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154話:エストヴァンの妃将軍(2)

「——へえ」



 ユステルは、最近で一番の興味関心と沸き立つ気持ちを覚えて、そんな声を出した。

 一歩前に出て、女を見上げる。試すように煽るように口を開く。


「面白いな。おれとも一本交えてくれるのか?」


「どこのだれだか知らないが、売られた喧嘩を買うのがわたしの主義でな。もちろんだ」


 女のことをユステルも見たことがない。


 皇都に住んでいないのだろう。身なり格好からしてそれなりの身分があるように見えたが、ユステルはどこの家の人間なのかわからなかった。領地に住んでいて、皇都に上がってきたのかもしれない。


 適当な槍と馬を準備すると、ユステルは馬上の人となった。


 騎士団の人間たちからの、生意気な女なんか打ち負かしてしまえ、という期待の眼差しがユステルにかかる。


 ユステルをよく知る騎士団の人間は皆、皇太子殿下その人であることを女に言わなかった。

 あきらかに楽しんでいる目で、全員が口をそろえたようにユステルの身分を暴露しなかった。素晴らしく篤い騎士道精神である。


「馬から落ちたほうが負け、それでいいのか?」


 期待されたからには応えたい。内心ではにやにやしつつも、ユステルは真面目な顔で女に問うた。


「一本取られたほうが負け、という形でさっきまではやってたんだがな。わたしから一本取れたものはいないし、結果的に全員馬から落ちたから、それでいい」


 余裕を感じる発言だった。


 額に、ぴきっと苛立ちを覚える。

 ユステルも武芸にはそれなりの自信がある。

 こいつをぎゃふんと言わせてやりたいと握った槍に力が入った。



「いいだろう」



 ユステルは挑戦的に笑うと、女もまた紅唇に不敵を浮かべた。そういう笑みをユステルはこれまで付き合ってきた女たちに向けられたことがなかった。


 一瞬、虚を突かれる。


 腹の(うち)で、側頭の奥で、感じるものがあった。



「では、はじめようか」



 女の声で現実に戻る。感じたものを払拭する。



 槍と目の前の敵に集中を絞った。


 鐙を蹴り、馬を走らせる。槍を突き出すと、すぐに槍先が弾かれた。軽い。

 よく見れば、女の槍は短槍だった。自身の体に合う長さがそれなのだろう。


(面白い)


 軽い槍というのを、ユステルは扱ったことがない。ある程度重くなければ勢いが出ないし、威力が出ない。遠心の力も扱えない。


 それゆえ、槍先を交わしながら、女の槍術に目を瞠った。


 その軽い槍を、軽さを最大限に活かしながらも、俊敏で、なおかつ重い一撃を放ってくる。突き技がすさまじい。一瞬でも気をゆるめたら、やられる、という緊張感がユステルを楽しませた。


 払い、突き、振り上げる。

 速度が上がった。



 気づけば、ユステルは夢中になっていた。夢中になって、槍が実践用だということを忘れていた。


 槍先が女の胸に、心の臓に吸い込まれる。ユステルの突き技が命中する。

 女の青玉が見開かれる。


(しまっ……!)


 瞬間、女の体がひらりと消えた。

 ユステルが驚き、体重の均衡を失って落馬する間に、宙を舞った女が着地し、落馬したユステルの首元に短槍が向けられる。



「馬から落ちたほうが負け、だったな?」



 女は額に汗をかいているようだった。陽光が眩しく、ユステルは目を眇めるが、それ以上に女の爽快な顔が眩しかった。


 呆気に取られる。


 うおおおおおお、と益荒男どもの落胆する悲鳴が轟いた。

 まさかやられるとはああああああ、というすさまじい落胆ぶりである。


「悪い悪い」


 ユステルは、呆然と気持ちを持て余しつつ、立ち上がって、へらっと笑って観衆の男どもに笑って見せた。


 やられるとは思っていなかった。女だからと手を抜いたつもりもなかった。

 女の槍術がそれだけすさまじかったのだ。


 ちらっと女のほうを見ると、上気した横顔があった。どこかうれしそうな満足そうな顔。

 その横顔に思わず声をかけたくなったところで、地中を震わすような野太い声が響き渡った。



「——イーリスううううううううううううっ!!」



 古代の戦車もかくやと言わんばかりの、縦も横もある丈夫(じょうぶ)である。髪も髭も伸びているが、手入れされているから、ただの丈夫でないとわかる。

 その男が目をかっと見開いて充血させ、砂埃を立てながらこちらにやって来る。


(相変わらず、存在感のあるやつだな)


 その男——皇都の槍と称されるヴァンセン公に、ユステルは呆れた。


 呆れつつ、イーリス、と呼ばれた女を確認する。記憶するように名前をたしかめた。



「叔父貴ではないか!」



 ヴァンセン公の勢いに少しのひるみも見せず、女——イーリスは、午後の挨拶をするように手を振った。短槍はいつの間にか背に負っている。


「お前っ! どこ行ってたのだっ?!」


 ユステルとイーリスのもとに辿り着いたヴァンセン公は、唾を飛ばしながら言った。身の丈があるために、ほんとうに唾が飛んでくる。


「どこってここだ。ちょっと体をほぐしに来ていた」


 イーリスが嫌そうな顔で唾を払いながら、下がりつつ返答する。


「ここだ! ではない! ここをどこと心得るっ?! 領地ではないのだぞっ!!」


「特に止められなかったぞ? 皆、わたしの体ほぐしに付き合ってくれた!」


「皆って、だれがっ——」


 そこまで会話して、ヴァンセン公はやっと、ユステルの存在が目に入ったらしい。

 唾が飛んでくるので、距離を取って聞いていると、またもや、かっと見開かれたヴァンセン公の目が、青い玉が飛んでくるのではないかというくらいユステルを見、それからうるさい声を響かせて、その場で膝を折った。



「殿下あっ! 申しわけありませぬうっ!」


「いや……まあ、おれも楽しかってもらったぞ?」



 いちいちやることが大げさで目立つヴァンセン公に、ユステルは幾分たじろいだ。

 この男とオルウェン公が、皇宮内で会話をすると、あまりにもうるさくなる。ノクセン公がいなければ、皇宮は騒音の渦になるにちがいない。


「……殿下?」


 ヴァンセン公の言葉を受けて、イーリスが怪訝にユステルを見た。

 ユステルも、イーリスに視線を返す。


「殿下って、あの殿下……? 皇太子の? よもや第二皇子ではなく?」


「あいつは寝込んでるから槍なんて振るえないなあ」


「ということは、皇太子? 皇太子……ユステル殿下?」


「まあ一応、そういうことになってる」


 皇太子なんて仕事が多くて面倒だが、とユステルは思いつつ返答すると、イーリスの顔が、さああっと青褪めた。それから口元を押さえて俯く。


 どうやら叔父が謝罪した理由を悟ったらしい。


 身分とは厄介なもんだなーと、どこか他人事で、とはいえなんとなく気になってユステルはイーリスを覗き込む。

 その顔が、いつの間にか笑いを堪えるように震えていた。


(なんだ?)



「叔父貴! やったぞ! わたしは本気の殿下を相手に槍を振るえたぞっ!」



 満面に喜色を浮かべて、イーリスが顔を上げた。



「馬鹿者めがっ!」



 すぐにヴァンセン公の拳がイーリス目がけて振ってきた。ひらっとイーリスが軽やかに避ける。


「すぐに手を出すのは良くないぞ、叔父貴!」

「お前もすぐに槍を振るうであろうっ!」

「手が早いのは叔父貴の血だ!」

「なんだとぅーっ?!」


 やかましい叔父と姪である。


 ユステルはいささかげんなりしつつも、イーリスの斬新な受け止め方に少し反論を覚える。


(手は抜いてないが、おれは本気を出してないぞ……たぶん)


 今言うと、いっそうやかましくなりそうだったので、内心に留めておく。


 この女に本気になっているところを悟られてしまった、というのが、ユステルはなんとなく面白くなかった。


 面白くなかったが、強烈に印象に残る邂逅だった。

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