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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。  作者: 稿 累華
第11章:火祭りに出向きましょう

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74話:灯火占い

「そうね。昔はよく乗ったものね」


「メリヤナはあの頃、驚くと立ち上がるくせがあったから、舟に乗っている時には話題を選ばないとなーって思ったもんだよ。危うくひっくり返って落ちそうになったことが何回あったことか」


「そんな何回もないわよ」

「覚えてないだけだろ」

「結果、一度もひっくり返らなかったからいいのよ」


「それ、今日で成就させないでよ。占いの結果に驚いてひっくり返さないように」

「失礼しちゃうわ」


 メリヤナが眉間にしわを寄せれば、フィルクは、どうだか、と言った様子で肩をすくめた。

 数秒、間があってから、ふたり同時に吹き出した。どちらともなく笑い出す。舟に乗ると、昔の思い出が彷彿とされる。


「そういえば、最初に会った時、リヤは灯火占いで王太子との未来を視たって言ってたよね。今思うと、あれはかなり苦しい言いわけだ。当時だから騙されたけど、今なら絶対に騙されない」


「あら、そんなこと言ったかしら?」


 メリヤナが澄まして言えば、


「言ったよ」


とフィルクは不貞腐れたように言う。まさか忘れたの、と疑っているようだった。


「もう冗談よ、冗談。ちゃんと覚えているわ。あなたと話したことは、わたし全部覚えてる自信があるわよ。ひとつひとつが大切な思い出なんだから、一言一句再生できるかもしれないわ。なんならしてあげましょうか?」


「……へえ」


「信じてないでしょ」


 今度はメリヤナがむくれる番だった。眉を寄せれば、ぐいっと櫂を引きながらフィルクは否定する。櫂を漕ぐ力は、昔とちがって、強く、大きかった。


「信じてるよ。ちがう。ただ……君は……、その、予想しないところで、なんていうか……はあ」


 湖岸の祭りの火が逆光になって、フィルクの顔はよく見えない。隠すように横を向くものだから、余計にわからなかった。歯切れが悪く、なんとなく困っているような様子があったので、メリヤナは話を切り替えることにした。

 ちょうど聞きたいことがあったのだ。今は湖のうえだから他に誰も聞く人はいない。


「ねえ、フィル」

「ん……?」


 横を見ていたフィルクがメリヤナに向き直る。話題が移り変わるのにほっとしているようにも見えた。


「——ルノワ宮中伯と、ファルナ伯や他二家のことって、あなたの仕業……?」


 メリヤナはまっすぐ見つめた。その真意を探るように。フィルクの帯びる空気を読むように。

 変わらず表情は見えなかったが、大きな変化はなかった。湖面にできる当たり前の波紋のようにいらえる透き通った声があった。


「……君の憂えを、ひとつでも取り除きたかったんだよ」

「うん……」

「君が処刑される運命を変えたかった」

「……うん」


「……リヤは、僕が、こわい?」


 ただ肯くだけのメリヤナに、不安になったような声が尋ねる。

 メリヤナは尋ねられて自分の心を覗き込む。そこにあるものを見て、メリヤナは強く大げさなほどかぶりを振った。大丈夫だよ、と安心させるように。


「ううん、こわくない。むしろ、感謝をしているわ。ずっといつか、突然罪を着せられて殺されるんじゃないかって思ったから、フィルがやってくれたんだって聞いて、感謝している。ありがとう」


「……ん」


「ただ、正直な気持ちを言えば、最初それに思い至った時は、こわいというか恐ろしかったかな。その……あなたがいやだっていう感じの恐ろしさじゃなくて、敵にしちゃいけない人だーっていう恐ろしさ。わかる?」


 メリヤナが真摯に自分の気持ちを語り、諧謔を交えて訊けば、向かいのフィルクの不安な空気はやわらいだ。


「君が、僕を敵にするなんてことある?」


「あるかもしれないわ。何かを賭けたりとか、それから競争とか? あー、考えるとわたし、絶対にかなわないなー」


 思うだけで気持ちがふくれそうになった。

 フィルクが、なんだそれ、と笑いながら続ける。


「そんなこと言ってるけど、僕はいつも君にかなわないよ」

「ええっ? そんなことあった?」

「いっぱいあるよ」

「えーっ、いつのこと?」

「教えない」

「何それただの意地悪じゃない」


 ほら、かなわないのはわたしのほうよ、とメリヤナは頬を膨らませる。

 メリヤナの膨れ面がおかしそうに、フィルクは笑った。


「——この辺にしようか」


 湖の真ん中で、フィルクは櫂を動かすのを止めた。あたりにはあまり小舟は見当たらない。少し離れたところに、二、三艘あるだけだった。みな灯火を放っていて、遠目でも美しい。

 苔や緑藻の匂いが辺りに充満している。


 燐寸(マッチ)を取り出すと、火を付けた。すぐに紙縒(こより)を取り出して顔から少し離したところに距離を取り、先端に火を灯す。


 ぱちぱちっと、火花がたくさん散った。ちりちり、と音を立てて花のような橙色の光を撒く。


「うわあ……っ、きれい」


 メリヤナは感嘆して言う。もう少し近くで見てみたかったが、顔に近づけすぎると危ない。舟の上も火花が散りそうで、心持ち湖面のうえに近づけていきながら見た。


「……そうだね。光の、花みたいだ」


甘橙(オレンジ)とか、扁桃(アーモンド)の花ではないわね。もっと花弁が細かい薄雪草(うすゆきそう)みたいな花だわ」


 そうして眺めていると、しばらくして花はしおれ、丸いぽったりとした形になった。硝子を火に入れて溶かした時のような色と形だった。


「そろそろだね」


 フィルクがそう言ったのを合図のように、ふたりの硝子玉が、ぽたんっ、と音を立てて湖に落ちた。落ちた先を覗き込む。覗き込みすぎて舟が傾がないように慎重に重心を移動させながら、波紋の描く先を、視た。



 紋が線を描き、うつるのは、灰色の山。ところどころから湯気や煙のようなものが立ち上がる。荒涼とした土地。枯れ草と岩ネズミ、灰トカゲしかない。


 ぽたんっ、とまた水紋が線を描く。次に映ったのは、もうもうと煙が立ち上がる場所。さきほどよりも高度が上がった場所のようだった。噴気口なのか火口なのか、そこには岩漿(がんしょう)が出ているように見える。


 その火口近くに、佇む影があった。髪は白金で、ふだん束ねられている髪がすべて下ろしてあるのが印象的だ。そう思った次の瞬間、影が滑り落ちた。自ら落ちたようにも見える。


(——だめっ!)


 心のなかで叫ぶ。


 落ちた影と共に、ぽたんっとまた水紋が描かれる。そこには自分とルデルが手を取り合って五つの花弁のある花を模した白い衣装を着ていた。ルデルが幸せそうに笑んでいる。一方メリヤナは——……



 そこで、波紋は途切れた。

 現実に戻ってきたように、遠い喧騒や水面の音が耳のなかに入ってきた。


「リヤ……? どうかした?」


 一瞬で汗が吹き出たようだった。脂汗が額や背中を伝っているのがわかる。口元を覆って叫び声が出そうになるのを懸命にこらえた。


(今、のは……なに?)


 これは未来なのだろうか。なんの未来だろう。

 あの火口はどこだ。そして、あの飛び込んだ人物は……


 メリヤナは恐怖とともに、フィルクを見やる。フィルクが心配そうにこちらを見ていた。


「何か悪いものでも見た? もしかして、過去と同じような?」


「ち、ちがう……それは全然、ちがったの。だけど、だけど……なんて言えばいいのか、わからない。ただ、経験したことのないもので、あれが何なのか……説明できない」


 自分とルデルも視た。ルデルは笑んでいて、白い、まるで婚姻式のような衣装をまとっていた。隣にいる自分もそうだ。だが、自分の表情は見えなかった。あの未来はありえるのだろうか。あの未来がこれから起きるのだろうか。


 息ができなくなるほど、苦しい未来だった。


「……戻ろうか」


 これ以上動揺しているメリヤナから、引き出せるものはないと思ったのだろう。フィルクが静かに櫂を動かしはじめる。


 どくっどくっ、と心の臓が波打っていた。その鼓動と一緒に、左肩の痣が焼けるように、締め付けるように痛んだ。何かを知らせるように。何かを諭らせるように。フリーダ神が駒を進めているようだった。


 櫂が調子よく漕がれると、定期的な振動が気持ちを落ち着かせていった。

 ふとメリヤナは気がついて、フィルクに問う。


「そういえば、フィルは何を視たの?」


 櫂を漕ぐ手が止まった。数秒止まって、すぐにまた再開される。再開と共に答えがあった。


「……別に。僕にとってあまりにも都合の良すぎる未来だよ」


「都合の良すぎる……?」


「ありえない未来だ。起こり得ない未来……きっと、僕の願望が見せたんだよ」


 占いだから当たらないこともあるしね、とフィルクは言い終えた。それ以上は聞いてくれるなと言っていた。

 なんとなく気まずい空気になって、桟橋に戻る。祭りの喧騒が急に他人事のように感じた。


「ちょっとお腹空いただろ? その辺で何か買ってくるよ。喉も乾いただろうし、なんかいいのを見つくろってくる。リヤはここでちょっと休んでいて」


 桟橋から離れて少し人気の少ないところだった。東王都の入り口に近く、祭りに人が取られているから、人気はほとんどない。篝火の爆ぜる音と、秋の虫たちの声が心地よい。


「え、わたしも行くよ」

「いや、君は休んだほうがいいよ。顔色が悪い」


 ここで待っているように、と指示されるように言われると、メリヤナは待っているしかなかった。露店を見て回ると、気まずい空気も払拭できそうだったが、たしかにちょっと休ませてもらうほうが良いかもしれない、と最終的に判断する。


「わかった。わたしの好きなの、よろしくね」

「任せといて」


 フィルクが笑めば、気まずい空気が少し霧散したようだった。

 背中を見送ったのち、湖をぼんやりと見やる。さきほどの光景を思い出す。


 火山、だろうか。火山といえば、エストヴァンの西の果てにあるヴァンス火山しか思い浮かばない。ここからはかなりの距離がある。サルフェルロよりもずっと遠い。


 そんな場所に、なぜ彼は——フィルクはいたのだろうか。そして、なぜ火口に身を……


 思い出すと、吐き気がするようだった。悲しみ。そんなものだけではない。慟哭。体をずたずたに切り裂かれるような、喘ぐような苦しみだった。思い出すだけで、また嫌な汗が吹き出てくる。鼓動が早くなる。


(大丈夫。現実じゃない。今じゃない。大丈夫。あれは現実に起きない。起こさない。大丈夫)


 メリヤナは自らに念じるように言い聞かせる。大事な友人を失うようなことは起きない。自分が防ぐのだ。彼が防いでくれているように。防いでもらったから、あんな未来が視えたのだ。自分が焼かれるのではなく、異なる未来が。だから、今度は、メリヤナが恩返しをする番なのだ。

 そう自らに強く言い聞かせる。鼓動は落ち着いていく。やれることはある。きっとやれることは……



「——ドール公女さま、少しよろしいでしょうか?」



 それから起きたできごとの衝撃で、メリヤナは灯火に視たものを忘却に沈めることになる。浮上するのは、白い婚姻式の衣装が話題にあがる、その時のことになるのだった。

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