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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。  作者: 稿 累華
第15章:第三皇子

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94話:花と雨の追想(3)

 自覚すると、苦しかった。彼女の〈唯一〉がちがう男かと思うと、体中から血が滴るようだった。


 苦しさを、もうひとつの神の力が助長する。

 体に流れる、母の血。エストヴァンの祖の代までに遡る古くからのマルムスの加護。女神ヴァンニテの、〈(くら)い炎〉。ヴァンス火山の炎。


 血管を這うように感じる岩漿(マグマ)が、体中を内から喰い破りそうだった。


 メリヤナから離れなければ。

 離れたくない。

 僕の前で他の男と親しくするな。

 他の男と行かないでくれ。

 僕に近づくな。

 ——僕だけを見て欲しい。


 三国協議のあいだ、皮膚の下がぼろぼろになるようだった。置いていかれたと思った時は、心が死んでしまうようであった。


 ぼろぼろになる前に、手紙を預けられたことだけ、良かった。彼女の運命に役立つことを願った。

 離れているのが良かったのか、悪かったのか、わからない。

 ただ、いつ岩漿(がんしょう)が吹き出すのかわからなかった。自分に恐怖した。


 戻ってきた彼女に無理にでも会おうとしなかったのは、自制するためだった。


 自分が何をしでかすかわからない不安があった。〈冥い炎〉が彼女を呑み込んでしまうかもしれなかった。


 だが、祝宴ではそうも言っていられない。

 帰国し、彼女の姿を認めると、彼女を求めざるを得なかった。会わないと話さないと、それはそれで狂ってしまいそうだった。


 そうして、彼女と会った時、彼女が自分との再会の喜びをその瞳に映してくれるのを知った時、つとめて自分を振る舞わなければ、制御しきれないものが暴れてしまいそうだった。


 だから、王太子から告白されたのだという話を聞いた時、頭が一瞬で怒りに染まった。出ないよう出ないよう、噴き出さないよう噴き出さないよう、慎重に加減をしてきたものだった。そもそも危うかったのだ。少しでも力が入ってしまえば、だめだった。


 口付けをした時、焦がれて、愛しくて仕方がなかった。


 碧空(へきくう)に映える陽の光。照らされた扁桃(アーモンド)(つゆ)を口に含んだようだった。口付けの甘さや、やわらかな感覚をこの時に知った。どんな葡萄酒や蒸留酒よりも酒精がつよく、酩酊するようであった。


 王太子から邪魔が入らなければ、おそらくいつまでも口にしていただろう。

 離れた途端に、すぐに皮膚の下が暴れる感情を持て余すことになった。怒りで判断ができない。



 僕を捨てるのだろう。


 用がなくなれば、君も、あいつらと同じなのか。

 協力者だから、王太子から愛されるという目的が、対価が払われれば、僕はもう、要らないんだろう。



 暴走する思考や感情に支配される。支配されているみっともないはずの姿なのに、それなのに、メリヤナは自分を甘やかす。


『用なしなんて、思うわけないじゃない。用なしなんて、言うわけないじゃない。あなたを、ここまで一緒に歩んできてくれたあなたを、見捨てるわけがないじゃない……!』


 怒りが沈んでいく。沈殿する。


『……大事な人を、大切な人を捨て置くなんてするわけないでしょ。わたしが、あなたにどれだけ恩義を感じているのか知らないの。わたしが、あなたをどれだけ頼っているのか知らないの。わたしが、会えないあいだ、あなたを思い出さなかった日はなかったって思わないの。わからないの。ばかなの。ねえ、ばかなの……っ?』



 ——君が、そんなふうに思ってくれているなんて、知らなかった。



 愛されなくても、好意を向けられなくてもそれでもいいではないか。

 彼女はただ自分を肯定してくれる。受け入れてくれる。存在を認めてくれる。それだけで、十分ではないのか。たとえ、同じ想いを返されなくても、それだけで十分なはずだ。


 爆発し噴き出した感情が空隙(くうげき)へと沈んでいき、あとに残ったのは彼女への気づかい、どうしようもない慕わしさ、それから疲労感。


 己の感情に疲れる日が来ようとは、思っていなかった。感情と感覚ほど、縁遠いものはなかったはずなのに。

 そんな時でも初めての口付けだとか言って、自分を喜ばせるのだから、もうどうしようもなかった。



 君は僕に、喜びを教える。

 ——同時に、憎しみも。



 王太子といるところを見てしまうと、制御ができなくなってしまう。理解して、納得して、十分だと思っているはずなのに、〈冥い炎〉が噴き出して、憎しみが沸き立ってしまう。

 距離を取らなければ、またあの岩漿のような炎がいつ噴き出すかわからない。彼女にも何をしでかすかわからない。


 ぎりぎりまでメリヤナとは距離を取ることにした。


 火祭りの日。誘ったのは自分からだった。平民たちのあいだでこの祭りにどんな意味があるのかは知っていた。メリヤナがそれを知っていようと知っていなくても、誘って応じてもらうことで、(あふ)れそうな感情をどうにかしたかった。


 これまで、ふたりで過ごしてきたなかで、あれほど様々なものを感じ入った日はない。自分の感情を自覚してから、長い時間ふたりで過ごすのは、はじめてだった。隣りにいて、ただ笑っていてくれるだけで、凪を思い出すことができた。

 コモナの串焼きをうれしそうに食べる横顔。街の踊りに翻弄される姿。石鹸膜玉(シャボンだま)のことを得意気に語る口吻(こうふん)


 宮中伯の件で仕掛けたことについて、自分がこわいかと訊けば、首を振る。


『ううん、こわくない。むしろ、感謝をしているわ。ずっといつか、突然罪を着せられて殺されるんじゃないかって思ったから、フィルがやってくれたんだって聞いて、感謝している。ありがとう』


『ただ、正直な気持ちを言えば、最初それに思い至った時は、こわいというか恐ろしかったかな。その……あなたがいやだっていう感じの恐ろしさじゃなくて、敵にしちゃいけない人だーっていう恐ろしさ。わかる?』


 敵にしたらかなわないと言うが、かなわないのはむしろ自分のほうだった。さっきだって今だって、自分の空隙から浮かぶ不安の泡を易々と吹いて、また雨雫(あましずく)を落とし、扁桃(アーモンド)の花びらを散らす。


『ええっ? そんなことあった?』


 驚く彼女は、そうやって無邪気に目を丸くした。


 灯火をきれいと眺める彼女が、湖に映えて幻のように美しかった。


 だからきっと、湖面に、幻影を視た。都合のよい。彼女と自分が結ばれる、そんな幻影。彼女が薄紅色の衣装を着て、あまりにも眩しい笑顔で頬を染めて自分を見る。満開の笑顔を見せる。そんなこと、ありえるはずがないのに。


 灯火占いは想いが強すぎると未来を歪め、幻影を見せるという。そういうことだ。

 苦しい。胸が(よど)む。雨滴の溜まった湖が、底から淀みを生み、泡沫(うたかた)が溢れる。


 ひとりにならなければ、という利己的な思いが、メリヤナを火に追いやった。


 あの女(ファルナ公女)を許すことなど到底できない。死を夢見る苦しみを与えてやる。憎悪が、動き出す。〈冥い炎〉が声をあげる。

 だが、彼女の狂乱する姿を見て、思い出す。

 


 ——メリヤナを運命の(くびき)から救う。彼女を助ける。そうではなかったのか。



 決意を思い出す。権能の力に苛まれている場合ではない、のだ。


 兄は、未だ自分の願いを聞き入れてくれるだろうか。お前の願い事ならなんでも叶えてやるといった兄ユステル。

 数年ぶりに連絡を取っても、兄は願いを叶えてくれるだろうか。叔父上も応じてくれるだろうか。

 


 ——果たして、それは叶えられた。



 帰国を直前に見た光景。彼女と王太子の口付け。立場による圧倒的優越。フィルクの理性を焼き切るできごと。王太子を殺してしまいたかった。彼女を自分から奪うなら、殺して国を焼き払ってやりたかった。

 それでも振り払う。理性ではもう無理だった。ただ彼女への想いだけで踏みとどまった。


 第三皇子としての帰国。その立場だからこそ、できることがある。彼女を助ける。王国の未来を助ける。できることをする。解明していない、ひとつの謎。彼女のかつての生で起きた謎。それを解き明かす。


 メリヤナを国に招待したのは、王太子への意趣返(いしゅがえ)しだった。


 ほんとうは帰国したら、もう彼女には会わないつもりだった。婚約式を終えた彼女と会っても、ただ虚しさと憎しみだけが募るだけで、会っても自分が苦しくなるだけだった。

 だが、兄に頼む。彼女を国に()んでくれないかと。彼女だけを喚べるようにどうにかしてくれないかと。

 面白いことが好きな兄は、楽しそうにその話に乗ってくれた。


 これで鼻を明かせる。


 そんな感情からだったはずなのに、何も知らずにやってきた君に願う。


 

 ——もう少し、もう少しだけ、僕のそばにいてくれないか。


 

 ただ、いてくれるだけでいい。


 僕の炎が溢れる前に。淀みが増す前に。権能と加護が僕を焼き切る前に。


 その咲き誇る花の美しさを見せて、雨を降らせてくれないだろうか。

 そばにいてくれるだけで、満たされるのだから。


 

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