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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。  作者: 稿 累華
第15章:第三皇子

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95話:わたしも知りたい

 フィルクは、一度瞑目(めいもく)する。そうして、浮かび上がったできごとや感情をすべて排除した。


 礼装のメリヤナに手を差し伸ばすと、ぽかんとした彼女の姿があった。必死に取り繕おうとしているが、フィルクからすれば見え見えで、だからこそ繕おうとする彼女がおかしくて、かわいくて、——愛しくて、仕方がなかった。


 反応ができないメリヤナの手を、フィルクは強引に引く。


「姫君もお疲れで言葉を失っているようです。陛下より、拝受しましたので、姫君の部屋への案内も私が行いましょう」


 では、と言って、メリヤナの手を引いて玉座の間をあとにする。

 背後で、兄がにやついている気配だけした。


 扉を出た先で控えている面々と目があった。フィルクが顔を知っている面々が多かったが、そういうこともあるか、と思う。

 侍女姿のカナンを見つけると、向こうは相当驚いて目を丸くした。少なからずフィルクも驚く。きっとメリヤナは喜んだだろうなと思うと、仲良くなりたいのだと言っていた頃が思い出されて、微笑ましい気持ちになった。


 随行するなかに、王太子の近衛——たしかエッセンとかいったか——が含まれているのだけ認めて、少し厄介だなと思った。だが、それだけだった。

 ずんずんと歩を進めつつ、未だ現実に帰ってこれないメリヤナが転ばないよう、慎重に足を運ぶ。〈双極の塔〉のうち、ヴァンニテ神を司る東の塔まで辿り着くと、やっとメリヤナが口を開いた。



「——ちょ、ちょ、ちょっと待って」



 メリヤナが足を止めると、フィルクも止める。

 ふたりにぞろぞろと付いてきた侍女やら付き人やらも止まった。


 フィルクは自身の近衛兼、補佐官である男に目顔で合図を送る。そうすると、男が、付き従ってきた者たちを、フィルクとメリヤナの視界からなくすように下がらせた。エッセンと思しき男の不満の声が聞こえたが、結果静かになった。


 客人のための部屋が準備されている階であるから、官吏や下働きも含めて行き交う人間はいない。


 見える範囲では、フィルクとメリヤナだけになった。


「なんですか?」


 フィルクはあえて澄ました顔で訊いてみる。

 メリヤナのあんぐりした顔が面白かった。


「あの、えーっと、その……」


 何か戸惑っている様子なのも面白い。腹を抱えたくなる。


「えーっと、ごめんなさい、人ちがいでしたら申しわけないのですけれど……、その……えーっと、第三皇子殿下は……もしかして双子とかでいらっしゃる? あるいは、その生き別れの兄弟とか、その……いらっしゃいます?」


 なんでそうなる。

 メリヤナの思考がおかしくて、笑いをこらえられなかった。


「そんなわけないでしょ」


 あはは、と笑い出すと、メリヤナの顔が真っ赤になった。


「ちょっと! やっぱりフィルなのねっ!」


 怒り心頭といった様子で、メリヤナが廊下に響くような声をあげる。角を曲がったところで控えている人間にも、おそらくよく届いたにちがいない。


「君の考えていること、たまにわからないんだよな。こればかりは六年付き合いがあっても謎なところがある」


「わかんないのは、あなたのほうでしょ! どういうことよ! 皇子って! 第三皇子って何? エストヴァンの? わたし、聞いてないわよ!」


「そりゃあ、言ってないからね。わざわざ言う必要もなかったし」


「騙してたのっ? ひどいと思わない? 大事な友人には言うべきでしょ!」


「言うべき文脈があったらもちろん言ってたよ。でも、ふつう、自分が実は皇子だーなんていう文脈ある?」


「なくても、実は……みたいな、ほら、物語にあるでしょう!」


「ここは現実だから仕方ない」


 フィルクがけんもほろろに言うと、盛大に麻痺していた思考の分を喚き散らかしたメリヤナは、息を荒げていた。

 それから、はあああ、と大きな溜息をついて頭を抱えてその場に蹲る。


「……大混乱なのだわ」


「そっか。なんか飲む? 持ってこさせようか? それとも、もっと落ち着いた場所で話す?」


 フィルクが軽く提案をすると、恐ろしい形相で睨み付けられた。


「あなたのせいでしょうっ!」

「まあまあ、落ち着いて」


「だいたい、皇子としての教育ってなによ! 他国のことなんて、言葉も含めて、あなたに教えることなんてないじゃない!」


「それは方便ってことで」

「そもそも、三ヶ月も連絡寄越さないじゃないの」

「連絡ならしたよ」

「いつ! どうやって!」

「ほら、兄上が新年に行っただろう」

「はあ?」

「エストヴァンにぜひ来てくれって。だから、今日君が来たんじゃないか」


 連絡ならついてる、とフィルクが言うと、メリヤナは立ち上がって憤然と金切り声をあげた。


「あんなのわかるわけないでしょっ!」


 さすがに耳が痛かった。

 おそらく控えている面々にも響いて聞こえたにちがいない。


「わかったわかった。ごめんごめん」

「絶対にわかってないし、ごめんとも思ってないでしょう……もう、こっちの気持ちも知りなさいよ……」


 覇気がなくなり、声に潤いが混じってくる。

 さすがにフィルクもこのあとの流れは何度も経験しているからわかる。

 この場で泣かれたらあまりにも外聞が悪すぎる。


「ごめん、悪かったよ。落ち着いたところで話そう。——全部きちんと話すから」


「ほんとう……?」


 泣きそうな声でメリヤナが言う。

 フィルクは、弱ったな、と思う。メリヤナに泣かれてしまうと、ほんとうにどうしようもなく、だめだった。自分の一番の弱みだと思う。


「うん」

「……わかったわ」


 肯くと、涙はこぼさないでいてくれた。そこだけほっとして、フィルクはメリヤナの手を取ると、歩みを再開する。

 東の塔に用意されたメリヤナの滞在場所はすぐそこだった。






 フィルクに案内をされたのは眺めの良い露台のある部屋だった。五芒星の皇都が一望できる。

 陽当たりがよく、高窓から入ってくる陽が眩しいくらいだった。


「すごい……いい眺め」


 メリヤナが大好きな〈緑の湖畔〉とは異なる。だが、雄大な景色だった。皇都より先は、どこまでも田園風景が広がっている。遠くに葡萄畑が見える気がする。見ているだけで安らぎや穏やかさが得られるようだった。


「——気に入った?」


 フィルクが微笑んで聞く。


「うん、すごく。この景色、とても好きだわ」

「そっか、良かった」


 フィルクがうれしそうに笑った。



「——フィルクスさまが姫君のことを考えられて、お選びになったお部屋です」



 そう言って、カナンたちを引き連れてきたのは、フィルクに付き従っていた男だった。上背(うわぜい)がかなりある。エスカテの民族っぽくなく、どちらかというと、アルー=サラルのほうの血が混ざっているような、肌は浅黒く、けれど瞳はトーゥミラの人々のように緑色だった。

 メリヤナは誰だろうと首をかしげる。


「申し遅れました。私は、グランと申すものです。以後お見知りおきを」


 トゥーミラ語の発音が混じった言葉だった。差し出された手に、メリヤナは応じる。


「はじめまして、メリヤナ・グレスヴィーです。グラン卿、どうぞよろしくお願いいいたします」


「卿はいりません。グランと呼んでいただけるとうれしいです」


「では、グラン、よろしくお願いいたします」


 メリヤナがトゥーミラ語で言えば、グランが目を見開いた。それから切れ長の目に弧を描く。


「フィルクスさまと一緒で言葉がお上手でいらっしゃいますね」

「ええ。だってフィルに色々習うように言われたのだから」


「そうでいらっしゃいましたか。とはいえ、そこまできれいな言葉を話されるのは並大抵のことではありません。メリヤナさまのお話は伺っていますが、勉強熱心でいらっしゃったのですね。ところで、フィルクスさまは、こちらのお部屋をかなり吟味して——」


「グラン、余計なことは言わなくていい」


 フィルクが静かにぴしゃりと言う。

 あまり言ってくれるな、と言った様子に逆にメリヤナのほうが、にやにやしてしまった。


「あら、わたしのために特別に部屋を熟考してくれたのではなくて?」


 さきほどまでの仕返しとばかりに、メリヤナは笑って見せる。

 フィルクが秀眉をひそめる。


「だから、何さ」

「それほどまで考えてくれているのに、手紙ひとつも寄越さないのね」


 嫌味をたっぷりつけて言えば、フィルクがむっとした。


「……悪かったよ」

「薄情だわ、ほんとに」


「君こそ、待っている分、僕に再会したらすごい量の手紙を寄越してくれるんじゃなかった?」


 フィルクが主導権を握り返すように意地悪く訊く。

 だが、メリヤナは荷物に入っている筆記本(ノート)を思い出しながらも、とぼけてみせた。


「そんな約束したかしら?」

「えっ。……楽しみにしてたんだけど」

「気が向いたら書くことにするわ」


 しばらく渡すのはやめようと思って、メリヤナはそのまま主導権を握り切った。


 室内に、次々に荷物が運ばれてくる。今いる部屋が応接室で、隣の部屋が寝室、寝室につながるのが衣装部屋のようで、数名の侍女や侍従たちがメリヤナの荷物を運び入れていた。


 そのあいだにメリヤナは謁見服の半月型の髪留めなどを外す。メリヤナが髪留めをカナンに渡すのと、フィルクがグランに式典用の様々な小物を外して渡すのは同時だった。そのあとにやって来た侍女に茶や菓子を用意するように伝えるフィルクを横目で見ると、なんとも言えない気持ちになった。


「……ほんとうに、皇子さまなのね」


 メリヤナがぽつりとつぶやくと、フィルクがこちらを見る。


「どうしたの」

「ううん……ただ、なんとなく……」


 メリヤナの知らないフィルクを見ているようで、さびしかった。


 そんなメリヤナのことを知ってか知らずか、フィルクは茶と菓子が用意されると、人払いの仕草をする。



「——お言葉ですが、皇子殿下」



 口を挟んだのはエッセンだった。そういえば、さきほども廊下でこのようなやり取りが交わされていた気がする。


「何かな?」


 フィルクの冷たい声が尋ねた。

 そそけ立つような声だ。たまに、そういう時がある。自分に向けられていないだけましだが、聞いていると凍りつくものがある。


 しかし、相手はエッセン卿だった。いささかたじろいだ様子もあるが、堂々と言葉を重ねる。


「メリヤナさまは我が国の王太子殿下のご婚約者さまでいらっしゃいます。いかに……以前からのお知り合いとはいえ、皇子殿下と公女さまをおふたりにするわけにはいきません」


「だから? 僕がメリヤナを襲うとでも思っているの?」


 随分とあけすけな言い方に、凍りついてたはずの顔が真っ赤になった。かあっ、と赤くなる顔を見られないように頭を下げる。


「……そのようには。ですが、外聞がございます」


「心配なら扉のすぐ外に控えていればいい。僕は彼女と……友人として、大事な話がある。——下がれ」


 皇子としての権限を持った言い方だった。

 エッセンがびくっとする。言われると、エッセンの身分では何も言えない。命を受けて、静かにカナンやグランと共に引き下がっていった。


 メリヤナはおずおずと顔を上げる。


「その……なんていうか、ほんと、皇子さまね」


 フィルクはエッセンが喋り出した途端、機嫌が悪くなった。なんと言ったらいいかわからず、中身のない適当なことを言った。


「……別に。この身分があるから使っただけで、皇子なんてどうだっていいよ。あったって、できないことはいっぱいある。あったところで意味がないこともたくさんある」


 吐き捨てるように言ったフィルクに、メリヤナは心配になった。

 フィルクから垣間見える暗渠(あんきょ)としたもの。あるいは、もの悲しいような淋しいようなそんなもの。メリヤナが知らない、フィルク。


 それは、フィルクス・フィーユ・マルムスという名に関係のあるものだろうか。


「……教えてもらえる、フィル。あなたのこと」


 知りたい。フィルクという人が。メリヤナの知らないフィルクを、知りたかった。


「あなたが昔、わたしに言ってくれたように、わたしもフィルのことを知りたいの」


 一緒に、その気持ちをわかり合いたいのだ。そんな言外の言葉にも気づいたらしい。フィルクの瞳から氷柱のような棘がなくなった。ただ、その瞳のなかには穏やかな海がある。



「——わかった」

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