御簾越しの攻防戦
今回は、平安時代の娯楽についていろいろ書いてみました。
建物の中のシーンに関しては、いろいろ調べたのですが、実際に住んでいたわけではないので、ちょっと
??? ??? ??? な ところがあるかもしれませんが、そこんとこ宜しくお願いします。
季節はすっかり春になった。
今年もまた見事に桜が咲き、そして散っていく。
万葉の時代ならば、花と言えば梅であるが、平安時代ともなると、山に本来自生している"山桜"を愛でるようになる。
異国から持ち込まれた梅に比べて、桜の方が身近な存在だったからか、それとも、桜の方が華やかなのに、儚く移ろいやすいところが人々の情緒に合ったせいか、和歌でも多く取り上げられるようになった。
そして、当時から有名な桜所と言うと、清水寺に隣接する"地主神社"がそうである。
この神社は、今も"縁結び"の神様として人気だが、平安の御代には嵯峨天皇や、この物語の時の天皇である円融帝も、花見の為に行幸している。
また、花の季節は、上級貴族達の遊興の時節でもあるのだ。そこで、忠明の仕事は、本来の仕事以外でも忙しくなった。
なぜなら、酒宴の警固や、従者として駆り出されることが増えるからだ。
特に参議クラスの酒宴ともなると、忠明のように"見栄えはする"が、さほど身分の高くない武官は従者として重宝される。
ちなみに参議とは、朝廷の重要な決め事を話し合う為に選ばれていた貴族達のことで、主に上級貴族の家の者が選ばれた。
だが、酒宴とは聞こえがいいが、実は警固を任されると、日がまたがるまで勤務する上に、酔っ払いの面倒を見るはめになったりと、心身共に疲れ、生活のリズムまで崩してしまうのだ。
『あぁ、……他人の飲み会なんかに付き合いたくない! 』
これが、本音である。
だが断わろうにも、いろいろな柵があって断れないのだ。
……もう、思い切って仕事を休んでやろうか!
などと思っても、下っ端の立場ではなかなか都合がつかなかった。
……いっそ、"穢れ"にでも引っ掛かって、合法的に"物忌み"したい!
とまで思ってしまう。
穢れと言っても、この概念を簡単に言い表すことは難しい。それでも敢えて言うなら、人に限らず家畜なども含めて、死や出産に際して起こる出血が不浄なものとされている。
「なぁ、爺よ! ……忙しいのう。たまに緩まんと、疲うて為方無い。……屋敷の前で、犬でも死なんかのう? 」
そんな悪趣味な冗談を言った。
確かに、動物の死に遭遇した場合も、穢れることにはなるのだが、
「はぁ? 何を申されるかと思えば、……穢れで物忌みでもなさるおつもりか? このような堅固な方が、何と弱げなことを、……その様な浅ましいことを申されるなら、宴で確かと務めて、美味い土産でも持ち帰り下さいませ! 」
と、完全に磐翁に叱られてしまった。
まぁ確かに、たまに料理のお下がりを頂いたりすることもあるが、それでも、家に帰ってゆっくり休みたいのだ。
それでも、そんなこんなで超忙しかった"花を愛でるシーズン"も終わり、忠明の仕事も、やっと余裕が出てきた。
そして、そんなある日のことである。
忠明は、義父になった定信の家へ、夕餉を馳走になりに出かけた。
実を言うと、都の美努家と縁付くことが決まってからは、もう何度も定信の家を訪ねている。
定信が、新しくできた家族に忠明が早く馴染めるよう に、……暇ならいつでも遊びに来い! と声を掛けてくれたからだ。
そこで、暇になった時には、定信邸へ積極的に出かけて行く。もちろん、磐翁が手に入れた食材等を、手土産に持参するのだが。
その日の土産は、磐翁が川で獲って来た魚であった。
都は、もう新緑の季節を迎えており、山々の木々は輝いて見える。
もう少し経ったら、皆が稲作に追われ厄介事も減るに違いない。そうなれば、もっと楽になるだろう。……そんな、淡い期待を胸に抱きながら、忠明は都の中心から離れた静かな場所にある定信邸の門前で馬を降りた。
ちなみに従者は、若竹丸が一人だけである。
夜遅くはなるが、それでも定信の家に行くと、若竹丸と年の近い使用人がいる。そこで、それなりに楽しみにしているようだ。
早速、夕餉の膳を囲むと、定信と忠明は使庁のことや、最近、洛中で起こった事件について簡単に話した。
定信邸の食事は、贅沢なものではないが、丁寧に作られており、美しくて美味い。そこで、良い食材が手に入ると、なるべく定信邸の料理人の処に持参するようにしている。
……磐翁には悪いが、都風の味を楽しむ為だ。
だが、残念なことに二人共、食事の間に酒は飲まない。
なぜなら、食後に碁を打つからだ。
定信は、碁を打つのが本当に好きな人なのである。
検非違使庁の仕事をしていた頃も、それを辞した今も、時折、囲碁仲間を求めて出かけるほど熱心なのだ。
一方、忠明はというと、碁どころか双六さえまともに打ったことがなかった。
いや、どちらかと言うと、その手の物に手を染めてはいけない。……そんな風にさえ思っていたぐらいだ。
それに田舎育ちの忠明には、屋内のゲームに興じるより、野趣溢れる外遊びの方が楽しかったからである。
それで、定信に碁打ちを誘われた時にも、
「いや、……田舎人にて、碁など打ったことはございません。お恥ずかしいことですが」
と、正直に話してしまった。
だが言ってしまってから、すぐに後悔する。
よく考えてみると、せっかく趣味に誘ってくれた義父をガッカリさせてしまうからだ。
「では、教えるので習うがよかろう。何かに役立つやもしれん」
定信も食い下がってきた。
そこで、その一言を切掛けに、忠明は碁を学ぶことになったのである。
しかし、それは忠明にとって拷問の始まりでもあった。
第一、もともと体育会系なので、それほど"じっくり"と物事を考える習慣がない。その点からしても、既に苦痛である。
それに、この白と黒の石を延々と並べる作業は単調過ぎて、……昼間の仕事で疲れ切った忠明の脳にアルファー波を引き起こすのだ。
もちろん、この雅な遊びを身に付けたなら、止事無き人々に近付く切掛けになるのかもしれないが、その価値を付加しても退屈すぎる。
「ズズズ……、ズズズ……」
「これ、……看督殿、起きられよ」
「ズズズ……、ズズズ……」
忠明は、鼾で返事をした。
「これ、……天火殿、起きよ! 」
「ふ、ふぁー! 」
天火という呼び名に体が反応し、やっと目が覚める。
「ぐっ、ぐおっ、……おっと、申し訳ありません! 」
思わず鼾を飲み込んだ。
「真に疲んでおるようじゃな」
定信が苦笑している。
その日以来、忠明は定信邸でも"天火殿"と呼ばれるようになった。
まぁ、こんな調子で、いつまで経っても上達しない。そのせいだろうか、最近、忠明はあまり碁に誘われなくなった。
定信も、経験上、使庁の仕事の大変さを知っているからだろう。疲れているのに無理強いすることはない。
だが、後で家の者に聞いて分かったことだが、実のところ、定信は義息子と碁を打つのを楽しみにしていたそうで、その話を知ってから、何となく申し訳ない気がしていた。
季節は進み、夏になったある夜のことである。
盆近くになり、夜になっても暑い。そんな時節に、また手土産を持って忠明は定信を訪ねた。
だがその日は、定信はたまたま近くに住む知人の処へ碁を打ちに行き、帰りが遅くなっていたのだ。
そこで、家の者が気を利かし、先に夕餉を取るようにと、母屋のすぐ側の庇に膳を用意してくれた。
ちなみに母屋とは、現代の場合、離れ等の別棟があるような日本家屋の中で、家族が普段から日常生活を送る建物を指す。
そして平安時代の寝殿造りも、複数の建物を渡り廊下で繋いだ物だった。
この時代の母屋は、今の母屋にあたる"寝殿"という建物の中で、その家の主人や、その家族が使用する最もプライベートな空間のみを表す。
極端な話だが、この時代の建物は、洋風の家のように細かい部屋が幾つもある構造ではなかった。
どちらかというと、板床とその上を覆う屋根、そしてその間にあって、両者を支える沢山の柱で構成されている簡単な箱のような物だったのだ。
いや、むしろ部屋という概念さえ希薄だったのかもしれない。
とりあえず、雨風は凌げるようになってはいたが、人々はこのがらんどうの様な建物の中で、それぞれの住居空間を簡単に仕切ることで暮らしていた。
例えば、一軒の大きな建物があるとしたら、その最も中心あたる部分が主人達のプライベートルーム"母屋"であり、その一角には"塗籠"という唯一壁のある狭いスペースがあって、そこは土壁で囲まれていたので、貴重品を置いたり、物怪を避けるために籠ったりしたそうだ。
そして母屋は、普段から主の家族だけのプライベートルームとして、外から見えないように目隠しされている。
また、母屋の外を廻るように広がった部分を"庇(廂)"と呼ぶ。
今は庇というと、建物から外に出た片屋根のことを専ら表すが、当時の庇は母屋をぐるりと取り囲む外側のスペース全体を指し、身分の高い人々の従者達(女官等)は、そこを各々仕切って部屋モドキにして暮らしていた。
例えば、今の簾の様な御簾を掛けてみたり、布でできた几帳や、洒落た屏風を置いてみたりとか、最低限のプライバシィーしか確保できなかったかもしれないが、それなりに頑張っていたようである。
そして、雨が激しい時や防犯が必要な時には、庇と廊下の間に雨戸の様な格子を入れる。そうすると、庇までは外から遮断することが可能だった。
だが、庇の外側には"簀子(簀子縁)"と呼ばれるスペースがまだあるのだ。
ここは庇より一段低くなっていて、いつもは誰もが歩く廊下として使われるが、格子の外になるので雨に濡れてしまう。
だが、庇と簀子の間にも、普段は部屋の内と外を分けるように掛けられた御簾や、目隠しの几帳等が置かれたので、来客が来た時などは、御簾越しに簀子が応接の場になったようだ。
また、平安時代の身分の高い女性は、親しくない人にはなるべく顔を見せないようにしていた為、あまり御簾の外に出て人に会うことはなかった。
そこで、平安の男女間では、男性が女性のいる御簾の中に入っただけでも特別な関係になったと判断されてしまう。
つまり、男女の恋愛の攻防戦は、御簾越しで行われた訳である。
さて、話は戻るが、忠明は夕餉を済ませて、完全に寛ぎモードに入っていた。
庇と簀子の間にある段差に腰かけると、廊下にだらりと足を伸ばし庭を眺めている。
今夜は満月のせいか、庇の前面にある御簾は丁度良い具合に巻き上げられており、月が美しく見えた。
初夏の心地良い風が、青い緑の香りを運んでくる。
だが残念ながら、……今夜も疲れのせいで眠くなりだす。
まぁ遠慮しないところが、忠明の素朴で良い所なのかもしれないが、定信の帰りが遅すぎて、いつの間にかだらしなく眠ってしまった。
暫くすると、母屋と庇を隔てている御簾の中にボワリと光が浮かんだ。
誰かが手燭を持って近づいて来た。
何やら香を焚き込めたような良い香りがする。
やがて、その光はまるで蛍のように御簾から庇へと現れ出ると、忠明の側までやって来た。
「今夜の夢は、……芳しいのう」
そう言うと、反射的に忠明は光の元を見上げる。
「きゃっ! 」
すると、そこには若い女がニョキリと立っていた。
「いや、いや、……きゃっ! ではなかろうよ」
忠明は欠伸を噛み殺しながら話す。
「何じゃ、……そなた馴々しいのう」
そう言うと、女は急いで御簾の中に逃げ込んでしまった。
どうやら、例の定信の一人娘のようである。
噂には聞いていたが、実際、本人らしき人物に会ったのは、この日が初めてだった。
一度、定信が紹介しようとしてくれたが、塗籠に隠れて拒否られたことがあるのだ。それ以来、義父との間で話題に挙げなくなっていた。
「いやぁ、義姉上様でしたか、……これは物恥ずかしきところを、お見せしました」
思わず居ずまいを正し畏まる。
「そなた、……真によう寝るようじゃな」
「いやぁ! ……ハハハ」
御簾越しではあるが、会話は成立した。
忠明にとって、たとえそれがツッコミであっても、若い女性、しかも都の女人と会話できることは喜ばしいことなのだ。そこで恥ずかしながらも、嬉しそうに話している。
「そなたも、ハハハ、……ではなかろう! お父様との碁打ちの折にも眠っておるではありませんか」
「いや、我は勝負事に弱いのです。……それで、つい疲くなってしまう」
「これ! 碁は勝負事ではありませんぞ、……よう思い回して打つものじゃ」
すると、御簾が少しだけ上げられ、碁盤が差し出された。
だが御簾の高さが微妙で、胸から上は隠れているため、顔は直接見ることができない。
「お父様に習うたのであろう。打ってみなされ」
と、義姉上がさらりと言った。
どうやら、定信の代わりに碁を打ってくれるようだ。
それから暫く、御簾越しの攻防戦が行われた。
忠明の打った石は、ことごとく皆殺しにされていく。
それ程厚くも打たないうちから、どんどん囲まれ、とても手向かいできなくなった。
「真に、そなたは弱いのう……お父様が哀れじゃ」
「いや、いや、義姉上様が上手なのですよ」
忠明は、今まで経験したことのない緊張感を覚え、変な汗をかいている。
「フフフ、……そうでしょうか? そなたも、努めて強く成りなされ」
心なしか、義姉上様の声が嬉しそうだ。
やっと、コミュニケーションが普通に取れそうに思えたので、思い切って提案してみた。
「あの、義姉上様! ……御簾を上げては頂けないでしょうか」
改めて挨拶しようと思ったからだ。
「まぁ、何を申されるかと思えば、……まだまだ、他にも習うべきことがありまするな」
と、ピシャリと言われてしまった。
「では、良い歌でも、お詠み下さいませ」
何故か、新しい課題が出されてしまったのだ。
忠明は、結果的にハードルを上げてしまったようである。
いや、今回のシーンを実写で撮るとしたら、どんな風に大道具さんが頑張るんだろう……?
そんなことを考えながら書きました。
願わくば、読んだ皆様が解りやすい物に仕上がっていますように!