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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第12章:とある令嬢の顛落

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81話:断罪の再現(2)

 メリヤナは耳を疑って、顔を上げた。

 再現されるはずのできごとが、起きない。


「そなた、名は?」


「あ……、サレーネ・リデュルと申します……」


「そうか、ではリデュル嬢、尋ねる。そなたに膝を付かせるほどのことを、メリヤナとマイラーラは行ったのか?」


 冷然とした声が、その場を轟かせた。

 楽団の音も止まる。周囲だけでなく、会場全体が、静まり返っていた。時が止まったかのように、誰の身じろぐ音さえ、聞こえなかった。


 サレーネが、歯の奥をがたがたと言わせる。今の自分の立場に言葉を失う。


「——答えよ。どうなのだ?」


 ルデルの言葉が、断罪のように響く。


「……い、いえ、わ、わたくしの行いを……たしなめて、くださった、だけで……」


「それから?」


「も、申しわけござ……」


 サレーネはそれ以上、言葉を持たなかった。目尻に演技ではない涙を浮かべ、その場に崩れるように、膝をつく。布のかたまりに埋もれる。

 それをつまらないものを見るように、ルデルが見下ろしていた。


 ——その場面は、かつてメリヤナが経験した場面だった。


 サレーネの立場は、メリヤナだった。今起きているできごとが、信じられなかった。


「はあ……」


 ルデルの大きな溜息が聞こえた。時が、動き出す。

 ルデルはマイラに向き直って、ひとつ命じる。


「マイラーラ、この者はどうやらまだ社交界に顔見世するのは、()()()()()()()()。今日は、衣装が汚れて、もう夜会を楽しむことはできないだろう。見送ってやれ」


 その王太子の言葉は、とどのつまり、社交界からのしばらくの放逐(ほうちく)を示していた。


 意味を解して、会場全体が揺れる。メリヤナも驚いて、ルデルを見上げた。その横顔にはなんのてらいもなく、この騒ぎを収めるのに当然のことをした、と言っていた。


「——拝受いたしました、殿下」


 マイラは膝を軽く曲げて、応じる。

 隅に控えていたハルヴィス家の従僕に目顔で合図を送ると、サレーネを立たせて、マイラはその場を去った。


 意気阻喪(いきそそう)し、茫然自失したサレーネの背中が、会場から見送られた。



 ——やり直しをはじめてから、この何年以上も、その存在が現れるのを恐れていた。



 その存在が現れれば、今までの努力は水の泡になり、覆されると思っていた。

 いつ現れるのか。

 あと何年だろうか。

 またもや、メリヤナから最愛の人を奪うのだろうか。


 わたくしを、死に追いやるのだろうか。



 ——そんな恐怖の存在の、呆気ない幕引きだった。



 メリヤナは、現実を受け止められず、どこか雲の上を歩いているような、自分の体が自分のものではないような感覚に陥る。サレーネが見送られた扉を見つめる。



「——メリヤナ」



 そんなメリヤナを、現実に引き戻すように、ルデルがメリヤナの右手を取る。それから片膝をついて、その甲に口付ける。


「せっかくの舞踏会が白けてしまった。仕切り直しに、私と踊ってくれるか?」


 ルデルから見上げられて、かつての思い出が、頭のなかを走馬灯のように過ぎていった。

 苦しかった時のこと、悲しかった時のこと、どうしようもなく恋しかった時のことが思い出される。


「——はい、ルデルさま」


 メリヤナは頬を染めて、泣きそうな声で応じる。


 火刑に処される前のメリヤナが、応じた。今のメリヤナの出番では、なかった。


 ルデルに手を引かれる。楽団が、円舞曲(ワルツ)を奏ではじめる。

 中央に躍り出て、招待客たちに見守られながら、メリヤナはルデルとの一曲を夢見心地で踊った。

 葡萄色の裾を広げて、ルデルとの円舞曲を舞う。ルデルの衣装は臙脂色で、はたから見ると、定められた一対のようだった。


 長いようで短く、短いようで長い、そんな一時だった。

 踊り終えると、拍手喝采がメリヤナとルデルを包んだ。


 沸き立った会場は、再び人々の雑談と楽曲で騒がしくなる。


「少し、外に行こう」


 ルデルの提案に、メリヤナは頬を染めたまま、一も二もなく肯く。


 手袋越しの手を引かれた先は、窓布(カーテン)越しに見える露台だった。一面には〈緑の湖畔〉が見え、左手にフリーダの王城が見えるのは、メリヤナの屋敷とは異なる。メリヤナがこよなく愛している景色だった。


 秋風が、踊って火照った顔を少し冷やす。舞踏会のざわめきは、薄紗の窓布の後ろで、明るい舞踏の間からは、誰からも覗かれることのない場だった。


「災難だったな」


 ルデルが話しはじめる。メリヤナは苦笑した。


「マイラを助けるつもりが、ルデルさまに助けられました。ありがとうございます」


「あの娘はなんだったんだ。やたらと媚を売るような目を私に向けてきた。不快極まりない」


「王太子殿下とお近づきになりたいものは、多いものです。たまたま今日が彼女だっただけですわ」


「ばかを言う。私にはこれほど、愛しい婚約者がいるというのに」


 ルデルが不意に、メリヤナのつながれていた手に唇を寄せて言う。そこから、沸騰するように朱が昇った。


「ルデルさま……っ」


 メリヤナが抵抗を示すと、ルデルは反対の腕で、メリヤナの空いている腕を引いた。ルデルとの距離が信じられないほど詰まった。鍛えられた胸板に頬が当たる。見上げれば、すぐそこに、ルデルの顔がある。そんな距離感だった。


「——あなたの応えを、まだもらっていない」


 サルフェルロでの告白が思い出される。


『——あなたを、愛している』


 上から、じっと見つめられているのがわかった。どきっとして、心の臓が早鐘を打つ。顔を上げられない。

 メリヤナが固まっていると、両手を絡め取られた。絡め取られたまま、今度はルデルが膝を曲げた。固まっているうちに、メリヤナの視界にルデルが迫る。跪く位置で、今度は下から距離が詰められた。


「あなたは、私の……婚約者だ」


 メリヤナが意味を解しているうちに、それは起こった。


 ルデルで視界がいっぱいになる。(あらが)うより先に、唇を重ねられた。

 メリヤナは、それを呆然と受け取る。両手を引かれれば、なすすべもなかった。均衡が崩れて、まるでルデルに自分から口付けているような格好になった。


「ん……っ」


 目を瞑る。自分のなかで、何かが抵抗した。

 一方で、それを恍惚と受け入れる自分がいた。ルデルによって絶望に貶され、ルデルによって救われた自分。彼女が、ルデルの唇を受け入れた。


 抵抗がなくなる。彼女に支配される。燃え尽きたはずの彼女。灰となったはずの彼女が、メリヤナを乗っ取る。


 血に刻まれた〈唯一〉という呪いが、体中を支配していくようだった。


 抵抗を示そうとしていた自分が、自分でないようだった。

 首を振る自分が後ろに追いやられる。


「ル、デル……っ、さま」


 息の継ぎ間に、抵抗を示そうとして、呼吸が乱れた。おそらく今、自分はとてもしどけない顔をしている。

 そんな顔に、悦を覚えたように、ルデルが囁いた。


「メリヤナ……」


 二度目も、抵抗できなかった。まるで、積極的に受け入れているようにも見える。そんなふうに見て取れる図だった。

 


 ——それを、フィルク・ローマンは見ていた。



 フィルクは、サレーネとメリヤナが話しはじめた頃から、注意深く様子を伺って、入り込む場面を狙っていた。メリヤナがどんな気持ちで女と対峙しているのか思えば、機を逃すわけにはいかなかった。


 空気がメリヤナに傾いていることに安堵しかけたのが良くなかった。


 王太子が、すべて場を持っていってしまった。メリヤナも、その手も。


 いなくなったふたりが気になって、追った。自分の視界に入れておかなければ、気がすまなかった。見張っておかなければ、何かが起きそうで、間諜の真似事のように、さり気なさを装って、ふたりを追った。


 だから、ひとつ空いた先の露台で、それを目にしてしまった。


 王太子とメリヤナの唇が重なる瞬間。彼女が自らそれを行う瞬間。

 自分とは、なかった関係性。自ら望む関係性。


 視界が真っ赤になる。思考が黒く塗りつぶされる。押し込めていたものが、噴き出しそうになる。どろりと這い出てきたものに、胸骨が軋んでいく。


 今にも、懐に常に忍ばせてある短刀を放り投げて、王太子の頭を突き刺したい気持ちに苛まれた。おそらくメリヤナの背が見えなかったら、ほんとうにそうしていた。そうするだけの技も、フィルクは、持ち合わせていた。


 メリヤナと合嘴(ごうし)を続けながら立ち上がった王太子の視線が、ふと自分に定まった。的確に、フィルクを捉えた。


「……っ!」


 目が、(わら)っていた。フィルクを見て、手出しできないだろう、と冷笑していた。そのまま彼女の唇を味わうようにする。


(——そうか)


 そっちが、その気なら仕方ない。

 一歩引こうとしていた。引き下がろうとしていた。彼女のことを考えるなら、それが一番だった。だから、準備を進めていた。彼女のためになることを。ただ、彼女が恐怖せず幸せになることを願って。


(だが——、)

 

 王太子が、その気であるならば、致し方ない。フィルクから奪うのであれば。それをわかって、あえて振る舞うのであれば。


 軋んだ胸骨から、黒い煙が出る。煙が体中を満たしていく。 


 迷う必要は、なかった。


一瞬のざまぁ、でした。

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