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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第14章:エストヴァンへ

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90話:異変

 メリヤナが出国するのは、冬の終わりの頃合い、ミモザの蕾ができる頃と決まった。


 エストヴァン国のユステル皇太子の招待を、国王と王妃は国益になると判断して喜んで受け入れた。

 婚姻式の準備があるものの、それは便りを交わすことや、ルデルアンを中心に行うことでまかなえるという判断からだった。


 メリヤナの婚姻式の衣装は、出国前に採寸を行い、帰国後に調整を行うことで間に合うという算段だった。


「——お胸元をはかりますね」


 王室御用達の被服職人たちがメリヤナの寸法を測っていく。


 ばんざいをしてください、後ろを向いてください、などと言われて体をくねくねと動かしていると、なんだか自分が人形になったような気分だった。

 一通りの採寸が終わると、記帳に書きつけた内容を確認してから、職人たちは礼儀正しく帰っていった。ここからメリヤナの寸法を踏まえて、意匠を考えて型を作るのだという。とても長い工程だ。


「……はあ」


 見知らぬ他人に下着姿を晒した疲れたからなのか、体が緊張をゆるめるように溜息を吐き出した。


 誰もいなくなったからなのか、小窓を叩く音がする。蕭条(しょうじょう)な雨音が室内に木霊した。

 無意識に、胸元の飾りに手が伸びる。雫型の揺れるそれ。彼を、思い出す。


「なにも、連絡してこないじゃない」


 日記に(ふん)した手紙だけが溜まる一方だ。

 とっておきの連絡、とか言っていたのは誰だ。もう二ヶ月が経過しているではないか。

 まさか、ノクセン公とのやり取りが、とっておきの連絡だと言うのだったら、それは連絡じゃないと、次にあった瞬間罵倒してやろうと思う。あれは噂話の代物だ。


(また、三ヶ月が経っちゃう……)


 三ヶ月というのは符牒のようでいやだった。

 これまではなんだかんだ手紙でやり取りをしたりなど、交流が(ぜろ)ではなかった。

 今回は、交流が一切ない。とっておきという連絡も来やしない。


 メリヤナはもう17で、それも二回目の17で、子どものように駄々をこねる年頃ではなかったが、三ヶ月という期間は身に応える。泣きじゃくらなくても、心はそうではないのだ。

 この雫の飾りを見ながら雨音を聞いていると、まるで自分の心のなかの音を聞いているようだった。


『僕は……、雨が好きだから』


 別れ際のそんな言葉を思い出す。その時の友人の表情を思い出すと、とくとく、と脈が早くなる。

 何か特別な意味を持っているようだったが、ちっとも意味はわからなかった。


「待ってなさいよ……」


 恨めしく、メリヤナは呟く。


「この機会に、絶対に見つけ出してやるんだから」



 *



 それから一月が立ち、いよいよ出立の日となった。

 出立までに片付けることは山程あった。一番は夏に叙位されたフォゼル辺境領の運営で、これについては委任状をしたためて、父ファッセルに委任することにした。


 父は、

「愛しの妻との時間がなくなる」

とぼやていたが、


「わたしも一緒にやるわよ」


とスリヤナがファッセルに頬を寄せながら言うものだから、メリヤナは楽になり、夫婦がいっそう仲良くなるきっかけとなって、一石二鳥の策だった。


 次に片付けなければいけないのは、ドール石鹸と新商品の石鹸膜玉(シャボンだま)の扱いだった。これについてはアズム親方とヨーチェがいるから、問題なかった。メリヤナの取り分の利益だけが、勝手に管理している口座に入ってくる形なので、むしろ申しわけが立たなかった。


「エストヴァンに行って、何か新商品の発想を思い浮かべましたら連絡くださいな」


 と、ヨーチェはまったく気にせずに、商人らしく言う。


「石鹸膜玉はあれから改良したが、まだ納得いかん。さらに改良を重ねるから、戻ってきたら工房に来い」


 と、アズム。親方というのはどこまでも職人だった。

 ヨーチェとアズムがそんな様子だったので、当初の気負いはなくなり、安心してその扱いを任せることになった。


 ちなみに加加阿(カカオ)の利権については、なんとルース商会ではなく、ヨーチェのミリアン商会に譲られることになった。これはエイヨンが、ミリーとの仲を取り持ってくれた礼として結果的にヨーチェに譲られたものだが、ヨーチェは大喜びで、だからこそご機嫌でメリヤナを送り出してくれることになった。


 最後の懸念は、婚約者であるルデルアンだった。


 父王と母妃が喜ぶ今回のエストヴァンへの招待に、ルデルは表立って王太子として意を唱えることはできない。だが、ルデルが何か懸念を抱いているのはその表情を見ていればあきらかだった。



「——ルデルさま、何か気にかかることがありますか?」



 出立の準備が行われているなか、城門近くの場で、メリヤナは尋ねた。

 婚約式での一件以来、メリヤナとルデルには気まずい空気が流れていた。あの時のルデルの様子は異様で、何とはなしに一緒にいると緊張してしまう。その緊張をルデルもまた感じているからなのか、以前のような気安さや、三国協議から帰ってからの、人からの視線を度外視するようなふれあいはなりをひそめていた。


 ルデルは尋ねてきたメリヤナに一瞬驚いたようだったが、思案している自分をメリヤナが気にかけてくれていると悟ったらしい。最近の気まずさもあったからか、うれしそうに顔を綻ばせた。


「いや、あなたがしばらくいない、というのは初めてだからな。率直に寂しいと思っている」


「まあ。たった数ヶ月のことですわ」


 メリヤナもまた笑顔で応じる。エストヴァンに滞在するのは、戻ってからの婚姻式の準備もあることから、数ヶ月を予定していたが、正確な滞在期間は向こうの都合も合わせて、現地に行ってから決定になる。


 メリヤナ自身も気まずいのはいやだった。

 ——王国のためにも、気まずくなり嫌われるわけにいかなかった。


「数ヶ月というものは長いものだぞ」

「そうでしょうか?」

「そうだろう。私は、サルフェルロでの時間も長かったと思うぞ」


 そうかしら、とメリヤナは思いつつも、それがフィルクと会えなかった時間だったと思うと、ルデルの気持ちに共感できた。


「たしかに……そうですね」


 感慨深く、肯く。

 ああ、とルデルが相槌を打つと、沈黙が訪れた。


 また気まずい空気が戻ってきそうなところで、ルデルが再度口を開く。


「それに、」


 そう言ったルデルが、メリヤナの手を無言で取る。


 びくっ、とメリヤナは反応する。以前なら感じていたときめきのようなものが嘘のように、感じなかった。


 そんな自分に、メリヤナ自身が驚く。まるで、かつてのメリヤナ・グレスヴィーの残骸が消え失せたようで、動揺が細波(さざなみ)のように体中に広がった。


 わからず、戸惑う。あの狂おしい感覚がどこにもなく、ルデルからふれられた先に注意を向けてみたが、人肌のあたたかさしか感じられなかった。むしろ、抵抗感のようなものが胸骨の裏に感じられて、メリヤナはそんな自分自身に内心でひどく狼狽(ろうばい)した。



(な、に)



 親しみのある感覚が得られない。メリヤナが、()()()()()()()()()()、いない。彼女はどこに行ったのだろう。いつ、消えたのだろう。


 まるで灰燼(かいじん)が風に吹かれてしまったように、その感覚を得られなかった。


「……この手が、誰かに取られそうで、不安だ」


 メリヤナの胸中の動揺を知らないルデルから、そんな言葉が続けられる。

 おそらく平生(へいぜい)のメリヤナであれば、


〝不安ですよね。わたくしも一緒です〟

〝ですが、わたくしの心は、ルデルさまと共にありますから〟


などと、ルデルアンを慮って、安心させるような寄り添うような言葉を返していたはずだ。特に最近は秘術など使わなくても、ルデルアンに心を寄せられていることがわかっていたから、慕わしくそんな言葉をかけていた。


 だが、今のメリヤナにそんな余裕はなかった。

 自身の状況にうろたえて、常であれば、かける言葉がかけられない。ただ機械的に、


「大丈夫ですよ」


という無難な言葉だけが出てきた。

 そんなメリヤナに、ルデルの不安が増したように瞳が曇る。


「……将来の王太子妃に何かあったら大変だ。知っての通り、ヴァルトを……エッセンを今回そなたの護衛として随行させる。だから、この手を……」


 誰かに取らせないでくれ、とルデルの願いはかき消えるようだった。


 メリヤナはただそれを無言で受け取った。

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