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4話:友だちに

 ——終わった。



 一度ならず、二度までも、令嬢らしからぬ姿を見られた。


(わたし、二度目の人生も終わったわ)


 はしたない姿を吹聴(ふいちょう)されて、ルデルの耳に届けば、彼は幻滅するだろう。そうしたら、遠からず婚約破棄だ。


 ごめんなさい、神さま。早くもあなたの機会を無駄にして。

 メリヤナが心のなかで懺悔(ざんげ)していると、少年は透明な声で続けた。


「——すみません、驚かせてしまいました。そういえば、挨拶もまだでしたね。僕は、フィルク・ローマンと申します。レッセル辺境侯の三番目の子です。はじめまして」


 思いのほかあたたかい声だったので、メリヤナは懺悔を中止して、きょとんとした。とても物腰のやわらかい少年だったからだ。さっきまで強く感じた、こちらを品定めするかのような強い視線は感じられなかった。

 つい気持ちがゆるんで応えてしまった。


「こちらこそ、失礼いたしましたわ。はじめまして、ローマン公子。メリヤナ・グレスヴィーと申します」


「どうぞ、フィルクとお呼びください。みんなそう呼びますから」


「では、フィルクと。わたくしのことも、メリヤナとお呼びくださいませ」


 わかりました、とフィルクという少年が返事をすると、気詰まりな沈黙が場を包んだ。余計なことを穿鑿(せんさく)される前に、では、と言ってメリヤナが冷や汗を浮かべながら辞そうとして、引き止められた。


「僕から、質問をよろしいでしょうか?」


「まあ、なんでしょう?」


 ほほほ、と微笑んでみせたが、フィルク少年は容赦がなかった。


「さきほどおっしゃっていた、『やってらんない』とは?」


「えっと……」


 メリヤナは、すーっと視線を横にやってみせたが、フィルクの強い視線は変わらなかった。

 前言撤回だ。やっぱり、物腰のやわらかいなんて嘘だ。これは獲物を見つけたら、絶対に逃さない輩である。猛禽類(もうきんるい)と同じ目をしている。


「えーっと、その……、聞いておりましたの?」


「はい、ばっちり。およそ三分前のできごとだと認識していますが、再現しましょうか?」


「いえ、けっこうですわ」


 これはもう開き直ったほうが早い。

 メリヤナは溜息をついてから、答えた。


「……さきほどまで、皆さまに囲まれて少しうんざりしていましたの。お耳汚しをしてしまって、ごめんなさい」


 こんなに素直に謝ることができたら、かつてのメリヤナは婚約破棄をされなかったにちがいない。それくらい殊勝な謝罪をした。

 フィルクも、なるほどと言って納得した様子だったので、ほっと胸を撫で下ろした。

 断りを入れて、今度こそ室内に戻ろうとすると、またしても、フィルクは止めにかかった。


「もうひとつ、質問しても?」


「……どうぞ」


 どきりとする。もしかして、あの園遊会での件だろうか。



「——なぜ、あの時、逃げたのですか?」



 やはり。庭園でのできごとのことだ。

 問われたメリヤナは観念したように、


「その……みっともないところを見られましたから。はしたない行為でしたから、皆さまには、黙っておいていただけるとうれしいです」


 と答えた。さきほどと同じだ。素直に謝ってしまえばいいのだ。そうすると、肩の荷が下りたようだった。


(これでこの件はもう終わりね)


 ついでに喋らないで欲しいと釘をさせたのだから、上々だ。

 そう思って幕を下ろしたのはメリヤナだけだった。


「失礼しました。こちらの問い方が良くありませんでした。

 ——どうして、あの時、王太子殿下の元から逃げたのですか?」


 鋭い問いだった。鍛えたばかりの剣で一閃(いっせん)され、ざっくりと自分の内側に切り込まれたかのようだった。皮膚や皮下が切り裂かれ、ぱっくりと開いた赤い傷口を思わせる。


 言葉に詰まる。よもやの問いに、メリヤナは蒼白になった。


「そ、それは……」


 なんと言えば、いいのだろう。

 辺境侯の息子。公位家(こういけ)の娘に向かってなんと無礼な、というのはたやすい。だが、メリヤナはしたくなかった。


 かつての生で、下位貴族の令嬢をその生まれと地位で非難した。己にとって都合が悪いことを、身分を傘に着て誤魔化し、非難するような利己的な真似はもう二度としたくなかった。

 まさか、王太子に嫌われたくなかったからと話すのも、婚約関係にあるから変な話だ。


「わ、わたくし……わたし……」


 まなじりに涙が浮かんだ。

 どうすればいいのだろう。


 こういう時のかわし方を、メリヤナは知らない。

 素直に言う以外になんと言えばいいのだろう。気の利いた返し方なんてやったことがない。

 焦りが目頭を熱くすると、ぽろりと雫がこぼれた。



「——ごめん!」



 頭が下がってきたのは直後だった。

 吃驚(きっきょう)して、こぼれていたものが引っ込む。


「泣かせるつもりで聞いたわけではなかったのです。ごめんなさい。僕が悪かった」


「え、と……」


「無理にお聞きして、不快な思いをさせてすみませんでした」


 もう一度頭を下げるフィルク少年に、申しわけなさが募る。


 ちがう。そうではない。ただ、わたしは。


 その場を退き、室内に戻っていくフィルクを制止したのは、何に心を動かされただろうか。フィルクが、項垂れているように見えたからだろうか。自分に対して、失望しているように見えたからだろうか。


 ——誰にも顧みられないという思いを繰り返したくなかったからだろうか。


「——待って!」


 踵を返したフィルクが、玄関の間で足を止めて、こちらに顔だけ向けた。



「なに?」



 存外にその瞳が冷たく感じたのは、採光窓から差し込む光の加減によるものだったかもしれない。

 どきりとした胸を押さえて、メリヤナは言った。


「ごめんなさい。その……ちょっとあまりにも的確だったから、驚いてしまっただけなのです。お話ししてもよろしいですか?」


「……わかりました」


 メリヤナは再びフィルクを外に連れ出した。何を話せばいいのかまとまってもいないというのに。

 しばらく無言が続いたが、フィルクは決して何かを促そうとするのではなく、メリヤナが口を開くのを待ち続けた。


「——あの、ですね」


 唇を湿らすと、フィルクの横からの視線を感じた。


「これからお話しすることは、子どもが言うばかな妄想だって思うかもしれないのですが、それでも聞いていただけますか?」


「もちろん。質問をしたのは僕のほうですから」


 不安げに窺えば、笑みを返された。

 かわいい、神の御使いのような笑みに、メリヤナは一瞬ほうっと見とれて、慌てて首を振ってから本題を話した。


「わたし、そのうちルデル殿下に嫌われてしまうのです」


 メリヤナは一呼吸ののち、言った。


「なるほど」


 フィルクは淡然と合いの手を入れる。


「わたしは殿下のことが……その、大好き、なんですけれど、殿下はわたしのことが嫌いになってしまうのです」


 大好き、で妙に照れてしまった。


「それはその……なんでわかったのですか?」


 メリヤナが顔を赤くしていると、フィルクが訊いた。

 当たり前だ。断定して言えば、そう思うだろう。


 まさか、一度ほんとうに嫌われていて人生をやり直したばかりだという荒唐無稽(こうとうむけい)なことを話すわけにはいかない。

 だから、メリヤナはこくりと肯いた。内心で謝りながら。


「……はい。湖の、灯火占いで視ました」


「ふーん……、そっか。あ、続けて」


 納得したらしい。灯火占いは、フリーダ神の加護があってよく当たると言われているから、信じたのだろう。


「えっと……、だから、そうです。わたしは好きだけど、その気持ちをありのままぶつけたら、殿下に嫌われてしまうことがわかったのです。ほんとうは園遊会のあの時、婚約発表されたのはとても嬉しかったのですけど、その気持ちを表現してしまったら嫌われてしまうと思って——」


「——だから、逃げたのか」


 続けたフィルクに、メリヤナは俯くようにして肯いた。


 なるほどね、と呟くフィルクの声をきっかけに、沈黙が訪れた。空気が痛かった。


 彼は、何を考えているのだろう。

 真実だけを話したわけではないが、真実も含まれている。メリヤナは今の自分の立場でできる限りの事実を伝えたつもりだった。


「——ありがとう、メリヤナ」


 さらに少しの間があってからだ。フィルクがそう言ったのは。


「え?」


「教えてくれてありがとう。話しにくいことだったのに。僕の質問に答えてくれてありがとう」


 優しい声音が、やわらかく言った。


「……うん」


 なぜだろう。気持ちがゆるんだのか、涙が浮かんだ。

 だめだ。逆戻(さかもど)しをしてから、涙腺が弱くなった気がする。

 はい、と差し出された手巾(しゅきん)に縋ると、メリヤナは滲んだ雫をあたたかな布に染み込ませる。


「——ちょっと、驚いた」


 メリヤナの涙が引っ込むのを待っているあいだ、フィルクがぽつりとそう言った。


「僕、気になることがあると、答えがわかるまで調べたり、質問する悪い癖があるんだ。けど、まさか君が追ってきてくれるとは思っていなかった」


 メリヤナは目をしばたいた。


「……そうなのですか?」


「うん。あ、年下の子を泣かせちゃったなって少し悪く思いながら、やっぱり僕が気になったことは誰も教えてくれないんだって不貞腐れていたくらいなのに……、君は追ってきてくれた。——メリヤナは、優しいんだね」


 正面を切って褒められて、メリヤナは顔が赤くなった。手巾で顔を隠しながら、首を振る。


「だって、僕が残念がっているのを察して来てくれたんだろう? 優しいよ」


「……そんなんじゃありません」


 自分のためであることをメリヤナ自身がわかっている。けれど、説明できない以上、尽くす言葉はこれ以上見つからなかった。


「——ねえ、僕たち、友だちにならない?」


 フィルクが卒然と言った。


「友だち?」


 泣き止んだ顔で、メリヤナはフィルクを見上げる。


「うん、君は僕に対して誠実だし、僕は君の王太子殿下に嫌われたくないっていう秘密を知っている。僕にとって、誠実はとても大事なことだし、君も秘密を共有して相談できる。だから、友達になろう?」


 いい提案でしょうと、フィルクは得々と語った。


「いいけれど……、友達ってなろうってなるものなのですか?」


 ちょっといきなりすぎるような、と思いながら、どこかで胸が弾む音がした。


「ちがうかもしれないけど、僕たちはそういうはじまりってことで。——ということで、これから敬語はなしだよ」


 人差し指を一本立てるフィルクに、メリヤナは、ふっと肩から力が抜けるのがわかった。


「……言っておくけれど、フィルクはさっきからすでに敬語じゃなかったわ」


「あ、そうだった。ごめんごめん」


 軽く詫びるフィルクに、メリヤナは遊び心で澄まして言ってみせた。


「一応、位家(いけ)の序列では、わたしのほうが高いのだけど?」


「……失礼しました、お嬢さま」


 フィルクが丁重に詫びるものだから、メリヤナは今度こそ吹き出した。フィルクもまた破顔して声を上げた。



 巻き戻しの世界で、メリヤナの唯一の協力者となる人物との出会いだった。

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