40話:ルデルのまだら
ざわめきが壁を震わせるように響いてくる。
すでに招待客のほとんどは舞踏会場の大広間に詰め寄せているだろう。あとは国王と王妃、今年社交界に顔見世を行う子女、そして、自分たち——王太子ルデルアンと婚約者であるメリヤナの入場を待つのみだ。
ルデルに緊張はなかった。
慣れた、というべきか。
洗礼式から二年、様々な公的な行事に参列するようになり、回数を重ねるごとに体が固くなることがなくなった。
おそらく一番は、父王に従って狩猟に参加するようになったことが影響している。獲物を仕留める時の緊張。自然の生き物との戦いほど差し迫った場面はない。洗礼を受けてから、馬上槍試合への出場も許されるようになり、そうした経験を積むことで、体は必要以上の強張りを感じなくなっていった。
「——殿下、ドール公女さまがいらっしゃいました」
エッセン卿に導かれて、皓白の衣装をまとったメリヤナが、控室に入室した。
「——ルデルさま、お待たせいたしました」
微笑む彼女はえも言われぬ美しさだった。年々、花開くようだったが、まるで今日が満開に開くその日のように咲き誇っている。顔見世の女子はみな同じ白い衣装を着るのに、メリヤナの白が神々しく輝くのはまちがいなかった。
息を呑んでいると、メリヤナが首をかしげる。
ルデルは慌てて胸中を隠すように咳払いをすると、メリヤナの手を取った。
「行こうか」
大広間へと続く道のりを歩む。手を引いていると、清潔感のある匂いが鼻をかすめた。
扉の前に辿り着くと、ルデルはメリヤナに向き直って尋ねた。
「ここからはお互いに成年した身となる。あなたの負担も増えるだろうが、付いて来てくれるか?」
「もちろんですわ。そのために、これまでを過ごしてきました」
メリヤナのしっかりした返事に、ルデルは満足して肯いた。
「頼りになる。行こう」
歓声と拍手、角灯の光によってルデルとメリヤナは迎えられた。
この会場を訪れている大衆がルデルたちの成人を祝福しているのだとわかった。自然、笑みに自信が浮かぶ。観衆に答えるようにルデルは手を挙げた。
ふと強い視線を感じて、そちらを見やる。ルデルは気が付くと、すうっと目を細めた。
(レッセル辺境侯のローマン公子、か)
令息が見ているのは自分ではない。メリヤナだ。
煌々とした灯りや、室内装飾の金銀に負けぬ輝きを放つ。この場にいる男たちの視線を釘付けにしているのはたしかだった。それはいい。彼女が輝いているのは自明なことだからだ。
——だが。
ローマン公子が見つめているということが、解せなかった。
初めて会った時から、ルデルのなかには公子に対する違和感が存在していた。それは二年前のできごとで明確な不快感へと変わり、今では嫌悪とも言える感情が伴っている。
ちょうど二年前。
洗礼式で神託を受けたメリヤナは、過労と心労が祟って、自失状態に陥った。当時、ルデルは予定を無理に詰め込んだり空けたりして、忍んでメリヤナを見舞ったが、彼女は回復しなかった。
その一週間後だ。回復したメリヤナが見舞いの礼を言いに、自分の元を訪れたのは。
痩せ細ってはいたが、生気を取り戻した頬には赤みが差して、蒼穹の瞳には光が戻っていた。これはどうしたことか、どんな心境の変化があったのか、内密に調べさせてみると、自分の訪れのあった数日後に、ローマン公子の訪れがあったという。公子の訪問ののち、メリヤナは正気を取り戻した。
ルデルは煩悶した。
何がいけなかったのか。どうして、自分ではいけなかったのか。
メリヤナにそれとなく聞いてみたものの、彼女はどこか憑き物が落ちたような朗らかさで、
「わたくし自身が勝手に思い込んでいただけなのです」
と答えた。それが何に対するものなのかわからなかった。だが、彼女が知らずに背負っていた荷を下ろすことができたことはわかった。そして、その手助けをしたのが公子だということも。
——私の言葉ではなかったのだ。
彼女を救ったのは。
それが無性に腹立たしく、それを成し遂げたフィルク・ローマンという令息に、形のある不快を覚えたのが二年前のできごとだった。
それから二年。
メリヤナと接することは以前より増えたにもかかわらず、彼女の傍らにはフィルク・ローマンの影がちらつく。そのたびにルデルは不快感を募らせ、敵意と嫌悪が斑模様を描くのだった。
今もまた、胸中に斑が描かれる。
公子の視線に答えるようにメリヤナが微笑むと、ルデルは知らず、メリヤナの手を強く握った。感じ取った彼女の瞳が疑問を持ったように自分に戻ってくる。そのさまに、ルデルは昏い優越感を覚えた。
メリヤナと共に、父王と母妃の前に歩みを進めると、祝いの言葉を成人の代表としてもらう。
「王太子には、これより〈高貴なる責務〉が伴う。武に秀でる王太子には、その責務の証として、祖ムルジアンの剣と、勲章、大綬を授ける」
ルデルは国王の言葉に一礼をすると、首座に一段上がり、宝剣と黒の大綬、金色に輝く勲章を受け取って身に付けた。
再び歓声が上がる。
祝福された顔見世たちと共に、新年の夜会のはじまりだった。
ルデルとメリヤナは、記念の円舞曲を中央で踊る。メリヤナの足取りは軽快だ。心底、この場を楽しんでいるように見えた。
「嬉しいのか?」
「え?」
尋ねると、メリヤナはきょとんとした。
「あなたの機嫌がいいように見えるから」
「そう見えますか?」
メリヤナが恥ずかしそうにはにかむ。
「少しうきうきしています。やっと成人式を迎えられた嬉しさがありますし……、それに、」
と、彼女は視線を反らしてから、より恥ずかしそうにつぶやいた。
「ルデルさまが、その……とても素敵でしたから」
ルデルは危うく足付きをまちがえそうになった。
顔がうっすらと赤くなっているメリヤナが、上目にちらっと自分のほうを見る。ルデルのほうもまた赤みが移ったように、耳が熱くなるのがわかった。
「それは、その……礼を言う」
「……はい」
完全に不意打ちだった。
ここ数年、メリヤナはどこか大人な空気をまとって、それとなくこちらへの好意を表すだけだったので、ルデルもそれに慣れていた。自分のことを慕ってくれているのだろうという自信はあったが、今回のように明確に好意を伝えてくるのは、久しくなかったことだった。
一曲が終わる頃には少し落ち着きを取り戻した。だが、発言した彼女のほうはまだ恥ずかしさが残っていたらしい。
「あの、少し席を外して参ります」
「ああ」
この場の恥ずかしさから逃げるように去っていく彼女に名残惜しさを感じつつ、ルデルは祝いの挨拶に列を成す貴族たちを相手することとなった。




