新しい生活!?
実は、前回で力を使い果たした気がして(笑)……何だか疲い物を書いてしまったもしれませんが、これからも忠明さんの人生は続いたと思いますので、……失礼にならないように頑張りたいと思います。
あれから三日経った。
その間、忠明は熱を出し、ずっと床に就いたままだった。
使庁を休むにあたっては、世慣れた磐翁が、
「物忌みをされておられますので……」
と言って、無理矢理、休みを捥取ってくれている。
さて、……何のための物忌みか?
などと、野暮なことを聞いてくる。……若輩な若竹丸に絡んできたような連中は、この臈たけた老人には涌いてこなかった。
さすがに経験を積んでるだけのことはある。
小廻りは利くが、まだ経験値が低い若竹丸には、磐翁は憧れの存在になった。
だが、一つだけ厄介なことがある。
それは、磐翁が忠明のことを、幼い頃からずっと知り過ぎていることだった。
季節は、いよいよ冬らしくなってきている。
忠明は、まだ怠さの残る体を起こすと、寒さが凌げるようにと、冬用の宿直物が何枚か掛けられているのに気付いた。
おそらく、冬の寒さが増していくので、磐翁が掛けてくれたのだろう。
平安時代になると、今よりは薄い物ではあるが、貴族等の豊かな人々は、畳の上で寝るようになっていた。が、それでも現在のような掛布団はまだなく、昼に着ている着物等を上に掛けて寝るのが普通だった。
そして、宿直物とは、本来、夜寝る時の着物なのだ。
ううっ、寒い。……あぁ、起きたくない。
このまま、横になっていたい。
忠明は、宿直物の中に再び潜り込んだ。
今はまるで童部のように、引き籠りたい心境だった。
部屋が広いからだろうか、空気がより冷たく感じる。
そして、ここは件の新居であった。
今度は、獄舎や放免達の住居からも離れており、少し静かな場所だ。もう少し行くと中流貴族の屋敷も見え始める。忠明にしては、よく頑張った方だ。
もともとは、ある貴族の家臣が使っていたものらしいが、遠国の受領に行くにあたって、空き家になったので住むことにしたのだ。
凄くお得であった。
それに、ここならば使庁からも近からず遠からずで、以前ほど従者として駆り出されないのでは、……そういう目論みで移り住んだのだ。
しかし、建物としては、それほど新しくない上に、見た目も簡素でパッとしない。
おそらく以前の持ち主が、あまり見栄えにこだわらなかったのであろう。何となく、すべてが古臭かった。
ただ、庭は意外にも綺麗に整えられており、さほど大きくない木々がきちんと植えられていて、それなりに手入れが行き届いた状態だ。
……上手くいけば、空いている場所に簡単な畑がつくれるだろう。
ついつい、田舎人の忠明はそんなことを考えてしまうのだった。
それに、外からプライバシー? を守る為に目隠しとなる小桧垣(檜の薄い板を組んで作った垣根)だってある。
まぁ、平安時代的には無粋なのかもしれないが、外から忍んでくる男などは入れない。そんな、防犯上では優秀な家だ。
これでも、全力で頑張り用意した屋敷なのに、肝心の住人が、……捨身尼に、そして皆和までいなくなってしまった。
ここ数ヶ月の出来事が、まるで夢のように思い起こされ、胸が痛くなる。
何度か気持ちを取り直し、床から起きようと思ったが、その度に、何とも言えない虚無感に襲われ、また寝具に潜り込んでいた。
「もうし、……若様」
磐翁が掛けを引っ剥がした。
「さすがに、もう、起きなされ! 」
良くも悪くも手慣れたものである。
早速、忠明がガバリと体を起こした。
「こら、止めんか! ……寒いではないか」
そう言いながら、掛けを取り返すと、また隠れた。
「光明丸様、弛み過ぎですぞ! ……確かとなさりませ」
「……」
いきなり、忠明を幼名で呼んだ。
これは、さすがにこそばゆい。
「光明丸じゃと、……爺こそ、確かとせよ。わしはもう童部ではないぞ」
「ハハハ、……しっかり起きられましたな」
磐翁は笑っているが、忠明はムスッとしている。
「いろいろと思うことは有りましょうが、もう起きられませ」
「嫌じゃ、体が疲うてしょうがないのじゃ、……」
まるで子供のように駄々をこねた。
「何じゃ、看督様の童名は〝光明丸″と申されたのですか? ……ハハハ」
すると、磐翁の隣に控えていた若竹丸が面白そうに笑っている。
「何故、笑うておる? ……妙な物言いじゃな」
「いやぁ、……それでは仏臭く なりまするな」
地味に笑っているのが判った。
「何を申すか、若竹など、……そこらに生えている物より良いわ」
今度は、若竹丸が悔しそうにむくれる。
「やれやれ、わしなどは〝犬男丸″ですぞ。あまりに夥しゅうて、誰が誰やら判らんようになるぐらいじゃった」
この話題は、最終的には磐翁の自虐ネタで終了した。
童名(幼名)とは、主に平安時代から江戸時代にかけて、武士や貴族の子達が元服前の幼少期に付けられていた名前のことである。
昔は、無事に育ってから〝本名″つまり正式の名が付けられたようだ。
ちなみに〝光明丸″の光明とは、もちろん明るい光の意味もあるが、仏教の世界では、仏や菩薩の心身から発する光のことで、慈悲や智恵を象徴する。
一方、若竹丸の名は、文字通り若くてしなやかな竹をイメージしたものだ。当時は、きっと人気のある名前であっただろう。
問題は、磐翁の〝犬男丸″である。
当時、犬は繁栄を象徴する動物だったので、幼名に〝犬″を付ける男性が多かった。
他にも、牛の丈夫なイメージから〝牛″の字を入れた名も流行ったようである。
また、身分の低い人々の中には、元服することもなかったので、そのまま一生涯、幼名だけで過ごす人達もいたようだ。
例えば、ある程度の身分の人々の屋敷には必ずいたであろう〝牛飼童"という、牛車やそれを引く牛の世話をする職業の人達などは、髪を束ねて烏帽子を被らず、老齢になっても、童髪である〝垂髪″で過ごした。そこで、大人であっても童名のままで暮らしていたのである。
その点では、磐治という名がある磐翁は、看督長になった忠明にとって、ふさわしい身分の従者と言えるだろう。
まぁ、既に引退しようとしていたわけだから、年齢的には難があるが、それでも、充分に頼れる存在なのだ。
「では、……久しぶりに、この爺が、甘し物でも作りましょうぞ」
そう言うと、磐翁がニコリと笑った。
「甘い物! ……などと申して、柿など拾うて来ても得心せんぞ」
忠明は、本当に子供に戻ったかのように磐翁に文句をつける。
確かに、季節は晩秋であり、そして、平安時代には、柿は菓子(果物も含まれる)として既に定着していたが、随分と贅沢なことを言うものだ。
「おう、おう、よう理解っておりまする。……若の好物をつくりましょうぞ」
磐翁は今、山の中に分け入っている。
忠明の為に、芋(当時は山の芋)を探し、いわゆる芋粥を作ってやろうと思っているのだ。
年は取っていても、こういう採取系の仕事は得意分野なのである。
やがて、長い枯れ草が鬱蒼と生えている所で、枯れかかった黄色い葉を付けたツタ植物を見つけた。
「おう、良い物があるのう! 」
その葉は長細いハートのような形をしており、茎には小指程の球状の芋がぶら下がっている。これは〝むかご″といって山の芋の一部だ。……間違いない。
そこで磐翁は、早速、引き抜く作業に取り掛かった。
細長い芋の根が切れぬように、慎重に木製の鋤を使って掘り起こす。気の長い話だが、こればかりは根気強く頑張るしかない。
それでも、やっと三尺半(約1メートル)ほど掘り出すと、ポキリと根元から折った。
「また、採りに来るでな、……そなたも息災でな! 」
土に向かって、そう声を掛けると、ニコリと笑った。
少し根を残しておくと、来年も同じ場所で芋が育つはずである。
何事も過ぎないことが、一番良い事だ。……そんな風に思っているからである。
さて、屋敷に戻ると、磐翁は芋粥を作り始めた。
芋粥というと、薩摩芋入りのお粥を想像する人が多いと思うが、当時の芋は山の芋で、それを薄く削ぎ切りにしたものを、甘葛(つる草の一種)の茎からとれる甘い汁を煮詰めて作る甘味料で煮込んで作られるものだった。
どちらかというと、スイーツ的な物だったようだ。
磐翁は器用に薄刃で芋を削ぎ切りにすると、白く濁った汁が入った鍋にそれを投入し、煮込み始めた。
トロリとした状態になるまで、丁寧に火加減を調節しなければならない。
若竹丸が、ゆっくりと釜戸に柴を足し、磐翁が火の強さをチェックした。
「のう、爺様! 暑預粥のような難しい物を、よう料理られますなぁ。……わしは、まだ喰ったこともありませぬ」
「はて? そちは都童部であろう、良い物を数多知っておるのではないのか」
「いや、わしは都に住んでいるだけじゃ……」
恥ずかしそうに若竹丸が笑う。
「それにしても、何でも能くなさいますな、水仕女などいらんくらいじゃ」
「ハハハ、……良いような、悪いような。わしは忙しゅうて悩ましいがな」
確かに、根っから忠実な磐翁は、放って置いたら何でも遂ってしまう。そこで年の割には楽ができないのだ。
そこで一念発起して、仕事から引退していたのだか、忠明の都合で、わざわざ都に出向くことになったのである。
「しかし、看督様も看督様じゃ、……まるで童部のように爺様に言掛られる。わしには、あのようなことはなさらぬのに! 」
「看督様とは付合いが長いでな。・・・・・・」
磐翁がニヤニヤ笑う。
「ハハハ、……爺様の前では、看督様も〝阿呆の子″のようじゃ! 」
調子に乗って、若竹丸がケラケラ笑い出した。
「誰が阿呆の子じゃと? 」
気付けば、忠明が若竹丸の後ろに立っている。
「あぁ、……いや、その」
若竹丸が慌てふためいた。
それを見た磐翁が大笑いしている。
「いやはや、今も昔も光明丸様はお耳が良いご様子じゃ」
「おい、こら……その呼び方は、もう止めよ! 」
忠明の登場で、厨(台所)の中が急に賑やかになった。
今、三人は出来上がった芋粥を賞味している。
結構、煮詰められているはずなのに、まだ山の芋の食感も残っていてシャキシャキしている。そして、ほのかな甘みが丁度良かった。
「この甘みは、未煎(甘葛から作った甘味料の名前)からでしょうか」
嬉しそうに若竹丸が言う。
「そのような止事無き物を使うわけなかろう」
忠明が、面白そうに突っ込んだ。
「如何にも。……これは、他家の家人らと親しゅうなって、分けてもろうた小米の汁じゃ」
「えぇ! 」
と、若竹丸が落胆の声を上げた。
すると、ちょっと意地悪気に忠明が笑っている。
小米とは、粉々に潰れてしまった米の粉のことで、これを使うと、何となく甘みが増す気がする。……と、磐翁はよく使うのだ。
「ところで、爺よ! ……また柿を干しておるのか、あのような物は、わしは要らんからな」
確かに、軒先には既に柿が干されているのが見えた。忠実な磐翁の見事な仕事だ。
「えぇ? 何故でございますか。……甘うて旨いではありせんか」
「都まで来て、あの様な田舎ぶった物を喰えるか」
忠明が、若竹丸の言葉に不機嫌そうに答えた。
「何を申されますか、干し柿は都でも結構な菓子ですぞ! 我らにとっては正月の馳走です」
若竹丸の力説に、忠明はちょっと困惑している。
「これ、若竹丸よ、……看督様にあまり柿の話はせん方が良い。郷の辺りでは、柿など数多あってな、童部共は皆、喰い飽いておるからのう」
確かに、都には雅な文化や、地方から集まった珍しい物が沢山あるが、果物等の生鮮食料品は田舎の方が上なのだ。
「それに、看督様は童部の頃、渋柿を喰い過ぎ ておるからな! ……」
「これ! ……止めんか」
「それもな、甘うなるまで待たれずに誤られるのじゃ」
二人の会話に、若竹丸が面白そうに笑っている。
やがて芋粥も食い終わり、夜も更け始めた。
この屋敷には、もちろん、主たる忠明の部屋や、従者である磐翁や若竹丸の部屋がそれぞれあるのだが、何故かいつまでも、忠明の部屋に集まったままである。
本来なら、主人は自分の部屋に使用人を簡単に上がらせないものだが、この地方出身の青年はあまり気にしていないようだ。
むしろ三人は、広い部屋の真ん中に火鉢を置くと、身を寄せ合うように温まっていた。
「……真に馳走でございました」
若竹丸が、本当に嬉しそうに言う。
「ほんに良かったのう。そなたも料理などしてみるか」
「あっ、いや、わしは看督様のように強う成りたいので、……童女のような仕事は」
と、言ったところで、若竹丸は自ら地雷を踏んだことに気付いた。
……あぁ、やっと皆和ロスから立ち直ろうとしているのに!
あちゃ! ……という顔になっている。
「看督様、……忍んで行かれるような女人は、居られませぬのか? 」
磐翁の話題が一気に飛躍した。
「何じゃ、……何を申すかと思えば」
忠明がちょっと迷惑そうに答える。
「そうじゃ、……あの童女は、本当に何でしたのじゃ」
若竹丸が、この際だからと勢いづいて質問した。
まだ完全に気持ちが落ち着いたわけではないのだろう。
……忠明は、沈黙してしまった。
「で、……わしは皆和を全く見知っておらんのだが、どのような童女だったのじゃ? 若竹丸よ」
もう、この話は終わりか、……と思ったが、意外にも磐翁が話を続けた。
「……何と申すべきでしょうか? よう泣く童女でした。それでも、懸命に努力ところもある。……良い童女でした」
若竹丸は、磐翁の問いに対して正直に答えた。
「そうか、なかなかに良い童部のようじゃな。懸命なことは良いことじゃ、
……人としては、それで充分じゃ、
……それでは、是が非でも探してやらねばならんな」
そう、磐翁がポツリと言った。
外は雪でも降り始めたのだろうか、寒さが身に染みる。
「この新居は、我らには広過ぎるのかもしれんのう……」
忠明が独り言のように言う。
男三人の夜は、シンシンと更けていくのだった。
毎回、思うのですが、……そろそろ当時の政治について書かねばと!
でも、ハードルが高くて苦しんでいます。WWW WWW WWW
どうぞ、これからも温かい目で見守ってやって下さい。