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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。  作者: 稿 累華
第10章:巡察使

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63話:ルデルの決意

 二階部分まで吹き抜けになっている空間だった。扉側は小さな柱廊(ちゅうろう)のようになって、近衛など警備の者たちが控える。向かい側には大きな槍窓(やりまど)が連なり、中央の長卓を照らすように薔薇窓から光が差し込んでいた。


 これまでルデルたちが案内されてきた、協議のための場だった。

 長卓の中央には、当たり前のようにユニルが座していた。



「——来たか」



 ルデルとユステルを認めると、突いていた肘を退けた。それを見て不快な気持ちはない。協議の当初に言われた言葉が思い起こされる。


『早速、協議といきたいところだが、まず確認しておく。オレの言葉は大帝の意そのものであり、オレの忠義はあの方のみに注がれる。ゆえに、そなたらに敬意は示すが、必要以上に頭を下げることはせぬ。無礼かもしれぬが、それが我らのやり方だ』


 これが、アルー=サラルという国、否、巡察使ユニルという男のあり方なのだ。


「待たせてすまない」


 ユステルが言って、ユニルの左に、ルデルは右に腰かけた。それぞれの後ろに訳者が立ち、隣には大臣や書記官などの官吏が並んだ。ユニル側の後ろには重鎮たちが立ち並ぶ。


 重々しい協議のはじまりだ。

 当初、ルデルは肩に緊張が走るのを覚えていた。父より任された重責。この場では、一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)が評価の対象となると思うと、口のなかが乾いた。だが、何度か重ねていくうちに当初の張り詰めた空気は分散し、程よい集中となった。経験を積む、ということだなのだろう。


「さて、な。オレは今日でこの協議を終いにしたいと考えている。いい加減、退屈だったところだ」


 ユニルの言葉に、


「互いの落としどころが見つかるのであれば、その意見には同意する。(らち)が明かない」


ユステルが同意を示す。ルデルも肯く。


 とはいえ、この二週間以上、同じような話を何度も繰り返し、皇太子が暗に言うように、互いの譲歩が望めないのもたしかだった。

 そこで、ユニルが、ふっと失笑した。


「落としどころ、か。オレから協議をけしかけていてなんだが、そも、こちらは利を譲る気は毛頭ない。そなたらも譲る気はない。であれば、協議は成り立たない。よくまあ、だらだらとここまで話し込んだと言える」


 巡察使はいつになく機嫌よく話を続けた。


「協議が成り立たないのであれば、どうなるか。貿易の規制か、あるいは戦か。種明かしをすれば、オレはどちらも用意があった」


 ユニルさま、と重鎮の一人が咎めた。ユニルの発言に、アルー=サラル側の重鎮たちに静かなどよめきが広がる。


 何を言いはじめるんだこの人は。

 全員が顔でそう言っている。顔色を唯一変えなかったのは、ユニルに従う筋骨隆々の上背(うわぜい)のある男のみだった。


 そしてまた、ルデルも驚いていた。この男から漂っていた余裕。あらゆる話に対して歯牙(しが)にもかけない余裕さは、そこから来ていたのだと驚きとともに、戦になっていたら、と思うと心底恐怖を抱いた。


「怖いことを言うな、ユニル殿」


 ユステルもまた余裕を持っていたが、こめかみには見えない汗が伝っているようだった。


「ほんとうのことを言ったまでよ。たとえばの話だが、」


 ユニルの緋色の眼光が獲物をねらう爬虫類のように鋭くなる。


「そなたらが塩を制限する、と言ってきたとしよう。……実は最近、サラルが征服した西部のほうに岩塩坑が見つかってな。塩を制限されたところで、痛くも痒くもない。——ならば、オレはどうするか。金銀の輸出路でも阻んでやろうと思っていた」


 ユニルの台詞に、議場がざわっ、と揺れた。

 ルデルとユステルは愕然と目を見開く。


 メリヤナが想定していたことが起こり得る可能性があったことに、ルデルは肝が冷えた。ごくりと生唾を呑み込む。


「とまあ、ここまでが種明かしだ」


 鋭くしていた眼光をゆるめると、ユニルは不敵に笑んだ。


「ユニルさま! 申し上げます! いかに大帝陛下の意があれど、いささか弁が過ぎます! これは我が国の威信に——」


「——お前は誰に向かって口を利いている?」


 ぎょろりと、赤い酷薄な瞳が後ろを向いた。射竦(いすく)められたのは、無論話していた重鎮のひとりだ。ひっ、と情けない声が上がる。


「オレの言葉そのものがあの方の意。不敬も甚だしい」


 蛇に睨まれた蛙、いや、鷹に狙われたウサギだろう。そこに相対はなく、一方的な力のみだった。

 申し訳ございません、と怯えた声が言う。それ以上、続く言葉はなかった。


「すまぬ。節介を焼くことが生きる喜びのものどもねな」


 ユニルは煩わしさを追いやるように一息つく。それから、場をしきり直すように言った。


「種明かしをしたわけだが、気が変わってな。力を使うのは易いが、民草に影響も出る。使わずにこしたことはない。もとより、オレはそれを求めていた」


「それがこちら側にある、と?」


 ユステルが眉をひそめる。


「……〈縁〉をつなぐ」


 ルデルはぽつりと呟いた。

 ユニルの目が向けられる。ユステルはいっそう怪訝に眉根を寄せた。


「ユステル皇太子は酔っていたからな。覚えておらんのであろうな」


 楽しげに巡察使は言う。


「〈縁〉をつなぐ、というのがどういう意味かわかるか、ルデルアン王太子」


「いえ……、わかりません。ただ言葉の印象から力とは異なるものだとは解します」


 サラル語はわかる。だが、メリヤナほど堪能ではないのは事実だ。ルデルはそこに引け目を感じていなかったが、メリヤナがサラル語を学習するようになった経緯には、心底不快な思いがあった。影がちらつくのだ。あの男の。

 脳裏に浮かぶ姿を振り払って、ルデルは問う。


「〈縁〉をつなぐ、というのはどういう意味なのですか?」


 問われたユニルは、議場を睥睨するように見た。それから、ユステルとルデルに視線を定めて言った。


「オレと〈血の盃〉による〈兄弟の契り〉を結ぶことだ」


 意味を解したのはタルノーなどのサラルに詳しいものたちだ。ルデルもユステルもそばでその意味を説明される。

 聞き終えたユステルは膝を打って、


「——最高じゃないか!」


快活に声を出した。


「それは、隊商都市の利権を得る代わりになり得るものですか?」


 ルデルもまた聞き終えて、そのような方法があるとは皆目(かいもく)検討もつかなかったことを思う。暗に、次期大抵争いの利になり得るのか尋ねた。

 ユニルは、くくくっと笑う。


「そなたの婚約者は賢いな。それが利になるからこそ、申し出てきたのであろう。あくまで政ではなく、ルゥアとの良縁のために、な」


 あの宴のやり取りの意味をルデルはそこではじめて理解した。メリヤナがつないでくれたのだと思うと、感動と、それから熱い奔流となる情が沸き立つようだった。


 ユステルの爽快な喜びと、ルデルの表情を見て、ユニルは言う。


「相違はないようだな。ならば、こちらで儀式の準備は進めよう。明日、同じ時間に再度〈(ユルト)〉にそなたらを招こう。そこで準備は行う」


 ユニルは立ち上がった。ルデルとユステルも立ち上がる。


「合意を得られたことに、感謝申し上げる」


 差し出された掌に、ルデルもユステルも同じように差し出した。

 そうして、エスカテ側が満場明るい空気のなか、ユニルは議場を退出する際に思い出したようにルデルに向き直った。


「——ひとつ、言っておこう」


 ルデルは、ユニルの真剣な空気にその視線を受け止める。


「あの娘とはまだ婚約関係であろう」

「……はい」


 ユニルが指し示す人物は明白だ。

 無論、ルデルはそれだけに済ませるつもりはない。今日の出来事で、その意志は固まった。


「あれは……業を負っている。一筋縄ではいかぬな」

「…………」


「王太子がともに業を負うのか、あるいは解くのかはわからぬが、方法をまちがえぬようにな。たがうと、——逃げられるぞ」


 忠告のようだった。ユニルは言って、身を翻す。


 ルデルは、ぐっと拳を握った。

 そのつもりは、なかった。逃がすつもりは、ない。



 ——心はもう、決まっている。

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