28話:過去の陰謀(1)
「わたくしが、売国罪……?」
赤い宮廷正装をまとったルノワ宮中伯が、無情にもそう告げた。
ルノワ宮中伯は司法を担当する大臣に与えられる位だった。彼が訪れたということは、刑の執行まで定まったことを意味する。
国を売る罪。それが意味する刑は。
「わたくしは、やっておりません……! 覚えもありません!」
メリヤナが放り込まれたのは、王宮に付属する拘留塔だ。数百年前の簡素な石造りのままの部屋は、位家の娘として罪人のなかでは最上であったが、そもそもこのような扱いを受ける謂れが、メリヤナにはなかった。
メリヤナの罪は、嫉妬だ。妬み嫉んで、あの娘に手を加えてしまったこと。それが罪。売国罪などという大それた罪など犯していない。
——ましてや、火刑になるなどとは。
「お静かにされよ、ドール公女。動かぬ証拠が出たのだ」
「証拠? 犯していない罪でどうして証拠など出ましょうか!」
なんの彫りも施されていない丸太椅子のうえで、メリヤナは金切り声を上げた。
公衆の場で婚約破棄を申し渡され、このうえ、さらなる恥辱と汚辱を味わえというのか。
「〈盟約の証となる報せ〉と言えば、貴女はおわかりになるはずだ」
ルノワ宮中伯の言葉に、意表を突かれた。
やましい思いからではなく、ただ新出の単語を聞かされたことに、この場にはそぐわない疑問がもたげたからだ。
「メルディ、メルグ……?」
「我が王国と隣国のあいだで、王族間での通信を可能としている装置だ。知らぬとは言わせぬ。我が国で、〈盟約の証となる報せ〉を使用できる権限を持つのは、王族と、隣国の皇族の血を引くスリヤナさまと貴女のみだ」
そして、とルノワ宮中伯は続ける。
「装置の場所にまで出入りできたのは、ルデルアン王太子殿下の元婚約者であった貴女しかおらぬ」
「それが、なんだと言うのですか」
そもそも、そのような装置があることなど、メリヤナは聞かされたことがない。
「先日、通信の記録が見つかった。そして、前後して、ある管理されていたものが失くなった。なんだと思われる?」
「わたくしが知るわけがございません」
何せ身に覚えのないことなのだ。
「王城の、設計図だ。〈守が峰〉に通じる隠し路が記されている」
「…………」
「これがどれほどの重要な漏洩かお分かりになるか?」
隣国に王城の構造を把握された可能性がある、ということだ。
フリーダ王国とエストヴァン国は百年ものあいだ、両国の均衡を隣国の優位という形で保ってきた。 かつての戦乱以降、フリーダは辛酸をなめつづけてきた。マールス回廊や、現在西エストヴァンと称される失った領土を回復することは果たすべき責務として、代々の王たちに怨嗟と共に継がれている。
なのに、王城の見取り図が洩れたとならば。
——王の威信や王国の命運に関わる。
「わたくしでは、ございません……!」
そのような罪は犯していない。王太子を、ルデルを窮地に陥らせるような行いを自分がするはずがない。メリヤナの罪は、ただの嫉妬だ。大層な罪を犯すほどの器が、あるわけがなかった。
「——明朝、貴女は神殿にて火刑に処される。残念ながら、これはもう確定したこと。貴女以外、おらぬのだ」
ルノワ宮中伯は、一切の情も通わぬ流し目で、赤い裾を翻した。
「——お待ちください! わたくしは、〈盟約の証となる報せ〉も設計図も存じ上げません! どこにあるのかも、知らないのです!」
返事は返って来ない。扉越しに、ルノワ宮中伯の階下へと足音を刻む音だけが、虚しく石の壁に反響する。
「——お待ちください……っ‼」
自分が叫んでいる声で、メリヤナは飛び起きた。
上体を起こした体は、汗で寝衣がしっとりとしている。呼吸は荒く、心の臓に手を当てれば、どき、どき、と脈打つ鼓動が早かった。
(夢……)
今の自分が叫んでいたのか、かつての自分が叫んでいたのか、わからない。
けれど、有罪を言い渡された時の絶望の感情は、今のメリヤナを締め付ける。もうあとがない、どうすることもできない、という感情は、記憶に刻まれている。左肩の刻印から、苦しみが這いずり出て、肌の下を這っているようだった。
月明かりに照らされた部屋で、メリヤナは顔を覆った。
(……わたしが為すべきこと)
最近は、あまり過去の夢を見なくなっていた。家族やカナンたちとのやり取り、フィルクとのふれあいで、すっかりやり直しの生活に埋没しきってしまっていた。石鹸を作れば、すべてが解決するとばかりに振る舞っていた。
だが、メリヤナには王国滅亡の未来を回避するという使命がある。
婚約破棄だけを防ぐだけではない。滅亡に至った因果を解き明かしていかなければいけなかった。婚約破棄は、きっかけにすぎない。ただ、ルデルに嫌われないように振る舞っていればいいわけではないのだ。
(今、思えば……)
陰謀だ。メリヤナは愚かゆえに、罠にはめられたのだろう。
ルノワ宮中伯が言ったように、〈盟約の証となる報せ〉が使われたことや、王城の設計図がなくなったことは、事実だろう。隣国はそれを用いて、メリヤナが処刑されたのち、王都に攻め込む足がかりとしたにちがいない。
そのような売国行為を行ったのは、メリヤナではなく、別の人間。
(おそらく)
ルノワ宮中伯は、誰が行ったのか突き止めることができなかったにちがいない。それゆえ、装置を使用できるという権限を持つ、メリヤナに火の粉がふりかかったのだろう。罪をなすりつけるために、隠蔽されたのだ。
あくまで推測でしかないが、メリヤナが冤罪であることはメリヤナ自身がよく知っている。罪が押し付けられ、隠蔽されたことは明白だ。
宮中伯は、長らく特定の一族の世襲となっているだけの職務で、大臣としての役割はおおよそ機能していない。管轄府では賄賂が横行しているとも聞く。ルノワ宮中伯も、そのひとりだ。
売国行為を行ったものの正体を暴くこと。宮中伯たちの腐敗に切り込むこと。どちらか、あるいはどちらも手立てを講じなければ、国が滅ぶという運命は変えられないかもしれない。
王太子ルデルアンとの婚約破棄を避け、売国奴を見つけ、政治構造に介入すること。
やるべきことは山積している。
メリヤナは天蓋を仰いだ。
(まずは、〈盟約の証となる報せ〉を調べなきゃ)
ルノワ宮中伯はまるでメリヤナがすべてを知っているような言い草であったが、そのような装置の存在をあの時初めて知ったのだ。どういった装置なのか、どこに設置されたものなのか、一切を知らずにいる。そもそも、フリーダの王族とエストヴァンの皇族の血筋のみが使えるという装置が、どのような用途で使用されるものなのか知らないのだ。
装置のことを知れば、もしかしたら王城の設計図を盗んだ人間の正体に行き当たるかもしれない。
今のメリヤナができることは、調べること。誰かわからない人間の正体を闇雲に探したり、介入する術も持たない政治に口を挟むことより、一番妥当な方法だろう。
そこを足がかりとして、すべての問題に着手していく。
——目眩がするようだった。
まもなく14になる自分に果たして為すことができるのか。
考えれば、深更の続く月夜で眠ることは困難だった。
左肩の刻印が重くのしかかった。




