狭いながらも楽しい婆家 (2)
いよいよ、今年も終わりですね。
何とか間に合いました。
令和二年も良い年になるように、天火様達も幸せになれるように今回は書いてみました。
来年は、検非違使庁の仕事を中心に書きたいと思っています。
「厚かましいお話かもしれませんが、御供物のお下がりを頂きたく、参上致しました」
「あら、何で御供物なの? 」
その女人は、少し胡散臭そうに、だが、興味深そうに水泡の顔をまじまじと見ている。
「うーん…… でも、……もっと何日か後になった方が、たくさんあると思うわよ」
何となく面白がられているのかもしれない。気だるげに話しかけられた。
「それにー、もっと日が経った方が、お経がたっぷり効いた有難い御供物になるかもしれないわよ……」
「あのぅ……」
このまま、のらりくらりと話していては、結局、目的に到達できないのでは、……そんな考えが、水泡の頭をよぎった。
「実を申しますと、……食べ物もまともに得られぬ身でして、仏様の御心におすがりし、ここなら古くなった物でも頂けないかと参りました」
とうとう、女人を相手に本当のことを言ってしまった。
水泡は、今までになく必死である。
少しでも自立を……と、ここまで出張ってきたのだ。婆の為にも手ぶらでは帰れないと思っている。
女人は,少しの間、水泡の顔を見て考えている様子だったが、徐に口を開いた。
「良いでしょう。……では、折角、ここまで来たのですから、御仏にも喜んで頂く為に歌でも詠みなさい……」
「……」
思わぬムチャぶりに、水泡の顔が硬直する。
「あの、私には、……そのような学がないのです」
「あら、そうなの。……じゃあ、何か口遊んだり舞ったりとか、出来ることがあれば何でもかまいませんが」
全く悪気がないのか、女人はニコリと笑う。
あぁ、……もう、どうにでもなれ。
半ば自棄になり、水泡は唯一、聞き覚えのある今様を謡ってみることにした。
滝は多かれど …………
うれしやとぞ思う ………… 鳴る滝の水 …………
日は照るとも ………… 絶えでとうたへ…………
やれ、ことつとう…………
伸びやかな声で朗々と歌う。
いつもは引っ込み思案な水泡にしては、大胆な行動をとったものである。
この歌の意味だが、
滝は沢山あるけれども……………
嬉しいことだ…………… 鳴りとどろくこの滝の水を見ると………………
たとえ日は照りつけても……………… 水の流れは絶えないで………………
とうとうと鳴る………………
というのが大意である。
「あら、思いの外やるじゃない。……それに、妙音ね」
見上げると、女人の顔が綻んだ。
「それで、その滝って、どこの滝なの? 」
思わぬ深堀りに、普段は何も考えずに歌っていた水泡は慌てた。
「えっと、……音羽の滝です。音羽の滝に日の光が当たると、それはそれは美しくて……」
必死に答えを絞り出す。
「まぁ、清水さんですか、私もよくお参りに行くけど、……そうなの? 」
「はい、私は清水寺のすぐそばで生まれましたので……」
まさか、捨てられていた。……とは言えないが、何とか話はつながる。
「それはそうと、貴方、そんな格好しているけど、本当は年が若いのでしょ? 声で判るわよ。折角だから、今度、歌う時には小綺麗な姿で歌いなさい」
ご丁寧にもダメ出しまでしてくれる。
「……そのほうが、きっと運が開けるわ」
そう言ってニッコリ笑うと、女人はお供え餅や菓子を紙に包んで渡してくれた。
帰りには、さすがに疲れていたので、水泡は小屋の近くまで行く馬借の荷車に乗せてもらった。そして、その対価として菓子を渡すことになったが、それでも伸し餅だけは何枚か持ち帰ることができたのである。
「おぅ、よう遂ったな……」
忠明は、水泡の話を聞き、内気な女童の大冒険に思わず胸が熱くなっていた。
「なかなか見事なお人柄じゃ、わしもその女人に会うてみたかったわ……」
捨身尼の小屋の中で、三人は今、夏の菓子を前に談笑中である。
この菓子は、今で言うところの〝果物”なのだが、因みにこの季節の物は〝瓜”だった。真夏でも涼が感じられる取って置きのお菓子である。
そして、この瓜は、忠明が去年の夏に食べた種を育てたものだった。
あの後、なかなか泣き止まない水泡を連れて小川に行くと、きれいに顔を洗わせた。すると、少し落ち着いたのかやっと表情が明るくなる。
何より、顔を洗った途端に女童のツルンとした瑞々しい白い肌が現れ、忠明は、とても新鮮な印象を受けたのだった。
それから、山の方へ少し上ると、草むらを掻き分けて進んだ。すると、そこだけ綺麗に草が生えてない場所がある。それが、彼の秘密の畑だった。
「これが、わしの取って置きじゃ、……しょうがないから食わせてやる」
そう言うと、蔓ごとズルズルと引っぺがす。
コロリ……と、小さくて細い瓜が何個か転がり出て来た。
今、その瓜が手土産として、皿代わりに使い古された紙の上に載せられている。
雑ではあるが、切り分けられ、食べやすくなっていた。
その横には、水泡の戦利品である伸し餅も置かれている。
「ほんに、この瓜は美味しいですね」
婆が嬉しそうに頬張った。
「来年は、私がこれを育てましょう」
水泡もニコニコ笑っている。
なんだ、あれ程泣いておったくせに、……ちょっと悔しい気持ちになった。
だが、その変わり身の速さも女性の醍醐味なのだろう。……と、信じたい。
忠明は、そんな風に思った。
「婆様、これを見て下さいませ。餅を包んでいた紙ですが、こんなに沢山の文字が書かれていますよ」
確かに、いろいろな書の下書きに使われていたのか、白い紙が黒くなりそうな程、びっしりと流麗な字が書かれている。
「まぁ、歌を考えてらしたのね。……どれも素敵、それに達筆ね。きっと名のある方じゃないかしら、……あれ、もしかして、あの方かしら? 」
老婆は首をかしげた。
「ほぅ、婆の知り合いか? 」
「はぁ、……どうでしたっけ? 」
肝心なところで、忘れてしまう捨身尼である。
「ところで婆様、私に字を教えて頂けませんか」
突然、水泡が話を切り出す。
おいおい……婆に頼んで大丈夫なのか?
そんな風に忠明は心の中で思った。
「いえ、その、……せめて自分の名ぐらいは書けるようになりたいのです」
「水泡……をですか」
捨身尼が口を開いた。
「あまり良い名ではありませんよ。前から話すべきかどうか考えていたのですが」
「これ、婆、何を申すか」
こういう時には、何故かはっきり物を言う婆に、忠明の方が気を遣ってしまう。
「……良いのです。婆様、そのまま聞かせて下さいませ」
「水の泡など、いつでも消えるような名前は、本来、大事な人に付けてはならないものでしょう。……いつまでも、拾われ子のような名ではいけないと思うのです」
案の定、水泡はジッと老婆の顔を見ると、またウルウルと目を潤ませた。
おい、泣くなよ…… 水泡 !
婆よ、泣かせるではないぞ……!
間に挟まれた忠明が、何故かドギマギしている。
「良い機会ですから、改名しませんか」
「はぁ? 」
忠明が思わず叫んだ。
「何故、天火様が驚かれるのです」
ブルブルと身震いしながら、水泡も忠明の方を見つめてきた。
「いや、わしも同じ様な目に会ったからな……」
すると、心なしか捨身尼の目がキラキラと輝きだしたように見える。
「わしの場合は、別当様の御子息と名前が似ているからという理由じゃ、……呼び方は変わらんが、理明の理の字を忠義の忠の字に替えるように言われた」
「ほぅ、……なかなかやりますね」
老婆が軽快に笑った。
「いや、むしろ吉き事が起こりそうですよ……」
「どうしてその様なことを思うのだ」
「私も、死出の旅路に向うために新しい名を付けたのですが、……こうして新たに、貴方がたとお会いすることができました。それに、何やら不思議な話ですが、まるで新たな人世旅に出たような心持になったのです」
「なるほど、新しい旅立ちという訳か……」
忠明の中で燻ぶっていた憤りの気持ちが、やっと消火された気がする。
「では、私の名も考えて下さりませ」
普段は大人しい水泡が声を上げた。
「はい、はい、……以前から考えていたのですが〝皆和”というのはいかがでしょうか? 呼び名は変えずに、書き字は〝皆を和ませる”……そういう人になりますようにと、考えました」
「なるほど、婆もなかなかやるではないか……」
「……良い名ですね。では、そうします」
嬉しそうに、水泡、いや皆和が微笑んだ。
そして、この日から、理明は忠明として、そして水泡は皆和として新たな旅に出発したのである。
有難うございました。
来年も良い年になりますように!