15話:国王からの試し
王太子ルデルアンから呼び出しを受けたのは、新年が明けて、16の公子公女が顔見世を果たした数日後のできごとだ。
あと四年したら、メリヤナも再びこの会場で顔見世を行うことになる。妙な緊張感を覚えながら、舞踏会場を素通りし、呼ばれた場所は王国騎士団と近衛の演習場だった。整備された草地と地面では、大勢が組になって剣術の稽古を行っている。
そのなかに、ルデルの姿を見つけて、メリヤナは離れた場所で様子を窺う。
空は曇天で、いつ雨が降り出してもおかしくなさそうだったが、彼らは雨のなかでも訓練と称して稽古を続けるのだろう。
「——メリヤナ姫」
「——エッセン卿、ご機嫌麗しう」
メリヤナが訪れるのを待っていたのだろう。ルデルの近衛のひとりであるエッセンが、練習着ではなく常なる装いで現れた。
「エッセン卿は、演習に参加されなくて良いのですか?」
「そうしますと、殿下の警護に徹するものがいなくなりますので。大丈夫です。私が所属する隊はまた別日に演習があります」
そうなのか、と納得して、再びルデルの姿を追う。
——ルデルはなぜ、演習場になど呼んだのだろう。
メリヤナの記憶する限り、前の生では、なかった気がする。
(少しずつ運命がずれてきているのかしら)
メリヤナがひとつちがう動きをすることで、それまでありえなかった未来が生まれる。そういうのが積み重なり、折り重なることで、あの断罪の日と、のちに起きる王国滅亡の未来は回避されるのかもしれない。
もちろん、たかが演習場に呼ばれたところで、大きな運命は回避されないだろう。でなければ、フリーダ神があの時点からやり直しをさせた意味はないのだから。
「——これから、殿下は模擬試合をなさいますよ」
エッセンがそう説明した。
「模擬試合?」
「刃を潰したものを使って、一対一で競い合うのです。儀礼試合の予行演習のようなものですね」
「そうなのですか」
「もう少し、前のほうでご覧になりますか?」
「はい」
エッセンに先導されて、兵たちが集まっている場所の近くに進む。すでに、多くの者が囲いを作っていて、隊長と思しきものの合図で試合がはじまるところだった。
「こちらからご覧ください」
エッセンが人の囲いのなかで、メリヤナの身長でも見やすい場所を空けてくれる。体を滑り込ませると、ちょうど中央が見える位置だった。
「お見えになりますか?」
「ええ、ありがとう」
すでに試合ははじまっている。歓声を上げながら応援する様は、王師や近衛と言えど、益荒男そのものであった。
幾分たじろぎながら、メリヤナは静観する。
儀礼試合は何度か目にしたことがある。細剣を用いるものや、馬上での槍試合、体術で行うものなど、三つほどに分かれている。実践に近いのは、馬上槍試合に他ならないが、優雅さと身のこなしを競う細剣、体力や力技などを競う体術も好まれていた。
今日は、細剣での模擬試合らしい。
応援をする時は益荒男だが、試合になると、所作が美しい。優雅に足を運びながら、突き、回避し、突き返し、誘発する。ひとつひとつの動作に意味があるように思えて、試合を見ているというよりは、舞台を見ているような気分だった。
ルデルの番がきた。
少し会わないあいだに、背がまた伸びていた。このまま伸びに伸びて、メリヤナと頭ひとつぶん離れる頃には、互いに16になっている。まだ、ルデルとメリヤナの背丈にはほとんど差はなかった。
「武術の原理をご存知ですか?」
エッセンが囁くように尋ねる。メリヤナは、ルデルとその相手が剣先を互いに互いのの腕に延ばすようにし、右のつま先を相手に向け、左足を後ろに傾けて構える姿を目にする。
「知りませんわ」
開始の合図が始まると、ふたりは互いに円を描くように歩み、細剣を突き合わせることなく牽制している。
「四つあるのです。状況判断、距離、時間、間合いです。これを基本として、武術は成り立ち、正確な原理の把握が勝利につながります。このなかで一番何が大事だと思いますか?」
メリヤナは思考する。幾分考えてから答えた。
「……状況判断、でしょうか。判断を過てば、すべての行動の意味がなくなってしまいますから」
「たしかに、そうですね。的確な状況の判断ができなければ、攻撃は意味がなくなってしまいます。ですが、状況判断を的確にするために必要なものはなんでしょうか?」
問いかけられて、メリヤナは閃く。
「もしかして、時間、ですか?」
「ご名答です。——殿下は、特に時間を制御することに長けていらっしゃいます」
きんっ、という金属が擦り合わさる音が響いた。
相手がルデルに仕掛けたのだ。足を一歩出しながら突いた相手を、ルデルは剣の平で受け流しながら身をかわし、そのまま突きを入れる。反応が遅れた相手を防戦に追い込むと、そこから刺突を繰り返した。
相手の細剣が飛び、勝敗が決されたのはまもなくだった。
歓声が上がり、メリヤナはぽかんとする。
ほとんど一瞬のできごとだったので、何が起きたのかまったくわからなかった。けれど、兜を脱いだルデルが、こちらに嬉しそうにやって来たので、メリヤナはすぐに我に返った。
「——メリヤナ、見ていたか?」
「はい、ルデルさま」
「私は、その……かっこ良かったか?」
小声で問うところは、一応周囲の視線を気にしているのだろう。ルデルは、少しはにかみながら、期待に満ちた視線でメリヤナの答えを待っていた。
「……はい、とても」
かっこ良かったです。
大好き。かっこいい。好きです、ルデルさま。
賛辞の言葉と自分の気持ちが溢れそうになったが、メリヤナはなんとか呑み込んで、やっとそう答えた。
「そうか。良かった」
ルデルは、褒められた犬が尻尾を振っているように喜ぶと、同じ隊のほうに戻っていった。
ほんとうにかっこ良かった。
メリヤナは、惚けてしまう自分を感じながら、あっ、と気づく。
(やっぱり男の人は、かっこいいと褒められたいのね)
かわいい、と言ってから憤慨していたフィルクの顔がちらついて、メリヤナは少し反省する。
(今度は、フィルクのこともちゃんと褒めてあげよう)
続く模擬試合を見学しながら、メリヤナは思うのだった。
*
試合が終わって、着替えたルデルと合流すると、今日の用件について説明をされた。
「陛下にお会いするのですか⁉」
聞いていない。
国王に謁見するとなれば、しきたりに沿った装いがある。メリヤナがまとっている衣装は、昼用のものであって、謁見用ではない。
急いで着替えを借りなければ、と焦っていると、ルデルの軽い声が言った。
「あ、いや、今日は特に形式ばった公的なものではなく、私的な交流の場だとおっしゃっていた。私の居室で会おうくらいの気軽な様子であったぞ?」
心の臓に悪いではないか。
メリヤナが内心で思っていると、ルデルは、すまない、と謝った。
「前もって言っておくと、メリヤナもあの堅苦しい衣装で上がってくるだろう?」
「それは、そういう決まりですから……」
「堅苦しいのはなしにしたい、というのが父上のご所望であったから。許してくれ」
ルデルがほんとうに申しわけなさそうに言うので、メリヤナはさっと表情を改めて、すぐに笑みを浮かべ首を振った。
「いえ、差し出がましいことを申し上げました」
ルデルの考えがあってのことだ。メリヤナが文句を言う場ではなかった。
王太子宮の居室に着くと、すでに国王のお付きの者たちが扉の前に控えており、陛下がお待ちです、と仰々しく告げた。
名前を告げてから入室する。
そこには、寝椅子に横たわり、くつろいだ様子で肘を付く国王の姿があった。
「待ちくたびれたぞ」
にやりと笑って、国王は言った。
「お待たせして申しわけございません、父上」
「大変失礼いたしました、陛下」
ルデルとメリヤナが続けざまに詫びると、国王は哄笑した。
「なあに、冗談だ。朕も今さっき来たところだからな。
——さて、あまり時間はない。少し話でもしよう」
国王が合図をすると、見計らったかのようにあたたかな茶が運ばれてくる。国王が口を付けるのを確認してから口に茶を含むと、喉を通って冷えた体が心地よくあたたまった。
「久しいな、メリヤナは。一年ぶりか?」
「はい。ちょうど同じ頃にお会いしたかと。狩猟の際に陛下のお姿は拝見しましたが、遠目でございましたので、こうして話すのはお久しぶりにございます」
「そうか。狩猟になると、悦に入ってしまって、ついつい周りが見えなくなる」
「今年も良い獲物を仕留められて、王妃殿下に差し上げたと聞いております」
国王の狩り好きは有名な話だった。わざわざ遠方の領地まで行き、珍しい獲物を狩ったりするほどに。その血は見事に息子にも引き継がれている。
「勢子が上手いのだ。朕は、ただ最後に追い詰められたものを狙っているにすぎぬ」
「その勢子たちに指示を出しているのは、父上に他ならないではありませんか」
ルデルが言えば、国王は息子の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「言うようになったではないか」
「ほんとうのことでございます」
仲の良い父と息子だった。微笑ましい気持ちで眺めていると、国王はルデルをくしゃくしゃにしていた手を止めて、そういえば、と話を切り替えた。
「メリヤナは最近、サラル語を習っているというのはほんとうか?」
「はい。まだ習いはじめたばかりですので、やっと文字の習得を終えたばかりで……、勝手が分からず時間がかかりました」
フリーダの公用語が左から右へ横に文字を記していくのに対して、サラル語は、上から下に文字を綴る。行を変える時は右に移っていくので、基本的な文字を覚えるのに苦労した。
これは経験して初めて知ったのだが、右から左に文字を綴っていくと、小指側の側面に墨が付くのである。これには、かなり参った。
そのようなことを話せば、国王は豪快に笑った。
「たしかにな。そういえば、朕も習いはじめの頃にはそのようなことに悩んだ覚えがある。サラル語を記す時には、コツがあるのを知っているか?」
「いえ、存じ上げません」
コツがあるというならぜひ教えてもらいたい。もう墨だらけになるのは勘弁である。
「羽筆を持つ時に、手を浮かしながら書くのだ。慣れれば、少しは書きやすくなる」
「そうなのですか。今度やってみます」
早速帰ったらやってみようと、頭のなかで算段を考えた。
「ところで、なぜ、サラル語を習うことにしたのだ?」
世間話の装いで尋ねられたが、メリヤナは瞬間的にこれが試されている場であると理解した。ちらりとルデルの顔を窺えば、緊張した様子でこちらの返答を待っている。
王太子の婚約者としての回答を求められている、ということがわかった。
メリヤナは一度瞑目する。そして、すうっと息を吸って、顎を引くと、国王の碧眼を見据えて、淀みなく答えた。
「かの国は、その機動力を以って力を付けていると聞き及んでおります。隊商都市に足を延ばしているのはもちろんのこと、自治都市や、隣国エストヴァンにも近いうちに、その足を延ばすことが考えられます」
フィルクが話していたことが思い出される。それを自分の言葉に変え、紡いでいく。
「ほう」
「恐れながら、わたくしがその表に立つことがあるとは限りませんが、国のためにも言葉がわかる人間は多くいたほうが良いかと思われます。もし、お役に立てることがあれば、その際はどうぞお呼びくださいませ」
ほぼ友人の受け売りだったが、国王は気に入ってくれたらしい。にやりと笑って肯いてみせた。ルデルも満足そうに笑みを浮かべていた。
メリヤナは、ほっと詰まっていた息を吐いてから、微笑みを返した。




