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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。  作者: 稿 累華
第10章:巡察使

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55話:異国の美女(1)

本日2度目の更新です。

 三国協議の初日となる翌日、メリヤナは直前に、ルデル、ユステル、イーリスと昨日の打ち合わせを振り返るに徹し、あとは太子たちに任せる他、術を持たなかった。


 アルー=サラルは、政治的な場に、女子が参加することを嫌う。それは、超えてはならない文化の壁であるとメリヤナは認識していた。男女の差に対する並々ならぬ反発心を抱いている様子のイーリスは、最後の最後まで渋った顔を見せていた。


「いかに他国文化の尊重とはいえ、この場は三国協議の場。あちらの風習に従う必要はなく、我らがエスカテを信仰する国々も、〈馬と草原の神(ラ・ファダ)〉を信仰するあちらも、協議においては対等なはず。わたくしも、メリヤナも、参加を控える理由になりませぬのでは?」


「対等な場であるからこそ、です」


 メリヤナは、イーリスを見据えるように言った。


「対等である、というのに、わたくしたちが顔を見せればあちらはどう思うでしょうか? おそらく、ばかにされた、と思うはずです。我が国を知らぬのか、と」


「だが……」


「ご存知ですか。アルー=サラルでは、女とは清廉(せいれん)なる身なのです」


 怪訝な顔をするイーリスに、メリヤナは続ける。


「その昔、アルー=サラルの祖は、馬頭琴を奏でる清廉(せいれん)なる娘が草原に吹く風を(はら)み、産まれてきたと言われています。祖は、大いなる〈馬と草原の神(ラ・ファダ)〉。〈ファダ〉は、一度産まれ死したのち、また清らかな女の腹に宿る、というのです。ところが、政治的な場は、神の意向ではなく、生きとし生けるものの意向を反映する場。(けが)れ、の場です。そのような場に、女が足を踏み入れれば、次代のファダを宿すかもしれない清らかな身が汚れてしまう。ですから、女は(まつりごと)の場に参加してはいけないのです」


 へえ、と相槌を打ったのはユステルだった。


「知らなかったな。教師たちから教わったのは、アルー=サラルでは女は政治に一切参加しない文化の遅れた国だってことだったな。なあ、イーリス?」


 ユステルがイーリスにつなぎを渡せば、はい、と苦味のある肯定があった。


「そこだけを切り出せばたしかに、そう解釈することもできますね。わたくしたちからすると女子を参加させない都合のよい思想のように聞こえますが、根がちがうのですから当たり前です。そもそもの根底にある思想がちがうのです。尊ばれているからこそ、参加させない、のです。——ゆえに、イーリスさま、決して女が下に見られているわけではないのですよ」


 メリヤナがにっこり笑えば、イーリスが、はっとしたように顔を上げた。

 数秒、間を空けたのち、紅唇(こうしん)を引き結ぶと、ふっと息を吹き出して小さく笑った。


「……そうだな、すまない。年嵩(としかさ)のものが(さと)されてしまった。——我々が参加しないことに異論はない。頼めますか、殿下方」


 憑き物が落ちたようにイーリスが柔和に微笑むと、ユステルは、にっ、と口唇に弧を描いた。


「任せろ」


 立ち上がって議場に向かうユステルとルデルを、イーリスとメリヤナは見送る。扉を出るところで、ルデルがメリヤナを振り返った。


「……さっきの話も、ローマン公子から聞いたことか?」


 えっ、とメリヤナは一瞬反応が遅れる。それから思い出したように応えた。


「はい。サラル語を勉強している時に、わからない品詞があったのです。〈清廉〉と〈女〉〈娘〉は同じ綴りの言葉で、文脈によって意味が変わることもあれば、それひとつで〈清廉なる娘〉と捉えることもあって、なぜなのかわからず聞いたところ、教えてくれました」


 当時のことを思い返す。フィルクの屋敷の図書館。まだ洗礼式を迎える前だった。



『僕は、絶対に体のいい言い訳だと思うんだよね。女の子を政治から排除するための。だって、都合が良すぎるでしょう、男にとって。いつかサラル人に会ったら聞いてみたいんだよね』



 そうかなあ、とのんびりとした返事をした覚えがある。そんな疑い深いどころがフィルクらしいと考えた覚えも。今思えば、疑い深さは彼の育ちが影響していたのだと思う。


(どう過ごしているの、フィル)


 胸に寂しさを持て余した人。仄暗(ほのぐら)(きょ)を抱えた人。

 ひとりになっても平気だと思った、と言っていた頃が、うめきのような寂しさとして思い起こされた。


「……そうか」


 ルデルの声に、現実に引き戻される。引き戻された先で、ぎゅっと拳を力強く握り締めるルデルが目に入った。協議への奮起、なのかもしれない。


「いってらっしゃいませ、ルデルさま」


 いけない、と思考を切り替える。

 メリヤナはルデルの気持ちを和らげるように微笑んだ。彼からは短い応答のみで、力が抜けることはなかった。そのまま、緊張した背中を見送った。


「メリヤナ、我々はどうしますか?」


 イーリスに訊かれた。


「そうですね。協議中、ここで待っているという手もありますが、何もせず待っているのは来た甲斐がありません。わたくしたちは、わたくしたちができることをしましょう」


 思考の残滓(ざんし)を振り払いながら、メリヤナは答える。


「ほう? 何をする?」


「——市内に参りましょう」






 護衛は要らないというイーリスの言葉に従うのは、メリヤナの護衛を担うフリーダ側が譲歩できるまで時間を要した。


 結局、エストヴァン側がイーリスの振る舞いに慣れているように、遠巻きに護衛を行う方針となった。メリヤナの側には近侍のエッセンと侍女役のカナンがおかれ、イーリスはほんとうに単身で市内に向かうことになった。


「すみません、エッセン卿。わたくしの護衛についていただくことになり……」


「姫君の護衛を任せていただけるのであれば、このエッセン、大変光栄なことだと思っております」


 エッセンは近衛の装いではなく、旅人風の装いであったが、伯位家の出自からか、所作が洗練されており、ちっとも、その辺りにいる旅人のようには見えなかった。


 そもそも近衛は王族付きであるなかで、今回の協議中はメリヤナに侍っているのがまずおかしい。だがこれは、メリヤナが出歩くにあたって、前もってルデルから言われていたことで、譲ることができなかった。メリヤナが少しでも気楽なように、顔見知りであるエッセンを配置したのはルデルの好意によるものだった。


 伯位家の令息が隣に並ぶとなれば、一般的な女子であれば緊張するものである。真面目で仕事が完璧なカナンとはいえ、その足取りは覚束ないものだった。


 後方を気にしつつも、メリヤナは相並ぶイーリスを見やる。一纏めにした御髪(みぐし)は変わらず、服装はエッセン同様に旅人のような襯衣(シャツ)胴着(ベスト)細袴(ズボン)といった出立ちだったが、身からあふれ出る剛毅さは隠しようもなく、おまけに短槍を背負った美人とあれば、注目を浴びるしかなかった。

 さきほどからすれ違う皆が振り返る。


(悪目立ちしているわ……)


 メリヤナは内心で深々と溜息をついた。


「どこに行くのだ、メリヤナ?」


「市場に行こうと思っています。そこであれば、情報収集が可能かと」


 案内板を見てから、イーリスに答える。市庁舎からそこまで遠くない場所に市場は開いているようだった。


 市国の中心部は市庁舎だが、活気があるのはまず間違いなくこの市場であると言えた。エスカテの人々だけでなく、サラル人、はては肌や瞳に色が混ざり合った人々まで、様々な人間でごった返していた。


 麦粉焼(パン)や塩漬け肉、橄欖(オリーブ)甘橙(オレンジ)火焔菜(ビーツ)などの見覚えがあるものだけでなく、見たことがない果樹や野菜も目に入る。それだけでなく、小さな細工物や、茶器や食器類、衣服、果ては衣装箪笥など、とにもかくにも所狭しとぎゅうぎゅうに物が並んでいて、メリヤナたちは目を白黒させた。


「皇都の品々に並ぶほどあるぞ、これは」


「そうですね……さすが、隊商都市にもフリーダやエストヴァンにも近い都市ですね」


 メリヤナとイーリスが品数に圧倒されるなかで、ひときわ目を惹いたのは、御影石(みかげいし)や大理石などの石材を扱っていることだった。これは、王都フリーダや皇都エストリラには並んでいるのを見たことがない、という意見で一致した。


「——お嬢ちゃんたち、興味あるかい? 安くしとくよ」


 もの珍しく見ていたからだろう。露天商(ろてんしょう)から気安いトゥーミラ語で話しかけられた。


「こんなに大きな石は建築用なの?」


 メリヤナもまた、気安いトゥーミラ語で返す。露天に置かれているなかで、縦横一レリル(メートル)はある一番大きな石を示しながら訊いた。


「いやいや、んな、建築用の石なんぞ、市場では扱ってないさ。ここいらにあるのは建材の余りさ。削って余ったもんを売ってる。このでか石なんぞは、市庁舎のどっかを改築した時に出たもんだね。どうだい? 旅のいい記念になるよ」


「うちの護衛じゃ持ちきれないから、遠慮しとくわ」


 メリヤナが後ろを見やってエッセンを指し示すと、どうしようもないね、と露天商は軽く両肩を上げ下げした。


「メリヤナは言葉がうまいな」


 感心したようにイーリスが言う。


「さっきの商人、わたしは半分以上何を言っているのかわからなかった」


「早口でしたし、街の言葉も混ざってましたからね」


「そうだが、ふつう教育で街の言葉は習わないだろう? どこで覚えたのです?」


 イーリスは、純粋に疑問に思ったであろうことを口にした。

 メリヤナは苦笑する。


「仲の良い友人と、そういう遊びをしていたのです。一日トゥーミラ語縛りとか、エストヴァンの発音縛りとか」


 へえ、とまたもや感心したように、イーリスが相槌を打った。


「——お嬢さま、今日でなくても帰国する前に、ローマン公子にサルフェルロの石を持ち帰られると、喜ばれるかもしれませんよ」


 後ろからカナンが小声で囁くように言った。

 額の裏に友人の顔を思い浮かべる。


(喜んでくれるといいけれど……)


 一抹の不安を感じながら、メリヤナは頷いた。

 その時、



「——泥棒っ!」



 混雑している市場の奥から、唐突にサラル語の女性の声が響き渡った。

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