80話:断罪の再現(1)
メリヤナとヨーチェが別室を出ると、舞踏の間の中央に人だかりができていた。
「——それは、どういう意味ですか」
メリヤナの鼓膜に届いた声に、記憶が、どくんっ、と呼び起こされた。
聞き覚えのある声。
あでやかにも鈴のようにも聞こえる、張りのある声。
その声を、知っている。その声をいやでも覚えている。かつての記憶が喚起される。
「——どういう意味もございません、リデュル令嬢」
マイラの、いっそ傲然とも聞こえる声が、その場に響く。
メリヤナたちがエイヨンを引き離しているあいだ、次の作戦が進んでいた。
マイラが、リデュル令嬢——サレーネをつかまえていたのだ。
「あなたの振る舞いは、社交界の気風を乱します。その礼儀知らずな振る舞いをあらためなさい」
メリヤナが人だかりを覗いたのは、マイラがそう言い放った時だった。
フリーダでは珍しい黒い髪。ソルアを思い出すが、ソルアとは異なる。ゆるくうねり、絹糸のように光沢があった。その髪を半分まとめあげて、残りの半分は、前衛的な衣装で大胆に出されている背中を、隠すように流れ落ちていた。真っ青な衣装には一部の装飾があるのみで、きらきらと星のように輝く宝石が裾全体を輝かせていた。
メリヤナは思い出す。
このサレーネの魅力。
この衣装を着こなす不敵さ。
年頃のかわいさも持ち合わせながら、大人びた雰囲気。
彼女をなめてはいけないのだ、と。
「……申しわけございません」
通る声が言う。この場の注目を自分に向けるかのように。
「そう……だったんですね。わたくしはまだ顔見世をしたばかりで、社交界に疎いものでございますから、気易く男の方とお話をしてはならないんですね」
「あなた……」
「婚約者や許嫁がいるなんて知らず、恥知らずな真似をしました。申し訳ないです。皆さま、相手の方との関わりを悩んでいらっしゃいましたから、お力添えができないものかと、ただただそれしか考えておらず、社交界であることを忘れてしまって……」
サレーネは弱々しく言った。大人びた雰囲気のなかにか弱さを垣間見せる。それが、サレーネのやり方だ。
暗に、社交界のことばかりしか考えないのか、とマイラに言う。困っている人を助けているだけなのに。向こうがきっかけでしかないのに、と。
ざわざわ、と周りが静かにささやきはじめる。
「かわいそうな令嬢」
「思いやりのある方なのですね」
「それに比べてマイラさまは……」
「礼儀にうるさい方ですから」
「しっ、今日は公位家主催の舞踏会ですよ」
嫌な空気が周りに流れる。それを感じ取れないマイラではない。この場の空気を受けて、一歩、後退る。
こうやって周囲を味方にする。か弱さを見せて、悪いのは自分を非難するほうだと言うのだ。無意識にやっているようで、計算して周りを自分に巻き込んでいく。分が悪くなっていたものを取り返していく速度が尋常ではないのだ。
マイラが立たされているのはかつての自分で、だからこそ、呆然と見ていられるはずがなかった。
メリヤナは、凛と、割り込んだ。
「——それであれば、今日、知ることができて良かったですね」
人だかりが、メリヤナの存在にはっとする。
「公女さま」
「ドールの姫君」
「運命の乙女」
人々が自然と、メリヤナが進む道を空けた。メリヤナはそれに応じ、歩を進める。背筋を伸ばす。決して、見くびられず、巻き込まれないように。
「リデュル令嬢、勘違いなさっているようですが、マイラが言ったのは、社交界での振る舞いのことです。あなたがどんな思いで振る舞われようとも、見られるのはその振る舞いです。サール公位家の人間として、マイラはあなたにそれを教えたまで」
歩み進んできたメリヤナの顔を見て、サレーネは驚愕にその目を見開いた。
信じられないものを見た、と言わんばかりの顔だった。まるで、メリヤナがこの場に割り込むことや発言することはありえない、と思っているような顔だった。
たしかに、かつてのメリヤナであれば、興味を持つことはなかっただろう。関心は婚約者であるルデル一点のみに注がれていたのだから。だが、今のメリヤナはちがう。
(友人を貶めるようなことは、許せない)
動揺を見せるサレーネに、メリヤナはあくまで優雅に、葡萄酒色の衣装に映えるように笑って見せる。
「ゆめゆめお忘れなきよう、ドール公位家のものとして、わたくし、メリヤナ・グレスヴィーもあなたにお伝えさせていただきますわ」
「で、ですが……」
声が震えていた。サレーネはこの場をどうにかしようと口を開こうとする。
「これ以上、何かおっしゃるのは、言いわけのように聞こえます。あなたが貴族であるなら、何もおっしゃらないほうが身のためですよ」
メリヤナは、ぴしゃりと言った。
しん、と場が静まった。
サレーネは唇を震わせて、メリヤナを凝視していた。メリヤナはそれを悠然と受け止める。
(もう、あなたに、呑まれたりしない)
かつての自分の愚かさとサレーネの醜悪さへの、反抗だった。
周囲は、ほう、とメリヤナの発言に惹きつけられたように息を引いた。
——だが。
場が悪いことに、さらに、ひとつの声が割って入った。
「——何かあったのか」
その声に、今度はメリヤナが凍りつく番だった。
驚く。聞こえるはずのない声に。貴族の夜会に招待されるはずのない声に。
けれど、ここはサール公位家の夜会だった。マイラと彼の親戚関係を思えば、招待されることはなんらおかしくはない。
王太子ルデルアンが、そこにはいた。
メリヤナが割って入ってきたように、ルデルもまた人だかりを割って、中央に入る。
メリヤナとマイラ、そうしてサレーネを順繰りに見やって、問う。
「これは、いったい……?」
「殿下」
「ルデルさま……」
マイラとメリヤナが登場した王太子に淑女の礼を行う。周囲にいる人間もまた礼を取った。サレーネだけが悄然とした様子を隠しもせず、最後に礼をした。
靄のように広がる不安があった。
この場を見て、ルデルはなんと思うだろうか。
不安が、怖れに代わっていく。靄が広がり視界を霧のように埋めていく。
「実は——」
「わたくしが悪いのです。申しわけございません」
マイラが説明をしようとしたところに、滑り込むように通る声が言った。涙は浮かべないが、儚げな様子で続ける。
「王太子殿下とお見受けいたします。わたくしが至らぬばかりに、サール公女さまと、ドール公女さまにお叱りを受けたのです。このようなお見苦しいところをお見せして、申しわけございません」
そう言って、両膝を付いて見せた。
また、周囲が沸く。
メリヤナとマイラに好転していた空気が、サレーネのほうに再度傾くのがわかった。
両膝を付く、というのは最大限の謝罪を意味する。令嬢に、両膝を付かせるほどの伝え方をした、とも取れる構図だった。メリヤナもマイラもそこまでの言い方はしていない。だが、サレーネがそうするということは、サレーネがそれほどのことと受け取った、ということである。位家の人間が、等位貴族に対して身分を振りかざした、そう見えてもおかしくない空気感を作り出していた。
周囲からの視線が、マイラと、特にメリヤナに刺さる。殿下の前でこのような騒ぎを。責任を取れ、という無言の圧力を感じる。
なんと滑稽な話だろう。
いとも感嘆に周囲を操る。周囲もまた、なびく。烏合のように。
メリヤナは内心で笑いそうになって、一方で、強烈な恐怖で歯の根が合わなかった。言葉が出てこない。喉の奥が凍りつく。
過去の経験が、メリヤナをそうさせていた。
似たような、場面があった。あれはそう、いやあれも、サレーネと初めて言葉を交わした場面だった。
サレーネが、ルデルにまとわりついているという話を、当時の口さがない友人たちより聞いて、見せしめのように周りに人が多くいるなかで注意した。婚約者という立場を使って、注意というよりは、罵ったのである。そうして、サレーネは今のように両膝をついたのだ。
そうして、同じようにルデルが現れて、
『私の婚約者が申しわけないことをした』
と、サレーネの手を取ったのである。手を取り、彼女を立たせて、侘びと言って踊りはじめた。
あの光景を目にした瞬間から、メリヤナはおかしくなった。狂ったのだ。
——その場面が、また再現されるようとしている。
ルデルが、サレーネに近づいた。近づいて彼女を立たせる。サレーネが、うっとりとした様子でルデルを見上げる。見ていられずに、ぎゅっと目を瞑って顔を背ける。
そして、ルデルは、
「——そなたに、そこまでのことをさせるほど、私の婚約者も、従姉妹も、言ってないはずだが?」
睨みつけるように言い放った。




