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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第6章:炎の洗礼

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37話:僕を信じて

 メリヤナは、はっとしてフィルクを見た。その双眸には、さきほどまでの気安い空気は微塵も感じられなかった。初めて会った時、メリヤナを品定めした時の強い視線だった。真実を検分しようとする目。そのなかに、(くら)い熱のようなものが見えた。炎のような、闇。


 メリヤナは、怯んだ。


「ずっと不思議だった。君は、王太子に好かれたいと言っているけれど、どこかその態度は事務的だ。たしかに、好きなんだろう。それは見てわかる。だが一方で、何かを恐れるようなのは、どうしてなんだ?」


「それは……」


「洗礼式で〈運命の乙女〉という神託が下った。僕も神殿の外で聞いていた。重荷だけど、君にとってはいい託宣のはずだ。王国の運命であるなら、王太子に見捨てられることはないだろう。王太子は、いずれ王位を継ぎ、王国そのものなのだから。なのになぜ、メリヤナは、屋敷に閉じこもり、あまつさえ、死のうとしたのか? どうして、死にたかった?」


 教えて、という言葉が、出会ってから誤魔化し続けていたことを問うているのだとわかった。見極めようとする瞳が、メリヤナを追い詰めた。


(この人も……)



「——……それを知って、どうなるの?」



 メリヤナは喰ってかかるように睨んだ。


「わたしが隠していることを知って、どうするのよ?」


 どうせ信じてくれないに決まっている。信じないのに、なぜメリヤナを解き明かすようなことするのだろう。残酷なことをするのだろう。


「あなたはただ、知りたいだけじゃないっ‼」


 メリヤナは叫んだ。暴くように。これまで積み上げていたものを壊すように。


「リヤ……っ」


 フィルクが、うろたえた。体が、傾いだようだった。


「あなたは自分が裏切られたくないから、期待してあとから裏切られたくないから、だから真実が知りたいだけよ! わたしのことなんか、考えていないんでしょうっ?」


「……ちがうっ、リヤ、ちがうよっ」


 ずっと感じていたことだ。フィルクが人のことを探求しようとするのは信用する人を選別するため。裏切られないために確認するため。知って理解して納得して、自分の感情が乱れないために落ち着くためだ。——メリヤナのため、ではない。


「ちがわなくないっ! やめてよ。もう。わたしのほうがたくさんよ」


「リヤっ……」


「裏切られるのなんか、たくさんっ……。もう十分なのっ。放っておいて……お願いだから……」


 メリヤナも同じだった。もう二度と、誰にも裏切られたくなかった。


(けれど……)


 こんなことを言ってはいけなかった。本人に一番言ってはいけないことをメリヤナは言ってしまった。それは今までの関係を壊す行為。超えてはいけない壁を壊す行為。友人でいられるための、最後の境界。


(もうだめだ)


 終わりだ。超えてしまったから。


 ——メリヤナには誰一人として仲間がいなくなる。メリヤナはこの生で孤独に戦わなければいけない。誰も、いない。


 がたっ、と椅子を引く音がした。

 去るのだろう。当然だ。もう二度と、この親しい友人と言葉を交わすことはできない。メリヤナが違反をし、壁を乗り越えたのだから。


(わたしの……、大事な友だち)


 目を瞑る。見ていられない。顔を下げる。


「——許して、リヤ」


 響く言葉に、メリヤナは伏した顔を上げることになった。

 フィルクが寝台を前に、差し込む月明かりの下、跪いて告げた。


「ごめん。君を、傷つけた」


「なに、を……」


 成人した男性は簡単に跪いてはいけない。それが許されるのは主君と、自らが心を捧げる女性のみだ。

 メリヤナは自分のみっともない行いがフィルクにそうさせているのだとわかって、慌てた。


「た、立って! わたしはそんなことをして欲しくて——」


「傷付けたことを許して欲しい。……言い訳だけど、そんなつもりじゃなかった」


 痛いほどの悔いが滲んでいた。続ける言葉が見つからない。


「……君が言った通りだよ」


 黙っていると、フィルクが言葉を継いだ。


「……僕はひどい人間だ。事実を、理由を知ることで、自分が安心したいのだと……思う。わからないという不安を。知っていることで安心するから、認められない自分を……なんとか保ちたいのだと思う」


 メリヤナはフィルクの目を見る。そこには諦念のようなものが浮かんでいた。


「君が言った通り。僕は傷つきたくないから、知っていたくてたまらない臆病者だ。だから、大事な人の気持ちに配慮できない。そんな人間、嫌われて当然だよ……」


 フィルクは(うめ)くように言い終えた。

 空気が硬く、凍りついてしまったようだった。時が刻むのを忘れ、メリヤナは何を告げればいいのかわからなかった。自らの感情も時と共に止まってしまったように、静かだった。


「——これは、僕の利己的な感情だ」


 フィルクの独白が、再び時を動かした。


「メリヤナ、君を傷つけたことを許して。君の気持ちをないがしろにしたことを謝りたい。そのうえで、僕は知りたい。なぜ、君が死のうとしたのか」


 射抜くようにフィルクはメリヤナを見定めた。



「僕は君が知りたい。君が死にたくなるほどつらいと感じていることが知りたい。——僕にその苦しみを分けて欲しいんだ」



 こちらを見つめるフィルクの顔色は追求の色ではなかった。裏切りを恐れる色もなかった。ただ、メリヤナを案じる色が乗せられていた。


「……どうせ、言っても信じてくれないわ」


 逃げるように、メリヤナは視線を反らした。

 言ってどうなるというのだろう。真実を話して、どうなるのだろう。この二年抱えつづけていた苦しみを。


 母に話そうとした。ルデルにも話そうと思った。


 だが、付き纏うのは、恐怖だ。

 信じてもらえないかもしれない。優しく、残酷に夢だと言われる恐怖が、メリヤナに語る言葉を詰まらせる。信じてもらえない未来が垣間見えて、震えが止まらなくなる。孤独に一瞬光が差して、また孤独に戻るのであれば、光など知らないほうがましなのだ。


 ——だから、どうか。


「……あなたの謝罪は受け入れるわ、フィルク。だから、どうか……もう放っておいて。わたしのことは忘れてくれてかまわないから」


 お願い、と言って、自分のちっぽけな手を見つめた。錦の掛布に置かれた両手は、何も掴むことができない。掴んだと思っても、指のあいだからこぼれ落ちてしまう。

 神から特別な力を与えられたわけではない。授けられたのは刻印と神託だけ。聖神術のような特別な力をもらえたわけでもないのに、そんな自分が、ここまでやってこれたのは奇跡だったのだ。


(……疲れた)


 摩耗しきっていたはずの感情を使ったからなのか、眠りにつきたくてたまらなかった。できれば、永遠に冷めない冥府の安らぎに満ちた眠りに。かつて下ろうとした階段の下。ヴァンス火山の下にあるという安寧。そこでの眠りにつきたかった。



「——信じるよ」



 瞼に重さを感じたところで、透明な声が、胸の裡に響いた。


「信じるよ、リヤ。君が話したことを信じる。だから、どうか……僕を信じて」


 靄がかき消されるように打ち鳴らされた声が、メリヤナのなかに響いていった。



『僕を信じて』



 眠りの香りが遠ざかり、鮮やかになっていく。くぐもっていた視界が明るくなっていく。言葉がうち響いて、やがて、メリヤナは肯いていた。


「……わかった、わ」


(たしかに……)


 そう。フィルクなら、一度、信じてもいいかもしれない、と。たとえ、信じてもらえなくても、ひどいことを言った後悔もある。眠りにつく前に、一度贖罪(しょくざい)もかねて、信じても良いかもしれない、と。



「——わたしにとっては、過去でもあり未来の話でもあるの」



 一度言葉を区切る。それから、一息に言った。


「……わたしは、一度死んだの。そう、死んだ。処刑されたのよ、売国罪で」


 メリヤナは、かつての所業をかく語った。

 自分がいかに愚かな人間であったのか。それゆえ、ルデルに見放されたこと。ルデルは別の娘に心を移してしまったこと。大逆の罪を着せられたこと。そして、火あぶりになって処刑をされたこと。死んだところで、神に出会ったことを話した。


「フリーダ神だという神が言ったわ。わたしが処刑されたことをきっかけに、王国がエストヴァンに攻め入られて、王族は全員殺されたと。王国は滅亡したんだって。だから、わたしにもう一度人生をやり直す機会を与える代わりに、王国を救えと、神は命じた……」


 契約が成立すると、子どもの頃の自分に戻っていた。

 メリヤナはそこまで語り、それからはフィルクと出会った通りだと締めくくった。



 石のように動かぬ静けさが、夜の寝室に満ちていた。



 メリヤナはそれ以上の語る言葉を持たず、フィルクもまた何も言わなかった。


(やっぱり……)


 メリヤナは自嘲の笑みが浮かんだ。


(信じてもらえなかった)


 だが、驚くほど、気持ちは凪いでいた。あれほど恐れていたはずなのに、すっきりとした感覚さえあった。

 抱えていた泥を吐き出したことが良かったのかもしれない。感情は落ち着いていて、けれど胸中には一握の哀しみが残っていた。


 メリヤナは体を横たえて、その哀しみを抱きかかえるように目を閉じる。

 もう眠ろう、そう思った。



「——そう、だったんだね」



 不意にフィルクの声が、静けさをうち破った。

 メリヤナは閉じた瞼のまま、次の台詞を聞いた。


「それは苦しかったね。だから、リヤは王太子に嫌われることを恐れて、それでも好きでいたんだ。……やっと、やっと……、わかったよ」


 まるで自分の話を信じているような言いように、目を見開いた。



「……うそだわ」



 メリヤナは起き上がる。何かを堪えながら首を振る。


「心のなかでは、何をばかなことを言ってるんだって思ってるんでしょう?」


「思ってないよ」


 フィルクがそろりと否定する。


「自分が一番ばかで、夢みたいなことを言ってるってわかってるもの」


「僕は思ってない。信じるって言ったじゃないか」


 フィルクは当たり前のことのように言う。


「だって、だって……」


 メリヤナはふるふると首を振った。

 リヤ、と澄んだ低音がメリヤナを抱きしめた。


「君はつらかったよね。ずっと。君の〈唯一〉に嫌われて、それから火で焼かれるなんて……さぞや心も体も痛かっただろう」


 安心して、とフィルクが囁く。


「これからは、僕がその苦しみを一緒に抱える。リヤの秘密の共有者になる。——もう、怖がらないで」


 何を言われたのか、わからなかった。体から伝わるぬくもりと、耳の奥に残る言葉が、段々と浸透していくように染み入って、解された。


「……あっ」


 信じてもらえるという可能性を、メリヤナはこれまで一度も考えたことがなかった。信じて話すことは考えられても、信じて受け入れてもらえることを思い描いたことがなかった。一度も。誰にも。


 不意に、涙が浮かんだ。


 わっ、とあとは泣くしかなかった。溢れてきたものを、抱えてきたものを、洗い流すように。ただもう、子どもの涙のように大きな声を上げて、泣くしかなかった。わんわんと泣く。言葉で表現することを知らなかった時のように、泣き続ける。

 背中をさする腕があやすようで、メリヤナは縋り付いた。その腕しかなかった。その腕だけが、縋り付いていいと言っていた。


「——話してくれて、ありがとう。メリヤナ」


 フィルクの言葉が痛いほど、染み込んでくる。ありがとう、という言葉が自分のなかに染み込み、体中に流れていく。


「……うん」



 ——信じてくれて、ありがとう。


 

 この日、メリヤナは一人で抱える苦しみから、解き放たれたのだった。

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