『あぁ無情』という思いが、ある時……ない時 !
今昔物語というと、やはり、有名な"羅城門の盗人"の話でしょう、芥川龍之介の"羅生門"のイメージが強過ぎ、結構、子供心にショックを受けたのですが、平安の治安のことを考える時には、避けて通れないような気がして、ちょっと触れてみました。
実際のところは、どうだったのでしょうか?
当時の人達に聞いてみたいような……ないような……
平安時代の京は、言うまでもなく、政治の中心であった。
そこで、何らかの形で朝廷の仕事に関わっていた官人や、その家族の人数を考えると、四、五万は超えていただろう。それに供として仕えた者達、例えば舎人や雑色など、雑用をする者達を含めると、相当な人口になっていたと思われる。
また、平安京には、忠明のような警固要員が集められたり、様々な仕事を求め地方出身者も流入していた。
勿論、土着の農民もいたが、京の課税は少し軽めだった為、他国の農民も入り込んでいたようだ。
しかしながら、需要と供給は常に釣り合うものではない。
例えば、地方から仕事を求めて上京しても、仕事を得られなければ、生きていくこともままならず、道を外してしまう。
また当時、頻発していた災害で、家や耕作地を失った者たちもいただろう。
つまり、仕事にあぶれたり、生活の術を失った者達は、簡単に盗人になり得たのである。
いずれにしろ、京の町の治安は、それほど良くなかったようだ。
だが、それだけではなく、都に窃盗目的でやって来る者達も少なからずいた。
そして今、忠明らが捕えようとしているのは、そういう輩なのである。
清水の南にある阿弥陀峰の近くに、ひっそりと森に隠れるように建つ立派な屋敷があった。
この屋敷、一見、裕福な商人の住まいのように見えるが、それにしては周りを堅固な土塀で囲まれている。その上、それを取り囲むように堀まであって、まるでちょっとした平城のようだった。
そして、門の前には小屋があり、門番たちが控えているようだ。
実際、これほどの構えがあれば、少々悪事を働いても、強気でいられそうである。
それに、巧妙に隠された場所にあるので、放免たちの中でも、この場所を知る者はそういなかった。
この屋敷の主人は井端清澄という、盗賊団の首領である。
そして、ここはその根城であり、盗人達の棲家でもあった。
清澄は、若かりし頃、僧侶になろうと修行していたらしい。
だが、何時の頃からか破戒して、あろうことか、盗賊の首領の娘婿になってしまった。
そのせいか、今も髪は短く、まるでだらしない僧侶が髪を剃りそびれている。……そんな風体をしているそうだ。
背は程々に中背だが、顔は馬面で、何ともユニークな感じがし、しかも人懐っこい人柄らしい。
『こ奴は盗人共の主ぞ! 』
とでも言わなければ、ただの市井の御坊様にしか見えないだろう。……そんな話が清澄の情報として伝わっていた。
だが、この屋敷、見れば見るほど僧侶の住居としては、随分と手が込んでいる。
堀に架った橋を外すと、少しの間なら籠城も可能かもしれない。
ここまで、する必要があるのか……?
初めて偵察した時、忠明はちょっと呆れた。
忠明とその配下である放免達は、今、この根城から出入りする人物を見張っている。
と言っても、……周囲の道にこっそり身を潜め、どこに出かけるのかをチェックすることぐらいしかできないのだが。
とにかく、あまり屋敷に近づくと、うっかりこちらの動きを知られてしまいそうだ。……そんな風に思えるほど、清澄側には人の出入りがあった。
おそらく、普段は商人として商いをしながら情報を集め、タイミングを見計らって〝押し込み″をやるのかもしれない。
……盗品を売り捌くなら、さぞ儲かることだろう。
放免の中に、唯一、清澄に面識のある男がいた。
この男の情報から、笞刑の男が清澄の仲間だと判ったのである。
忠明と同じく、和泉の国人で福安という。
もともと、都で少しでも良い仕事に就こうとしていたが思うようにならず、路銀も使い果たし為、生きるために物盗りに身を落としたらしい。
ただ、捕えられた時は、まだ初犯だったので、わりと簡単に放免として働く機会を得た。
今は専ら、同郷のよしみで忠明の仕事を手伝っている。
また、出身地のみならず、境遇までが似通っている為、忠明には何となく他人のようには思えなかった。そこで、いつの間にか、他の放免達と忠明の伝達役になっている。
身分的には忠明に近いが、立場的には放免なので、はっきり言って、放免の中では一番気心が知れている男だった。
福安の話では、清澄に初めて会ったのは、都に出て、そろそろ一ヶ月程経った時のことである。
その日、福安は夏の激しい夕立に叩かれ、ずぶ濡れになっていた。
長らく続く京での心もとない生活に、路銀を使い果たした福安は、行き場を失っていたのだ。
そこで仕方なく、或る寂れた寺の経堂に潜り込むと、とりあえず雨が止むのを待つことにした。
だが、そこには先客が居たのである。
その男、パッと見には、それ程身分が高い人物には見えなかった。
ボロの僧衣を纏い、ザリザリした白髪交じりの短い髪で、無精髭を生やした長い顔には、思いの外、気のよさそうな瞳が見える。
だが、油断はするまい。
京の都では、誰もが生き馬の目を抜く、……何か厄介なことに巻き込まれたら、田舎者では立ち行かなくなる。
……そんな考えが、その頃の福安をがんじがらめにしていた。
この男は、一体、何者だろうか……?
面倒な事があってはなるまい。……そう思うと、福安は帯の後ろに隠し持っている短刀に手を掛けた。
「よぅ、そこの若人……」
僧侶らしき男が口火をきった。
「随分と、疲そうじゃな、……そなた、ひもじいのか」
福安から、殺気のようなものを感じ取ったのかもしれない。老僧は、まるで落ち着かせるように、ゆっくりと話しかけてきた。
だが、まだ油断はできない。……自分は田舎人なのだ。
口を開き、言葉を発すると、お里が知れる。都人に何を言われるか解ったものではない。
何日にもわたる厳しい都暮らしが、福安の心を獣のように御し難くしている。
「まぁ、えぇ、共に食わんか……」
そう言うと、頭陀袋(僧侶が使う荷物運搬用の袋)から乾し飯を出し、それを福安の目の前で割って渡した。
乾し飯とは、炊いた米を保存が効くように天日に干し、乾燥させたものである。当時の人々の旅行用の携帯食だ。
福安は、渡された乾し飯を握りしめると、暫くの間、凝視していた。
「腐ってもおらんし、毒でもないぞ……」
そう言いながら、老僧は乾し飯をかじっている。
「腹が減ると碌なことがない。さっさと喰え」
その言葉に背中を押されるように、福安は飯を貪り喰らい始めた。
「そなた、都に仕事を求めて来たのか……」
「そうじゃ、……だが、うまくはいかんかった」
すると、老僧は〝さもありなん″という表情で笑う。
「そりゃそうじゃ、……そなたのような者が、この都には山ほど居る。そう容易くはあるまい」
飯を喰い終わり、やっと人心地がついたせいか、福安が重い口を開いた。
「それでも、わしは都に居りたいのじゃ……」
「ほう、それでは、いろいろと耐えねばなるまいな」
「はぁ……? 」
「では、ここで生きていく為に、良きことを教えてやろう」
それは、盗人にとっては、とても有意義な情報であった。
どこでなら、確実に獲者が得られるのか……
どう振る舞えばよいのか……
今までの福安にとって、全く考えもしなかった選択肢が広げられたのである。
「おい、それではまるで盗人ではないか……」
「いや、……真に盗人の所業じゃ」
「……」
「生きて行く為には、多少の面倒は目を瞑らねばなるまい。……なに、持っている者から、少しだけ分けてもらうと思えばよいのじゃ」
この話を聞いた時、さすがに忠明の背筋も凍りついた。
都に来た頃、同じ立場で清澄に出会っていたなら、自分も盗人になっていたのでは、……そんな気持ちになったからだ。
「それで、そなたは盗人になったのか? 」
「あぁ、それは間違うてはおらん。……ただ」
福安は放免でありながら、酒を飲めば忠明に溜口をきく。
「……ただ、何じゃ」
「なってみて判ったが、わしは盗人にはむいておらん。……そう思っておった」
「それで、あの時、抗わずにあっさりと捕われたのか? 」
何を隠そう、福安の捕縛は、忠明の初手柄だった。
街道沿いに馬で巡察していた時のことである。
女の絹を引き裂くような悲鳴が聞こえた。
急いで、その方角へ行くと、一組の夫婦らしき若い男女が、大男に太刀で襲われそうになっている。
男の方は、もう身ぐるみを剥がされており、女はかろうじて肌着を残す状態になっていた。それでも、賊の手から守ろうと、男は女の前に身を投げ出している。
だが、賊の太刀は無情にも男の喉に向けられ、もう風前の灯火である。
忠明は、無意識に、ほぼ反射的に馬から飛び降りた。
「おぅ、三郎ではないか! ……息災であったか? 」
そう言うと、満面の笑みを浮かべて賊に笑いかけた。
「はぁ……? 」
当然、見ず知らずの男なので訝しがられたが、その瞬間だけ、賊の目が忠明の方に向けられた。
「おまえは、誰じゃ」
この隙を逃すまいと、忠明は賊の前にツカツカと歩み寄ると、両手でその面の皮を思いっきり引っ張った。
「こりゃ、すまんかったのう。……あまりに三郎に似ておったのでな」
そう言うと、間髪入れずに賊の頬を張り飛ばす。
バチっと小気味良い音がし、忠明の大きな右手が賊の顔を震わせた。
ブルブルっと、鼻血が流れ、賊の体が横にもっていかれそうになる。
「おぅ、うまく決まったな! 」
「おのれ……」
と、言う間も与えずに、今度は左拳を賊の腹にぶち込んだ。
「ぐおぅ」
そのまま賊は倒れ、気を失った。
「言っておくがな、あれは抗わずに捕らわれたのではないぞ、抗えんようにされたのじゃ、痛かったわ! 」
「すまんかったのう。……わしはこれでも張手の名手でな、郷では、よう、゛瓜破りの芸”などを見せて喜ばれておった」
「妙な事をしよって、……危ういではないか」
「人には、久しぶりに使うたので加減が判らんかったわ」
テヘッ、……という感じで、忠明が笑う。
「で、三郎とはどんな奴じゃ」
「えっ、いや、……あれは、わしの郷で流行っている兵法ぞ! 」
「そんなもの、流行っておらなんだわ」
「わしの郷の方が、都に近いのでな」
「痴言を……」
酔っ払った若者達の会話は、たわいなく続いた。
「都に来たばかりの頃だが、わしは、ある婆さんから着物や荷物など、悉く盗み取ったことがある。……婆さんも、死んだ女から盗んでおったからな、構わぬと思ったのじゃ」
「随分と、酷いことをしたものよのう……」
「その頃は、喰うことさえ儘ならんかった。……それで、他に手がないと思った。じゃが、盗人仲間に入って飯にありつけるようになると、俄かに、空しゅうなった」
「衣食足りて栄辱を知る……ってやつか」
訥々と話す福安の言葉に、忠明は静かに耳を傾けた。
「ハハハ、……どうであろうか、ただ、わしは喰う為に盗人になったのに、盗人になったら何の為に生きて来たのか解らんようになったのじゃ」
人の心は、存外、複雑なのだろう。
食べて、生きて、休む……それだけでは、満たされないようである。
「時々、婆さんの恨めしそうな顔が浮かんで嫌になる。……もう、死んでしもうたかもしれんな」
「何じゃ、気に病んでおるのか」
「……わしは、腹が立つと悪しきことをしてしまうからのう」
そう言うと、困ったように目を伏せた。
「あの日から、盗みは止んだのか? 」
「おぅ、……あの日が最後じゃ、あの時は、あのような美女を弱げな男が連れていることが苛立たしかった」
「何じゃ、それは! ……まぁ、解らんでもないが」
妙なことに共感する忠明であった。
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中秋の名月が近づき、季節は本格的に秋になりつつある。
忠明達は、相変わらず、盗賊連中の動きを見張っていた。
だが、十五夜を前にして、いよいよ根城の一斉検挙が行われることになったのである。
一月から、随分時間が空いてしまったので、もっと、さくさく書かねば……とは、思っています。
いつも読んでいただいてる皆さんには、本当に感謝です。
嬉しくて、励みになります。これからも、よろしくお願いします。




