44話:アズム親方の説教
石鹸を披露し、持ち帰ってもらってから一週間、コルト伯令嬢ヨーチェからの書簡が届いた。ぜひとも石鹸を当ミリアン商会で扱いたいという旨だった。
「手筈どおりね」
メリヤナは読み終えてすぐに、カナンに声をかけた。
「アズムのところに行くわ」
簡素な外出着に着替えると、馬車を東王都に走らせる。16の誕生日を迎えてからというもの、さすがの父ファッセルもメリヤナに時間の拘束をしなくなった。アズムと細かな会合をしやすくなったうえ、石鹸工房以外にも自由に足を伸ばせるようになったことが、メリヤナにはありがたかった。
「アズムはいる?」
工房に着いて声を張り上げると、間もなくして前掛け姿のアズムが現れた。
「ミリアン商会から取り引きをしたいという申し出があったわ」
アズムと知り合ってから三年経つが、この男は相変わらずだった。落ち窪んだ目に筋肉隆々とした体躯、聞き取りにくい低い声。言葉数は増えたけれど、外見はまったく変わっていない。
「さすがだな」
どかっと音を立てて、アズムは客用の丸椅子に座った。
工房のなかには動物油脂の臭いが満ちている。橄欖石鹸を作る傍ら、アズムは動物石鹸を作り続けていた。需要があるのでやめるわけにはいかないのだ。
いったい、いつ休んでいるのだろうか、とメリヤナは思う。
「それに当たって相談よ。いくらで売り出すのか決めないといけないわ」
今までメリヤナとアズムは試作品を作って、自分たちや周囲に意見を求めることに終止していた。商会に取り扱ってもらうとなれば取り引き値を決めなければならない。同時にアズムの工房でも売ることを決めていた。そのためには、価格を設定しなければいけない。
メリヤナは自分自身で考えた価格を口にした。
「石鹸ひとつで、フリーダ銀貨一枚っていうのはどうかしら?」
ぎょっと目を丸くしたのはカナンだった。
「お嬢さま、小銀貨一枚でございますか?」
「……ええ」
そんなに驚くことだろうか。
メリヤナがたじろぐと、嘆息が聞こえた。
「このうつけが」
「アズム殿!」
カナンがアズムを非難するように声を上げた。
いいのよ、とメリヤナはカナンを押し留めると、アズムに向き直った。
「わたし、そんなおかしなことを言った?」
「さすがは公位家のお嬢さまでいらっしゃる。金銭感覚が庶民と大ちがいだ」
アズムはやれやれという様子だった。
「そしたら、その感覚を教えてもらわないと困るわ。わたしとあなたは、商売仲間なのだから」
メリヤナが喰い下がって言えば、アズムは面倒くさそうに立ち上がった。受付台の抽斗のなかから、硬貨を数種類並べる。
「銅貨を見たことは?」
「……正直、ないわね」
むしろ、メリヤナはほとんど硬貨を目にしたことがなかった。父母のやり取りで金銭に関する話は聞くが、実物のやり取りはおよそ家令などが行うもので、貨幣というのを持ち歩いたことがなかったのだ。
「だろうと思った」
アズムは、まず大きさのちがう三枚の茶色の硬貨を並べる。
「基準になるのは、小銅貨、つまりフリーダ銅貨であることを覚えておけ」
「わかったわ」
「この小銅貨一枚は、麦粉焼一個を露店で買える価値がある」
言ってからアズムは、小銅貨よりさらに小さな銅貨をメリヤナに見せる。
「これは、小銅貨の半分の価値がある。露店で乳一杯を買える。半銅貨という。この半銅貨一枚と小銅貨一枚が、庶民の感覚の一食分だ」
メリヤナは肯きながら、少ない、と感じた。一般民の一食の感覚からすると、貴族というのはなんと豪華な食生活をしているのだろう。感じ入るものがあったが、メリヤナは続きを聞くことにした。
「そして、エストリラ銅貨、通称大銅貨は小銅貨六枚分の価値がある」
「つまり、四食分の価値があるってことね?」
「そうだ。この大銅貨一枚で一日食っていける」
「じゃあ、フリーダ銀貨の価値は?」
メリヤナが石鹸一個の値段にしようと思っていた硬貨だ。
アズムはさらに大小二枚の銀貨を出した。
「小銀貨は、大銅貨十枚分の価値だな」
「そんなに?」
メリヤナは絶句する。
「小銀貨三枚あれば、一ヶ月は食っていけることになるな。大銀貨……エストリラ銀貨は、小銀貨十枚分だ。だいたいこの大銀貨一枚分が、平民の最低の給料だな」
「……家族を養っていけるってことね」
「それは少し難しいな。夫婦だけならまだいいが、子どももいるとなると難しい。生きていくためには食うだけじゃなくて、税も納めなきゃならんし、生活必需品だって要る」
なるほど、とメリヤナは唸った。どうやら自分は相当見当ちがいの価格設定をしていたらしい。
「おれの工房にあるのはここまでだな。金貨は取り扱ってない」
「……フリーダ金貨と、エストリラ金貨はどれくらいの価値があるの?」
「小金貨は、大銀貨の十二枚分。大金貨は、小金貨の十枚分と言えばわかるか?」
「フリーダ金貨は、一人の人間が一年暮らしていける価値で、エストリラ金貨は10年暮らしていける価値ってことね……。はあ、わかったわ」
メリヤナはがっくりと項垂れた。
十日も食べていける値段のものを普通は買いたいと思わないだろう。
橄欖石鹸の質がいいことには自負があるけれど、身綺麗にすることと食べていくことを天秤にかけるのであれば、普通は食べていくことを取る。当たり前の感覚だ。
「おれの感覚では、せいぜい大銅貨二枚だな。質がいいとわかっていても、それくらいしか出せん」
「そうよね……。……カナンもそう思う?」
メリヤナが尋ねると、カナンは迷った様子で言葉にした。
「そうですね……。あるいは、美容に効果があるとわかれば、女であれば、大銅貨三枚は出すかもしれませんが、それまでですね」
そういう感覚なのだろう。いかに自分が貴族かわかった。
「……そうなると、少し困ったわ」
メリヤナは壁に寄りかかる。
「そんなに安く売ると逆にミリアン商会では取り扱ってもらえないかもしれない」
アズムが片眉をくいっと上げて、説明を求める。
「ミリアン商会は貴族の贅沢品とかを主に扱ってるのよ。その最低価格が、小銀貨一枚。貴族っていうのは、贅沢をすることを性分とするから、安すぎるものは買わないわ。そうすると、そんな安いものを買うのかって後ろ指を指されるからね。質よりも値段を取るのが貴族なのよ」
「……さっぱり意味がわからんな」
「そういう世界なの」
メリヤナとてこの数年でばからしいと思うようになってきたが、かつてはそれが当然だった。贅沢をすることが日常。それが貴族だ。
どうするべきか。
悩ましい沈黙が流れた。
あまり高い値段にすれば平民は買えない。逆に安すぎては貴族が買わない。
頭を悩ませていると、アズムがぽつりと言った。
「一度対象を貴族だけに絞ってもいいかもしれんな」
「どういうこと?」
「メリヤナが言うように小銀貨一枚の価値で売ってみて、石鹸の需要をはかるんだ。質が良いとされれば、需要は上がるし、人の噂になる。噂になれば石鹸を使うものも増えるだろう」
「それはわかるわ。でも、アズムはいいの?」
あらゆる人に石鹸の良さを届けたいというのがアズムの願いだ。それは王侯貴族だけに限らず、庶民にも知って欲しいというものだったはずだ。貴族だけに売るとなると、アズムの本心に反してしまう。
「いいんじゃないか?」
アズムは、けろっと言った。
「日常の汚れを落とすのに石鹸を使うっていうのは庶民には馴染みがあるが、身綺麗にするのに使うっていうのはあまり馴染みがないことだ。貴族のあいだで噂になってきれいになるらしいってことがわかれば、庶民も少しは興味を持つ。だから、取り扱ってくれる貴族さまに、くれぐれも石けんの良さを噂にしてくれるよう頼んでもらえば、おれとしては満足だ」
メリヤナは、ぱちぱちと目をしばたいた。
(そっか)
そんなに急いでやることではないということだろう。急いては事を仕損じる。きっと、そういうことだ。
「わかったわ。うんといい評判が出回るように企むことする」
メリヤナがにやりと笑うと、アズムもまた人の悪そうな顔を作った。
「よろしく頼む」




