月見れば 忌み日物こそ 悲しけれ(2)
何とか、間に合った。
宜しくお願いします。
月が西の空に傾き、月光が丁度、門の背後に差し掛かった。
そろそろ、最後の仕上げである。
例えば、月を背に門前に立つと、うまい具合に姿が見えにくくなるが、逆に、門に向かって逃げてくる連中は、月光に照らされてよく見えるのだ。
そして、暗闇の中では、大きく動くことは不利になる。そこで、むしろ襲ってきた相手を確実に仕留めたほうが良いだろう。……そう思い、忠明は準備に取り掛かった。
もちろん、殺さずに捕らえるつもりだ。
だが、こちらも命を失うようなことがあってはならない。
忠明は、門前に、月光をうまく利用して隠れると、逃げ出す者達を捕らえる為に身構えた。
太刀をまるでバットのように両手でシッカリと握りしめると、じっくりと賊が飛び込んでくるのを待っている。
よし、……いつでも来い!
こんな風に、妙なフォームになったのは、当時の衛府で使われていた太刀が、刀身と柄が一続きの鉄でつくられていた為に、手から落ち易かったせいなのだ。
そこで、いざという時には、太刀の柄の一番下に結んだ下げ革緒を手に巻きつけ、強く両手で握りしめなければならなかったらしい。
すると早速、お誂え向きに、誰かが門の方に走ってきた。
影だけ見ると、さして大きい男ではなさそうだ。
「おぅ、おぉぅ……」
掛け声を出してみた。
仲間なら、怪我をさせるわけにはいかないからだ。
だが、反応がなかった。むしろ気配を感じて斬りかかってくる。
暗闇の中では、完全に見えているわけではないが、感覚を研ぎ澄まし、間合いを計算した。
ドスーンと、相手の肩に向かって太刀を振り下ろす。
ドサリ、……と倒れるのがわかった。
動きは止まったが、決して死んだわけではないだろう。致命傷にならないようにしたつもりだ。……忠明的には、そこのところは譲れない。
そう簡単に死なれてたまるものか、まだ、極楽行きを諦めたわけではないのだ。
一頻り片付いた後のことである。気が付くと、いつの間にか、建物に火が放たれ燃えていた。
おそらく、建物の中には、立ち入られては困る物があるのだろう。
気持ち良いぐらいに燃え上がり、辺りを明るく照らしている。
やがて、賊が次々と門前にやって来たが、もうさして抗わずに打ち捕られた。
命からがら逃げてきたようである。
とはいえ、最後に門前に駆け込んできた者には骨があった。
俊敏な動きで、なかなか間合いに入れない。
右に左に太刀を振り下ろしたが、見事に空を切る。
こんな場合、背の高い忠明は、リーチも長いので不利だった。
とにかく、敵ながら驚くほど良い動きをする。
だが、このままでは埒があかない。今度は大きな歩幅を利用して思いっきり踏みだし、左胸を突いた。
残念ながら、もう少し……というところで躱される。
それでも、それなりに恐怖を与えたのだろう。敵の動きがピタリと止まった。
「ほぅ、ほぉ~ほほぉ……」
随分とリアルな梟の鳴き声がする。
「おぅ、おぉぅ……」
いささか音痴ではあるが、梟もどきの声で応えた。
「観童丸か……? 」
「いかにも」
危うく、味方同士で斬り結ぶところだった。
「よう、燃えておるな、……賊共の仕業であろうか」
太刀を収めて、忠明が観童丸に話しかける。
夜明け近くになったが、建物はまだ赤々と燃えていた。
「いや、……あれは、わしが燃やしたのでございまするぞ」
観童丸が、妙に誇らしげに言う。
「はぁ? 何故にそのようなことをする……」
「縁の下に、まだ何人か隠れておりました故、引き出してやろうと思い……」
「……」
思わず絶句した。
忠明にとっては、理性では理解できるが、心情としては承諾しかねることだ。
確かに、生まれにさえ恵まれていたなら、立派な武官、いや、武人に成り得たかもしれない。
だが、……やはり、恐ろしい男である。
やがて、東の空が白みだし、火も消え始めた。
満ち足りたような、……惚けたような顔をしている観童丸を横目で見ながら、忠明は何とも切ない気持になっている。
兵の道は、このような者にしか極められんのかもしれんな。
そんな気持ちがこみ上げてくるのだった。
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捕らえられた賊の中に、高価な糸を持ち出そうと懐に忍ばせている者が見つかった。
それは、およそ市井には出廻らないような高級なもので、おそらく大内裏から持ち出された物だと推測されたのである。
そこで、今回の賊の一斉捕縛をもって、この件は落着したことになった。
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美しい十五夜の月が南の空に輝いている。
忠明の住処にある狭い庭でも、白い月はよく見えた。
だが、残念ながら、一人ぼっちの月見である。
今は、穢れを払うための〝物忌み″の真っ最中なので、しょうがないのだ。
穢れとは、人や家畜などの死や、出産、それらに際して起こる出血などの生理的な事態を、祟りや危険な事を引き起こす物と考えていたことに起因する。そういう事が起こらないようにと、心身を清めて家に籠らなければならない。
今回の場合の穢れとは、賊の根城で斬り結んだことであり、当時の人々にとって、血が流れるような〝不浄な場所″に出入りすることは、最も避けなければならないことだった。
しかし、当然のことながら、最前線で働く看督長や放免は穢れている。
そこで寂しく、家で謹慎中、……つまり、一人ぼっちの月見を楽しんでいる訳なのだ。
忠明は肘枕をしながら、縁で月を見ている。
一日中、外にも出られず、誰が訪ねて来ても入れることはできない。
そこで、やることもなくゴロゴロしていた。当然、昼に寝過ぎて、眠くもならない。
別当様や尉の方々は、直に穢れていないので、今頃、宴を楽しまれているであろう。
まぁ、忠実人な茂兼様も、わしのように物忌なされていようが。
……そう思って、気持ちを慰めた。
むしろ、検非違使の上役達は、今回の手柄を土産話として、宴を盛り上げているぐらいではなかろうか。
一方で、福安達には慰労会兼月見の宴……なるものに誘われたが、断ってしまった。
……まぁ、放免たちにとっては、不浄も何もないのかもしれないが。
いずれにしろ、どんなに美しい月を見ても、独りぼっちでは味気ないのだ。
そうしていると、忠明の脳裏に、何故だか婆様や皆和の顔が浮かんできた。
秋が深まり、寒い季節になれば、あのまま放ってはおけまい。
そろそろ、……一緒に暮らそうか。
そんな思いが、沸き起こるのだった。
皆さんもお体自愛ください。