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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第6章:炎の洗礼

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33話:紅玉髄と柘榴石の耳飾り

「いい出来に仕上がった」


 アズムは木箱を卓に置くとそう言った。


「そうね。良さそうな仕上がりだわ」


 手の平大に切られた石鹸をひとつ取り出してから、メリヤナは肯く。

 夏の乾燥している時期に、日陰で干し二ヶ月熟成させた石鹸は、表面がしっかりと渇いて、重さのある代物になっていた。試作品で作ったしっとり感はない。しいて言うならば、蝋燭のような肌ざわりに近い。


「使用感も問題なかった」

「アズムが使ってみたの?」

「売りに出すなら試さなければな」


 悪いか、と言わんばかりの眼光で睨んでくるので、メリヤナはそれ以上の言葉を引っ込めた。

 この数ヶ月のあいだ、メリヤナとアズムは試作を重ね続けてきた。アズムは動物石鹸を作る傍ら、メリヤナに協力をする形で、空きの時間を橄欖(オリーブ)石鹸の製作に割いてくれていた。


 結果行き着いたのは、しっかりとした固形石鹸を作るためには、油の量を増やす必要があるということだった。油が七で、灰汁(あく)水の割合は三というのが、今のメリヤナとアズムの黄金比だ。以前の分量とは真逆と言っても過言ではないだろう。


 灰汁水を無駄に使っていたかもしれない、とアズムはぼやいていたけれど、液状の石鹸と固形石鹸では最適な水分量がちがっただけだろう。

 ともあれ、比率を変えることで、しっかりと乾燥した持ち運びのしやすい石鹸ができたのは、メリヤナの目指す石鹸そのものであったから、喜ばしいことだった。


(これなら、売りに出せるかもしれないわ)


 完成した石鹸を撫でて、メリヤナは思う。

 おそらく社交界で広めれば、きれい好きな婦人や令嬢を中心に、またたく間に評判になるにちがいない。女というものは、きれいになることに余念がないから、使うことで肌が美しくなることを喧伝すれば、まずまちがいなく売れるだろう。


(まず、わたしが試してみないと)


 長年使ってみた使用感は、根拠がなければいけない。

 メリヤナが社交界に顔見せをするのは、あと二年後。


(それまでに石鹸の長期効用を証明してみせる)


 内心で固く気持ちを定めながら、アズムに尋ねる。


「これ、数個もらって帰ってもいいかしら? わたしも、ちょっと使ってみるわ」


「ああ。うちでも他のやつに試してもらう」

「わかったわ。お願い」


 メリヤナはそう言うと、席を立った。


「時間か? 今日は早いな」


「ええ。これから戻って、洗礼式の衣装の試着をしなきゃならないのよ」


「そうか。これから忙しくなるな」


「まあね。でも、石鹸のことでいい報告があったら、いつでも連絡してくれて大丈夫よ」


「わかった」


 アズムの屈託のない態度にメリヤナは少しほっとした。

 帰途の馬車のなかで、背骨から腱を通っていくような強張りを感じる。ぴりっとした、引き()れたような感覚は、最近、とみに力が抜けた時に感じるものだった。


(疲れかな)


 大神官長による洗礼式の勉強会や、〈結び〉の練習が増え、洗礼着を誂えるために早起きをしなければならなくなり、メリヤナの睡眠時間は以前と比べて短くなっていた。そのうえ、夢見も悪いとなれば、疲労が蓄積されるのは当然だった。


(少しだけ……)


 目を(つむ)る。泥のような眠気が、すぐに体の底から這い上がってきた。


 瞼の裏で、紅い光が明滅する。


 ばちっばちっ、と割れる音が耳に入り込んでくる。


 はっとすると、目の前には炎の円陣がぐるりを囲んでいた。メリヤナは薪の中央に立たされて、聖神術の拘束で身動きが取れなかった。炎陣から発せられる火が、薪を辿って、メリヤナの足元まで押し寄せる。


 ——いやあっ!


 叫びが、残響した。


 我がことのはずなのに、遠いできごと。

 遠いできごとのはずなのに、我がこと。


 痛みが思い出される。苦しみが。悲しみが。絶望が、ぼこっと泡のように浮かび上がって、海原の孤独に沈むメリヤナを取り囲んだ。


「——お嬢さまっ!」


 大きな声に、メリヤナは意識が弾けた。カナンが心配そうに、車のなかを覗き込んでいる。馬車は屋敷の前に止まっていた。


「大丈夫ですか? さきほどより、ずいぶんと顔色が悪いです。うなされていたようですし……、少しお部屋でおやすみになられますか?」


 カナンの気遣いに、メリヤナは額に汗を浮かべている自分に気が付いた。じっとりとした汗だった。


「……大丈夫よ。ちょっと寝不足みたい」


 笑みをたたえて車から降りれば、それ以上の言葉をカナンは口にしなかった。時々心配そうな視線を寄越してきながら、メリヤナと共に戻る道のりを進む。


「——おかえりなさい、メリヤナ」


 笑みを満面にして、母スリヤナが出迎えた。母の側には、仕立て屋の人間が数人待ち構えていたかのように、恭しく礼をする。


「さあさ、素敵な衣装を仕立ててもらったのだから、早速試着をしましょう」


 スリヤナはうきうきした気持ちを隠さず、メリヤナの肩をつかんだ。そのままあれよあれよと仕立て屋の人間に身ぐるみを剥がされて、母と共に織り上げた洗礼着を着せられる。


「よく似合っているわ!」


 長衣の下に(スカート)を穿く格好は、女子の洗礼着の決まりだ。男子は、裙の代わりに細袴(ズボン)を穿く。


 みんな同じ姿をするというのに、似合うというのは親の贔屓目かもしれない。

 姿見の前に立たされたメリヤナは、母が嬉しそうに笑うのを見てぼんやりと思う。


 ちがうとするなら、すべてが絹で織られていること。それから、深い袖や裙の裾の紅い刺繍に、グレスヴィー家の文様——帆船とアーレンの街、ケルプの葉が施されていることだった。ドール領が長くグレスヴィー家に任されていることの証左に他ならない。


 そう思うと、メリヤナは少し自分の血と家が誇らしかった。

 石鹸が普及するようになれば、もしかしたら近い未来、この文様に織られるようになるかもしれない。

 メリヤナは想像して、疲弊していた気持ちが少し浮き上がるような心地を覚えた。


「さて、そしたら、飾りね」


 母がにやりと笑った。


「もう。うちの娘ったら、もてるのね。お父さまはもちろんだけど、他にふたつも贈り物をもらうだなんて」


「ふたつ?」


 なんの話だろうと首をかしげる前に、スリヤナが答えた。


「王太子殿下と、それから、ローマン家のご子息からよ」


 卓上に並べられたのは、髪飾りと首飾り、そして耳飾りだった。どれも色合いのちがう赤い石があしらわれている。

 父から贈られたのは、珊瑚の髪飾りだった。編まれた髪に差し込まれて、さりげなくおだやかな赤が輝いている。


「首飾りは殿下からよ」


 小ぶりの紅玉(ルビー)が等間隔で規則正しく並んだ首飾りは、寂しい胸元で美しく輝いた。

 美しい赤だな、とつぶやいていたルデルの言葉が思い出される。

 紅玉は、男性から女性への贈り物として最も好まれると言っていた宝石商の店主の説明が脳裏をかすめた。


 つきっ、となぜか胸が傷んだ。

 選ばれた石は、紅玉。愛の象徴。これほど嬉しいことはないはずなのに。なぜか、もの悲しい気持ちにさせた。


 自分がきれいだと言った石ではなかったからだろうか。

 メリヤナがきれいだと言った時、ルデルは無反応だった。〝勇気と勝利〟を象徴する石は、ふさわしくないのだろう。選ばれた赤い石が、如実にルデルの考えを顕にしているようだった。

 メリヤナは〝愛〟が込められた首飾りを指の腹で撫でながら、ふと耳飾りに付いている石に見入った。


 紅玉髄(カーネリアン)柘榴石(ガーネット)


 ふたつの小石でできた繊細な耳飾りは、手に取るとどちらもゆらゆらと揺れた。


(これって……)


「ローマン家のご子息からよ。あなた、いつも仲良くしているじゃない?」


 フィルクだ。

 メリヤナはそっと耳飾りを手の平で包んだ。不意に目の奥から何かが溢れそうになった。悟られないように俯くと、目尻に滲むものがあった。


(わかってなかったの、ってわかるわけじゃない)


 自分の洗礼式のために石を選んでくれているなんて、そんな都合のいいことを考えられるわけがないだろう。


 石がふたつ。


 紅玉髄は、メリヤナがきれいだと言った石だった。フィルクはちゃんと聞いていてくれていたのだ。何も言ってこなかったのに、ちゃんとメリヤナの言葉を聞き取ってくれていた。それが無性に、うれしかった。乾いた心に染み入るように、彼の心遣いが流れ込んでくるようだった。

 柘榴石は、おそらくフィルクの選択だ。たしか意味は、〝愛情と友情〟。友情の証として贈ってくれたのだろう。メリヤナは自然笑みがこぼれた。


「柘榴石とはなかなかね。でもね、だめよ、メリヤナ。あなたは殿下の婚約者なんだから」


 飾りを付けて、再び姿見の前に立つと、鏡のなかのスリヤナが含みを持って言った。


「なんのこと?」


「ファッセルもね、わたしの洗礼式の時に柘榴石をくれたのよ。でね、意味を調べて真っ赤になったことを覚えているわ」


 母はその時のことを嬉しそうに語る。


「〝友愛〟という意味もあるけれど、それだけじゃないの。〝情熱〟そして、〝忠実なる愛〟。柘榴石は一途な愛の象徴なのよ」


 だから、(ほだ)されてはだめよ、と父との思い出に浸かる母の声が、しんとメリヤナの奥底に響いた。

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