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3話:神の悪戯

 話は少し前に(さかのぼ)る。



「まあ、メリヤナ! 会いたかったわ!」



 領地の視察から王都の屋敷に帰ってきた母スリヤナから、ぎゅっと抱きしめられて、メリヤナは懐かしい匂いに包まれた。


「お帰りなさいませ、お母さま、お父さま」

「ただいま、メリヤナ」


 抱き締め返すと、母の()だまりのようなにおいがした。父が和やかな顔で母娘の抱擁を見守っている。失ってしまったはずのぬくもりに、つんと鼻の奥が痛くなった。


 ドール公当主ファッセル。夫人スリヤナ。

 メリヤナの父と母は、かつての行いで激怒させ、落胆させ、悲嘆させ、そして、自死に追いやってしまった家族。


 メリヤナの所業が表沙汰になり、そのことを知った父公は怒り狂い、屋敷から一歩も外に出ないように命じた。父母は娘が行った数々のことを知って、育て方をったことを後悔し悲しみに暮れた。領地へと帰って償いをしようとした矢先で、今度はメリヤナの売国罪の疑いが明らかになり、有罪が言い渡されるや否や、父母は服毒自殺をして帰らぬ人たちとなった。メリヤナはその事実を、処刑当日の朝、牢のなかで知った。


 どうしようもない親不孝をしてしまった。

 償いたかった。

 その家族にまた会える奇跡を、メリヤナは、運命の神に感謝をしなければいけなかった。


「王妃殿下の園遊会は楽しかったかしら?」


 抱擁を解いたスリヤナは、外套(がいとう)を使用人たちに渡しながら、メリヤナに問いかけた。


「ええ、お母さま。とっても素敵なお庭だったわ」


「ルデルアン殿下との婚約の発表もあったのでしょう?」


「う……、うん」


 言葉に詰まりながら返事をすると——メリヤナは自分の失態を見られたところを思い出していただけなのだが——、母は何を勘ちがいしたのか、にやりと口元に笑みを浮かべて、おほほと微笑んだ。娘の初恋などお見通しと言いたいのだろう。


「そんな大事な時に間に合わなくてごめんなさいね。代わりに、うんとお土産を買ってきたから許してちょうだい」


「ありがとう。でも、お母さまとお父さまが帰ってきたことが一番のお土産だわ」


 母の勘ちがいを避けるように交わすと、メリヤナは笑ってそう返した。


「まあ……!」

「……お前は口が上手になったじゃないか」


 まんざらでもないという表情で、父が頭を撫でるので、メリヤナは心があたたかくなるのを感じた。けれど、次の瞬間の父の行動に、心臓が口から飛び出そうになった。


「——え? ええっ!」


 ぐわんと上体が浮かんで抱え上げられたかと思うと、気が付いたら父の腕のなかにいた。


「お、お父さまっ!」


 驚いて手足をばたつかせると、横抱きにした父の腕はびくともしない。そのまま悠然と歩くのだから、メリヤナは慌てた。心は18くらいだが、体は11というちぐはぐさが、今の現状をよりいっそう混乱させる。

 慌てふためいていると、


「きゃー、メリヤナちゃん、羨ましいわ! あなた、わたくしにも」


「お前は、夜に、な?」


「まあ!」


 夫婦の熱い会話が飛び交うので、いたたまれなくなる。


 メリヤナは白目を向きながら、居間まで運ばれる短い時間を過ごした。


 そうされてから、ひと通り土産の紹介を受けた。なかにメリヤナの苦手なドール領の特産物である海藻が混ざってはいたが、美髪にいいという母のありがたい気づかいを受け取った。昔の自分であれば、「こんなの嫌いよ!」と投げ捨てていたものだった。

 どうにか使い道を考えようと思っていたところで、スリヤナは、別の話を持ち込んだ。


「来週にでも、お茶会を開こうと思うのよ」


「お茶会?」


「ええ。港にね、とてもいい茶葉が運ばれてきたから、お試しがてら少しもらってきたの。お呼びした皆さまに気に入ってもらえたら、我が領の特産になるかもしれないわ」


 ドール領には特産物が数多くあるが、海南諸島(かいなんしょとう)を経由した貿易品もまた、ドールの特産となりつつあった。


「何人かお声がけして、できればご子息やご息女もお連れくださいと招待状を書くつもりでいるから、メリヤナもそのつもりでね」


「わかりましたわ、お母さま」


 母の意図は、わかっている。王太子の婚約者として、同年齢の子女と交流を深めるように、ということだろう。


 今回のお茶会のことは忘れてしまったが、そういう機会は何度となくあった覚えがある。その時、メリヤナが選んだ友人たちは、いずれも公位家の威光を借りようというものばかりであった。だから結局、王太子の婚約者として役立つような、良い関係を結べなかった。上辺だけの友人関係だったと今になって思う。


(今度こそ、いい友人と巡り合わないと)


 お茶会を前に、メリヤナは胸の奥で決意をゆらりと燃やした。



   *



 そして、現在に戻る。


「——皆さま、ようこそいらっしゃいました」


(なんで、ここにあの子がいるの)


 女主人として歓迎を示すスリヤナの横で、メリヤナは皮膚の内側を引き()らせた。外側に出さなかったことを評価してもらいたい。


 応接間の長椅子に優雅に腰掛ける貴婦人たちの近くには、各々の子女たちがおそらく十人ほど揃っているだろう。みなが、スリヤナとメリヤナを見ていた。


 そのなかで一際、強い視線を感じ取って、何気なく見やった瞬間、メリヤナはあんぐりと口を開きそうになった。これも首をかしげる程度におさえた自分を褒めてもらいたい。


 園遊会で出会った少年。かわいい、美形の少年。肩にかかるくらいの、白金色の髪が御使(みつか)いのような少年。



 ——そこに、彼がいた。



 あれほど再会したくないと願った人物に、一週間もせずに再会することがあろうか。

 神の悪戯を感じる。いや、悪意か。


 メリヤナは、母が挨拶を続けるなか、顔を覆いたくなる思いを全身全霊で押さえつけて、主催家の令嬢として社交的な笑みを浮かべ続けなければいけなかった。


 向こうもおそらく、メリヤナをあのはしたない令嬢だと気が付いている。何せ、ずっと強い青紫の視線が離れないのだから。むしろ、上目に睨まれていると言っても差し支えない。美形に睨まれると、いくらかわいらしい顔立ちであっても、怖く感じるのだとメリヤナは知った。


「——見知っている方も多いかとは存じますが、一言ずつでよろしいので、皆さまご挨拶をお願いしてもよろしいかしら?」


 恐縮なのですけれど、とスリヤナが断りを入れた。

 すっと品よく立ち上がったのは、老婦人からだった。


「では、わたくしからね。サール公が妻アリエス・ハルヴィスですわ。今日は、わたくしの孫娘を連れて参りましたのよ。どうぞ、よろしく」


 立ち上がった孫娘は、そばかすの浮いた顔で淑女の礼をした。


(マイラーラさまだわ)


 マイラーラとメリヤナは、二代公位家(こういけ)の同士であるというのに、およそほとんど接点がなかった。成長してから、あのそばかすが消えて、サール公夫人に似た品のいい令嬢として評判が高かった。——自分と違って。


 逆戻し前の自分と比べると、あらゆることで気落ちしてしまうので、メリヤナは頭のなかで首を振った。

 続いて、侯位家の夫人たちの挨拶が始まり、最後に挨拶をはじめたのがレッセル辺境侯位家の夫人だった。


「本日はご招待に(あずか)り光栄ですわ。ウルリーカ・ローマンと申します。夫は、レッセル辺境侯を務めておりますわ。スリヤナさまのお言葉に甘えて、息子と娘を三人も連れてきてしまいましたが、どうぞよしなに」


 隣国なまりのある挨拶に、メリヤナはおやと首をかしげた。次々と頭を下げる子息たちのなかに、あのかわいらしい少年が含まれているのを確認しながら、母を見上げる。


「ウルリーカさまは、エストヴァンのご出身でいらっしゃったのですよね?」


「ええ。東部の出身ですわ。言葉はごめんなさい。いまだに、なまりが抜け切らないんですの」


「とんでもありませんわ。わたくしにもエストヴァンの血は流れていますし、隣国からすれば、こちらがなまっているように聞こえるでしょう。それに、母と話しているようで親近感を覚えますもの。どうぞ、本日はお楽しみになって」


 スリヤナの言葉で、おおよそのことを察することができた。つまり、ウルリーカという女性は、エストヴァンからフリーダに嫁いできた身なのだ。だから、言葉になまりを感じられるのだろう。

 そう考えてから、メリヤナは自分の思考に叱咤した。


(あちらからすれば、こちらがなまり)


 なまっているというのは、こちらから見た解釈にすぎない。


 あらゆる物事には別の側面がある。目先のものだけに囚われては、大局を見ることはできない。近視眼的(きんしがんてき)な思考が、回帰前の自分の狭い視野を生んだのだ。


 メリヤナは、目が合ったウルリーカに微笑んでみせて、己の思考にさよならを告げた。


 そして、はじまった茶会では大人たちが優雅に茶と談笑を楽しむ裏で、集まった公子公女たちに質問攻めに合った。



「王太子殿下とのご婚約おめでとうございます!」


「殿下のお好きなところはどこですの?」


「殿下は、馬蹴球(ホロー)が好きだと聞きましたが、私も仲間に入りたい旨を伝えていただくことは?」


「メリヤナさまは、どういったご趣味がありますの?」


「今度、我が家でもお茶会を開こうと思いますの。もしよろしければ、殿下もご一緒に」



 など、さまざまな質問と主張に呑まれながら、メリヤナはやんわりと返事をし、この茶会を催した母に苦言を呈しそうになった。


(このなかで、どうやって友情を育めばいいというのよ)


 かつての自分は、どうやってこの場を切り抜けていたのだろう。高笑いだっただろうか。子どもの頃の応酬なんて覚えていない。

 こちらをじろじろと見ていた(くだん)の公子は、マイラーラ令嬢と共に今やどこ吹く風で大人たちに混じって茶会の談話を楽しんでいる。


 恨めしい気持ちを貼り付けた笑みで隠しながら、メリヤナは時を過ごした。



「——少し、失礼いたしますわ」



 そう言って中座したのは、限界だったからだ。微笑んでそっと礼をしてから応接間をあとにすると、メリヤナは一目散に玄関の間から外に出て、外気を吸った。


「やってらんないわっ!」



「——何がですか?」



 ぎょっとした。

 誰もいないことを確認して叫んだはずだった。なのに、後ろから声が聞こえて、メリヤナは猫が尻尾を踏まれたかのように飛び退って驚いた。


 振り向けば、半分空いた玄関から、あのかわいらしい少年が、変声期前特有の高い()んだ声で尋ねたのだとわかった。

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