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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第10章:巡察使

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64話:風音の告白

 青嵐(せいらん)が気持ちの良い日取りだった。どこまでも晴れ渡った空が、遠く霊峰ゴザンの山嶺をも映し出す。(とび)が鳴く声が草地に響き、紫のアザミが咲き誇っていた。


 その日、儀式は執り行われた。


 式を進行するのは豪奢な装いをしたソルアだった。神聖なる身の代表として選ばれたのであろう。各国太子と巡察使はそれぞれの国々の正装を身にまとい、儀式には今回の協議のために足を運んだすべてのものが集まった。メリヤナとイーリスもまた正装に身を包んで列席した。


 サラル文字が彫られた漆黒のなめらかな岩が、只中にあった。さらにその中央に銀の(さかずき)が置かれ、その盃もまたサラル文字が刻まれていた。


 ソルアが酒壺を傾け、盃に馬乳酒が注がれる。何言かを呟いたのち、ルデル、ユステル、ユニルそれぞれに文字が刻印される短剣を差し渡す。


 ユニルは受け取った短剣をいっそ清々しいほどに自らの掌に向けて使った。どぷりと血が湧き、握って盃に落とす。見本を見せるかのような仕草に、ルデルとユステルも倣った。


 三人分の血が入った盃に、ソルアが恭しく礼をし、また何言かを(つむ)いだ。



 変化は起きた。



 ごぷっ、と音がすると、なかで赤と青が混じり合い紫の光となって盃が淡く発光する。発光したまま中の液体が沸騰したかのように揺れ、そのまま盃から溢れた。溢れたものは黒岩に伝い、掘られた文字を埋めるように液体が流れていく。


 黒岩から零れ落ちたものは、生き物のように動いて、草地を這い、血を注いだ三人のもとへ辿り着いた。紫の光は量を増していく。


 ソルアはそうしたなかで黒岩から盃を持ち上げた。そのまま、それをユニルに渡す。(うごめ)き発光する液体を、ユニルは躊躇なく口にした。盃をソルアに戻すと、ソルアは今度はユステルに運ぶ。ユステルは一瞬睨むようになかを見たが、すぐに盃を口にして、またソルアに戻した。最後がルデルだった。


 メリヤナは固唾を呑んで見守った。


 他のふたりよりも間があっただろう。その間を乗り越えて、ルデルは盃に口をつけた。


 ソルアが盃を黒岩に戻すと、光量がさらに増した。増して、目が眩む。堪えられそうにないと瞼を閉じようとした瞬間、ぱんっ、と弾けるように光が消えた。あとには、鱗粉(りんぷん)のような細かな光が宙を舞っていた。


 ルデルたちの肌に変化が起きる。淡く光ると、ルデルの左手の甲に唐草のような痣が浮かぶ。ユステルは首筋に、ユニルは今の左頬から生えるように痣が伝った。


 すぐに発光は収まって、刺青のようになる。


「終いだな」


 ユニルが放った言葉が合図になったかのようだった。

 太刀風が吹いた。霊峰からの風に、視線を向かわせる。



 そしてそこに、——いた。



 ——霞が凝固したような姿だった。緋色の眼をした黒馬。黒い(たてがみ)が棚引くように揺れている。

 ()()は、ゆっくりと儀式の場に蹄を向かわせた。


「ファダだ……」


 驚嘆したような誰かの声が霧散する。


 ユニルという男は、およそいかなることにも驚かぬ豪胆さを持ち合わせていたが、この場においては黒馬と同じ眼を見開く他なかった。


 黒馬は睥睨(へいげい)するように辺りを見渡してから、その眼はメリヤナを見つける。それから誰にも悟られないよう目礼した。メリヤナは内心で訝しむ。


 黒馬は、ルデルたち三人の周囲を一周すると、霊峰ゴザンのほうに帰っていくかのようにたち消えていった。


 現れたのは、黒馬だけではなかった。


「おい、あれは!」


 黒馬が立ち消えるのと同時に、対の場所に立つように、鉾を構えた銀の女が佇んでいた。女は、今にも足音を立てそうな鉄の靴をこちらに向けた。


 中央まで来ると、ルデルたちを視界に入れて武人の礼をする。さらに今度は堂々と、メリヤナに足を向けて膝を折った。メリヤナはぎょっとさせられる。


 数秒すると立ち上がって、来た時と動揺に重い足音を立てるように去っていく。


 あれは〈白銀の姫君〉——女神エストにちがいない、というのはあとから聞かれた話だ。


 そうして、最後に、雲間から漏れる陽光のような光が儀式の場に差し込んだ。黎明の色、あるいは女神フリーダの色。


 姿は現さぬ女神が、この場を寿(ことほ)いでいるようだった。


 奥手な女神ゆえだろうというのは、あとから忖度(そんたく)された。メリヤナだけが、フリーダが姿を表さないのは、自分の姿がバレないようにするだめだろうという真意を知っていた。


 差し込む光は、褒美だよくやったと言わんばかりに、橙の光をまとった花を降らせた。花びらがちらちらと舞って、メリヤナにも降り注ぐ。

 運命の分岐路を超えたように思えた。




 それから、儀式の場はそのままお祭り騒ぎのようになった。


 もとより予定されていた宴会が、なし崩し的にはじまっていく。ユニルはほとほと呆れたような顔をしていたが、致し方ないとも言えない顔をしていた。結果的にうるさかった重鎮たちが、神の祝福だだのなんだの言って、エストヴァンやフリーダの人々と手を取り合って喜ぶのを眼にして、満足げに笑っていた。


 そうした騒ぎは三日三晩続いた。


 中日には、イーリスが望んだ馬上槍試合が開かれ、皇太子妃が望んだ相手だけでなく、三カ国の名のある人々が立候補し、大いに盛り上がった。〈エストヴァンの妃将軍〉の名が広まる機会となった。


 短槍でぶんぶんっと音を震わせて、小気味よくどんな男も物ともせずにふっ飛ばしていく姿はとにもかくにも気持ちよかった。メリヤナとソルアは手の平を重ね合って、きゃーきゃー言いながらイーリスを応援した。


 ところが、そのイーリスも、ユニルの侍衛の男には叶わなかった。そもそも上背が七尺もあり、筋肉も尋常ではない。イーリスは軽やかだったが、最後は馬の扱いに長けていた男の一撃を喰らって、場外に飛ばされた。それでもまともに喰らえばただではすまなかった一撃を受け止め、軽くなめらかに着地をするものだから、妃将軍の名を広めるには十分だった。——イーリスは歯噛みしていたが。


 翌日には鷹狩が開かれて、これはルデルを喜ばせた。


 ユニルの飼うイヌワシが、ウサギなどの小物を狩るのではなく、キツネを狩ってみせれば、興奮したように狩りの仕方を聞いていた。イヌワシを借り、同じようにキツネを狩ってみせた。互いが狩ったキツネの毛皮を土産としていた。


 最後の夜は、焚き火を囲んでの宴となった。


 ソルアをはじめとする夫人たちが馬頭琴を奏で、そこにエストヴァンやフリーダの提琴(ヴァイオリン)や横笛、竪琴が重なって、軽快な音楽を響かせる。


 皆、浴びるように酒を飲み、出てくる食事に舌鼓を打った。ユステルはまたもや出された包子をばくばくと食べ、イーリスを呆れさせた。


 メリヤナはそうした騒ぎからは少し離れた〈(ユルト)〉の影でカナンと過ごしていた。どうも、焚き火というのは苦手だった。どうしても、いやな記憶を思い出してしまう。


「もう少し、お食事をお持ちしますか?」


 カナンが甲斐甲斐しく尋ねるのに苦笑してメリヤナは首を振る。


「ありがとう。いいわ。それよりも、サンデルのところにいったら?」

「えっ」

「ほら、さっきからカナンのほうをちらちら見ているわよ」


 宴には身分に関係なく様々な人間が招かれていたが、サンデルもまたそのひとりだ。こちらの様子をとても気にしながら仲間と過ごしている。


「……いけません。そうすると、お嬢さまがひとりになってしまいます」


 カナンが首を振ると、被せるように声が響いた。



「——私がいるから、行って来れば良い」



 現れたルデルアンに、メリヤナもカナンもびっくりした。

 カナンは、メリヤナとルデルの顔を見比べて、それから恐縮するようにその場を去っていく。


「ルデルさま」

「少し散歩でもしよう」

「……はい」


 笑うルデルに、メリヤナは肯く。


 そして、宴から離れるように散策した。

 草を踏みしめる音が続き、沈黙がしばらく流れる。酒精が入っているからか、夜風が気持ち良い。


「——今回の協議の成功は、あなたのおかげと言っても過言ではない」


 口火を切ったのはルデルだった。メリヤナは見上げてから首を振る。


「いえ、わたくしはたまたまその機会に恵まれただけです。言われるほどのことはしておりません」


「謙遜しなくてもいい。あなたが機会に恵まれたと言うなら、その機会を無駄にしなかった。それで十分だ。国を代表する者として、感謝する」


 ルデルが足を止めて軽く頭を下げるものだから、メリヤナはあわてて手を伸ばしてその肩にふれた。


「やめてくださいませ。ただわたくしは……ルデルさまの役に立ちたかっただけです」


 ほんとうだ。あんなしおれたようなルデルは、失望に苛まれたような恋しい人は、もう二度と見たくなかった。王国の、運命もかかっている。


「そうか」


 そう言って、ルデルは何とはなしにメリヤナが伸ばしてきた手にふれた。メリヤナはびくっとする。急に心の臓の鼓動が感じられた。



「この手は、いつも私を導く」



 手の甲が撫でられる。



「この手は、いつも私を慰める。この手はいつも——」



 降りてきたものが、ふれた。唇が指先にふれる。



「——私の心を動かす」



 メリヤナは、そのぬくもりと向けられた眼差しを受けて、急激に顔が赤くなった。

 居ても立っても居られなくなる。


「あ、あの、ルデル、さま……その」


 手を引き抜こうとして、強い力にびくともしなかった。そうして、そのまま跪いた。メリヤナは一国の王太子を跪かせる格好で、今度は恐縮してその体を引き上げようとして、強い視線に絡め取られた。


「〈運命の乙女〉」


 メリヤナは、制止する。ルデルの瞳から目が離せなかった。その奥に映っているものが、何よりもかつての自分が望んでいたもので、それが垣間見えてどうしても離すことができなかった。



「……私だけの、〈運命の乙女〉になってくれないか」



 ルデルは何を言っているのだろう。そんな当たり前のことを。

 運命の乙女とは神託だ。王国の運命を担っている自分に対する神の悪戯だ。その運命とは王国を担う王太子ルデルのことでもある。メリヤナはそのために戻ってきたのだから。


 だが、ルデルの眼差しが異なると告げていた。成人男性の跪くという行動もまた、異なると言っていた。メリヤナの思考をちがうと咎めた。咎めて、メリヤナ・グレスヴィーが欲しいものを向ける。心の臓に届いて、鼓動を高める。



「——あなたを、愛している」



 今度こそ、時が止まったかのようだった。ずっと聞こえていた風鳴りがぴたりと止んだようだった。


 青い瞳が、メリヤナの空に入り込んでくる。


 ずっと聞きたかった言葉。うれしいと心が叫ぶ。歓喜する。


 わたしもあなたが好きです。ずっとずっと何年も。その瞳にわたしを映して欲しかったのです。

 頭の中でそんな言葉が遠くに聞こえる。炎に()かれる前の自分の声。全身全霊で彼を愛していた自分が今のメリヤナを乗っ取ろうとする。ルデルの言葉に応じようとする。だって、制止する必要がない。王国の運命が、運命の乙女に告げているのだから。たやすく応じればいいのだ。そうすれば、悲運は晴れるはずだ。この心を、捧げればいい。


 すぐそこまでやって来て、そして、メリヤナは、



「……ありがとう、ございます……」



溢れ落ちるものと一緒に、笑んだ。そんな言葉しか出てこなかった。かつて寝台に見舞いに来てくれた時と同じ言葉しか、出てこなかった。涙が出てきた理由も、わからなかった。

 そこにルデルが何を見たのかはわからない。


「……ああ」


 下がった頭は、メリヤナの手を強く握り込んでいた。



 ——まるで、逃がさない、と言わんばかりに。


 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。ブックマークや評価も感謝申し上げます。


これにて10章は終了です。

足かけ5年の章でした。この章で初登場のユニルとソルア、ユステルとイーリスは物語当初から思いついていたキャラクターで活躍させるぞ〜と言った気持ちで全員が主張しまくったところ、ユニルという人物に歯が立たなくて、ifの行き詰まりの話を書いてしまい、そこで止まっていた5年間です。

思い入れのあるキャラクターなので、それぞれのカップルの馴れ初めとか、アルー=サラルの話とか、スピンオフとかアナザーストーリーとしてどこかで書けたらいいなと思っています。

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