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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第8章:ドール石鹸を披露しましょう

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45話:八つ当たり

 コルト伯の屋敷の夜会に、ヨーチェから招待を受けて参加すると、屋敷中が開放されて招待客があふれていた。舞踏の間からは軽やかな音楽が流れていて、メリヤナは少し目を見開く。


「お迎えに上がらず申しわけございません、ドール公女さま」


 玄関の間できょろきょろとしていたメリヤナに声をかけたのは、招待主であるヨーチェだった。赤い漿果(しょうか)の夜会衣装は、ヨーチェの溌剌(はつらつ)とした空気感にとても似合っている。


「とんでもありませんわ、コルト公女。本日はご招待にあずかり光栄です」

「どうぞヨーチェとお呼びくださいませ。そう呼ばれるとこそばゆくて」

「では、わたくしのこともメリヤナと。ヨーチェさま」


 はい、と嬉しそうにメリヤナの名前を呼ぶヨーチェには、公位家の者に対する気遅れはまったくなかった。


 公位家の威光におもねるような輩はあまり信用ならない。

 それはメリヤナがかつての生で学んだことで、ヨーチェの態度はだから好ましかった。ところが、ヨーチェのほうは、はっと慌てたように口元に手を当てる。


「もしかして、あたくし無礼でしたか?」

「いいえ、そんなことありませんけれど……、何か気になりました?」


「その……たまに、上位貴族の方からお叱りを受けるものですから。態度に商人気質が現れている、と」


 ヨーチェが苦笑する。

 由緒ある位家の者ほど、新興貴族には手厳しいものだ。


「わたくしは気になりませんわ。気になっていたら先日のお茶会にも呼びませんし。ただ、高位の者のなかには礼儀に厳しい方も多いですから、気を付けたほうがよろしいのもたしかです」


 マイラなんかもそうだろう。ただし、彼女の場合は、あくまで礼儀に関することで、そこに新興貴族への嫌がらせのような気持ちは含まれていない。


「少し面倒くさいものですね、位家というものは」

「まったくです。わたくしも最近、面倒だと感じていたところです」


 メリヤナとヨーチェは互いに目を見合わせてくすっと笑い合った。同い歳というのは親しみやすさがあった。


「——それにしても、随分と人が多いのですね。音楽も少し聞き慣れないもののようです」


「等位貴族のものも呼んでいますし、一部取り引き先の者もいるので。もちろん、当家で厳しいふるい分けをした者ばかりですから、無頼漢はおりませんわ」


「それで人が」


「はい。それから音楽は……これは、街の踊りですの。当家の領地でよく流れているもので、領民もあたくしたち領主も一緒になって踊るもので……、もしかして、選曲をまちがっております?」


 ヨーチェの声が段々と萎んで、窺うような目になる。まるて水に濡れた猫のようで、メリヤナは笑いながら答えた。


「そんなことありません。領地を誇りに思っている証拠です。けれど、足取りがわからないので、あとで少し教えていただけると助かります」


「もちろんですわ!」


 ヨーチェは明るく返事をした。

 そこから、メリヤナとヨーチェは場所を移した。二階にある来客用の一室に移ると、早速石鹸に関する商談となった。


「名称は、ドール石鹸。希望小売価格が小銀貨一枚……って、そんなに安くていいのですか?」


 ヨーチェは、メリヤナが持参した書付を見ながら、驚いたように尋ねる。メリヤナは苦笑いで応じた。


「ほんとうはもっと安く設定したかったのだけど」


「ええっ? それはいけません。使用してみたからわかりますけど、とても品質の良いものです。安売りしては劣悪品だと思われますからね」


「……そうね」


 メリヤナは複雑な胸中だったが、口を噤んだ。


「特許権は、メリヤナさまとそれからアズムという職人で構いませんか?」


「ええ。割合は半々でお願いします」


 これはアズムと話して決めたことだ。別に一割でいいと言っていたが、ここまでこれたのもアズムという職人がいたからだ。そこは相応の報酬が支払わなければならない。


「わかりました。専売権は当家でよろしいですか?」


「ヨーチェさまが一番に声を上げてくださいましたから、もちろんです。ただし、条件がございます」


「お聞きします」


「もし、石鹸が売れるようになったら価格の見直しをお願いしたいのです。わたくしとアズムは、石鹸で利益を出すことよりも広く普及することを望みます」


「うーん……、そうですね、承知しました」


 ヨーチェは一瞬迷った素振りを見せたが、すぐに肯いた。それから書棚から一枚の紙を取り出して、するすると文字を記していく。


「こちらが契約書です。契約内容にまちがいがなければ、ご署名を」


 不思議に光沢のある紙だった。金粉でも撒いたように燈燭(とうしょく)に合わせて光っている。


「これは術が施してある紙なのです。こういった契約に用いるものなのですけど、署名をした者同士が契約内容に違反しないために用いますわ」


「……違反したらどうなるのです?」


「違反した人を見たことがないので、あたくしも知りません。ただ、破れない紙がひとりでに破けるそうですから、それをもとに司法府へ申告はできるかと」


 なるほど、とメリヤナは頷くと書面に入念に目を通して署名をした。二枚署名し、一枚をメリヤナが、もう一枚をヨーチェが持った。


「これで終わりです。どうぞメリヤナさまは、夜会をお楽しみくださいな。あたくしは庶務(しょむ)を終わらせて戻ります」


「ありがとう。そうしますわ」


 メリヤナは目礼をすると部屋から出た。扉の前で止まって、ふうっ、と一息をつく。


(これで今日来た理由はひとつおしまい、と)


 あとはヨーチェに任せて、メリヤナは動向を見守るだけだ。


 階下の喧騒に戻って、フィルクを捜してあちらこちらと足を運ぶ。たしか、今日の夜会には招待されていると言っていたはずだ。途中、何度も声をかけられてその度に足を止めることになったが、なんとか舞踏の間で目的の人物の影を見つけると、


「フィ——」


 名前を呼ぼうとして、途中で言葉が詰まった。

 フィルクの横には、ファルナ公女エオラが親しげに立っている。フィルクの横顔は和やかそのもので、エオラは嬉しそうに顔を赤らめていた。ふとエオラがこちらに気が付く。だが、そのままフィルクに何かを話しかけて、彼が肯くと導かれるように舞踏の間の中央に行ってしまった。


 あっという間のできごとだった。


 メリヤナは呆然と、体から気が抜けてしまったように、そろそろと舞踏の間を出ていく。体を引きずっているような気持ちで、給仕係に何気なく渡された杯を口にした。

 葡萄のほろ苦さと甘さ、しゅわっとする泡が口中を満たし、それを飲み込むと、なんだか体の中心があたたかくなり、不快な気持ちがすっきりするようだった。



 そうだ。自分は今、なぜか不快なのだ。



(どうしてかな)


 露台に出て、夜風に当たりながらメリヤナは考える。

 これと似たような気持ちを、以前にも感じたことがある。どんな時だったか。


(なんか頭がぼうっとする)


 上手く考えられない。思考が停止してしまったように。けれど、嫌な気持ちは沈殿している。払拭するように、杯をまた口にした。


「——リヤ」


 今はあまり会いたくない人から、名前を呼ばれた。その人だけしか呼ばない名前。

 メリヤナがぼうっとする目で後ろを向くと、フィルクがそこにいた。


「良かった。捜していたんだ。少し話がしたくて」

「…………」


 捜していたなんて嘘だ。さっきまでファルナ公女と一緒にいたではないか。

 感情がどろっとする。


「少し考えていたことがあって、今いい?」

「……うん」


 メリヤナは面白くない気持ちを、杯を呷ることで誤魔化した。


「君の巻き戻る前の話のことだけど、」

「……うん」


「冤罪をかけられたって話があったよね。あれについて、僕なりに調べようと思うんだ」

「……どうして?」


 はっきりしない頭でメリヤナは尋ねる。


「君は、11歳からやり直して、王太子に嫌われないように、好かれるように努力をしてきただろう? だが、たとえ王太子に嫌われなくても、陰謀に巻き込まれる可能性はある。その根は潰しておく必要があるだろう」


「そうね」


 それはメリヤナも思っていたことだ。母に〈盟約の証となる報せ(メルディメルグ)〉のことを尋ねて以降、何から着手をすればいいのか八方塞がりだった。


「ルノワ宮中伯に刑を言い渡されたと言っていたよね?」

「うん……」


「ルノワ宮中伯は、司法府の長官だ。僕の義姉の……嫁ぎ先の父親でもある」

「…………」


「だから、義姉やその夫を通して司法府の内情を探ることができる。幸い僕も王宮務めをしているから怪しまれることはない。だから、何かわかったら知らせるよ」


 にっこりと笑ったフィルクが頼もしく、眩しかった。あたたかな気持ちが湧いてきて、けれど、さっき舞踏の間で目にした光景が思い出される。


「……わたしも話がある」


 気がつけば、メリヤナは礼も口にせずに、別の言葉を口にしていた。


「わたしたち、もうあんまりふたりきりで会うのはやめたほうがいいと思う」


 あれだけ言うことをためらっていたのに、するりと言葉は出てきた。


「わたしも社交界顔見せ(デビュー)をして、多くの人と接するようになったばかり。殿下の婚約者として、他の男の人と噂になったら大変だもの。それこそ殿下に嫌われるかもだし」


 フィルクからの反応がないのをいいことにメリヤナは続けた。


「お互いもう大人だから、親しい友人というのは変わりはないけれど、ほどほどのお付き合いをしましょう?」


 言ってやった、という気持ちがあった。発散したという気持ちが。さっきまで不快に感じていたものが晴れた気がした。マイラに忠告されたことをずっと言えずにいた後ろめたさが少し晴れたというのもあったけれど、不快感の解消が一番だった。

 メリヤナがすっきりとした気持ちに良くして、再び杯のなかの液体を口に含むと、フィルクが反応した。



「……へえ」



 無機質な声に、ぞっとした。

 メリヤナがおそるおそる顔を向けると、そこにいるフィルクはまったく笑っていなかった。瞳が氷のようだった。


 たじろぐと、足を踏み外した。体が傾ぐと同時に、あっ、と声を上げる。体をすくわれると抱きとめられる。鼻腔にミラルの香りがくすぐった。



「——それは逆だよ、リヤ」



 耳朶(じだ)に声がふれて、どきりとした。


「逆に、他の男と仲良くしていたほうが、王太子は不安になって君が気になって仕方がなくなるよ」


「そんなの……あなたに教わった秘術には——」


「応用だよ。親しくしながら気のない素振りをすれば、人は不安を煽がれるんだ。その相手役を僕にすればいい」


 ね? と優しい声が、毒のようにメリヤナのなかに回った。酩酊感と一緒に血流に乗って、曖昧な思考がより模糊としたものになる。

 言われてみればそうかもしれない、とぼんやりと思う。


(そうすれば)


 このぬくもりを失わずに済む。

 この香りを忘れられずに済む。

 親しい友人と距離を置かずに済む。

 それは、メリヤナにとって最良の選択だ。


「わかった、わ……」


 瞑目すると心地が良かった。あたたかさがたまらなかった。さっきまで感じていた不快な気持ちが滲むようにとけていった。



 ——フィルクの表情は見えなかった。

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