97話:一度だけでいいから
きっかり一時間後に迎えに来たフィルクは、盛装だった。
さきほどまでは無彩色の礼装だったが、今度は色が入っている。藤色の外套に、浅葱色の中衣。細袴は幾何学的な線の入った白だった。銀色の刺繍が入った立襟には、中衣に合わせるように浅葱色の飾紐が結ばれていた。それがフィルクと出会ってはじめての誕生日に渡したものだと気付くと、メリヤナは思わず手袋をした両手で顔を覆った。
「なに。どうしたのさ」
怪訝な顔でフィルクが秀眉をひそめる。
(なんなのよ……っ)
大事にしまっておいてある、と話していたことを思い出す。あげたものを使っているのか、しまってそのまま忘れているんじゃないか、と疑いの目を向けてしまっていたことを反省する。
(こんな時に出してくるなんて卑怯じゃない)
内心で悪態をつく。
メリヤナは、フィルクの盛装に慣れているはずなのに、皇子という身分になって身にまとうものに少し変化があるからなのか、直視できなかった。
さっきはあまりにものできごとにぽかんとしてしまったし、話を聞いている時は注意集中をすべて耳に入ってくるものに向けていたから、落ち着いた状況でフィルクを上から下まで見るのは今がそう、はじめてだった。
かっこいいのだ。とても。
元々、見目はいい。子どもの頃がほんとうにかわいかっただけに、成長するにつれて、段々とかわいい要素が剥がれ落ちていって、自分よりふたつ上の彼からは青年の色気のようなものがあった。本人があまり社交を好まなかったから、よりつく令嬢が少なかったものの、社交界でもとても人気があったのだ。
ルデルは彫りの深い美しさがあったが、こちらは眉目秀麗——昔の本人曰く、甘い顔立ちと言っていた気がする——。
一度さらぬ顔で言った覚えがあるが、メリヤナの好みの顔だった。
だから、直視できない。自分好みの顔が、自分があげたものを襟元に結んでいる。
そういう妄想は、物語のなかだけで十分だった。
「な、な、なんでもない」
紅潮した顔を見られたくない。見られたくないが、いつまでも顔を覆っておくわけにはいかない。
幸いメリヤナとフィルクの身長差から、目線は襟元になる。手を下ろしてから視線を慎重に移動させて、フィルクの顔を直視しないようにした。襟元の銀色と青紫に輝く襟留に視線を固定する。
「ねえ、挙動がすごくあやしいんだけど」
上から声がかかる。知ったことではない。心の臓を守るためである。
「あら、そう? わたしはいたっていつも通りよ」
「いや、絶対におかしいでしょ。僕の顔に蛾でも止まってるわけ?」
そりゃあもう、とんでもなく大きくて美しい蛾が止まっているとも。夜に屋敷の壁に止まっているあれだ。あれも直視できない。
「……まあ、そんなところ」
「はあ?」
「——あ、そういえば!」
この話題は、メリヤナに分が悪すぎる。またからかわれたりしたら、たまったものではない。
メリヤナは、無理やり話題を変えようと、大きな声を出した。フリーダからはるばる、フィルクに会えると思って、持ってきたものがあったのだ。
今この瞬間に渡すのがいい、と判断する。
くるりと室内に踵を返すと、寝室の抽斗にしまったものを出して持ってくる。
「はい、これ。ほんとうなら手紙と一緒に送ろうと思ったのに、あなたが連絡よこさないから、だいぶ過ぎちゃったわ。
——19歳のお誕生日、おめでとう、フィル。あなたの誕生をだれよりも祝福するわ」
メリヤナはにっこりと笑って、包装した箱を渡す。フィルクからもらったものより少し小さめの箱かもしれない。
「……ありがとう」
フィルクが虚を突かれたように受け取る。少し茫然としているようだった。それから箱をぎゅっと力強く握りしめる。
「そんな強く力入れると、なかのものも一緒に壊れちゃうわよ。開けてみて」
きっと疲れていて力加減でもまちがえたのだろう。
メリヤナが浮かれた気持ちで、さあさあはやくと促せば、フィルクはしゅるしゅると包装紙を取って、小箱の中身を空けた。
「これは……指輪……?」
「ちがうわよ。耳環よ、耳環。最近フリーダで流行っているの」
「どうやって使うの?」
「貸して。付けてあげる」
メリヤナはフィルクから取り上げると、なにとはなしに一歩踏み出して背伸びをし、フィルクの左耳に手を伸ばす。
「ちょっ、リヤ……っ」
抗議の声があがったが、黙殺して、メリヤナはフィルクの耳を飾った。満足のいく場所に位置取る。
「これで、よし」
メリヤナが背伸びをやめて一歩下がって位置をたしかめれば、フィルクの視線と完璧にぶつかった。
「……っ」
「……っ!」
口元を隠すようなのか、庇うようなのかわからないが、フィルクが片腕を持ち上げる。一方のメリヤナは完全に不意を突かれた形だったので、なにも隠せない。
距離を詰めすぎてしまったことに今更気づいて、一瞬でフリーダでのできごとが脳裏をよぎっていく。フィルクの顔を直視して、祝宴や湖でのできごとを思い出す。
せっかく話題を変えることに成功したのに、顔から耳まで湯気が出るのはないかというくらい真っ赤になった。
はたから見れば、ふたりともほぼ同時に顔を背ける。相手に見られないように。悟られないように。自分たちの感情の先を知られないように。
そんなふたりを、カナンたち随行する人間は、生あたたかい目で見ていた。見ながらも、見ていないふりをする。
「——行こう。遅れる」
先に正気を取り戻したのはフィルクのほうで、メリヤナの手を引くと、すごい速度で足を進める。それでもメリヤナを転ばせないのは、フィルクのなせる業だった。
お互いに顔の見えない距離でちょうど良かった。
歩いていくうちに、死ぬほど早くなった鼓動がそこそこの速度に落ち着いていく。
〈玻璃の宮〉の大広間まで遠くはなかった。玉座の間の階下が大広間となっており、そこがフリーダ王国来訪の祝宴会場となっていた。
すでに大広間には、多くの人々が詰めかけている気配がする。
メリヤナはフィルクと大扉の前で待機しながら、さきほどまでの浮ついた気持ちの名残りを払拭しようとする。そろそろ呼名係から名を呼ばれるだろう。
そんな時に隣に立つフィルクが口を開いた。
「……一度だけでいいからって思ってたんだ」
うん? と首をかしげて、メリヤナは横顔を見上げる。横顔も端正だなと思いつつ、社交の場に出る緊張感からか変に鼓動が高まることはなかった。
「——一度だけでいいから、君の付き添いを、ずっと、したかった」
すっと顔を向けられる。深い海の青紫の瞳とかち合う。その瞳の奥に沈んでいるものを見る。熱。焦がすような。内側からメリヤナのすべてを持っていってしまうような、狂おしいほどの熱。冷たくなってしまったなかにある情炎のようなものだった。
「フィル……」
あれほど、さっきまであれほど顔を見られないと思っていたはずなのに、その炎に焦がされたくて、焼かれたくて、ずっと見ていたかった。
炎は、恐怖を、恐慌を呼び起こすはずなのに、深海の闇を孕んだ炎は、焦がすようなのに、こんなにも優しく、包まれるようにあたたかい。何か、そう、勘ちがいしてしまいたくなるほどに。
(やめて)
そんな目で見ないで。そんな目で、メリヤナのなかを覗き込まないで。焼いてほしいのに焼かれたくない。すべて持っていって欲しいのに、持っていって欲しくない。
鼓動が高まる。状況を忘れる。
わたしに、入りこまないで。わたしを……、奪わないで。お願いだから、わたしを——。
「——第三皇子フィルクス・フィーユ・マルムス殿下、ならびにフリーダ王国メリヤナ・グレスヴィー公女さまのご入場です!」
高らかに宣言される。
覗き込まれていた視線が外された。ぐいっ、と力強くもあたたかく支えられる手が、苦しいくらいうれしかった。
(第三、皇子)
宣言された言葉をかみ砕く。
皇子ということは皇族。皇族ということは、その血に流れるエスト神の権能があるはずだ。メリヤナと同じく、エスト神〈唯一愛〉という権能が。
(同じ、血……)
メリヤナは思い浮かんだことを振り払う。
メリヤナとフィルクは少しだけ血がつながっている。メリヤナの高祖母はトリヤナ皇女。トリヤナ皇女は三代前の皇王と異母兄妹。三代前の皇王は、今上皇王の曽祖父。そして、フィルクはその息子だ。
大丈夫。薄い、と自分に言い聞かせる。薄くしかつながってない、ほとんど他人だ、とメリヤナは自分を安心させるように言う。
安心させながら、なぜそんなことを考える必要があるのか、と思う。何を危惧しているのだ、と自分の思考を俯瞰する。
それ以上考えてはいけないような気がした。それ以上考えたら、気づいてはいけないことに気づいてしまうと思えた。
(〈唯一〉……フィル、あなたの〈唯一〉は、だれ?)
思考を変える。フィルクの横顔を見ながら、思考する。
(まだ、見つかってない……? それとも、もう……、いる?)
不安が、おそろしい不安が募ってきた。その事実は認めたくない。それはだめだ。そんなの目にしたら、自分が、わたしが——。
(だめ、これも考えちゃだめ)
考えたらいけない。メリヤナにはもっと考えるべきことがある。
(わたしの〈唯一〉は……)
ルデルの顔を思い出す。婚約式でのこと。出立の日のできごと。気まずさ。距離感。
メリヤナは王国の運命を担っているから、嫌われちゃいけないはずなのに、気まずくなってはいけないのに、それを修復するのが自分の役目なのに、思い出すと目眩と吐き気を覚える。気持ち悪くなる。
思い出したく、なかった。
今に集中する。
考えても思い出しても、だめだ。今のこの宴を楽しもうと思う。
会場のざわめきが、いつになく心地よく、メリヤナには聞こえた。




