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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。  作者: 稿 累華
第5章:石鹸を作ってみましょう

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27話:アッロ山での再会

 メリヤナはぽかんとした。

 久しく会ったフィルクは、メリヤナより頭半分近く背が伸びて、声が様変わりしていた。あの天使のような声はどこにも感じられなかった。声変わり中には少しだけ感じられていたというのに。


「えーっと、久しぶり。元気だった?」


 心中の衝撃は、自分のなかだけに留めた。もしかしたら、少しだけぎこちなかったかもしれない。


 フィルクは、ぼうっとしているように見えた。山を登り切ったその足でその場所に立ったまま、メリヤナを見つめている。けれど、メリヤナを見ているようで、その実、別の何かを見ているように、瞳のなかが空っぽだった。


「ちょっと! 大丈夫?」


 まるで妖精でも見たような顔だ。メリヤナは、フィルクの前に歩を進めると、その顔を覗き込んだ。


「——ほんとうに、リヤ?」

「え?」


 すーっと伸びてきた腕にメリヤナはなされるがままになった。おそるおそる頬にふれられる。輪郭をなぞるようにして、節立った指がすべった。

 フィルクの瞳の焦点が戻っていく。合わさるように、耳の奥で鳴る鼓動がどんどん早くなる。


 腕が後頭部に回されて引き寄せられたのは(またた)く間だった。


 ぐいっ、と強い力で体が寄せられる。鼻腔を、爽やかなミラルの香りがかすめていった。


「リヤ……っ」


 耳のなかに木霊する声が、ぎゅっと力強く抱き締める。心の臓の音がうるさくなった。


「ふぃ、フィルっ?!」


 素っ頓狂な声が、喉から出てきた。


(今、わたし、抱き締められてる?)


 そんな経験、生まれてからこの方、もちろんやり直し前も含めて、初めてだった。異性には舞踊(ダンス)で接したことはあるものの、こんな距離で体温を感じることは、一度も経験したことがなかった。

 ぱくぱく、と湖のコモナのように口を開閉する。押し返そうにも、今のフィルクを押し返すのはいけないような勘が働いて、力が入らなかった。


「……会いたかった」


 フィルクはそう言って、ますます力を入れる。メリヤナは囁かれた言葉に、一瞬で顔が赤くなる。恥ずかしさを隠すように抵抗した。


「ちょ、ちょっと?」


「……会えなくて、どうにかなりそうだった」


 何を言っているのだろう。

 別れ際、さらっとしていたのはフィルクのほうだった。メリヤナのほうが、三月も会えないことを寂しく感じていたくらいだった。むしろ、フィルクのさっぱりとした態度に、今思えば一抹の寂しさを感じて、少しくらい惜しんでくれればいいのに、とさえ思っていた。


 ——なのに。


 この態度の変わり方はいったいなんなのだろう。


「……リヤだ。ほんとうに、メリヤナだ」


 まるで、現実にいることをたしかめるかのように、フィルクは力を入れてくる。まるで震えているようだった。いなくなってしまうことを恐れているようだった。


「……わたしも、会いたかったよ」


 そう言わなければ、フィルクはこのままメリヤナの存在をたしかめ続けていただろう。

 変わらず胸の音は鳴りつづけていたが、安心させるように抱擁を返す。そうすると、硬い背中はびくっとした。しばらくすると、次第に込められた力がゆるくなっていった。


「——ごめん、びっくりさせた」


 落ち着いてから、扁桃の木の根元に並んで座ると、フィルクがそう謝った。声色はすっかり変わっていて、メリヤナには少し違和感だった。


「ほんとうよ。すごくびっくりしたんだから」


 清まして言えば、フィルクが、ごめんごめん、と告げた。

 そんなやり取りをすれば、すっかり三ヶ月前の空気が戻ってきたようだった。


「だいたい、会えなくても平気そうだったのはフィルのほうでしょう?」


 メリヤナはさきほど恨めしく思ったことを言った。


「うん、そうだった。メリヤナは寂しそうだったもんね」


「わかってたのっ?」


 悲鳴に近い声を上げる。


「わかるよ。君は顔によく出るから」


 フィルクが悪びれずに言うので、メリヤナはむかむかとしたものが腹の奥から湧いてくるのを感じた。


「何よ、それ。じゃあ、もっと別れを惜しんでくれても良かったじゃない」


「そうだね。たしかにそうすれば良かった。——こんな気持ちになるなら、初めからそうすれば良かったよ」


 メリヤナがフィルクのほうを見れば、彼は湖のほうを見ていた。


「大丈夫だと思ってた」


「何が?」


「僕は、リヤがいなくなっても大丈夫だと思ってた」


 自分自身に驚いたように、フィルクは語った。


「慣れているはずだった。母は十年近く前に死んだし、父は僕を見なかった。親しい使用人がいなくなっても、そんなもんか、くらいに思っていた。それから、僕はちがう家の子になったけれど、家族が変わっても、ひとりなのは変わらなかった。だから、またひとりになっても平気だと思ってた」


 唐突に語り出された内容に、メリヤナは驚いた。

 ずっとふたりのあいだに聳えていた壁が剥がれていく音がする。


「お父さまは、どうして……?」


「僕は、父の側妻の子だったから。父が母を娶ったのは政略的なものだったから、母のことも僕のことも愛していなかった。——よくある話だよ」


 フィルクはからりと言ったけれど、そこに渇いたものを感じて、メリヤナはかつての自分に重なるものを覚えた。


「そんな感じだから、昔から自分の周りに人がいないことには慣れていたはずなのに、ね」


「はずなのに……?」


「どうやら、僕にとって、リヤは特別らしい」


 告げられた言葉に、メリヤナは引いていた朱が昇るのがわかった。


「そ、そうなの? そりゃあ、わたしだって、フィルのことは特別な友だちだと思っているけど……」


 少し恥ずかしくなって語尾が小さくなる。もじもじと自分の指をいじってみる。


「うん。今回のことで、僕もリヤは特別な友人なんだってわかった」


 フィルクが首肯した。具体的な気持ちを聞きたい気もしたが、恥ずかしくなりそうだったので、やめておいた。


「——その特別な友だちに、贈り物があるわ」


 メリヤナはその場の空気をごまかすように、持参した袋のなかから、彫りの施された木箱を出した。


「贈り物? 誕生日はもらったけど?」


 フィルクは首をかしげた。


 領地に戻っているあいだに誕生日を迎えたフィルクに、メリヤナは革張りの筆記本(ノート)を贈っていた。筆記本の良さを教えてくれたのは彼だったから、その御礼も兼ねて贈ったのだ。

 ちなみに領地にいく前にメリヤナがもらった軟膏は、中身を使い切って、白磁の浅底瓶のみ私室に置かれている。


「開けていい?」

「どうぞ」


 フィルクは木箱をするっと引き抜くように開けた。薄紙に包まれたものを見て、またこちらを見る。


「これは何?」


「石鹸よ! ほら、出発する前にわたしの手が荒れていたでしょう? これを作っている過程でそうなったんだけど、やっとそれらしいものができたから、心配をかけちゃったし、一番最初にあなたに贈ろうと思って」


 怪訝そうな声に、メリヤナは慌てて付け加えた。


「石鹸って…… 、洗濯で使うあの匂いのするやつ……?」


 フィルクの声はいっそう訝しいものになった。


「そうよ! でも、安心して! 改良をして匂わなくなったのよ? それどころか人肌にも使えるようになって、あなたが好きな湯浴みの時にも使えるわ」


 自信を持ってそう告げると、フィルクは黄緑色の石鹸を手にとって、検分するようにあちらこちらから見た。


「ちなみに、わたしのおすすめの使い方は、ミラルの水に浸した布で、石鹸を泡立てて体に当てることよ」


「へえ」


 少し関心深げにフィルクが相槌を打つ。


「泡を立てると、やわらかくてふわふわして、とっても気持ちいいんだから」

「それはたしかに良さそうだね。——どうして、石鹸を作ろうと思ったの?」


 フィルクは、木箱に丁寧にしまってから尋ねた。


「それはもちろん、〝いい匂いをさせよ〟の教えを守るためよ!」


 メリヤナは得意げに答えた。


「あなたが言ったんでしょう? 殿下を(とりこ)にするにはいい香りをさせたほうがいいって。そのために入浴の習慣を身に付けろって。ミラルの葉だけだと気持ち良さは足りないから、習慣化するのは難しいもの。けれど、石鹸を使って、やわらかくてふわふわすると気持ちがいいから、ついつい入浴しちゃうの」


 心地がいいことを実感して以来、メリヤナは三日に一度湯浴みをするようになっていた。前は面倒だなと思うところがあったけれど、今では面倒臭さよりも心地よさのほうが勝る。


「ということで、これはわたしから、フィルクへのお礼も兼ねた贈り物よ。お父さまとお母さまの評判もいいから、さらに試作を重ねて、数年後にはドールの製品として売り出すつもり」


 自信満々にそう締めくくった。


 少しだけ呆気に取られたようなフィルクの顔を見れば、メリヤナは満足だった。どうやら驚かせることに成功したらしい。にっこりと微笑む。

 フィルクは我に返ったのか、ふっ、と小さく笑った。


「リヤは、たまに僕の想像の斜め上をいくね」


「驚いた?」


 メリヤナが遊び心たっぷりに乗り出して問いかければ、フィルクは苦笑した。


「うん」


 肯いたあとに、ぽつりと声が聞こえた。


「……ほんと、参るな」


「え?」


 メリヤナは聞き返す。


「なんでもないよ」


 フィルクはいつも通りの笑顔を浮かべていた。

 アッロ山に吹く春風が、14になる年を祝福していた。

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