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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第4章:〝いい匂いをさせよ〟

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16話:葉の使い方

 湯浴みをしたい、とカナンに言うと、手ずから(たらい)で湯を運び入れてくれたのだろう。重労働だったにちがいないが、カナンは、文句ひとつ言わずに、すぐに浴室の準備を整えてくれた。


「悪いわね」


「いえ、とんでもございません。珍しいですね。お嬢さまが三日と置かず、入浴されるのは」


 以前と比べて、メリヤナとカナンの雑談は増えた。前だったら、メリヤナは労るような声掛けをしていなかっただろうし、カナンは、とんでもございません、で会話を終えていただろう。そういえば、彼女の堅かった表情も幾分やわらかくなったように思う。


「フィルに、もうちょっと頻度高く入浴するように言われたの。あとは、ちょっと試してみたいことがあって」


「フィルクさまにでございますか?」


「そう。湯浴みをして清潔に保ったほうが、いい匂いがするんですって」


「フィルクさまは、よく湯浴みをされるのでしょうか?」


 手際よくメリヤナの寝衣を脱がせながら、カナンは訊いた。


「なんでも夏場は毎日、冬でも三日に一回は入浴するそうよ」


「それは、その……とてもよく入っていらっしゃいますね」


 浴室には朝の光が入り、それだけで陶板の床が反射して、明るく室内を照らす。浴室全体がきらきらと輝いているようだった。


「なんというか……、潔癖のようですね」

「潔癖?」


 湯に足を入れる。あたたかな水が、体をふるわした。


「ええ。神官さま方のなかには、そういう方がいらっしゃるそうです。神官さま方は毎日沐浴されますから、潔癖な方もいらっしゃるそうで」


「えーっと、汚れを極端に嫌うってこと?」


「そのようですよ」


「ふーん」


 たしかに、フィルクには潔癖の気があるかもしれない。外に行く時は、薄い手袋をしていることが多いし、室内で何かをさわった時などは、必ず手を拭っている気がする。

 あまり気にしたことはなかったが、今度観察してみようと思いながら、湯を肩からかけてもらった。


「こちらの葉でしたか?」


 カナンに台の上から取ってもらったのは、ミラルの葉だった。フィルクからもらい受けたものだ。

 柑橘の甘酸っぱさと清涼感のある香りに、期待が高まる。


「うん、それでちょっと背中を擦ってもらってもいい?」


「承知いたしました」


 この数日後、メリヤナはフィルクに囂々と文句を垂れることになった。



「——ぜんっぜんっ、気持ちよくなんかなかったわ!」



 メリヤナは、フィルクが私室の居間に通された瞬間に、憤然と言った。


「ミラルの葉のこと?」


 カナンに外套を優雅に預けながら、フィルクが確認する。


「そうよ。気持ちいいどころか、ひりひりしたし、なんならすーすーして、肌寒かったくらい!」


「リヤは、どうやって使ったの?」


「布の代わりに、直接当てて擦ったの」


 答えれば、フィルクは声を立てて腹から笑った。おかしくてたまらないと言った様子で、人の家だというのも構わず、椅子に反り返って笑い転げる。


「ちょっと!」


「あー、いや、それはひりひりにするに決まってるよ」


 笑いすぎて目尻に涙が浮かんだらしい。すぐに指で拭うと、その指をさらに手巾で拭っていた。


(そういえば、あの手巾はどうしたんだろう)


 フィルクが使っていた手巾は、黄緑色のもので、ファルナ公女に刺繍をしてもらった白いものではなかった。あれから一度も目にしていないような気がしたが、手巾は数十枚持っていておかしくないものだ。メリヤナがただ目にしていないだけだろう。


 それよりも。


「決まってるってどういうことよ」


 恨めしげにフィルクに視線をやる。

 まだ笑いが止まらない様子のフィルクは口元をひくつかせながら、答えた。


「だって、ミラルの葉って直接当てて使うものじゃないから。頭痛とか、痛みを止める時には直接使ってもいいけどね」


「それ、聞いてない!」


「ごめん、使い方を知らないなんて思ってなかった」


 ほんとうにごめん、と詫びながら顔は笑っている。

 メリヤナが、不機嫌そうな顔を続けていると、香茶を準備したカナンがふふっと笑いながら言った。


「ローマン公子、もしよろしければ、後学のためにも正しい使い方をお教えくださいな」


 まさか、カナンがフィルクの前で口を開くとは思っていなかったので、びっくりする。目を丸くしてカナンをまじまじと見つめていると、フィルクのほうがこちらに視線を合わせてから、軽い調子で答えた。


「いいよ」

「ありがとうございます」


 盆を下げて参りますね、とカナンが一度居室を下がると、フィルクが囁いた。


「仲良くなれたようで良かったね」

「う、うん」


 フィルクが自分事のように嬉しそうに微笑むので、メリヤナはさっきまでの怒りはどこかに吹き飛んでしまった。はにかんで肯くと、フィルクもまたにっこりと笑った。


「お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 戻ってきたカナンは記帳を手に持っていた。真面目である。

 フィルクが語ったのは、まずミラルの葉を水出しするところからだった。井戸から上げたばかりの冷たい水で、三時間程度漬けておき、その水を使って体を拭うのだという。


「綿とか絹じゃなくて、できれば亜麻布がいいかな。そのほうが汚れは落ちやすいから」


「わかりました。湯浴みをしたあとに、ミラル水に浸した亜麻布を使うのですね?」


「そうそう。これは別に湯浴みをしなくても、寝る前に体を拭う時に使うのにもいいよ。僕は入浴しない日はそうしてる」


 やっぱり潔癖の気があるのだろう。フィルクは事もなげに付け加えた。


「早速、明日お嬢さまと試してみます」


「うん、そうしてみて」


 メリヤナの意見など、まったく無視である。いつの間にか、ふたりのあいだで為されることが決まっていた。


 翌日、湯浴みをしたあとに、ミラルの葉を漬けた水で体を拭うと、たしかにさっぱりとしていて気持ちよかった。カナンの力加減も良かったのだろうが、擦ったあとのひりひりとした痛みがなく、少しだけすーっとする爽快感だけが残った。


「良い匂いでございますね」


 今、自分の体からは、フィルクと同じ香りがするのだろうか。

 そう考えると、胸のあたりがぞわぞわとするような心地がして、メリヤナはかぶりを振って打ち消した。


「そうね」


 少し物足りないと思うのは、自分だけだろうか。たしかに気持ちがいいし、いい香りもするのだが、何かもっと気持ち良いものだといいのに。


(……そうだ)


 たしか、あの娘——サレーネも、良い香りがすると評判だった。特に男たちからの評判がよく、香水ではない甘い清潔感のある香りがするということで、一時社交界では話題になった。


 思い返してみれば、ルデルはサレーネ嬢とすれちがった時、はっとしたように後ろを振り返っていた。あれは、フィルクのいう香りの効果なのかもしれない。


 同じような匂いをさせれば、ルデルは自分のことを振り向いてくれるだろうか。サレーネと同じ香りをまとえば、ルデルは自分を選んでくれるだろうか。

 悶々と思考を巡らすと、気鬱(きうつ)になってしまう。


 メリヤナは一呼吸ののち、考えをあらためた。


 ミラルの葉はたしかに気持ちがよく、香りも良い。けれど、もっとやわらかで、ふわふわとした気持ちのよいものがあれば、フィルクのような潔癖の気がなくても、入浴をしたくなるというものだ。


 入浴を習慣的に行うためには、もっと心地の好いものが必要だな、とメリヤナはぼんやりと思った。

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