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鳥辺野界隈 ― 平安時代アンダーグランド物語 ―   作者: クワノフ・クワノビッチ
2/27

天火様 ミーツ ガールズ

検非違使庁の官人 美怒理明には家族がいない。

生まれの複雑さから天涯孤独と思い生きてきた。

だが、都に出仕してから何故か家族モドキのようなものができた。

そして、また今日も一人拾ってしまった。

 

 雨はひとまず小降りになったが、竹やぶの中で、雨粒は風に煽られ霧のように揺れて見えた。

 二人を乗せた馬は、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)を過ぎ、愛宕寺の辺りまでたどり着いた。ここまで来ると、さすがに静かでひっそりとしている。むしろ怖いぐらい寂しい。

 いや、人家さえ見かけなくなった。随分と外れまで来たようだ。

 やがて、まるで雑木林に隠れるかのように立つ、雨風が凌げる程度の小屋が見えた。


  「捨身(しゃしん)()はおるか……」


 すると、その声に誘われるように、小さな子供のように背が低い老婆が現れた。

 煤けた一張羅(いっちょうら)の黒染めの衣を纏っている。しかし存外、元気そうに見える。老婆のように見えても実は若いのかもしれない。


「これは、天火様ではありませぬか、このような処にいらっしゃるとは、何事かございましたか」

 老婆は恭しく腰を曲げながら一礼をしたが、すぐさま頭をあげると理明の顔を見ながらクスクスと笑いだした。

「何か御事情があるようですね。……この婆は、いざという時に役立ちますので、何でも仰しゃりませ」

 人懐っこく笑う。

「おぅ、捨身尼、息災であったか……、いや、その……」

 その屈託ない微笑に、思わず口籠ってしまった。

「世の中には、いろんな事情があってな、これも仕事のようなものじゃ」

 適当に言ってみたがバツが悪い。どう見ても、()()()()()子供をかっ攫ってきた悪者のように見えているのではなかろうか……。


  夏とはいえ、雨に濡れた体は冷える。

  二人は、捨身尼の狭い小屋の中で、身を寄せ合うように暖を取っていた。

  それは、わざとではなく、この小屋が三人には、物理的に狭すぎるからなのだ。

  もともと、この小屋は見張り用に仮設されたもので、最低限の広さしかない。だが、煮炊きはできて、何とか生活することはできた。

  そして今、二人は捨身尼の小屋でやっと落ち着けたところである。

 

「言っておくが、あの場からうまく逃げられたとしても、あ奴らはお前を諦めるわけではあるまい。それ相応の策を練らねば、再た連れ戻されるぞ」

 娘は下を向いたままコクリと頷いた。

「ところで、年はいくつだ。………名は何と言う」

「十三です。名は水の泡と書いて水泡(みなわ)と申します」

 蚊の泣くような声で答えた。

 尋問のようにぶっきらぼうな理明の話し方に、老婆は堪りかねて助け舟を出した。

「そうですか、よい名ですね……」

 捨身尼の一言に、少女が顔を上げる。

「おぅ、良いお顔ではありませんか、天火様、もう少し()()()と仰しゃりませ」

 さすがに老婆は世慣れていた。少女の顔がほころぶのが見える。

  理明は、ばつが悪くて頭を掻いた。

「まぁ、よい……よく聞け、この婆はそんじょそこらにいる婆ではない。もとは殿上で歌なども詠んだことがある人だ。たまたま家で体を壊し、尼になっておられたが、家族がおらんようになったため、鳥辺野に出されたそうじゃ」

「はは……死にきれずに困っておりまする」

 決り悪そうに捨身尼は微笑んだ。

「天火様に拾うてもろたのです」



 平安のこの世、家の中で人が死ぬと『(けが)れる』という発想があった。

  どんな身分の高い者でも、死に瀕した重病になると、不浄な存在として屋敷の外に出されることは珍しくなかったのだ。

 この老婆もご多分に洩れず、国司まで務めた夫が死んだ後は、体調を崩したのを機に子供たちからも見放された。その後、出家して尼にはなったものの、最後には頼りにしていた実家の兄にも相手にされず、自ら鳥辺野に死地を求めることになったのである。

 それは、近隣で疫病が流行り、老婆も腹を下して、いよいよ危うくなった時のことである。案の定、甥っ子に家から出て行って欲しいと懇願された。

  確かに酷い話ではあるが、捨身尼は、これも世の常なのだと腹を括ることにしたのである。

 そして、最後の手向けとばかりに、最低限の食い物と、横になれる程度の一条の畳が与えられ、そのまま、鳥辺野の一角に打ち捨てられた。

 激しい雨に打たれながら、捨身尼は、すぐ側に立っている誰の物とも知れぬ大きな墓石の横に寄り添うように座していた。

 雨はどんどんひどくなる。やがて意識が遠のき始めた。

 雨曝しのせいか、墨染めの衣の色はくすみ、ドロドロとみすぼらしく見えるが、敷物として座っている美しい模様を織り込んだ高麗縁(こうらいべり)の畳が、老婆のただならぬ身分を物語っている。


  やがて、老婆は最期の時を感じたのか、少しでも人目につかない場所に移ろうと、最後の力を振絞り、雨のあたらない大きな木の下に移動しようとした。

 そのノロノロした動きは、まるで地を這う虫のようである。


「おい、婆さん」


 この言葉に、意識が引き戻された。

「雷神様が来るぞ、木の側は勧められんな、落ちるかも知れんぞ」

 突然話しかけてきた男の顔を、老婆は必死に見上げる。

「やれやれ……信じられんか、それでも、わしはちょっと雷には詳しいのだ。なにせ親戚が雷神様に焼かれて死んでおるからな……」

 そこには、まだ年の頃なら十七、八歳ぐらいにしか見えない若者が、はにかみながら立っていた。

「……それも、帝をお護りしておった時にな、……恐ろしい話ではあるが、わしは一族の誉だと思っておる」

 ニコリと笑うと、身に付けていた(みの)を老婆にワサリとかけた。

 これが理明と捨身尼との出会いである。


 精悍な体つきの若者は、親切にも全ての者に見捨てられた老人に手を差し伸べた。

  そして、雨露が凌げる、街道沿いの見張り小屋に連れていくと、最低限の衣食を用意してくれたのだ。

 このような、生きるだけでも大変な現世で、社会的にも身体的にも終わりを迎えようとしている老人に、何故、善意を向けてくれるのだろう。

 捨身尼は疑問に思い。そして問うた。

「のう、()()様」

 ちなみに、天火とは落雷で生じる火災の事である。

 老婆は、何時の頃からか、この不幸な天災をも自らの武勇の根源として公言する若者に、こんな呼称を贈っていた。

(ばば)は、もうこの世では役に立たぬようになったので、鳥辺野に捨てられたのですぞ、何故に、優しくして下さるのですか……」

「……知っておるか、鳥辺野に葬られる死者への供物は、生者への贈物なのじゃ。哀れに亡くなった死児の為に喜捨された銀器も、いずれ誰かに拾われたり、売られて誰かの物になる。それと同じじゃ。わしも、使えると思うたから婆を拾ったのじゃ、勘違いするな」

 若者はニヤリと笑った。

「それに、婆はわしより長生きせぬであろう……」

 その笑いには、何か皮肉な色すら見える。

「ここだけの話だが、わしには(まこと)の身内がもうおらんのじゃ、生まれが複雑でのう、糧米を納めるより容易いからと故郷(くに)から出された。つまりは、()()()()なのじゃ」

「それは、考えすぎでしょう。この様に立派な男子(おのこ)ですもの、田舎に埋もれさせるのはもったいないと思われたのでは」

「いいや、……貧しき御厨(みず)子女(しめ)(厨房で働く下女)の産んだ子などに、それ程の価値があるとは思われておらぬ」


 何故、見ず知らずの老婆にここまで話しているのだろうか。


 そんな疑問を抱きながらも、若者は言葉を続けた。

「それでも、育ての母上様には可愛がってもろうた。だが、三年前に身罷られて、それ以来、わしの周りには細やかな事を教えてくれるような女人(にょにん)がおらんようになっておる」

「では、……それは婆でもよろしいのでしょうか」

 プププッ……と、理明は少年のように笑った。

「もちろん、世事についてだがな……」



 捨身尼……この名は、鳥辺野に赴くにあたって、本人が付けた名前らしい。

  本当の名前は理明も知らないし、また聞き出すのも野暮なことだと思っている。

 婆は、この世を捨て、もう鬼籍に入った存在なのだ。

 ただ、仕事柄いろいろと得られる情報で、婆が極めて評判が悪かった国司の妹であり、高貴な生まれの人の究極の成れの果てだと知っていた。

  老婆でも使い道があろうと……などと、拾ってはみたが、果たして何ができるというのか。

 また、己が生きていくためには何が必要で、老婆から得られるものなのか……実は考えあぐねてしまった。

  しかし、そう簡単には結論は出ない。

  ただ一つ言えることは、()()()()()()という単純な思いがそこにあることだ。

 やがて消えていく命ではないか。

  ……せめて、本当の家族のように、己の生きる糧になれば面白いかもしれぬ。

 時々、婆の惚けた顔を見ながら、理明はそんなことを考えた。


 そして、そうこうしているうちに、やっと彼女から学べそうなことが思いついた。

 それは、歌を詠むことだ。

 この当時の身分が高い女性にとっては、歌が詠めることは必須条件であった。

  また、捨身尼は若かりし頃、歌人としても知られた存在だったからである。



「柏木の 森のわたりをうち過ぎて 三笠の山にわれは来にけり」

「……」

「どうじゃ、なかなかのものであろう……」

 老婆に無言で顔を覗き込まれ、理明はドギマギしている。

「何ですか、壬生忠岑(みぶのただみね)様が詠まれた歌でしょうに」

「ふむ、あはは……」

 笑ってごまかす。

 一度、このとぼけた老婆をからかってやろうと、この歌を自作のように詠んだことがある。

 これは、百人一首でも著名な壬生忠岑が、右衛門府生(うえもんのふしょう)から左近将監(さこんのしょうげん)へ出世した際に、酒宴で詠んだと言われている歌である。


 壬生忠岑は、実は身分の低い下級武官の出身だった。記録で知り得る限りでは、左兵衛の番長を経て、右衛門の府生に、その後、摂津の国の(ごん)大目(だいさかん)にまで出世したようだ。

  だが、むしろ歌人としての方が有名で、『古今和歌集』の選者に抜擢されている。


 柏木とは、兵衛府・衛門府など御所を守る部署を表す言葉であり、三笠山とは、近衛府のような天皇を護衛する部署のことである。つまり武官としての職務を全うし、遂に、天子の側近くで護衛する立場になれた。……という祝い歌なのだ。

「この歌で舞うと、酒宴が盛り上がるのでのう……」

 決まり悪げに理明が笑った。

「どうも、わしは歌詠みには向いてないようじゃ、もし歌詠みの才があれば、歌合せの客人として呼ばれ、高貴な方々に近づけるであろうに」

 恥ずかしいのか、顔が赤くなっている。

「歌がお好きなのですか」

「いや、その……それ程でもないのだが、何か手取り早く上手くなる方法はないかのう」

「まぁ……」

 老婆は呆れた。

「そのように易き道があるならば、この婆も迷いませんでしたよ」

 いささか文学的な、いや本当の歌詠みらしい表現で回答する。

「ははは……、どうにもならんな。忠岑様のような出世は望めんようじゃ」

「いえいえ、貴方様は立派な体格(からだ)ではありませんか。まずは衛府の仕事で活躍なさいませ」

「そうか、……そうじゃな」

 長身の若者は、屈託なく微笑んだ。

 理明の顔は、外仕事が多いせいか、日に焼けて黒い。

  それに、着ている薄い青味を帯びた衣も、お世辞にも清いとは言えないほど汚れたものである。

 しかし、その微笑みは、それらを差っ引いても余りある爽やかさで、純朴で明るい表情は、老婆の不安な心に日が射すような暖かさをもたらした。


「良いお顔ですね」

「そうか……」

「きっと、貴方様には良きことがございますぞ」


 それ以来、理明にとって捨身尼は身内のような存在になっている。



水泡(みなわ)と申したな、これから、この婆様にいろいろ教えてもらうと良い。女人としての所作や物習(ものならい)や、……そうじゃ、歌など教えてもらえ」

 水泡の顔が一瞬曇った。

「私などに詠めるのでしょうか」

「わしよりは、……可能(できる)かもしれんな。まぁ、やる気があればの話だが」

 無責任に笑う。

「武で身を立てるよりは、容易きことよ」

「そうそう、天火様ほど酷い人は()()()()いらっしゃいませんからね」

「おいおい……、それはないだろう。わしは優しき男ぞ。見るからにそうであろう」

 水泡に目配したが、困ったように眼を伏せた。少し人見知りなのかもしれない。

 理明が、相当な武人であることは理解してるだろうが、清水寺でのことを考えると、引っ張り廻されて味わった強烈な緊張感や恐怖を思い出し、また、心が動揺するのかもしれない。


「ところで、おまえには親や兄弟と言えるような者はおるのか」

「いえ、清水寺の境内に捨てられていたそうですから、……生まれてこの方、身内と呼べるような者はおりません。ただ、育ててもらった人達はいますが……」

「だが、その者らの為に身を削るのは嫌なのだろう……」

「はい、私は人と話すのが怖いのです」

 また、目を伏せる。

「随分と難儀な話じゃ、それでは奴らにとっても元手が取れまい」

「判っております。もう覚悟は決めておりました。せめて、観音様の御前にて、取親達の平穏無事を祈願し、最後の親孝行をしようと……」

「親というものは、……元手が取れるからと子を育てるものではありません。ましてや、老いて打ち捨てられたとしても子を慈しむものでございます。そのような者達に、義理を感じなくてもよいのですよ……」

 老婆が少女の言葉を遮った。

 普段は穏やかな老婆だが、この一言には、親として生き抜いてきた力強い説得力が感じられる。

「おう、婆様は良いことを言うのう。わしでは太刀打ちできんような話をされる。やはりあのまま死なさず、生きたまま連れて来てよかった……」

「何をおっしゃいますやら、婆はもうこの世の者ではありませんぞ、この鳥辺野に足を踏み入れてからは、生きながらその時を待っております。……ただ、あの世に行くからには、婆に関わった方々には幸せになっていただきたい。……徳を積みたい。そう思っているだけです」

 老婆はカラリと言ってのけ、にこりと笑う。

 だが、それでも充分に母心のようなものが伝わってきた。


「いや、なかなか良いものじゃのう。女人の説教というものは……」


 理明も嬉しそうに笑った。


 そして、その日から、また疑似家族が一人増えたのである。








連載の続きを間違って新規小説として上げてしまったので、もう一度、訂正します。

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