狭いながらも楽しい婆家 (1)
あまりに長いので、今回は短めに書いてみました。
少しでも、読みやすければいいですが……!
もう、とっくに夜は明けた。
むしろ、日は天頂近くまで登っている。
あれからも、酔っ払い達はダラダラと遊興し、とうとう翌日の昼近くになってしまった。
どうせ今日も、まだ盆明けということで、皆、ろくに働かないだろう。
それに、いつものことだが、まともに働くのは我らのような下っ端の者だけなのだ。
理明だった忠明は、馬上で唇を噛み締めている。
従者として宴には参加したものの、正体を失ってしまったような連中の面倒を見る気はもうない。適当にバックレて来たのだ。
今頃、文保たちは大きなお荷物に難渋していることだろう。
だが、もう知ったことか、……もうこんな仕事辞めてやる。
恐ろしいほど、ブラックな気持ちが溢れ出し、今の忠明はそれを御しかねているのだ。
やがて、捨身尼の小屋が見えてきた。
竹藪の中では、サヤサヤと涼しげな風が吹いている。
「捨身尼は居るか」
扉を開けた。
すると、壁に凭れたまま、気を失ったように眠っている捨身尼の姿が見える。
「おい、婆様、大丈夫か」
先程までの興奮状態が醒め、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
急いで抱きかかえると、そっと仰向けに寝かせてやる。
だが、こちらの心配をよそに、婆は何やら物を食べているかのように口をムニャムニャ動かすと、寝返りを打ち、再びウトウトと眠り始めた。
クークーと、平和な寝息が聞こえてくる。
「なんじゃ、肝を冷やしたわ……」
何のことはない、……捨身尼の寝顔は子供のようだった。
人はやがて子供に戻っていく。……とは聞くが、確かにそうなのかもしれない。
忠明の怒りは、いつの間にか治まっていた。
もう頂点を超えてしまったからか、あるいは、婆の眠りがあまりに無邪気なので肩透かしを食らったせいか、とにかく和んでしまい、力が抜けている。
そして、婆の凭れかかっていた壁に自分も凭れると、忠明も眠ってしまった。
一時、まどろみの時間が流れた。
どれ程の時が経っただろうか、小屋の扉をそっと開け、何者かが入って来ようとしている。
眠っている忠明の姿を見て、一瞬、ビクリとしたが、大胆にもそのまま入って来た。
そして、そっと忠明の顔を覗き込んだ。
「ぎゃっ……! 」
甲高い叫び声が聞こえる。
それと同時に、忠明はその侵入者の胸倉を掴んで前に引き寄せていた。
「天火様! ……私でございます」
「あぁ? 」
よく目を見開いて相手の顔を見る。
忠明には職業柄か隙がない。いつも何かあった時のために気を張っている。そんな訳で仮眠していても、小屋に入ってきた者の気配を感じ、咄嗟に体が反応したのだ。
だが、目の前には、どうしたことか炭の灰で真っ黒に顔を汚した娘の顔があった。
「うっ、ぐぅ……」
聞き覚えのある声だ。
「どうした? 何をしておる、……水泡ではないか」
「うっ、死ぬかと思いました。……あぁ、恐ろしかった」
急いで、水泡の胸元から手を離した。
よく見ると、水泡の顔はススで真っ黒に汚れている。
「そなた、何をしておるのじゃ」
水泡の話によると、
『今日、某寺で法要がある……』
という情報を得たので、まだ、朝も暗いうちから出かけていたらしい。
「婆様に教えて頂いたのですが、
『うら若い娘が、そのままの姿で出歩いておると、危ない目に合う』
とのことでしたので……」
「それで、わざわざ真っ黒な顔になったのか」
「そんなに黒うございますか…… 」
「ハハハ、……ほんに面白い顔じゃな、その上、墨染の衣など着ておれば、誰も手など出さぬわ……」
「……」
何やら、水泡が沈黙してしまった。
「なんじゃ、それはそれで嫌なのか、……ハハハ」
無神経に笑う。
すると、水泡の顔が曇ったかと思うと、やがて瞳から雨が溢れ出した。
「おい、何故泣くのだ……」
水の流れは頬をつたい、そこだけ黒い色を落としていく。やがて肌の色が筋状に現れた。
「おい、泣くな……泣くなと言っておろうに」
水泡は、必死に涙を止めようと、目の周りをゴシゴシする。すると余計に汚れが広がってしまった。
「すまん、すまん……! おい、もう泣くな。……ちゃんと謝るからのう」
忠明が、少女に向かって手を合わせ平謝りしている。
客観的にみると、面白い光景になってきた。
「食べ物ぐらい、己で何とかせねばならぬと思い、出かけておりました」
「そのようなこと、……わしが何とかしてやるが」
水泡の涙はまだ止まらない。それどころか、ひどく噎せ返り苦しそうである。
「婆様の悪い墨染めの衣を着て、汚れ顔で乗り込めば、若い娘と気取られぬ。……と、思っていたのですが、それよりも、怪しき者として扱われたことが辛うございました」
この場合の怪しき者とは、身分の賤しい者を通り越して、不審者扱いを受けた感じなのかもしれない。
それにしても、水泡の涙の破壊力は計り知れなかった。
忠明にとって、こんな風に女性の涙を見る機会は今までにはなかった。そこでイチコロである。
「もう泣くな、……しょうがないのう。……そうじゃ、わしの取って置きをやろう」
そう言うと、悪戯っぽく笑った。
水泡から聞いた寺での話である。
この日、夜明けよりも早く起きると、熟睡した捨身尼を残したまま、件の寺まで人目を避けるように急いだ。そして寺の縁の下に潜むと、法要が終了するのを待っていた。
太陽も高く登り、昼頃になって読経の声が止んだ。
そこで勇気を出して縁の下から顔を出すと、廊下を忙しそうに歩く若い僧侶を呼び止めた。
「どうか、御供物のおさがりを下さいませ」
「まだ早いわぁ」
そう言うと忙しそうに立ち去った。
実際、法要後の昼食会の用意でもしているのだろう。皆がいそいそと廊下を行き来している。
それでは暫く待つしかないと、じっと我慢し、食事が終わったのではないかと思われる頃に、今度はもっと落ち着いた感じがする年配の僧に声を掛けてみた。
「どうぞ、この御仏の弟子に御供物を分けて下さりませ」
僧侶は水泡の顔を見ると、ポカンと口を開けた。
「そなたは人間か? 猿ではないのか……」
「滅相もございません」
すると、必死に堪える様にクックッと笑い出す。
「如何したものかのぅ、……これは、これは」
酷く笑った。
こう見えても、水泡はうら若い娘なのだ。
酷く人権がない扱いを受けた気がし、耐えられなくなった。
「何故、このような処に参ったのじゃ」
「あのぅ、……ある尼様に、この寺の皆さまは良い御方ばかりだと伺いましたので」
今度は、僧侶の顔が曇る。
「どこの誰かは知らんが、怪しいことを申すのう」
すると、二人の会話が聞こえたのか、一人の女人が声を掛けてきた。
「これは、何を話してらっしゃるのですか」
見上げると、上品な衣を着た、年の頃なら二〇代後半に見える女性が立っている。
どこかの貴族の奥方なのだろうか、それほど高価な衣を着ているわけでもないのに、清潔感のある自然な美しさが感じられる人だった。
年内にもう一回ぐらい書ければいいのですが……
よろしくお願いします。




