聳子と聳丸
今回は、当時の検非違使が行っていたと伝わる"着鈦政"(ちゃくだのまつりごと)について書いてみました。
ちょっと、冒険かな? とも思ったのですが、何とかぎりぎりセーフであれば良いのですが。
ヨロシク、お願いします。
平安の世では、恩赦がしばしば行なわれた。
恩赦とは、現代では主に、国の祝い事がある時に国家が犯罪者の刑を軽減させたり、軽い物なら消滅させたりするものである。
だが、この時代は、天皇クラスの崩御や、病気の平癒祈願等の外にも、天変地異(例えば日蝕)のような不吉なことが起こった場合にも行われていた。
現代では考えられないような緩い話だが、それは当時の人々が仏法を尊んでおり、罪の軽重にかかわらず軽くしてやることが"功徳を積む"ように思われていたからではなかろうか。
しかし、冷泉天皇から円融天皇、それから花山天皇、一条天皇と、藤原北家の外祖父の座をめぐる争いのせいで、目まぐるしく動く世の中では、これが犯罪の取締まりを甘くし、結果的には都の治安を悪くしたのではないかと思われるのだ。
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いよいよ年が明け、そしてあっという間に桜の季節も終わり、やっと山吹の花が咲く頃になった。
桜ほどの華やかさはないが、山吹も、小さいながら可憐な黄色い花を枝一杯に咲かせている。
だが、今年の忠明は、去年とは比べものならない程に忙しくて、なかなか定信邸に出向けなくなっていた。
五月になれば、検非違使庁の仕事の中では一番注目を集める"着鈦政"という行事があるからだ。
今までは、下っ端として、囚人の護送にだけ気を配っていたが、いよいよ立場的にも看督長らしい重要な仕事を任せられるかもしれない、……そんな風に思って緊張していた。
"着鈦政"とは、毎年の五月と十二月に、それぞれ獄に繋がれている未決囚を引き出し、その罪状に従って刑を定め、鉄の枷を付ける儀式である。
またそれは、平安京にある"市"において、多くの人々に見せしめるかのように行われていた。
これは検非違使庁の威信を示すと同時に、人々に罪を犯さないように働きかける目的があったのではないかと思われる。
それでも、仕事が多忙になる前の貴重な時を利用して、忠明は定信邸に出かけることにした。
定信が屋敷を留守にするので、宿直(宿泊して警戒すること)を頼まれたからだ。
季節も良くなり、過ごしやすくなったので、定信は鞍馬山の麓に住む碁仲間の僧侶に誘われ、家を空けることになった。
その日、若竹丸は宿直の為の荷物を持って、先に定信邸を訪ねていた。
忠明は仕事帰りに寄ることになっている。
一通り用事を済ますと、若竹丸は萌黄をつれて、離れに連なる渡り廊下に腰を掛け休みを取った。
この辺りは、普段から人目に付かない為に人手が入っておらず、腰の高さまで草が生えたままになっている。
若竹丸は、徐に懐から紙で包んだ干し餅を取り出すと萌黄に渡し、そして自分でもそれを銜えた。
「何じゃ、餅か? 」
ちょっと残念そうに萌黄が呟く。
「要らんなら、わしが喰うぞ! 」
不機嫌そうに若竹丸が言い返した。
余りに無造作な渡し方なので、雅な女人に仕える萌黄には受け入れがたいのだ。困ったように掌に餅を載せると、日の光に透かして見ている。
「然ても、この慌しい折に宿直なさるとは、看督様は真実なお方じゃ」
「……いや、尤もなことであろう! 」
そう言うと、萌黄は若竹丸をちょっと睨んだ。
「姫君がお独りでは危いであろうが」
確かに、この屋敷は広さの割に使用人が少なく思える。定信が現役でなくとも、男が二名と女は萌黄を合わせて三名で廻しているのだ。おかげで庭まで掃除が行き届かず、離れの周りの草などは伸び放題である。
「……危ういなどと、我らは御上に仕え奉る身ぞ! ……暇などないのじゃ」
「驕慢じゃな、慌しいのはそちの主様だけであろう? 」
萌黄が頬を膨らませた。
「着鈦の日が控えておる。看督様はそれで慌しいのじゃ! 」
「あぁ、あれのことか、……」
先程とはうって変わって、萌黄はつまらなそうに合槌を打つ。
明るい春の陽光に照らされて、丈の伸びきった草々がキラキラと輝いている。
「あの様なもの、…心付きせんわ! 」
記録で判るレベルでしかないが、着鈦政は、わざわざ未決の囚人を獄から引っ立てて、その罪状に従って枷を着けるものだ。
確かに、使庁の武力を知ら示すことはできたとしても、市井の人々の印象は余り良くなかったかもしれない。それでも、当時、見物人が多かったのは、ちょっとした怖いもの見たさがあったからではなかろうか。
「然とは言えども、今年の獄には余り囚人が居らんのじゃ、……怪しいことじゃ」
そう言いながら、若竹丸は餅をペロリと食べ終った。
「よしよし、わしが喰うてやるわ」
そんな風に言われると、萌黄も反射的に餅を袂(着物の袖の下の袋のようになっている部分)に隠す。
「何じゃ、喰うのか! 」
若竹丸がクスリと笑った。
「ふん、……後で確と喰うので、良いであろう? 」
この二人、喧嘩をしながらも何となく一緒に居ることが多いのだ。少なくとも、若竹丸は萌黄のことが気に入ってるのかもしれない。
「ところで、……若竹丸は聞き及んでおるか? 」
若竹丸から獄のことを聞かされたせいか、萌黄が話し始めた。
それは近いうちに、帝が譲位なされるようだ。……という噂である。
何でも、碁仲間の僧が、高貴な家に誦経で呼ばれた時に、小耳に挟んだらしい。
「ほほぅ! ……然有そうな話じゃな」
若竹丸の瞳が輝いた。
もし、本当に譲位が行われるなら、逆に獄に多くの囚人を繋いでおくのは危険かもしれない。なぜなら、祝い事には恩赦が付き物だからだ。
だからといって、そのまま時が過ぎるまで手を緩めていることが、都の治安にとって本当に良いことなのか、難しい問題ではある。
太陽が昇りきってから半時程経った頃、そろそろ若竹丸は使庁に忠明を迎えに行こうとしていた。
丁度、屋敷を出発しょうとしていた時である。女性の悲鳴が聞こえてきた。
一瞬、耳を疑う。
すると、中年の水仕女が血相を変えて走ってきた。
何事か! と問いただすと、
「賊じゃ、賊が入って来たのじゃ」
そう言うと、縋るように若竹丸を見つめた。
「姫君が人質に取られておられる! 如何しよう? 」
その言葉に、急いで離れの方へ行くと、建物へ続く廊下の辺りに、もう既に使用人達が集まっている。
「姫君は御無事か? 」
取敢えず萌黄に声を掛けたが返事がない。
萌黄は激しく泣いており、それどころではなかったからだ。そして、それを落着かせようと、初老の使用人が宥めている状態だった。
「我が、……我が人質になると申したが、姫君を盗られてしもうた」
絞り出すように、萌黄が話す。
「おう、よう申したな。……そなたは良き従者じゃ」
若竹丸も萌黄をあやすように頭を撫でてやった。
「それで、賊は何人じゃ、……若い男か? 強気な者か? 」
矢継ぎ早に質問する。
「一人じゃ、……若うはないはずじゃ、
『 志様は、本日は居られないのであろう? 我は散々虐がれていたによって、ご挨拶に参ったのじゃ 』
……そう申しておった」
どうやら、何処からか定信の不在の情報を得て、"離れ"の裏手にある土塀の崩れから忍び込んできた様子だ。
「……太刀を持っておった」
そう言うと、萌黄がブルリと震えた。
緊急事態である。
若竹丸は、これでも使庁で働く看督長の従者だ。ここが踏ん張り処だと思った。
「よいか、……膳でも出して待たせよ! 」
そう言い残すと、厩に急ぎ、留守用の老馬に古い鞍を置く。そして、それに飛び乗ると使庁に向かって走り出した。
はっきり言って、それほど乗馬経験があるわけではない。
だが、何が何でも遣り遂げねば! ……そんな気持ちで馬にしがみつきながら走っているのだ。
すると運良く、忠明が馬でこちらにやって来るのが見えた。従者として使庁の者も連れている。
どうやら、仕事を早めに済ますことができたので、迎えを待たずに、こちらに来る途中だったようだ。
若竹丸は早速、事情を話すと、今度は忠明達と共に定信邸へと向かった。
一方、定信邸では、五百女がまだ、人質に取られたままでいる。
それでも、料理をする中年の女は、簡単な肴と酒を出して時間稼ぎをしていた。
五百女は完全に御簾の中から引き出され、庇の床にしおらしく座らされている。
そして、その横には男が、しっかりと太刀の切っ先を五百女の方に向けたまま、両足を組んで座っていた。
いつもなら御簾の中に隠れている女主人の姿が顕になっているので、使用人達は心配しながらも、姫の姿を珍しそうにチラ見している。
だが、こんなことは貴族の姫君には屈辱的だ。
最後の抵抗かのように、五百女は衣の袖で口を隠していた。
しかも長い間、引き籠っていたせいで、姫君なのに化粧もせず、眉も整えず、着物も薄い色の綿の衣を数枚重ねているだけなので、何となくカジュアル過ぎ"姫様感"がないのだ。
「フフフ、……志様の姫君じゃとて、物気無いではないか」
賊は偉そうに言うと、片手で太刀を持ったまま杯を飲み干した。
五百女は顔を伏せて沈黙している。
だが、やがて男はジリジリと、五百女との距離を縮めると、やんわりと後ろから抱きつこうとした。
それをまた、まるでミーアキャットの集団のように、使用人達はハラハラしながら見ているのである。
「ま、……待たれよ! 」
初老の男が叫んだ。
「本日は、良き魚があるのじゃ、どうじゃ? 美味であるぞ、……すぐに馳走するので、暫し、……暫し待たれよ! 」
もう、必死である。
「おう、……ならば疾く持って参れ! 」
どうやら、忠明の為に用意された御馳走は、賊の腹の中に消えてしまいそうだ。
そんな風に、賊の機嫌を取りながら、暫く時間を稼いでいたが、そう長くはもたない。
やがて酔いとともに、男は五百女の体を引き寄せた。そして掴んでいる太刀を逆手に持ちかえると、後ろから抱きかかえるようにして脇腹に刃を突き付ける。
「如何じゃ、姫君、…… これも何かの縁じゃ! わしの妻にならんか? 」
などと、ふざけたことを言い出した。
「フフフ、……それは尊いことじゃな」
そう言うと、五百女は太刀を掴んでいる男の手に、やんわりと自分の手を重ねる。
すると、男の方がドギマギし始めるから不思議だ。
だが次の瞬間、五百女は凄い力で男の手首を握り、太刀ごと床に押し付けた。
「うぐぐ、……イテテテ! 」
男が苦しそうに悲鳴をあげる。
「何じゃ? 姫君ではのうて、鬼のような女じゃ」
その言葉にカチンときたのか、五百女の力が一層増した。
忠明達が定信邸に辿り着いたのは、丁度、賊と五百女の攻防が始まった時である。
すぐに事情を察した忠明は、早速、使庁から連れて来た従者に弓を用意させた。いざという時に、離れた所から賊を射させる為である。
だが実際、射るには五百女と賊の距離が近すぎた。
「おい、……そちはその女と何をしておる? 」
仕方がないので、忠明が声を掛ける。
すると、二人の動きがピタリと止まり、鳩が豆鉄砲を喰ったような顔をした。
男の手には、もう太刀はなかったが、逃げようとした時に後ろから羽交い絞めにあい、五百女は動けなくなっている。
どうやら、そのせいで周りの変化に気付いてなかったようだ。
「いやぁ、……そ女が姫君のはずがなかろう! 」
忠明は、わざとゲラゲラと笑って見せた。
ちょっと義姉には失礼かもしれないが、交渉術を使うことにする。
「はぁ? ……御簾の中に居られたのじゃ、姫君であろうが! 」
男は怒りながら、突然現れた柔和な表情の若者に言い返す。
「イヤ、イヤ、イヤ、……よう見てみよ! 化粧などしておらんであろう」
「……? 」
キリッとした太い眉に、ちょっと気の強そうな彫の深い顔立ちが、忠明の目には新鮮に映った。
確かに"眉の手入れ"も"お歯黒"もしてないが、それが逆に健康的に見え、五百女は現代では美人の部類に入るかもしれない。
忠明の言葉に何となくそそられたのか、男はせっかく羽交い絞めにしていた腕を解いて、五百女の顔を覗き込んだ。
「ほう、なるほど強気な面をしておる」
妙に納得している。
「しかも、この女、……聳ゆるようじゃ! 」
羽交い絞めにしていた時には気付かなかったが、男と並ぶと、五百女の背丈はさほど変わらなかった。
だが、その不躾な言葉が新たな展開を生んだ。
「……聳ゆる! とは何ぞ? 」
ガチリと鈍い音がする。
五百女が、渾身の力で男の額に頭突きを喰らわしたのだ。
「ギャッ! 」 と悲鳴が聞こえた。
それと同時に男が額を抱えたまま、無防備にしゃがみこむ。
そこで、その瞬間を逃すことなく、忠明は男に駆け寄り、素早く捻じ伏せた。
そして従者がそれに縄を打ち、やっとこの事件は終わったのである。
「姉上様、御無事であられますか? 」
恐る恐る、忠明は五百女に声を掛けた。
「イ、……痛い」
五百女は、まだ痛そうに袖で額を隠していたが、改めて忠明の顔を見上げる。
忠明と五百女にとっては、これが御簾なしでの初顔合わせであった。
よく見ると、五百女は真剣に泣いている。
よほど怖かったのか、目を真っ赤にして、肩を震わせていた。
「いや、いや、……真に見事な御働きでしたぞ! ……姉上は、さすがに兵の家の姫君じゃ」
そう言いながら、忠明は五百女を落着かせるために肩をポンポン敲く。
「うっ、……喧しや! 」
パチン、……五百女は、恥ずかしさと悔しさから、忠明にビンタをくらわせてしまった。
女性からのビンタなど、忠明的には滅多にないメモリアルなことである。しかも、手首のスナップが利いているせいか地味に痛い。
だが、この偶然の産物のようなスキンシップのおかげで、忠明は一気に、五百女との距離が縮まったような気がした。
そこで、ニヤリと笑う。
「姉上! ……漸く、我の歌が捻出せました故、持参しましたぞ」
そう言うと、五百女もあきれて笑い出した。
山吹は易きに咲かじ
歌詠めと 勧める君と
見なましものを
忠明の文には、この歌と共に、萎れてはいたが一輪の山吹の花が添えられていた。
それ以来、やっと認めてもらえたのか、五百女と御簾なしで会えるようになったのである。
だが、忠明にとっては、弟にしてもらったというより、"舎弟"になったような気分であった。
いろいろと調べるのに時間がかかり、なかなかアップできませんでしたが、今回、ギリギリ年内に仕上げられてよかったです。
今年はとても大変な一年間でしたが、なんとか無事に過ごせて何よりです。
来年は、安全な良い年になりますように!