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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第5章:石鹸を作ってみましょう

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22話:臭くない石鹸への決意

 狩猟の歳月になると、動物油脂(ゆし)が肉問屋から安く多く手に入るようになる。そうなると、石鹸作りも大忙しで、メリヤナがいつ訪れても様々な工程を目にすることができた。


 たとえば、油脂の鍋煮だ。


 水と余分な塵芥(ごみ)が入っている油を一緒に煮込むと、重い塵芥は水の下に沈み、軽い油だけが上に残る。この工程を冷えては、三度ほど繰り返し、最後に布で濾してから、やっと石鹸のための油になる。この作業は一番、臭いが強烈なので、必ず屋外で行われていた。


 灰汁(あく)水は、穴の開けた樽の底に石や砂、藁などを引き、そこに木や草の灰を撒いて、上から水をかける。穴から流れてきた水は集められて、網目のちがう布で二度ほど濾してから使えるものになった。

 この油脂と灰汁水を数時間煮込むことで、石鹸はできた。



「雨季はどうするの?」



 素朴な疑問だった。


 油脂の濾過(ろか)は、晴れた日か曇りの日にしかできない。冬の本格的な雨の時期では、油脂を精製することはできないことを問うと、アズム親方の返事は端的なものだった。


「休業だ」


 え、とメリヤナは言葉をつまらせる。


 休業していては稼ぐことができないだろうし、何より洗濯ができないと多くの家々が困るではないか。

 そう問いかければ、


「保ちのいい石鹸を作るから問題ない」


 と親方はいらえた。


塩析(えんせき)をすると、石鹸は固くなる」


「塩析って?」


 はじめて聞く言葉に、メリヤナは鍋をかき回しながら首をかしげた。

 半年前は、洗濯場の絞り機を回すことができなかったけれど、少し力が付いてきたのか、重い液体を杓で掻き回せるようになった。今だったら、絞り器も回すことができるかもしれない。


「油脂と灰汁水が溶け合った頃に、塩を入れる。そうすると、余計な水が分離して、石鹸が塊になる。これが塩析だ」


 なんでも塩には、水を吸収する作用があるのだという。


「固まった石鹸は、どうするの?」


「型に入れてから、さらに乾燥させれば日持ちをするようになる。臭いは変わらんがな」


「へえ」


 固いほうが便利だな、とメリヤナは思う。

 毎回木桶で運ぶのは面倒だし、べちゃべちゃ水気があると臭いも立つし、冬に限らず固形の石鹸を作ればいいのではないだろうか。


「他の季節では、固い石鹸は作らないの?」


「……塩は、高価だからな」


 あ、とメリヤナは口を噤んだ。

 そうだ。塩は高価だ。


 フリーダの塩は、海水から作られるものと決まっているが、その生成法から販売までを国の管理の下に行われている。一定の税を納めることで、取り扱うことを許された商会は存在するが、そういった商会は位家の貴族などを対象に商いを行っているものが多い。


 塩には、国の専売の下、税が付加されていた。平民から王族まで、生活必需品であることから、高い税率ではないものの、おいそれと大量に買えるような代物でないのはたしかだった。


「だったら、秋に塩を買うのも大変なんじゃないの?」


 メリヤナが尋ねると、アズムは、そうでもない、と否定した。


「秋は、油が大量に出る分、安く買える。その分を塩の買い付けに回すから問題ない」


「それでも、材料費としては、春や夏と比べてかかるんじゃない?」


 細かな数字はわからないが、油が春夏の半値で手に入るわけではないだろう。塩は、国による専売でほぼ一定価格だ。そうなれば、秋の石鹸大量生産と相まって、原価は割に合わないはずだ。


「固形石鹸は、単価を上げる。あとは売れる」


「なるほど、そういうことね」


 単価を上げても需要があるから、損をすることがないということだ。

 メリヤナは、納得したように肯いてから、なんとなくつぶやいた。


「固形石鹸が売れるなら、塩がどうにかなれば、もうちょっと売り上げになるかもしれないわね」


「塩析が、塩以外でできるならな」


 親方は低い声でにべもなく言う。


「あとは、この臭いさえどうにかなればなあ」


 メリヤナがさらにつぶやくと、アズムはこれには同意した。


「臭さがどうにかなれば、もっと石鹸を使ってもらえるかもしれんな」


 石鹸職人の親方からすれば、石鹸が便利な代物であることを知ってもらいたいというのはあるかもしれない。

 メリヤナは少し意外だった。


「アズムは臭くない石鹸は石鹸って思えるの?」


 職人というのは材料や工程などにこだわりがあるという。ならば、臭いも含めてこだわりがあるのではないかと思っていたのだが、アズムはどうやらちがうようだった。


「臭くないほうが石鹸を使ってもらえるなら、そっちのほうがいい」


 ぼそっとそう言うと、アズムは火にかけた鍋のほうに戻っていった。

 メリヤナは、その広い背中を見ながら、思う。


 これほど話してくれるようになるとは思っていなかった。あれほど言葉少なだったのに、よもやこんなふうに喋ってくれるようになるとは。

 人は見かけや第一印象に寄らないものだ。丁寧に接せば、人の色々な側面が見えてくるのかもしれない。


 メリヤナは帰途につきながら、そう思った。


 自室に戻ると、カナンに香茶を用意してもらう。メリヤナは筆記本(ノート)を取り出して、石鹸に関することを整理した。

 思考を整理するためには、筆記本を用いると良いと教えてくれたのはフィルクだ。考えが煮詰まった時に、外に書き記すことで思考が整理されるのだという。


 石鹸について、今わかっていることを書き留めてみる。


 動物油脂と灰汁水によって作られること、その工程を記す。一対五・五の割合で、油と灰汁水を煮るとできるが、できるのはどろどろの石鹸だ。これは塩を入れることで固くすることができる。固くなった石鹸は売れる。


 ここまでが、事実。

 ここからが、メリヤナの仮説。


 ひとつ。異臭は、動物油脂ではなく、臭わない別の油に置き換えることで改善されるのではないか。ただし、どんな油がいいかは要検討。


 ふたつ。安価な塩、あるいは塩に代わる代替物を用いることによって、固形石鹸を生成すれば、より利便性が上がるのではないか。ただし、どんな代替物かは要検討。


 このふたつの仮説が叶った場合、多くの人に普及する石鹸を作ることができるだろう。


 筆記本に記してから、メリヤナは胸中を明るくする灯火を感じる。


 まだ仮説段階ではあるけれど、メリヤナのこの閃きは、少しだけ運命を照らしているような確信があった。滞って見えていなかった道のりが、先を示しているような予感めいたものがあった。


(やり遂げるわ)


 できあがった石鹸は、まず、フィルクに渡したい。


 そもそも、石鹸のことに思い至ったのは、〝いい匂いをさせよ〟という教えがきっかけだ。正確には、入浴をもっと気持ちのいいものにしたいというのがメリヤナの望みではあったけれど、それもフィルクがきっかけだ。石鹸という形にすることで、フィルクに感謝の気持ちを伝えたかった。


(それに)


 臭いのしない使いやすい石鹸が作れることがわかったら、アズム親方や、洗濯女中のリリアも喜ぶにちがいない。


 考えれば考えるほど気持ちが浮き上がるようだったが、メリヤナは再び筆記本へと目を向ける。


 問題は、油と、塩あるいは塩に代わる物の発見だ。

 どこかに閃きの手がかりになりそうなものがあるかもしれないけれど、今のメリヤナにはない。となれば、手がかりから探すしかない。


(何かいいきっかけがあればいいのだけど)


 窓の外に広がる曇天に目を向けても、何かいい発見は見つかりそうになった。


「——お嬢さま」


 扉を叩く音が聞こえてから、カナンが顔を覗かせる。


「あれ、オリガの手伝いに行くんじゃなかったっけ?」


 先日厨房を見学させてもらった時に出会った台所女中のオリガは、カナンの仲良しのひとりだ。気立てがよくはきはきと話す彼女は、とても好感の持てる相手で、最近はカナンやリリアと共に、数多く話すひとりになっていた。


 そのオリガに手伝いを頼まれたと、カナンが部屋を辞したのは香茶を淹れ終えてすぐのことだ。まだ幾分も経っていない。


「その前に、旦那さまと奥さまから、お嬢さまをお呼びするように言伝を申し渡されましたので」


「お父さまとお母さまが?」


(何かしら)


「はい、居間でお待ちです」


 そう言うと、カナンはぺこりとお辞儀をして去っていった。

 メリヤナは頭に疑問符を浮かべながら、階下へと降りた。

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