての心構えを比較され、「幼女にも劣る」と心無い蔑みを受けてきたギークにとって、ミレニアが政治の真似事から手を引いて貴族令嬢としての人生を歩むと宣言し、奴隷を買うなどと言う皇族にあるまじき愚かな行為をしたのは、これ以上ない朗報に違いなかった。

(愚か者の相手をするほど暇じゃないわ。適当に返事をしてさっさとお暇しましょう)

「それでは、お兄様。カルディアス公爵によろしくお伝えくださいませ。未来の娘は、着実に貴族界隈での社交を進めていますよ、と」

「くく……わかった、申し伝えておこう」

 カルディアス公爵家――それは、ここイラグエナム帝国で、三つしかない公爵家のうちの一つだ。

 三年前、闘技場から帰ってすぐに、ギュンターはミレニアの貰い手探しに乗り出した。ミレニアの気が変わらぬうちに、という思いもあったのだろう。

 皇族でありながら、剣闘奴隷を専属護衛として傍に置く、というのは、社交界をそれはそれは賑わせていった。上流貴族の剣闘を趣味にしている者たちの中には、その見覚えのある紅玉の瞳に興奮する者もあった。

 興味本位で近寄ってくる者たちは多かったが、婚姻を結ぶことには皆慎重だった。ミレニアのことを、現皇帝が目に入れても痛くないと溺愛していることは良く知られている。そのミレニアを手中に収められるのは、のし上がるにはこれ以上ない好機だが、いかんせん、条件が”口を利く道具”を伴っての婚姻と来た。歳若い令嬢がいる家では、家人の反対が強かったと聞く。奴隷など、それも乱暴な剣闘奴隷と同じ空気を吸うなど、といって猛反発を食らうそうだ。

 そして、何より――支度金がない、という条件のせいで、最初は全く貰い手の候補がなかった。支度金目当ての家を篩にかけるにはちょうどよかったが、それでもこうもあからさまなものか、とミレニア自身呆れた。

 しばし、誰が声を上げるのかの睨み合いが続き――絶好のタイミングで手を挙げたのが、カルディアス公爵家だったのだ。

 皇族を除けば、公爵の地位を持つ三家は間違いなく国内で最も大きな権力を有する。その立場にありながら、支度金もいらない、剣闘奴隷も受け入れる――皇女としてあるまじき行いをした哀れな皇女すら受け入れて見せる、という姿勢は、結果として人々の尊敬を集め、ギュンターの覚えも良くなった。

 さすがに嫡子との婚姻ではなかったが、結果として、ミレニアより五つも年上のカルディアス公子との縁談が成った。

 寄る年波に勝つことが出来ず、近頃はめっきり寝台に伏せることが多くなった父も、最愛の愛娘の縁談が無事まとまった時は、これ以上なく目尻を下げて喜んでくれたものだった。

(病床のお父様にご心配をおかけしないためにも、カルディアス公爵家ともギークお兄様とも、うまくやらないと……)

 とはいえ、これ以上長話を続けると、ついうっかり苛立ちや侮蔑の表情を面に浮かべてしまうかもしれない。従順な妹を演じて、さっさと会話を断ち切るに限る。

 冷静に判断し、話は終わり、と意思表示をするためにも、第一皇位継承権を持つ者への形だけの礼儀として、軽くスカートを持ち上げて貴婦人の礼をしてみせると、ギークは満足げな笑みを浮かべて、立ち去って行った。

(まったく……何しに声をかけてきたのかしらね。――まぁ、私が女らしくしていることを揶揄したいだけでしょうけれど。……暇なのかしら)

 そんな暇があるなら、先月日照りが続いて西の農作物の収穫が芳しくないことについて、一計を巡らすくらいのことをすればいいのに……と、考えても仕方のないことを考える。令嬢たちのお茶会、などというくだらない集まりですら話題になっているそれを、病床に伏せる皇帝代理として政務のすべてを請け負っている皇位継承権第一位の男が知らないことなどあるまい。……自信をもって断言出来ないのが不安だが。

「姫様……」

「……えぇ。行きましょうか」

 そっと、日傘をさしてくれていた馴染みの侍女が気遣うように声をかけてくるのに答え、踵を返して当初の目的地へと足を向ける。

(こうして気分が滅入ったときは、やっぱり――ロロに、逢いたい)

 上流貴族の中でも、特に皇族と縁のある同年齢の令嬢たちを集めたお茶会は、ドレスだの宝石だの流行の戯曲だのと、酷く下らない話題がほとんどだったが、それもこれも仕事だと割り切れば、必死に笑顔を張りつかせてやり過ごせる。

 だが、酷く精神的に疲労するその場に――お気に入りの専属護衛を傍に置けないのが、難点だ。

 男子禁制のお茶会――というのは、ロロを下げさせるための建前に近い。蝶よ花よと育てられた上流階級の令嬢たちに、頬に奴隷紋を入れられた背の高い男がじっと無言で視界の隅に控えているのは、どうしても受け入れられなかったのだ。仕方なく、ロロ以外の護衛を遠巻きに侍らせて、ロロは最初から最後まで、決して令嬢たちの目に映らぬように、と命令することになった。

(ロロは、決して怖くなんてないのに)

 む、と心の中で口をとがらせて、皇城に備え付けられている練兵場へと足を向ける。早く、あの寡黙で不愛想な美しい造形の馴染みの顔を見て、ほっと息を吐きたい気持ちに駆られていた。――ギークに遭遇してしまったのが、その想いを加速させたのだろう。

 この時間、彼は練兵場で鍛錬をしているはずだ。国家最強の名を恣にする彼自身の鍛錬ではなく――ミレニアが住まう『紅玉(ルビー)宮』と名付けられた後宮の護衛に当たる者たちに訓練を付けているのである。

 共にミレニアを守る者として――万が一自分が不在の時に、大事な宝物を託すに足る実力者たらしめるために。

(あの無口な人嫌いの仕事人間が、ちょっとずつでも変わっているのはいいことよね)

 ミレニアは初めて紅玉宮に来たころの彼の姿を思い描き、静かに苦笑を漏らした。


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