31話:三人の邂逅(2)
「——王太子殿下」
ルデルの姿を見て、フィルクは一瞬ですべてを悟ったようだった。立ち上がると、居住まいを正して、すぐに立礼をする。
ルデルは、そのまま歩み寄ってきて、メリヤナとフィルクを交互に見た。
「貴公は、たしかレッセル侯の次男であったか?」
いささか王太子としてあらたまった様子で、ルデルが声をかけた。
貴族の長男長女だけでなく、次男の顔も頭に入っていることに、メリヤナは感心する。世継ぎの王子として、日々多くの人間と顔を合わせているというのに、引きこもり——気味——のフィルクの顔まで記憶しているのは、さすがとしか言いようがなかった。
「さようにございます、王太子殿下。レッセル辺境侯が息子フィルク・ローマンと申します。父や兄が日々拝謁申し上げております」
フィルクの様子に、メリヤナは瞠目した。彼は、ふだんの様子とは打って変わって、ふざけた態度をおくびにも出さず、そつなく自己を紹介してみせる。
引きこもりでもやればできるんだなあ、と場ちがいな感想が頭のなかに浮かんで、慌てて首を振った。
「父君や兄君には随分と世話になっている。レッセル領は隣国との国境をよく守ってくれている。もしかすれば、母君や姉君の社交術の為せる業かもしれぬが」
ルデルは屈託なく言ってみせた。
「ありがたく存じます。伝えれば、両親兄姉ともに喜ぶかと」
目礼して、フィルクは応じた。
「ローマン家は他文化に厚いと聞く。貴公は、次の新年で成人されるだろう。期待している」
「恐れ入ります」
ひと通りの挨拶は終えたらしい。ルデルの視線が、メリヤナに戻ってきた。
「メリヤナは、ローマン公子と知り合いなのか?」
「はい。その……、親しくさせていただいております」
「そうか」
フィルクの様子を横目に窺えば、その目には何も映っていなかった。映しているようで映していない。まるで硝子玉や水晶玉のようで、それらの冷たさにふれたようにどきりとした。
「——大変お待たせいたしました」
遮ったのは店の奥から出てきた店員だった。手元には、天鵞絨の布に、いくつかの赤い石を並べている。
「これはこれは、王太子殿下。よくぞいらっしゃいました。突然の先ぶれに驚きましたよ」
「すまない、店主。見に訪れただけだから私には構わないでくれ」
「洗礼式での石をご覧にいらっしゃったとうかがいました。よろしければ、こちらのお客さまとご一緒でも?」
肝の据わった店主だった。
王族と関わることに慣れているのだろうか。仰々しくなく、恐れ入ることもなく、特別扱いなどしませんといった具合で、あろうことか王太子をフィルクと同等に扱うのだから、見ているメリヤナのほうが度肝を突かれた。
「ああ、構わぬ」
ルデルはそう言い、店主は、では、と机に石を並べてのうのうとしていたけれど、気を遣うことになるのは、メリヤナとフィルクのほうだ。
フィルクは無表情に恐縮してみせ、メリヤナは内心でひやひやとした。
「洗礼式に参加される女性への贈り物ということで、おまちがいないですか?」
「ええ」
フィルクに確認をしてから、店主は説明をはじめる。
洗礼の祝いとして、男性から女性に赤い石を送るのはよくあることだった。洗礼式では化粧や装飾は原則として禁じられていたが、赤い石や口紅、洗礼衣装への赤い刺繍などは、フリーダ神を称えることから、禁止されていなかった。
「ではまずはこちらから。——紅玉にございます。一番赤みが強く、炎を強く連想させることから人気の石です」
「美しい赤だな」
ルデルがつぶやくように合いの手を入れる。
「ええ、身に付ける方は多くいらっしゃいますね。——続いては、柘榴石。こちらは深みのある赤が特徴で、大人の雰囲気のある女性に似合う石にございます」
店主は次々と石を取り上げていった。珊瑚や、紅電気石、尖晶石など、同じ赤でも様々な色合いの石たちは、決めるほうは悩むだろう。
「最後は、紅玉髄でございます」
差し出されたのは、赤というよりは桃色に近い、薄い縞模様のある石だった。
「きれい……」
メリヤナは思わずつぶやいた。透明感のある石ではなかったけれど、自然の美しさが際立った石だった。
「お嬢さまは、こちらの石がお気に召しましたか?」
店主が微笑みながら尋ねてくるので、メリヤナは縮こまった。
「え、ええ」
「品のある色合いですから、お嬢さまのように佳麗な方にはお似合いの石です」
「……ありがとうございます」
急に褒められてメリヤナは顔が赤くなった。
「——それぞれの石には、何か意味があるのか?」
ルデルが身を乗り出して訊いた。
店主は愛想よく肯いてみせる。
「ございます。色合いなどで選ばれる方もいますが、石の意味で選ばれる方もおります」
「たとえば、どんな?」
そうですね、と店主は言う。
「この紅玉髄は、〝勇気と勝利〟を運ぶと言われています。戦の絶えなかった古い時代には戦士たちの護り石として用いられたそうで」
「勇ましい石だな」
ルデルの言葉に、メリヤナは、なぜか女らしくないと言われた気がして、気持ちが萎んでいくようだった。
別にルデルにそのつもりはないだろうし、勇ましいという言葉が悪い意味でもない。けれど、およそ勇ましい女性は一般的に好まれない。自分が好きだと言った石に対してそう評価付けられると、遠回しに自分がそう言われたような思いが胸の中をぐるぐるとした。
「〝勝利〟と言えば、紅玉も同じく〝勝利〟を呼ぶと言われていますが、紅玉は愛の象徴ともされているので、男性から女性への愛を表現するのに贈り物としては最も好まれます」
「なるほど」
ルデルは淡然と相槌を打つ。
「ですが、〝愛〟の意味を持つ赤い石は他にも多くあるのです。たとえば、こちらの紅石英は、“愛と優しさ”、柘榴石は、実りを起源としますから、絆の象徴として、〝友情と愛情〟の意味を持ちます」
布越しに石にふれながら、店主は言う。
「あとは、贈り主と、贈られる方の好みでございます」
フィルクを見ながら、店主は最後にそう締めくくった。
店主とフィルクがその後やり取りをしているあいだに、メリヤナはこっそりとルデルを横から眺めた。
愛の象徴とされる石の数々を聞いて、ルデルは何を思ったのだろう。少しは自分のことを思い浮かべてくれたのだろうか。
——今日、ここに来たのはどうしてですか。
誰かに、石を贈ろうと思ってのことだろうか。ただの気まぐれだろうか。
(もしも……)
自分に石を贈ろうと思ってくれていたのなら。
——どんなに幸せなことだろう。
だが、表情の掴めない横顔からは、その感情を読み取ることはできない。何かを考えているようにじっと石を覗き込む姿に、メリヤナは最後まで声をかけることができなかった。
ややもせずに、エッセン卿に急かされるようにして、ルデルは宝石商の店を去っていった。メリヤナは、フィルクとふたり、取り残される形で静かになった店内でぽつんとした。
「——フィルは、どうしてここにいるの?」
ルデルの気配が通りからも去ったあと、メリヤナは我に返って隣の友人にそう尋ねた。
「え、わかってなかったの?」
フィルクは、問うてきたメリヤナの神経を疑うように言った。
「わかるわけないわよ! そもそも、殿下と一緒にいるところで鉢合わせると思っていなかったんだから」
「……店主とのやり取りを聞いていればふつうはわかると思うけどな」
「どういうことよ」
メリヤナが睨めば、フィルクは肩を竦めてみせた。
「それは自分で考えてみて」
「は?」
と聞き返したところで、店主が戻ってきた。
「ローマン公子、こちらがお控えの鍵となります」
そう言って、店主はフィルクに銀製の鍵を手渡す。
「次回お越しの際、お持ちくださいませ」
「わかった。では、よろしく頼む」
フィルクが立ち上がるので、メリヤナもあとに従って店を出た。
本来の待ち合わせの時刻になる頃、メリヤナは尋ねた。
「ねえ、誰かわたしと同い歳の知り合いでもいるの?」
「……さあね」
フィルクはそれからしばらく機嫌が悪かった。




