ダメ、絶対ダメ! パワハラ !
いよいよ師走になり、忙しくなってきましたね。
このテンポで続けられると良いのですが、……よろしくお願いします。
あれから理明は、錦部文保の供として、清水寺の参道途中にある立派な屋敷に連れてこられた。ここは恐らく身分の高い者や、富裕な連中が利用する場所なのであろう。
客間らしき部屋の中では、検非違使の別当(最高責任者)である源重光が酒宴を催していた。部屋にはとても風雅な屏風が飾られており、清げな敷物も敷かれていて、決して身分の高い貴族を招いてもおかしくないほど立派な設えになっている。
何故、こんな場違いな場所に呼ばれたのだろう。
理明は緊張しながら座敷の隅に隠れるように座った。
源重光は、醍醐天皇の孫にあたる生粋の貴人で、検非違使の補佐的な仕事しか任されていない理明にとっては、本来、お目にかかれるはずもない雲の上の存在なのだ。
「よいか、聳丸……」
ここに連れてこられるまでの話ではあるが。
「ちょっと明法をかじったぐらいでいい気になるなよ、そちの様な身分の低い者は、学問より、目立つことをせねば、何事もなされぬまま終わってしまうぞ」
「お言葉ですが、学を極めた方が、府生に取り立てていただき、お役に立てるのではないかと思いますが」
『身分が低い……』
などと言われても、錦部文保も理明とさして変わらない下級貴族の出ではないか。
「ははは……、それでは何故に聳えておるのじゃ、そのように見事な骨柄でありながら、活かさん理由はなかろう。武官として身を立てよ」
どちらかと言うと、勉学が苦手な文保には、時々、妙な説教をされる。
「武の道は厳しいものでございますれば、私などではとても……」
「何を申すか、……ははは、そちならば、良い矢盾になるであろうに」
「………」
ちょっと、ムッとした。
源重光は、従者として府生の安倍茂兼を連れている。
そして、その茂兼は部下の文保を呼び出し、文保はより下っ端の理明を駆り出したのだ。
当時の貴族や、身分の高い人々は、その地位や財力に伴った従者を連れ歩いた。さほど身分の高くない下級貴族でも、やはり同じで、普通は、余程の事情でもなければ単身で出歩くことはなかった。
勿論、理明にも若竹丸や、磐治という父親の代からの古参の従者がいるのだが、検非違使庁の中では、序列的に理明は従者扱いになるのだ。
しかも、一七〇センチ超えと、特に背が高い理明は何処からも目を引いた。もっとも、平均身長が低い時代の話ではあるが。
また、当時の上級貴族の間では、いかにも屈強に見え、しかも外見的にも魅力的な従者を引き連れるのが流行っていた。そこで、お誂え向きなのか、しばしば駆り出されたのだ。
兎に角、そんな金魚の糞のような立場で、貴人の酒宴に忍び込んだ訳である。
さすがに止事無い方のなされようだ。理明のような末席の者にも、それなりに良い肴が出されている。
地方出身者にとって、都の食物はとても魅力的だった。魚や菓子(果物)は生まれ育った和泉国の物の方が新鮮なはずなのに、より高級な物に見える。
とにかく、出されている物はなるべく食べたい。そこで大きな体を隠しながらソロリソロリと食べていた。
やがて、いつの間にか場の空気は白けてしまい、何とはなしに重苦しさまで感じられるようになってきた。
どうやら、重光は暫く本宅に帰ってないらしい。そこで業を煮やした妻君(行明親王の娘、宇多天皇の孫にあたる)に頼まれ、茂兼と文保が迎えに来たようだ。
だが、誰もが肝心のことが言えず、ただ時間だけがダラダラと過ぎていく。
座敷で酌をする女達にも疲れが見え、蒸し暑い空気の中、誰もが欠伸を噛殺し始めた。
「そこの見かけぬ顔……、そちが聳丸か」
まるで、退屈を打ち破るかのように、止事無い方が口火を切った。
まさか、こんなに身分の尊い方にまで噂が知れ渡っているとは、ちょっと心外だったが、いくら部屋の隅で小さくなっていても、大柄な体は隠しきれるものではないのだろう。
とうとう、酒肴にされるようだ。
「ほんに、噂に違わず聳えておるのう」
重光は、薄笑いを浮かべながら下賤の者に話しかけてきた。
「はぁ……」
思わず畏まってしまう。
別当は、検非違使庁での究極の上司ではあるが、これ程の大物に直接話しかけられるとは思いもよらなかったからだ。
目を伏せ、面を下げたまま固まっている。
この場に居れば、いずれ話の種にされるだろうと覚悟はしていたが、遂に来た。
「ほんに大きいのう……、そちは相撲人にはならんのか」
「はぁ、私は明法を学んでおりますので、できれば、こちらでお役に立ちたいと……」
「なんじゃ、つまらんのう。そちは、確か三年程前の相撲節で、手負うた相撲人に代わって布引を行った衛士であろう」
よく覚えているな……。
正直なところ、気軽に返事して良いものなのか、考えあぐね固まっている。
「……はぁ、お覚え頂いていたとは、畏れ多いことであります」
相撲節とは、この当時、原則として七月の末に催されていた宮中の年中行事の一つである。
日中には内裏の庭で、天皇や上級貴族を前に、地方から召集された相撲人達が相撲をとるのだが、夜には宮中で宴席も設けられていた。
また、今の大相撲と一番違う点は、相撲の取組の合間には、楽人達の演奏や舞人達の舞楽が差し挟まれており、結構、華やかな行事であったようである。
ちなみに〝布引″とは、取組後の余興性の高い出し物だったようだ。
左右に分かれた相撲人達に布を一反ずつ持たせると、それを縄のように撚らせ、綱引きのように引き合わせることで力自慢をさせるものだった。そして、その後に宴が開かれる。
その日は、偶然にも取組中に怪我人が出て、急いで代理人を出さねばならなくなった。
当時の相撲には土俵がなく、当然、土俵から出せば勝敗が決まるというルールもなかった。そこで、力ずくで相手を地に伏せたり、戦闘不能にしなければならない時もあったかと思われる。
その為か、怪我人が多く出て、代役が立てられた記録もあるのだ。
また、相撲節の担当は、本来、天皇の警護が職務である近衛府だった。
この饗宴を盛り下げないためにも、人目を引く人選を……と、あせった結果、偉丈夫(見事な体格の男子)の理明が選ばれた。
断っておくが、理明は決して相撲人志願者ではない。
ただの、口減らしで都に出仕させられた地方豪族の倅である。
その頃は、衛士になるために衛門府に来たばかりで、何もわからず右往左往していたが、とにかく体格だけは良かったので悪目立ちしていた。
そして、それしか取柄がないと思われていた訳だが。
だが、いざ布引の役が決まると、『このチャンスを逃すものか』と、心が跳ね上がる思いに駆られた。
毎年、御所の警護のために、地方から沢山の若者たちが上京して来るが、衛士として勤めても、数年のうちに役目を終えて帰省してしまう。
しかし、たまに見込まれて衛門府の役人になれる者もいた。
そこで、それこそ千載一遇の好機に思えたのである。
だが、いざ本物の相撲人と向かい合ってみると、思った以上に、相手の存在感に圧倒された。
布引は本来、取組みではない。縄の両側を相撲人同士が引っ張り合い、互いの力強さを見せるものだ。
だが、単純に引っ張るだけでは目立たない。
印象になんか残らないだろう。
こういう時に物を言うのは度胸だ。
……少しでも目立ってやろう。
理明は下半身に力を入れると、力強く引いた。すると当然のように、相手も負けまいと全力で引き返してくる。
相撲人の年齢は、二〇代後半ぐらいに見えた。背丈こそは理明より少し低いが、肩幅は広く、分厚い肉付きの力士体型で迫力がある。
『子供のくせに、小賢しくも挑んできよるわ……』
そんな表情が見て取れた。
激しく引き合うせいか、縄がギリギリと捻じれて、掌が痛い。
しかし、本物の相撲人を相手に、打ち勝つわけにはいかないだろう。
……そう思い、一瞬、力を緩めた。
すると、ズルズル……っと、相手が体勢を崩し、後ろに倒れそうになる。
ワッと歓声が上がった。
だが、さすがに本物の相撲人である。見事に力強い両足でバランスを取り直すと、今度は縄を引き取られてしまった。
人々の感嘆の声が響き渡る。
その後、理明の臨時代行としての役割は無事に済んだ。
そして、その夜には褒美として餅が与えられたのである。
今となっては、懐かしい思い出だ。
そして、この一件が関係したのだろうか、それから間もなく、理明は衛門府の役人に採用されることが決まった。
「あの時は、面白いものを見せてもろた。……どうじゃ、こんな所にいたのでは、果報にも恵まれんぞ。相撲人にならんか」
「はぁ、……できれば、使庁の方でお役に立ちとうございますれば」
「何と、このまま検非違使にでもなるつもりか……」
逆に、なったらアカンのかい……!
と、こちらが突っ込みたいぐらいだ。
心なしか、重光の顔が曇ったように見えた。
それでなくても、上京した当初、相撲人と間違えられ、京童部に絡まれて大迷惑したことがあるのに……、むしろ何故、そんなに相撲にこだわるのか、こちらが聞きたいぐらいだ。
「よいか、相撲人として出世したならば、それ相応の褒美が与えられる。゛最手″(現代の横綱的立場の者)ともなると、免田を賜ることさえあるのじゃ。……どうじゃ、郷に帰っても誰にも何も言われまい」
免田とは、朝廷から特別に税を免除された田地のことである。
王朝時代の最手には、褒賞として八〇町もの免田が与えられた者もいた。
ちなみに一町の広さは、概ね一辺が一二〇メートルの正方形の面積なので、約一・四四ヘクタールで、だいたいサッカーコート二面分程である。そして、単純にその面積の八〇倍だとするなら相当な広さであり、いかに破格の扱いであったかがよくわかる。
だとしても、今の理明にとっては、土地などあまり意味がなかった。
何故なら、故郷に帰ったとて、あまり歓迎されるような立場ではないからだ。
いや、むしろ都で官吏となり、立派に自立することが、一番の誉れになることだと思っていた。
「私は、故郷に居ましたころより、この職に憧れておりましたので」
「なんじゃ、……ならんと申すのか、もったいなきことよのう」
落胆したように重光が溜息をつく。
「ふん、……ならば改めよ」
すると、今度は意を決したように言葉を畳み掛けてきた。
「はぁ ? 」
「そちの名のことじゃ」
語気に怒りが感じられた。
「……」
突然の展開に、言葉が出ない。
「そちの名は理明と申すのであろう。初めて、その名を知った時には驚いたわ。『何のことか……』などと、空々しいことを申すなよ」
以前、為信から聞いたことはあったが、ここでそれを言われるとは思ってもみなかった。
源重光には、妻・行明親王の娘との間に明理という長子がいるのだ。
為信にその話を聞かされた時には、まさか……とは思ったが、
「そちは、『そのぐらいのこと……』と、思うかもしれんが、上下が逆になっておるだけでもややこしいではないか、よいか、……そちの名を、今から改めよ」
怒り上戸なのか、細面で上品な顔が赤く上気している。
「はぁ……」
ただただ、あっけにとられながらも、かろうじて返事はしたが、
「では、聳太でどうじゃ」
今度は暑いのか、扇を広げるとハタハタと煽ぎながら笑いだした。
「それでは、ちょっと……」
一同が、ドッとうけて笑う。
いくら相手の身分が高くとも、さすがに受入れ難い話である。
為信が、意味深げに目を細めて言ったことを思い出した。
「良い名じゃな、……それでは、いずれお目に留まる日が来ることは間違いないのう」
こんな形で、お目に留まりたくはない。
「では、聳明な……」
酔っ払いが執拗に絡んでくる。そんな雰囲気になってきた。
えぃ、いい加減にせよ……!
さすがに腹が立ったので、面を上げて別当の顔を睨もうとした時、府生の安倍茂兼が口を開いた。
「では、理の字を忠義の忠に代えてはいかがでしょうか、我らの勤めは、帝に忠節を尽くすことでありますので」
さすが、茂兼……と、今度は感心したかのような溜息交じりの声が皆から漏れる。
「おぅ、……それな! 」
重光がご機嫌に笑った。
どうやら、この鶴の一声で本決まりのようである。
この時から、理明は忠明になってしまった。
やっと、ここまで辿り着いたという感じです。
これからも、読んでやってくださいね。




