60話:友人からの手紙
リヤへ。
サルフェルロはどう? 元気にしてる? 三国協議は上手くいっている……?
残念ながら、僕は外交局をあずかることになったから、一緒に行けない。だから、これは困った時のために、同僚のタルノーに預ける。
アルー=サラルが隊商都市の利権を得ようとするその目的は、次期大帝争いで歩を進めるため、というのはもう聞いただろうか。だけど、それならわざわざ三国協議をする必要はない。兵力を持って、隊商都市を呑み込んでしまえばいい。
フリーダやエストヴァンに近い隊商都市近辺を観ている巡察使は、ユニルという男だ。ユニルはアルー=サラルでもかなりの遣り手と聞く。騎馬による機動力だけでなく、統率力が高い。次期大帝筆頭と目されているほどだ。
では、その男がなぜ、隊商都市を呑み込まないのか。
無論、それ以上の成果を期待しているからだ。僕は、それ以上の成果とは、フリーダやエストヴァンとの〈縁〉ではないかと思う。
アルー=サラルにおける縁とは、特別な意味がある。〈馬と草原の神〉の風。風の運び。どちらでもいい。現大帝が、現在の地位に就いたのも、この〈縁〉によるものだと聞く。具体的には、その〈縁〉を〈兄弟の契り〉というもので証明する。その証が巡察使の地位と、体のどこかに浮き出ている文様だ。ユニルという男には頬に入れ墨のようなものがあるというから、おそらくはそれが大帝との〈兄弟の契り〉の証だろう。
この証は〈血の盃〉という呪いによるものらしい。互いに蹂躙するための剣を向けない。剣を向ければ、途端に証から血が吹き出し、異様な傷として残る。その傷は、裏切り者の証、つまり契りを交わしたのに守らない者の証になる。裏切り者は信じられなくなる。信を得られなければ、集団の統率は叶わない。
どうだい? よくできているだろう?
早い話、王太子たちがユニルに気に入られて〈縁〉を結んでしまえば、今回の隊商都市の利権云々の話はなくなるだろうね。まあ、気に入られればの話だが。
あるいは、メリヤナがユニルやその関係者と〈縁〉を作ればいいかもしれない。ここでいう〈縁〉は〈血の盃〉によるものじゃなく、関係性とも呼ぶべきものだ。アルー=サラルでは特別な意味があるから、王太子たちの助けになるだろう。
メリヤナはお人好しだから、王太子のために関係性を作ってそれを利用するというのは喜ばないかもしれないけど、別にそんなのはどうだっていいんだ。アルー=サラルではそれも含めて〈縁〉になる。いいも悪いもない。君は前の人生を悔いているから、そこにきれいな部分を求めるかもしれないけど、たとえはじめは利用しようとする心があったとしても、結果的にそれが情になることだってある。反対に、はじめは情だったとしてもあとから利用してやろうと悪巧みするやつらは、そこら中にいる。互いが最後に笑っていればそれでいいんだ。終わり良ければ全て良し。
だから、あんまり考え込まないように。考え込むと今が見えなくなるからね。今の君であれば、その場の最善を選ぶことで、きっと良いように運ぶ。リヤはリヤらしく。そんな君を、僕は心から……信じている。
以上、君の秘密の共有者より。
*
読み終えた時の名状しがたい気持ちを、メリヤナは書簡と共に抱き込んだ。
会いたかった。会いたくてたまらなかった。
どうして、今この場にいてくれないんだろう。大切な友人の顔を見たくて仕方がなかった。
なんでいつも、メリヤナが欲しい言葉をくれるのだろう。意地悪なように見せかけて、からかっているように見せかけて、優しいのだ。厳しいことも言ってくるけれど、優しいのだ。
なぜかいつも、そうだった。
「……お嬢さま」
カナンが声をかける。
「昨晩は……その、気落ちをされていたようですから、……心配をしていたのです。ローマン公子のお手紙に書いてあった内容はわかりませんが、少しは気持ちが和らぎましたか……?」
顔を上げた先に、カナンの顔があった。思案を浮かべているようだった。
ああ、とメリヤナは思う。
カナンとは、はじめ仲良くなりたかった。仲良くなりたかったのは、自分の見識を広げるためだった。それは今考えると、ある種、利己的な気持ちだったと言える。けれど、今は本当にカナンのことが好きだ。結果的に見識も広がったかもしれない。でも、それ以上にカナンのことが大好きで、心から信頼をしている。
他にも、リリアやオリガ、アズムやマイラ、ヨーチェ……人生をやり直す前には知り合うことのなかった、様々な顔が思い浮かんだ。最初はちがう理由でも、段々と好ましく思って親しくなった人たちばかりだった。
(そういうことね、フィル)
自分のなかで、気持ちがすうっと一束になっていく。後ろめたく思っていた気持ちも一緒に、結ばれるものがあった。
「……ありがとう、カナン。もう、大丈夫」
メリヤナが微笑むと、カナンはうれしそうに大人の顔を綻ばせた。
「良かったです」
「……あのね、わたし、カナンのことが大好きよ。今までちゃんと言ったことなかったかもしれないけど、わたしはカナンと仲良くなれたことが、ほんとうにうれしい。いつも、ありがとう」
カナンは、メリヤナの言葉に驚いたように、目をしばたいた。それから、すぐに笑みに変わった。
「いいえ、お嬢さま。こちらこそ、いつもありがとうございます。わたくしは、お嬢さまにお仕えできていることが、人生で一番の幸運だと思っています。お嬢さまは、大事な主人であると同時に……、その、失礼かもしれませんが……、友人のように思っております。ですから、お礼を言うのは、わたくしのほうです。いつも、ありがとうございます」
メリヤナの言葉に、カナンは真面目に、否、真摯に受け止めて考えてくれたのだろう。言葉だけでなく、メリヤナはそれがうれしくてたまらなかった。
「もう、何言うの。そんなの当たり前なんだから」
「はい。ありがとうございます」
——カナンは、照れるように言うメリヤナが好ましくて仕方なかった。この主人と出会えた運命に、フリーダの女神に感謝をしている。
「お嬢さま、ひとつ、相談をしてもいいですか?」
「なに?」
「以前、わたくしが、顔のわからない殿方と結婚することになったら、まずお嬢さまに相談すると申し上げたこと、覚えています?」
今度は、メリヤナが目をしばたく番だった。何度かぱちぱちとさせてから、それから思い出したように言った。
「……覚えてるわ!」
「残念ながら、リリアとオリガはいませんが……、実は実家から家に戻って結婚しろと言われているんです。この協議が終わって帰国したら答えを出さなければいけません」
「ええっ?」
メリヤナが、廊下に響き渡るような素っ頓狂な声を出すものだから、カナンは、思わず、しーっと注意をした。メリヤナは慌てて自分で自分の口を塞ぐ。
「ごめん。えーっと、えっ、カナンはじゃあ仕事を辞めちゃう……?」
「お嬢さまは、この結婚、どう思いますか?」
「それは、その……わたしは、カナンのような街に住む人々の結婚事情というものに詳しくないからわからないけれど、いい人かもしれないし、そんな縁があったらいいのかもしれないけれど……、その、顔もわからない人と結婚ってどうなるかわからないし……王族じゃないんだから……もうちょっと自由でも……」
しどろもどろになるメリヤナが、カナンはおかしかった。同時にかわいくて仕方ない主人だな、と心のなかで決まるものがあった。
「はい。それで、つまりお嬢さまはどう思っていますか?」
「えっ、わたしに決めさせるの?」
「相談をしているのですから、意見を聞いているだけですよ」
うーん、と悩むメリヤナに、カナンは少しだけフィルク・ローマンの気持ちがわかる気がしてきた。反応がかわいいから、ついからかいたくなってしまうのだ。
「そうね……やめたほうがいい。というか、やめて欲しい……! カナンの人生に関わることだけど、わたしはまだカナンには残っていて欲しいわ!」
「——はい。わたくしの気持ちと一緒です」
カナンは続ける。
「帰国したら、結婚は断ろうと思います」
どこまでも清々しい気持ちだった。出国する時から、棚上げしていた問題だったからこそ、一気に気持ちが決まって、すっきりとしていた。
メリヤナが、ぱあっと桃色の花が開くように笑顔になるものだから、カナンはそれ以上何も望むものはなかった。




