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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第12章:とある令嬢の顛落

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83話:三度目の別離(1)

 レッセル辺境侯ローマン邸は、静まり返っていた。訪ねると、街屋敷の管理人と最低限の使用人のみだった。調度には、埃よけの布がかけられていた。領地に戻ったというのは、ほんとうのことだとわかった。


 事務的な使用人に案内され、メリヤナはフィルクの部屋に赴く。彼も屋敷を去ったあとではないかと危惧したが、どうやらまだ滞在しているらしく、(はや)る心の臓を抑えた。


「——フィルクさま、ドール公女さまがお見えです」


 扉を叩いて使用人が言えば、なかから物音がする。それから数秒して、扉が開かれた。


「……入って」


 使用人が礼をして去っていく。メリヤナはフィルクの自室に入るのは、はじめてだった。外で会うことやメリヤナの屋敷で会うことが多かったし、案内されるのは図書室が多かった。成人したのちは、居を王宮の宿舎に移していたから、訪れる機会がなかったとも言える。


「お邪魔します」


 扉を開いたままにして、メリヤナは入室する。

 かけて、と促されて、天鵞絨(びろうど)の椅子に座った。フィルクもまた向かいに腰かける。


「——どうしたのさ、急に。先ぶれもなかったから、驚いた」


 フィルクの部屋は簡素だった。最近まであまり使われてなかったのがわかる。最低限の調度と装飾品があるだけ。そして、フィルクの格好はもっと簡素だった。外出着ではない。旅装で身を固めていて、あと少しでこの屋敷を去ろうとしていたのがわかった。


「どうしたのじゃないわ。わたしが来た意味、わからないの」


「うーん、ローマン家が田舎に戻ったこと? まあ、それは仕方ないさ。義姉さん……キリカの評判を守るためには致しなかった」


「ちがうわよ!」


「あ、なに、僕が仕事をやめたこと? まあ、金ならそこそこあるし、仕事なくてもやっていけるというか——」


「そんなんじゃないわ! なんで教えてくれないのよ!」


 とぼけるフィルクに、我慢の尾が切れて、メリヤナは叫ぶように訊いた。フィルクは驚嘆することなく、その様子を受け止める。

 メリヤナとちがった。余裕があるように見えて、いやだった。


「教える気はあったよ。ただ、色々と急に決まったから、やることが多かったというのが事実。手続きとか引き継ぎとか、そんな感じかな」


「でも、そうだけど……それよりも先に……」


「先に?」


 フィルクがわかっていて尋ねている。メリヤナをからかう時の雰囲気だ。

 むかついてくる。一方で、無性に名状しがたい悲しみが込み上げてくる。


「一番先に、わたしに伝えるべきでしょう。わたしとあなたは……そんな薄情な関係だった?」


 メリヤナが恨めしく睨みつければ、フィルクが笑う。


「言ってくれなくて、寂しかった?」

「……そうだって言ってるのよ」

「そっか」


 フィルクは満足げに肯いた。してやったり、という顔でもある。

 なんだかここまで来るメリヤナを予想していたような、そんな顔にも見えて、ひねくれた気持ちになってくる。むっとするメリヤナを楽しそうに見ているのだから、たちが悪い。


「そんなに怒らないでよ。きちんと話すつもりでいたから」


「……どうかしらね。ここを除籍になったっていう話も聞いたわ。辺境候の家から籍を抜けて、どうするつもりよ。それで、その格好でしょ! どこに行くつもりだったのよ!」


 苛立ちが盛り返してきて、語尾がきつくなる。

 変わらずフィルクは飄然としていて、世間話をするように答えた。



「エストヴァン」



「……え?」


「エストヴァン。生家に、帰ろうと思ってる」


 沈黙が襲った。

 振り子時計の音だけがする。


 失礼します、と案内をした使用人がお茶を置いていった。その場の空気は意に介さず、さっさと勤めを終えると、辞していった。


「なに、言ってるの」


 唇が震えるのがわかった。


 エストヴァンという言葉を理解する。解釈する。

 隣国。女神エストとヴァンニテの守護する国。王都フリーダと皇都エストリラの距離は、フリーダからサルフェルロとの距離に近い。早馬でも一週間近くかかる距離。馬車だと二週間はかかる。そんな距離だ。


 そんな遠い場所に行こうとしている。彼が。メリヤナの大事な友人が。

 次の言葉が、継げなかった。


「ほんとうだよ。だから、ローマン家から籍を外してもらったんだ。元々、そのうち生家には戻るつもりだったから、それが少し早まっただけ」


「…………」


「正確に言うと、仮の籍を外してもらった感じかな。生家の籍は、色々あって抜くことできないからね」


「……なん、で」


 早まったの、という言葉は続けられなかった。フィルクの言葉を一生懸命呑み込もうと、消化しようとするのに頭がいってしまう。口が動かない。

 だが、メリヤナの意図を察したフィルクが答えた。


「ここで、やるべきことが終わったから」


「……やるべきこと?」



「うん、君が処刑されるきっかけになったこと。もう片付いただろ?」



 今度こそ、メリヤナは返すべき言葉を失った。思考が止まる。停止する。何も考えられない。

 目を見開くメリヤナに、フィルクが優しい目を向ける。


「まずは、ルノワ宮中伯の存在だろ。これは色んな厄介事と一緒に解決。解決というか自滅かな。後ろ暗いことはするもんじゃないよね。

 それから、〈盟約の証となる報せ〉と王宮の見取り図問題だろ。このあいだ、メリヤナだと起動できなかったって話があったじゃないか。王太子にも王妃にも見てもらっているなら、証人になるからね。ついでにそこに見取り図もあるのがわかって、そもそもメリヤナでは侵入したり、転送できないことがわかったんだ。解決。

 あと、このあいだのサレーネとかいう女は、勝手に退場したからね。良かった良かった」


「…………」


「それに何より、王太子に告白してもらえたんだろう。もうここでは、何も怖いことがないじゃないか」


 フィルクがその時、台詞を読むように淡々と話していたことに、メリヤナは気付かなかった。呆然とする自分の思考を取り戻すのに、精一杯だった。


「だから、ここでやるべきことはおしまいだ」


 また、沈黙が流れた。


 あたたかい紅茶から湯気が出ている。湯気が室内に良い香りを出しているのに、メリヤナはそのあたたかな香りにほっとすることができなかった。


 ばくっばくっ、という自らの鼓動の音。

 でも、とか、だけど、とか、いや、とか否定の言葉は浮かんでくるのに、そのあとが続けられない。どうにか事実を否定しようとしても、それが的を射ているだけに、続けられない。


「わた、し……」


 この感情を、なんて言えばいいのかわからなかった。

 何も考えられないのに、苦しくて、胸が詰まるようで、あらゆる内の蔵を締め付けるようなそんな感覚をなんて言うのか、知らなかった。


「——でも、エストヴァンに戻れば、やるべきことが、ある」


 沈黙を破るように、フィルクが決然とした声音で言った。

 メリヤナは顔を上げる。そこに海の色、深い海の青紫の色に、込められている意志を見た。


「君のためにできることがある」


 強い意志を感じた。澄んだ青紫が語っている意志があった。


「わたしの、ため……?」

「うん」


 思考できないなかで、メリヤナは問うた。はっきりと肯くフィルクから、自分のためにフリーダを出て、嫌な扱いを受けてきたという生家に戻ろうとしてくれている、というのがわかった。その気持ちは、思考できなくても感じることができた。彼の決意を感じることができた。


「……でも」


 ただ、体が全身から拒否をしたくてたまらなかった。叫び出したくて、たまらなかった。

 行かないで、と言いたかった。

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