平安 ★ 和歌バトル
今回は和歌がテーマの回です。
和歌って、古典の授業で必須ですが、センスがいるので難しいですね。
今回も上手く書けていれば良いのですが、ヨロシク、お願いします。
秋になり、定信邸の庭に松虫が鳴くようになった。
そして、今宵も涼やかな音が響き渡っている。
義姉に碁で打ち負かされて以来、忠明は心を入れ替えて定信と打つようになった。
そこで、以前よりは向上心が増した分、少しは上達したはずだが?
……とにかく、真面目に眠らぬようにと、定信に教えを乞うている。
その日も、二人は母屋の庇で盤を置くと、無心に碁を打った。
庭の草木も風にさやさやと揺れ、月が顔を覗かせ始める。
部屋の隅には、一帖の屏風が置かれていた。
そこには、秋の草花に彩られた山の風景が描かれており、薄や萩、桔梗が風の中で揺れる姿と、それを少し寂し気に見下ろす有明の月が描かれている。
……若い娘がいる家にしては、ちょっと渋過ぎではないか?
とも思えるが、定信らしい気もした。
「良い屏風ですな」
「ほう、心付かれたようじゃな」
嬉しそうに、定信が微笑んだ。
「……秋らしゅうて、風情で」
「これは、我の親父様が使庁を辞された折の祝いの品じゃ、それ故、いささか侘びておるがなぁ」
それは母屋を目隠しするように置いてあった。
「義姉上様は、また、塗籠に籠って居られますのか? 」
ふと、気になって定信に聞いてみる。
「いや、"離れ"に居る。……どうやら、そなたの手筋が気になるようで、心慌しいそうじゃ」
「はぁ? ……では、我とではなく義姉上様と打たれる方が良いではありませんか」
思わず憤慨した。
「負けてしまう。……あ奴、鬼のように強いのじゃ」
「へっ? 」
聞くところによると、義姉にあたる"五百女"姫は、囲碁においては向う所敵なしの強者らしい。
それにしても、五百女とは、仰々しい名前を付けたものだ。定信の口から、初めてその名を聞いた時には驚いたものである。
何でも、定信にとって五百女は年を取ってからの一粒種で、そこで人と多くの縁を結べるようにと名付けたらしい。
だが、結果的には、女人にしては"強い娘"に育ってしまったようだ。
……そんなことを話しながら定信は照れた。
実を言うと、以前に義姉から出された和歌の宿題を、忠明はまだできずに苦しんでいる。
今までも武張ったことなら、ある程度、経験済みだが、雅な事とは無縁だったので途方に暮れているのだ。
だが、この課題をクリアしなければ義姉に認めてもらえない。
……そんな風に思い、碁を打つ合間にも情報収集をしているのだった。
とはいえ、本人に挨拶する前に、親父様から義姉の名前を打ち明けられるとは、何か無言の圧力を感じる。
少なくとも、当時、人の本名を聞き出すという行為は、余程気心が知れているか、親密な間柄でなければできなかったからだ。
もともと平安時代には、人の本名(親から付けられた本来の名前)を直接呼ぶことを避ける習慣があった。
それを呼ぶこと自体が、極めて無礼な事と考えられており、親やその人物の主君にあたるような立場の人にしか許されないことだったのである。
名前には霊的な力があって、他人が名前を口にすることで、その人の運命に良くも悪くも影響を与えるかもしれない。……そんな風に思われていたからだ。
そこで、当時の人々は"字"の様な別称を付けて呼び合っていた訳である。
忠明の場合、看督様は職業名から、そして天火様は、いわゆるニックネームだ。
また、ごく若い年頃の兄弟の多い男性達の間では、"一郎"、"二郎"、"三郎"等と、まるでナンバリングのような名前が使われたりしていた。
もちろん、女性の場合も例外ではない。
女性の場合は、より回りくどくて酷い。父親の仕事名で呼ばれたり、誰の妻だとか、誰の母だとか、政治に直接関係しないせいで公式文書にも残らず、正式の名前はごく一部の人物しか伝わっていない。
とにかく平安の世で、何重にも社会から隠されていた女性の本名を呼ぶことは、本当の家族か、婿にでもならなければ許されないことであったのだ。
まさか、こんな事で苦労するとは!
忠明は頭を抱えていた。
彼の育った環境には、"和歌"のような雅な文化が根付いていなかったからだ。
うーん! 和歌など詠める気がしない。
残念ながら、名前まで教えて下さった親父様には申し訳ないが、期待に応えられないだろう。
……このまま"義姉上様"で押し通すからな!
……思い人でもあるまいし、名など呼ばんぞ!!
……うん。……いっそ、名など知らないことにしよう!!!
忠明は、遠い目をした。
「天火殿! 長考し過ぎじゃ」
「あぁ、……これは、抜かりました」
やっと、現実の世界に引き戻される。
「もしや、歌のことで思い煩っておるのではないか? ……すまんな、五百女は真に心強うてな、何や彼やと難しいのじゃ」
定信は優しい人だ。娘の無茶ぶりに翻弄されている忠明を気遣ってくれている。
「我は田舎人ですので、歌の様な雅な物には疎うて悩んでおります」
思わず、本音がポロリと出た。
「いやいや、わしとて歌など詠めん! あれは、あ奴の"徒ら"じゃ。……捨て置いても良いからな」
確かに、武官に 『和歌を詠め! 』 等と強要する事は、
体育会系の若者に 『美しいドレスを縫え! 』 というような、嫌がらせ感があるかもしれない。 (まぁ、……裁縫上手なオカン男子もいるかもしれないが)
「……されど、このまま退くのも口惜しいので」
忠明は、照れながら応えた。
「真に、兵の家の女と云うに、まるで高貴な生まれの公達でなければ取合わぬかのようじゃ、……端ないことよ!」
定信の苦労が伝わってくる。確かに、五百女の理想は、武官の娘にしては高過ぎるのかもしれない。
公達というのは、親王や摂家を含むような上級貴族の子息のことである。
……忠明も、ちょっとイラッとした。
まぁ、和歌を詠ませるなど、……当時の女性達にとっては、気に入らない縁談を断る為の常套手段だったのかもしれないが。
それでも、忠明なりに努力はしてみた。
先ずは使庁に行き、自分よりは世慣れているであろう錦為信に相談する。
すると為信は、暫くの間、ブスッとした表情のまま思い悩んでいたが、やがて徐に口を開いた。
「う~む、少し銭は要るかも知れんが、大学寮に居る知り人に頼んでやろうか? 」
何と! 大学寮とは随分と大袈裟な話になるなぁ、……ちょっとビビった。だが同時に、為信の謎の人脈の広さにも驚く。
大学寮とは、律令制の下でつくられた、当時の官僚育成機関である。つまりエリート官人の卵が沢山いるところだ。
為信の知人には、結構、優秀な人材がいる。……まさか、バイト料でも払って歌を作らせるとか?
「いや、いや、……それ程のことではありませんので」
思わず遠慮してしまう。
すると為信は、少し残念そうに深い息を吐いた。
「親父様の話では、……義姉上様は、興がって申されているようで、そのように物々しげなことではありません」
よくよく考えてベストアンサーを出してくれたのだろう。ガッカリしたせいか、為信の目が何だか死んでいるように見えた。
「ハハハ! ……歌などと、看督殿も成り上がられたことよのう」
突然、後ろから誰かが話に割り込んできた。
錦部文保である。いつから聞いていたのだろう。久しぶりの登場に面喰らう。
「どこから湧いてこられましたか? 」
思わず、為信が文保に突っ込む。
「何じゃと! 」
実を言うと、文保と為信は年も近いうえに、身分的にもそれほど違いがない。そこで時々、軽口を叩きあう間柄なのだ。
「よう、聳丸よ! 歌などと戯れたことを申しよって、女人とでも申睦つもりなのか? 」
看督になってからは、終ぞされなくなった久しぶりの"聳丸"呼びである。
「いやぁ、……そのような喜ばしいことではのうて」
そう言いながらも、このような艶話には免疫がないので、忠明の顔は真っ赤になっていく。
「何じゃ、そちも偉うなったのう。……よいよい、わしが達者な者に頼んでやる」
と安請け合いした。
まさか、文保の世話になるとは、……とも思ったが、やはり上司なので立てねばなるまい。そこで、すこし様子を見ることにした。
さて、問題の和歌だが、とりあえず最低限の注文は付けている。
季節は秋なので、秋にふさわしい内容を詠み込むことを頼んだ。
しかし、こんな無粋な武官連中に、良い歌などが思いつくはずがない。
結局、歌ができあがり、忠明の手元に届いたのは、何のことはない師走になってからだった。
文保に遅れた理由を聞くと、まずは文保から上司にあたる府生の安部茂兼に託され、そしてまた、持て余した茂兼から、そのまた上司の志の桜井へと、どんどん上に向かって盥回しにされていたようで、なかなか戻って来なかったそうだ。
「錦部様、もう冬ですが」
忠明は苦笑しながらも、歌が書かれている紙を受け取った。
「なかなかの出来物じゃぞ! 」
文保は、少し興奮気味に顔を赤らめている。
「それで、どなたが詠まれた物ですか? 」
「……知らん」
「はぁ? 」
「まぁ、……読人知らずというところかのう」
文保が、プププ……と無責任に笑った。
「わしは下手じゃからのう。安部様にお願いしたのじゃ、すると次々と、お上の方々の間に上がっていったらしい。……どうじゃ、見事であろう」
「……はぁ」
「よって、どなたの作かなど、わしは知らんのじゃ」
びっくりするような話をする。
「まぁ、わしに係れば、この様なことは容易いことじゃ」
文保は豪快に笑った。
(何じゃ、このオヤジ !!! ……と、思わず突っ込みたくなる。)
確かに、歌などと酔狂な物は、文化的生活を営む上級貴族の嗜みなので、そういう人々は、文保のような褒め上手な男の手に掛ったら、簡単に踊らされるのかもしれない。
だが、とんでもない御仁の作った歌だったらどうしよう!
ふと、そんな考えも頭を過ったが、……それでも取敢えず、それを恭しく受け取ったのだった。
その翌日のことである。
忠明は、思い切って定信邸に出向くと、五百女の側仕えをしている女童を呼んだ。
「義姉上様に、『長らくお待たせ致しました』と、この文を差渡し願いたい」
と声をかけた。
もちろん、その手紙の中には、文保から受け取った歌が入っており、また義姉に対して、正式に挨拶させてほしい、つまり面と向かって話がしたい。……そういう内容が書かれている。
この"萌黄"と呼ばれる女童は、若竹丸と年令が近いそうだが、とにかくしっかり者だ。
都の子供とは、これ程に世慣れているのか、……と思うほど、細かいところまで観察していて、不作法なことでもしようものなら、大人の忠明にも駄目出しをする。
「承りました」
そう言いながら、少女は恭しく忠明の文を受け取った。
心なしか、目が笑っているが、それを素早く押し隠す。
少女は、濃色の短い袴に小ざっぱりとした衵(短い丈の上着)を着ていて、大人の女性にしては短い髪を左右に結んでいる。
若竹丸と違って、さすがに女の子はお洒落に見えた。
さすがに"都の女童"は垢抜けている。道理で若竹丸が、ここを訪ねるのを楽しみにしている訳だ。
……もちろん、皆和の愛らしさとは比べ物にはならないが!
忠明も、間抜けな顔をしている時があるのだろう。そんな時には、萌黄に何やら冷たい目で見られているような気がした。
人の見る ことやくるしき 花すすき
秋霧にのみ たちかくるらん
早速、五百女が手紙を開けると、こんな歌が入っていた。
この歌の意味は、
花薄は人から見られるのが辛いのだろうか。
それで秋の霧の中に隠れてばかりいるのか。
と、それなりに今の状況に即した内容である。
つまり、霧の中に隠れている花薄を、御簾の中に隠れている女性の姿に例えているのだ。
歌について、あまり知識がない忠明にとっては、
『別に差し支えがないなら、早く出て来て下さい! 』
その程度のメッセージの歌にしか思えなかったが、歌に造詣が深い五百女は違う。その程度の解釈では済まなかった。
まず、花薄とは何だ! いくら秋がお題だとしても、女性の喩えに使うには酷過ぎる。
誰が薄じゃ……!!!
その上、この歌は微妙にどこかで聞いたことのあるものだ。そこで、とうとう腹に据えかねてしまった。
「もし、天火様! 」
慌てた様子で萌黄がやって来る。
事情が何もわかってない忠明は、今夜も定信と一局打とうと用意しかけたところだった。
「はぁ? ……如何した」
忠明は驚いて萌黄を見上げる。
「姫様が、お呼びになられております」
やっと挨拶が叶ったのかと、忠明の表情が少し緩んだ。
「あの、……何かにお怒りのご様子でしたが」
「?! 」
萌黄の一言に、忠明と定信は顔を見合わせた。
さて、"離れ"の庇に通された忠明は、御簾越しにニョキリと見える女人の立ち姿に驚いた。
「あのぅ、義姉上様ですか? 我の歌は如何でございましたか。……いや、あの、お恥ずかしいかぎりですが」
あまりの緊張に、しどろもどろになっている。
「誰が"花すすき"じゃ? 」
「えっ? 秋なので詠んでおりますが」
全く悪気も知識もない忠明にとっては、薄は秋の季語でしかない。
「どこかで聞いたことがあるのですが、誰の作ですか? 」
どうやら、もうバレているようだ。自分で作ってないのだから、答えられるはずもない。
「えぇ……っと、"読人知らず"です! 」
追い詰められて、忠明はいささか切れ気味に叫んだ。
すると、ハハハ……と、五百女が笑い出した。深層の令嬢にしては元気である。
「いや、……姉上様に、これ程笑われるとは恥ずかしいことじゃ」
一頻り笑った後、五百女が言った。
「よいですか、我は"山吹"の花が好きなのじゃ、……次こそ、己で歌を詠みなされ」
その声は意外と優しかった。
私は、全くセンスがないので、テレビで俳句を披露する人達が羨ましいです。
巷では、ラップが流行っていますが、平安時代にラップがあったら、もっと和歌も"まったり"ではなく、
アップテンポな物になったのでしょうか? …… WWW WWW WWW