82話:茶会の噂話
「社交界って、毎年こんなに騒がしいんですの?」
ヨーチェが言った。秋から冬になりかけている風を受けながら、茶を啜る。日中であれば、寒くないが、ここのところ冷えてきている。間もなく、冬の雨季がやってくるのだ。
「……いいえ、今年はたまたま色々なことが重なっているだけです」
マイラがその問いを受けた。メリヤナが手ずから入れた茶を、ヨーチェと同様に啜る。
「色々なことがありましたものね」
ミリーが、かわいらしい声で同意を示す。
メリヤナが招待した私的な茶会だった。庭園には、四人しかいない。近くに公女たちの従僕や侍女等は控えているが、話が通る距離感にいるのは四人だけだった。
「色々なことのうちに、あなたのお騒がせ惚気話も入っているのよ」
ヨーチェが、頬を引っ張るような勢いで睨む。
ミリーは、えへへ、とルッサムのような笑顔を見せる。周囲に花びらが待っているようで、エイヨンとの仲が進んでいるのは、明白だった。
「今年は社交界……というよりは、国政の影響を受けて、社交界も騒がしくなっていると言ったほうがいいかもしれません」
「国政ねえ。あたくしは商人ですから、もちろん時勢は把握していますけれど、位家のあれこれというのは未だによくわからないところがありますわ。大騒ぎでしたもんね」
「そうね。宮中伯の更迭からはじまって、さらに三家が取り潰しに遭いましたから」
ルノワ宮中伯は、結局のところ、更迭に遭ってすぐに、一族共に監獄島へと島流しになった。一生、出てくることはないという。
「宮中伯は結局しぶとく生き残って島に行ったかもしれないけど、ファルナ伯家は最悪ですわよね。当主は獄中死。夫人とエオラさま以外のふたりは取り上げられた領地の平民に降格」
「……エオラさまに至っては、領地へと戻る道中で亡くなられたとか」
ミリーのか細い声に、メリヤナは苦いものを呑み込んだ。
火祭りでエオラに襲われたことは、皆知らない。エオラも処罰は受けていない。メリヤナがそれを望まなかったし、あの日は忍んで東王都にいたので、それがきっかけで東王都に出入りできなくなるのは困るからだ。東王都の警邏隊に任せると、その後は逃げるように帰途についた。
だが、ファルナ伯家は処罰を受けなければいけない。エオラもまた平民への降格となって、領地へと護送されていたが、護送された馬車が、道中の渓谷で落下したのである。なかにいたエオラも侍女のシェーラもひとたまりもなかった。
社交季がはじまる直前のできごとだ。
思い出すと、関連して様々な記憶がよみがえってきて、メリヤナは振り払った。
「そのうえ、この間は、マイラさまの屋敷での騒ぎですものね。ほんっと色々重なって笑っちゃいますわ」
「でも、あの時の王太子殿下の振る舞いは、とってもかっこ良かったとか。わたくしはエイヨンとおりましたから、見ておりませんけれども」
「すかさず、惚気ないでくださいまし!」
「やはりかっこ良かったのですか、メリヤナさま?」
ミリーが嬉しそうに微笑みながら尋ねる。隣でヨーチェがげんなりしていた。
「どうなの、メリヤナ」
マイラも楽しそうに尋ねる。
メリヤナは聞かれて、顔を真っ赤にして俯く。露台でのことを思い出してしまった。
「……あ、えっ、と」
「あたくしなんか忘れ去られて、放り出されてしまいましたもんね。殿下との円舞曲はそれはそれは見事で絵になりましたわ。ふたりで露台に行かれたあと、何をなさっていたの?」
ヨーチェが意地悪く尋ねる。
メリヤナはもう、顔中から火が吹き出るような勢いで耳まで赤くして、小さくなった。両手に埋まるメリヤナを見て、皆が察した。
ミリーが興奮したように両手で口を覆い、マイラはあたたかいものを見守る眼差しだった。
そして、ヨーチェは容赦がなかった。
「そのご様子で、なんとなくわかりましたけども……ここだから言いますが、メリヤナさま、さっさとローマン公子は手放して差し上げなくては。あれではかわいそうですわ。公子に同情いたします」
「ヨーチェさま、それはどういうことです? メリヤナさまとローマン公子?」
ミリーが、リスのようにきょろきょろと首を振って尋ねる。野次馬精神が垣間見えた。
「……フィルクとはそんなんじゃ、ありません。大事な友人というだけです」
メリヤナが赤くなったままの顔を覗かせて、絞り出すように言えば、
「あら、でも、火祭りの時はそんなふうに見えませんでしたわ。それに、メリヤナさまがそう思っていても、ローマン公子がそう思っているかはわかりませんもの」
ヨーチェはすかさず切り返した。
「距離を空けたのではなかったの?」
マイラは、ヨーチェの言葉を聞いて、メリヤナに確認した。
メリヤナは罰が悪くなったように口ごもる。もごもごと小さく応える。
「マイラが言うように、あまり頻繁に会わないようにしているわ……火祭りは、たしか三週間ぶりに会う日だっただけであって……」
「異性と行く火祭りねえ。平民たちのあいだでは異性と行くって、そういうこと、ですのよ。メリヤナさまから誘ったのであれば無知ですし、ローマン公子から誘ったのであれば意味深ですわ」
ヨーチェは遠慮がない。
なんとも言えない沈黙が四人のあいだを抜けていく。
「——ということは、ローマン公子が職を辞されたのは、先日の夜会での様子を目撃したうえでの、失恋の痛みということですのね」
お労しいわ、とミリーが言う。
メリヤナはその言葉に、一瞬で思考が冷えた。
「え……?」
顔を上げたメリヤナに、ミリーは付け加える。
「実は、兄がローマン公子と同じ外交局で働いているんですの。ですから、兄より聞きまして。出世頭が辞職したとかで、局長はじめ上へ下への大騒ぎになっていると聞いていますわ」
数日前のことです、と締めくくられた。
呆然として言葉が出てこない。
メリヤナは聞いていない。何も聞いていなかった。
動揺が漣のように押し寄せる。
「——そしたら、それも関係あるのかしら。公子が、ローマン家から除されることになったとも聞いているわ」
マイラが、悩ましく言う。
「元々養子でいらっしゃいましたものね。ルノワ宮中伯家と、姉君が離縁されて、レッセル辺境候位家は今回の騒動での延焼は免れましたけれど、領地にお帰りになったから、何かあったのでしょうか……」
「それだと、辻褄が合わないでしょう。ローマン公子がレッセル家から籍を抜けたことと、辞職したことは関連性があるけど、それで一家が領地に帰ったのは別の問題。メリヤナさまならご存知じゃなくて?」
ミリーの邪推を切り分けたヨーチェがメリヤナに尋ねる。
顔が蒼白になった。
「……わたし、何も聞いてない」
メリヤナは胸中の動揺そのままに、ぽつりと答えた。
何がいったいどういうことだろう。
ひとつも、聞いていない。何ひとつ聞いていない。
友人なのに。大切な友人なのに、そんな大事なことを何も聞いていなかった。
「メリヤナさまが聞いていないということは、きっと誰も理由はわかりませんわねえ」
「やっぱり、失恋……」
「メリヤナ?」
がたっ、と椅子から立ち上がったメリヤナに、マイラが訝しむ。
「ごめんなさい、出かけて参ります」
最低限のその場を辞する言葉を残すと、メリヤナは身を翻した。着の身着のまま、屋敷を飛び出す。控えていたカナンや御者に命じると、馬車を出した。
あとには、ぽかんとした、マイラ、ヨーチェ、ミリーだけが残された。
「今の顔見まして? 尋常ではない顔をされていましたわ。あれが、友人という関係に当てはまるんですの?」
「えっ、えっ、もしかして、殿下との泥沼……」
「はあ……殿下には、伝わらぬようにしなければ……」
三者三様に、この場を評価した。




