# 婆様ゆっくり眠れ
初めから、考えていたことなのですが、この時期に?
とも、思いましたが、敢えて書くことにしました。
その事件は、いよいよ皆和や捨身尼を迎える為に、忠明が新しい住居を探し始めた頃に起こった。
大捕物後の物忌みも無事に済み、やっと仕事を復帰した日のことである。
その日、初めて皆和が忠明の職場を訪ねて来た。
職場と知っても、ならず者同然の放免だらけなのだ。当然、若い娘(いや、まだ、女童と呼ぶべきか……)である皆和が来るべき処ではない。
むしろ、何か厄介事に巻き込まれないかと心配で、『絶対に訪ねてくるな』と、言い聞かせていた。
遅い昼食を取る為に、使庁の近くにある家に戻ろうとした時のことである。何やら門の外でガヤガヤと人が騒ぐ声がした。
いかにも無粋な男達が、何かに群がって騒いでいる。
ガヤガヤと、まるで珍しい物を見物するように取り囲むと、ケラケラと笑うものまでいて、何事か? ……と思ってしまった。
さては、新しい罪人が連れてこられたのか、……と立ち止まる。
「のう、若竹丸よ! こ奴はどこから現れたのじゃ?もしかして、弟子子(幼い弟子)でも連れて参ったのか」
福安が、若竹丸をからかっている。
「弟子子など、そんなもの居るものか、こ奴の師の方ではあるまいか、……小さいのう! 」
また、別の放免が口を挟む。
「はぁ? ……誰に物言うておるのじゃ」
若竹丸が、元気よく逆切れた。勢いだけは、誰にも負けない。そして、そういうところが忠明のお気に入りなのである。
「わしは看督長様の従者ぞ、そこらの童部と同じではないわ! 」
小気味よい啖呵につられ、忠明が思わず人垣を上から覗くと、若竹丸と一緒に別の少年がいた。
おや? ……この少年どこかで見たことがある。
水干(当時の一般庶民が着ていたカジュアルな服)を着て、髪を一本に束ねているが、どうやら男の子ではない。
「ほほぅ、……天火様の〝瘤”が〝豆”を連れて来よったわ」
だんだん、失礼な言葉がエスカレートしてくる。
「誰が瘤じゃと、……無礼な! 」
「そうですとも。……豆などではありませぬ! 」
若竹の声と一緒に、もう一人の子から聞き覚えのある声が漏れた。
皆和か、皆和ではないのか……?
「フハハ……、豆が豆々言いよるわ」
余計に、男たちに突っ込まれている。
「天火様に、いえ、看督様に急用があるのです」
皆和が半泣きになって訴えた。
やっと放免達から解放され、皆和と若竹丸は忠明の仕事部屋にいる。
「よう、ここまで辿り着いたな……」
忠明が口を開いた。
「わしが、看督様の家の前を通ったら、こ奴が悩まし気に覗いておりましたので、子細を聞きましたところ、どうやら妹分か、……と思い。連れて参りました」
若竹がはっきりと答える。
「それで、水干を貸してやったのか、……良案じゃな」
それでなくとも、不躾な男達ばかりが出入りする職場なのだ。たとえ童女であっても、油断する訳にはいかない。若竹の服を借りて男装してきたのは正解だった。
一方、皆和は、やっと落ち着いたはずなのに、また目を潤ませ始めている。
「そちは、よう泣くな、……もう泣かいで良い。心を鎮めよ」
忠明は、思わず皆和の頭をポンポンと撫でた。
すると、一瞬、若竹の顔が 『えっ! 』 という感じになったので、気まずさに素早く手を引っ込める。
「あのぅ、……天火様」
皆和がやっと話し始めた。
「婆様が居られぬようになったのです」
「はぁ、何と? 」
「お捜ししたのですが、見つからないのです」
ここ二、三日の間、心当たりのある処をいろいろ捜したが、捨身尼が全く見つけられなかった。そこで、さすがに困り果て、忠明を頼って来たのだ。
「おい、何故、それを早よう言わんかったのじゃ」
「えぇ、あのぅ、……婆様が 『天火様は忙しい方なので、煩わせてはなりません』 と、おっしゃっておられたので……」
当然のことだが、それからは忠明も捨身尼を必死に捜した。立ち寄りそうな処はもちろん、初めて会った場所など、捜しに捜したが見つからない。
「婆様が居らんようになる前に、何ぞあったか? 」
居場所捜しのヒントにならないかと、忠明が皆和に聞いた。
「そういえば、眠られている折に、夢で物に襲われておられました」
つまり、悪夢を見たのであろう。
「覚められたら、私の顔を御覧になって 『清子や、清子……』 と、お呼びになったのです。どうやら、娘様と間違われたようで」
捨身尼には、元国司まで勤めた夫がいたのだが、もう十年以上前に身罷っていた。
ただ、〝清子″という名の一人娘がいて、暫くの間、その娘は皇太后(先帝の皇后)の侍女として参内していたが、流行病にかかり、家に戻され、そして五年程前に亡くなったのだそうだ。
「清子や、清子、……辛いかもしれませぬが、もう、お父様はいらっしゃらないのです。恨めしいことですが、今の私では、もう、貴方を支えてあげられないのです。……早よう、良うなって、また宮仕えに戻りなさい」
そう言いながら、捨身尼は皆和に抱きついた。
「私を娘様と見誤られたのでしょうか。……後でお気付きになり、酷く泣いておられました」
確かに、この頃の婆様の言動には不可解なところがあったが、年寄りとはそういうものだと思って、忠明はあまり気に懸けていなかった。
だが、同居していた皆和にとっては深刻な問題だったようだ。
「もしや、……清子様を捜しに行かれたのでありませぬか? 」
「いや、……しかし、もう身罷られているのであろう」
「こんなことになるとわかっておれば、『私が清子ですよ! お母上様』 とでも、偽りを申し上げた方が良かったのでしょうか」
「……」
忠明は、そう言いながら激涙している皆和の顔を見て、何かを言ってやりたいと思ったが、如何せん言葉が出てこなかった。
心がヒリヒリして、己自身の不甲斐なさに腹が立っている。
「いや、わしが怠ったせいじゃ、そなたは悪うはない。もっと早う、そなた達を迎い入れておればよかったのじゃ」
「迎い入れるとは……? 」
皆和の涙に濡れた瞳が、やっと忠明の方に向けられた。
「冬が来て、寒うなるまでに、そなた達を我が家に迎えようと思っておったが、勤めが忙しうて、……すまんかったのう」
そう言うと、一瞬、皆和の顔がパッと明るくなったように見えたのだが。
「だが、断わっておくが、……そなたには〝家の子”として仕えてもらうつもりじゃ」
この場合の〝家の子”とは、召し使われる者や、家臣の意味だ。
その言葉に、皆和はちょっと口を尖らせて見返してきた。
少なくとも、忠明にはそう見えたのだが。
「何じゃ、わしの妻にでもなるつもりじゃったのか? ……童女のくせに」
すると、その言葉、皆和の顔が真っ赤に染まる。
「おい、おい、……十年早いわ」
そう言うと、忠明までが、こっ恥ずかしくなってしまった。
それからも諦めずに、捨身尼を捜し歩いたが、全く手掛かりを見つけることができなかった。
それに本当に呆けてしまっているとしたら、もう、そろそろ身体的にも厳しいのではなかろうか。そう思い、とうとう他人の力を借りることにした。
そこで福安に相談したが、福安一人だけではなく、いつの間にか捨身尼のことは放免達の知るところとなり、誰彼となく、同じ年頃の老婆の情報を教えてくれるようになったのである。
実は、正直なところ忠明は驚いた。
普段なら検非違使庁に務める官人と放免の間には、身分差やその刑歴に対する偏見が壁のように立ちはだかっているのだが、捨身尼の話になると、皆が協力的で、しかも誰もがその境遇に同情的であったからだ。
人の世も、捨てたものではないな。
……ふと、そんな思いが心を過ぎるのだった。
だが結局、一ヶ月経っても捨身尼の居場所は分からず、そして生死すら確認できなかったのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
秋のさわやかな晴天の日のことだ。
忠明と皆和は、二人そろって清水寺詣でに出かけた。
捨身尼が消えてから、もう二ヶ月近く経ち、さすがに諦めねばなるまいと、……そう思い、寺に出かけることにしたのだ。
酉の刻も半ば過ぎ、次第に夕暮れが迫る中、忠明と皆和は、清水寺に向かう坂を急ぐでもなく一歩一歩踏みしめるように上っている。
いつもは,仕事の為に上っている坂だが、今日はまるで違う感じがした。……皆和と一緒にいるからだろうか。
二人は、つかず離れず横に並んで歩いている。
だが、これは主従の関係ではありえないことなのだ。つまり忠明は、本当の意味で皆和を家族扱いにしたということである。
二人はまるで本当の〝兄妹″のように見えたかもしれない。
「わしが初めてこの坂を上ったのは、お母上様とお籠りに来た時じゃ。……母と言っても、わしを引き取ってくれた継母ではあったがな、……」
「どのような方だったのですか」
「そうじゃな、小さい方だったが、目が大きくて、……実子が居らんかったので、わしのことを真の子のように大事にして下さった」
「よろしゅうございましたね……」
「だが、わしは悪童でな、……よう、母上様を困らせた」
「えっ? 」
「いろいろと悪さをしたのう。……お籠りで疲み、眠ったまま観音様を拝む人の顔を、下から見上げ驚かせたり、……」
「ははは、……」
何となく、うら悲しい雰囲気だったのが、少し綻んだ。
皆和が声を出して笑っている。
思わずサービス精神から、余計な黒歴史を披露してしまう。
「あぁ、それから、……色々な木の葉を拾って来ては、橋殿から散華のように散らしたり、……すると、これが谷風に颯々と舞うて、本当に美しいのじゃ」
( * 言っておくが、今も昔も、良い子はやってはいけないことだ……)
散華とは、寺院で法要をする時に、仏を供養するために花や葉を撒き散らすことで、元来、蓮等の生花が使われていたようだが、現代では、蓮の花びらを模した色紙等を代用にして撒かれている。
「じゃが、あまりに執く遊んでおったので、御坊様に叱られてしもうたわ」
「まぁ、……お母上様の御苦労が思い遣られますな」
とうとう、皆和が亡母に同情し始めた。
「どうじゃ、なかなかの悪童ぶりじゃろう……ははは」
わざと、元気よく笑って見せる。
つい湿っぽくなる空気を何とかしたかったからだ。
「で、……そなたはどうであった? 」
「私の方は、……」
そう言いかけて、少し口ごもった。やはり、良い思い出がないのだろう。
「物心がついた折には、もう、何やら使われておりました。……水を汲んだり、寺にお参りになった方々の足を洗ってさし上げたりと、……喰う為には怠るなと! 」
「すまん、辛いことを思い出させてしもうたな」
「いえ、……でも、それだけでもありませぬ。……観音様の御加護でしょうか。数多の良い方々にもお会いできました」
実を言うと、今日の清水参りは皆和からの申し出で実行されたものなのだ。
だが、二人の出会いは、そもそも皆和が橋殿で〝養い親達?″ に、脅されているところを助け出したことからなので、忠明は、古巣に戻るようなリスクがあるのでは? と心配だった。
しかし敢えて、清水寺から見える夕日に向かって合掌することで、
『捨身尼様を西方浄土に送って差し上げたい……』
という皆和の思いを汲み、二人で清水への坂を上ることにしたのである。
寺の境内に足を踏み入れた頃には、夕空がいよいよ輝き始めていた。
御堂に上るまでもなく、少し小高いところにある門の前で、二人は夕日を仰いだ。
美しいオレンジ色の光が空を染め、金色の太陽が今まさに沈もうとしている。
「婆様は、もう極楽に着かれておられましょうか? 」
皆和がポツリと言った。
「あぁ、……」
そう信じるしかない。……いや、絶対にそうだ! と、忠明も思っている。
二人は西の空に向かって手を合わせると、老婆の極楽往生を祈った。今となっては、その位のことしかしてやれないからだ。
「私は、ここで生まれたも同然なのに、婆様のことを見出して差し上げられなかった。……この界隈なら、何処に躯が数多あるかを知っておるのに」
皆和がまた、泣き出した。
「こら、こら、……婆様が雲間から見下ろして笑っておられるぞ、……泣くな、泣くな」
そう言いながらも、忠明の声も震えている。
「思うに、……わしが随に婆様を拾うたから、そなたを泣かせておるのじゃ、……すまん」
忠明は、自分でもよく解らない言い訳をし始めた。
「それに、……婆様も、往生するのを邪魔されて、難儀だったのではなかろうか」
しどろもどろになりながらも、忠明は皆和を慰めようと言葉を続けている。
「いいえ、婆様は 『最期に良い方とご縁が結べた』 と、喜んでらっしゃいましたよ」
「……」
今度は、忠明が涙ぐんでしまった。
「優しいのう。……わしは婆様を助けたようで、実は、婆様に救われておったのかもしれんな」
夕日がとっぷりと暮れ、空が藍色に染まるまで、二人は西の空を見つめていた。
そして、やっと星が輝き始めたころに坂を下ったのである。
坂を下りきったら、二人の前には、いつものように現実の世界が待っているのだ。
……だが皮肉なことに、再び、その厳しい現実が皆和の運命に牙を向けたようである。
捨身尼だけではなく、皆和までが、忠明の前から姿を消したからだ。
残酷な話かもしれませんが、本来は、こんな世界だったのかもしれない。……と思い書きました。
お年寄りが大切にされる社会に生まれてよかったです。




