48話:大切な友人
「あなたは、ばかなのっ?」
人気がなくなったところで、メリヤナは振り返ってフィルクを罵倒した。
「あんな態度を取ったら、みんなからよく思われないに決まっているじゃない!」
場所は庭園も奥まった小林のなかだった。春陽が差し込むあたたかい光に包まれながら、フィルクは無表情を崩さない。
「フィルは自分から希望して国務府に入った。あなたが語学や諸国の事情に精通しているのを考えれば、当然のことだわ。どうして、それをクルスさまに言ってやらなかったの? 僕は自分で選んで入ったって。それどころか、彼をばかにするような態度を取って、勘ちがいされちゃうじゃない!」
「別に勘ちがいされたっていい。仕事には支障がない」
フィルクはにべもなく言う。
「そんなわけないでしょう! 何かをするには、人脈は大事よ。情報を得たい時や困った時、そういう時に人の伝が頼りになるの。そのために、最低限の人との関わりや礼儀は必要だわ。それなのに、あんな……。ましてや、殿下に対して失礼だわ」
「王太子に嫌われたところでたいしたことじゃない。そもそも、元から嫌われている」
「なんでよ?」
「さあ、どうしてだろうね」
含みを持たせながら、フィルクは諦めたように言った。言ってもわからないだろうと言わんばかりに。
メリヤナはその物言いに腹が立った。腹が立って、つい要らぬことを口にしてしまう。
「仕事上の付き合いや殿下には愛想ひとつ振りまけないのに、女の子には愛想を振りまけるのね」
額の裏で、ファルナ公女の姿がちらついた。
「……へえ」
フィルクの面白がったような声に、メリヤナは睨みつける。
「何よ?」
「それって、もしかして嫉妬?」
フィルクがにっこり笑うので、メリヤナはすぐに顔を真っ赤にした。
「ばかっ!」
「えー。リヤが妬いてくれたらうれしいのになあ」
「わたしが好きなのは殿下! あなたに妬いてどうするの、まったく。今のは嫌味よ、嫌味」
「ふーん」
楽しそうにこちらを窺い見るフィルクの目には、さきほどまで漂っていた冷たさは氷解しているように見えた。悪戯な光と、もうひとつ。真剣な光が宿っているような気がして、メリヤナは無意識にそれに気付かないふりをした。
(いつものフィルだ)
少しほっとして、胸を撫で下ろす。
「わたしはただ、あなたがちょっと怖かったから……」
小さくつぶやいた。
そう、怖かった。
メリヤナが知らないフィルク。覗き込んだことのない姿。
不意にそういった影を感じ取ることはあった。冷たく、誰も寄せ付けない視線。境界線を引き、己の領分を越えさせない態度。不用意に寄ってくるものがあれば、言の葉の刃を以って斬りつける。
もしかしたら、彼の生い立ちが影響しているのかもしれない。
メリヤナは知っている。側妻の子だったと聞いた。父親に顧みられず、母親は死に、周囲から愛情を受けぬまま、親戚筋の辺境侯位家の養子となった。
ローマン家での様子を聞いたことはないが、ウルリーカや、ケイウス、キリカの態度を見ていると、フィルクがずっと馴染めずにいるのは明白だった。
フィルクは、飢えているのだ。かつてのメリヤナがそうであったように。
「……リヤは、……幻滅した?」
だから、こうしてたしかめるようにメリヤナを窺う。ふとした瞬間に不安に苛まれて。
メリヤナはゆっくりと首を振った。
「ちがうわ。そんなことあるわけがない。だって、フィルはとても優しい人で……そんなあなたが誰かに勘ちがいされたままなのはいやよ。だから……」
「僕が優しいっていうのは嘘だ。優しいと言うなら、それは君の前でだけだよ」
フィルクが自嘲するように言う。冷ややかに自分を笑う。
メリヤナは、否定するように再度首を横に振った。
「あなたは優しい人だわ。不器用なだけ」
「どうして、そんなことがわかるの?」
「わかるわよ。だって、大切な人のことだもの」
メリヤナが淡く微笑めば、フィルクが固まった。それからほどなくして、力をなくしたように笑った。
「……リヤにはかなわない」
「じゃあ、少しは愛想よくできる?」
「努力してみるよ」
そう言うフィルクの顔には明るい諦念が見られた。
「まあ、でも、王太子には愛想よくできそうにないけどね」
「どうして?」
「……秘密」
にやりとする彼は、これ以上話してくれそうになった。
追求したところで答えてはくれまい。
メリヤナは溜息をひとつついて、それから話題を変えた。
「ついでだから、ひとつ報告しておきたいことがあるの」
「君の巻き戻しに関すること?」
「そうよ」
メリヤナが答えると、フィルクは真面目な顔になって肯いた。
「わかった」
メリヤナは、さきほどルデルから聞いたことをすべてフィルクに打ち明けた。
〈盟約の証となる報せ〉については、すでに説明してあった。本来であれば、国家の重大機密となる事柄を話していることが知られれば、重罪になりうる。しかし、メリヤナが冤罪となって処刑された以上、装置のことを話さずにはいられなかった 。フィルクが誓って口外しないと信用できるからこそ、メリヤナはすべてを明かしていた。
話を聞き終えたフィルクは、顎に手を当て考える仕草を見せた。メリヤナはそのあいだに自分の仮説を述べる。
「殿下の話をまとめると、そもそも〈盟約の証となる報せ〉を使用できるのは、この国には陛下と殿下、姫殿下しかいらっしゃらないことになる。でもまず、この三人が装置を使うことはまずありえない。となれば、その存在を理由にできる者が怪しい。わたしがルノワ宮中伯に述べられたことが半分嘘である以上、装置の存在を知っている人間で、なお且つ、王城の設計図の在り処を知っている者が、黒だと思うのだけど、どうかしら?」
「つまり、リヤは〈盟約の証となる報せ〉は実際には使われていなくて、隠蔽の理由のみに使われたって言いたい?」
「そういうこと」
「たしかに、その可能性はある。あるいは装置の存在を知らず、設計図の場所を知っている人間の可能性も」
「……そうね、それもそうだわ」
メリヤナは首肯する。
「だが、それ以上にもっと単純な話もある」
「単純な話?」
「実際に、装置は使われたという可能性だよ」
続けられたフィルクの言葉に、メリヤナは目を丸くした。
「何を言ってるの? まさか、陛下や殿下がやったって言いたいの?」
そうなれば、売国という行為を王族がやったことになる。そんなことはありえない。
「ちがうよ。僕が言いたいのは、まだ〈盟約の証となる報せ〉を使える権限があるものはいるだろうってことだ」
「使える人間なんて……」
言われてはじめて、メリヤナは思い至る。
「エストヴァンの皇族……?」
「そういうこと」
「皇族がフリーダに潜入するなんて……、それも王宮の内部に気付かれることなく入ることなんてできる?」
「難しいけど、できる可能性はあるね」
フィルクはこともなげに言った。
「リヤは、皇族をどれだけ知ってる?」
「どれだけって、今上皇王陛下と皇妃殿下、皇太子ユステル殿下、病弱だと聞く第二王皇子アステル殿下……それからあとは、皇弟殿下よ。それだけじゃない?」
「あと十人近くはいる」
メリヤナはぎょっとした。
「うそでしょう? だって、聞いたことないわ」
「だろうね。表に出てきてないから、知らなくて当然だ」
フィルクは淡々と説明をつづけた。
「エストヴァンの皇族には側室制度がある。皇王や皇太子は正妃以外に、側妃を持たなきゃいけない」
「え、でも、たしか皇族には〈唯一愛〉の権能があるって、昔言っていたじゃない」
メリヤナの血にも流れているそれだ。一人の人のみを愛し抜くという、女神エストの権能。
「そうだよ。だから、その神の血を引く者を絶やさないために、側室制度があるんだ」
「それって、じゃあ、絶対に愛されない人の元に嫁がなければいけないってこと?」
「うん、そういうことになる」
どこか憂えた空気をまとっているのは、フィルクが同じような境遇にいたからだろう。
「そんなの……まちがってる」
「まちがっていてもそうやって成立しているのがエストヴァンだ。側妃の子たちは皇籍に入ってはいるが、基本的に自由だ。宮殿に務める者もいれば、国を出る者もいる。十年以上行方不明の者だっている。だから、誰か一人くらいフリーダに紛れ込んでいたところでおかしくはない」
「…………」
「この件はとりあえず置いておこう。まず先にリヤは、自分が立てた仮説を潰すために動いて。装置の存在を理由にできるものや、装置それ自体のこと、それから設計図の在り処、そういう情報を調べて。僕は、司法府のことを調べる」
「……わかった」
なぜだか複雑な気持ちだった。
エストヴァンの側室制度を淡々と語るフィルクがその内実、どう思っているのか知りたくてたまらなかった。
「またわかったことは報告しよう」
フィルクがまとめて間もなくして、メリヤナは西門まで辿り着き、送り届けられたのだった。
次回から9章です。




