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145話:帰途(1)

136話で、ヴァンス火山から〈双極の塔〉に戻るまでの道のりの話です。全6話。

 久しぶりに、心地の好い場所にいる気がする。ざらざらでもじゃりじゃりでもなく、ごつごつとした硬さもなく、ふわりとやわらかい場所。石鹸の泡のなかにいるような心地。


 いつまででもこの心地に浸かっていたい。とっぷりと浸かって、家猫のように丸まっていたい気持ちになった。穏やかに安心に浸かりたい。


 体がそう言っているようだった。けれど、次第に頭が覚醒していく。


 ここはどこだっけ。今はいつだろう。わたしはなにをしていたのだっけ。


 当たり前の思考が浮かんでくる。

 そうして、少し前の、自分の意識が途切れる曖昧な光景が浮かんで、メリヤナは突然沸騰したように目を覚ました。



「——フィル……っ!」



「リヤっ?!」



「……っ」



 体を急に起こそうとしたからか、節々が痛んだ。倦怠感が体中を蝕んでいる。じくじくと痛い場所もあった。


 苦痛に顔を歪めると、そばにいた影がメリヤナの体を支えた。香ってきたにおいに、痛みが和らぐようだった。もう一度ゆっくりと、眠っていた寝台に横たえられる。


「……だめだよ、急に起きちゃ」


 澄んだ低音が注意をする。

 視界に青紫と白金の色——フィルクを認めて、メリヤナは全身が弛緩するようだった。


「良かった……」


 フィルクに会いに行って、話して、彼のしようとしていた行動を止めて、それからヴァンス火山から、下山をしていた覚えがある。

 下山しながら、体がどんどん重くなっていた覚えもある。


 そこから、記憶が途切れていた。自分はどうなっていたのだろう。


「それはこっちの台詞だよ。目の前で倒れられた僕の気持ち、わかる?」


 恨めしそうにフィルクが言う。言いながら、布を水に浸して、メリヤナの顔周りにうっすらと浮かんでいた汗を拭う。拭い方の加減がちょうど良かった。


「……えっと、その」


「一応聞くけど、倒れるまで話してたことは覚えてる……?」


 メリヤナの反応が悪いから、フィルクが不安になったように尋ねる。尋ねながら、硝子杯に入れた水を用意する。少しだけメリヤナの体を起こして、飲めるようにしてくれた。


 乾いた喉を通る水が、甘くて沁みるようだった。水の甘さに、体が喜ぶ。


「……もちろん、覚えてるわよ」


 ありがとう、と言って杯を戻す。


 思考が戻ってきて、ヴァンス火山でのできごとがまざまざとよみがえった。

 互いに怒り合って、事情を説明して、それから、告白した。


 思い出すと、ちょっと恥ずかしい。


「あなたにちゃんとわたしの気持ちを……好きって言ったもの……覚えてないわけが、ないじゃない」


 掛布を手繰り寄せて、メリヤナは顔を隠す。隠しながらちらっと、横にいるフィルクを見ると、横を向いて、耳を赤くしていた。


 その反応に、メリヤナは空色の目をぱちくりとさせてから、メリヤナ自身もさらに恥ずかしくなる。


「な、なんで、そんな顔するのよ……っ」


「……ごめん、ちょっと明るいところで言われて……、その、動揺した」


 いつになくフィルクの返答がたどたどしい。自分を取り戻そうとしているようだった。


 窓から夏のあたたかい風が吹き抜けていた。一緒に陽光の明かりも部屋を照らしていて、火山の宵闇(よいやみ)のなかでの告白とは、たしかに状況が異なる。


 なんとも言えない空気がふたりのあいだに満ちる。


 両想いになったはずなのに、なぜかめちゃくちゃ、気まずい。


 妙な沈黙ができる。



「……あのさ、」



 もう一度口を開いたのはフィルクのほうだった。

 ぽつりと言う。


「もう一回、言ってくれる……?」


 なにをだ、とさすがにメリヤナは言わない。


 もう一回好きだと言えと言っているのだ、この男は。


 メリヤナは顔から火が出そうになった。抗議の声を出そうとして、硬直して言えない。


 火山ではするすると出てきた言葉たちが、明るい部屋のなかでは出てこない。きっとあの時は自分のなかの権能が働いて、体中がいつもと異なる状況に興奮していたのだろう。今は言葉を忘れてしまったように出てこない。


 あわわ、と唇を震わせているの対し、フィルクは媚びるようにこちらを待つ。なんて卑怯なのだろう。幼い時のかわいさも覗かせつつ、好みの顔がメリヤナの言葉を待っている。

 落ちるしか、なかった。



「……好きです」



 メリヤナは抵抗と言わんばかりに、掛布を額まで持ってきて言った。



「フィルが……好き。わたしの、〈唯一〉です」



 薄布越しであったが言い切った。


 返事がない。


 緑樹を含んだ薫風が窓布を揺らす音だけがするなかで、たまゆらにしっかりとした体が乗っかるようにして、掛布ごとメリヤナを包んだ。大好きなあたたかいミラルのにおいがする。


「……良かった。現実だった……ありがとう」


 抱きしめる力に掛布が引き寄せられて、両目にフィルクの頭頂部が目に入った。体全体が震えているように、白金の頭もわずかに震えているようだった。


 メリヤナはそんなフィルクにどうしようもないものが込み上げてくる。布から腕を出して頭を抱く。


「ごめんなさい。倒れて、びっくりさせたわね」


「…………」


「きっとすごく不安にさせたわ」


「……また、絶望するかと……思った」


「そう……よね。ほんとうに、ごめんね。あなたがどれほどわたしを想ってくれていたのか覚えているし、わたしも同じくらいあなたが好きだから」


 だから、これは現実だよ、とメリヤナは続ける。


「幸せを、噛みしめていいんだよ」


「……うん」


 素直な声が、メリヤナを抱く力を強くする。


 自分が倒れて眠っているあいだに、きっとまたフィルクのなかにある虚が色を濃くしてしまったのだろう。言葉の節々や体から伝わってくるようだった。


 メリヤナはフィルクの震えが収まるように、ほどかれた白金の糸を撫でる。ほつれたものを直すように、梳くようにする。


 どうか、彼のなかのもの寂しさが埋まりますように。満たされますように。


 そうしていると、そのうちに震えが収まってきて、頭が持ち上がった。

 おもむろに聞かれる。


「口づけても……いい?」


「……うん」


 恥ずかしくなって、小さく肯く。


 そうすると、ふれるだけの接吻(キス)があった。夜明けまでしたのとは異なる。今を感じるための儀式のようだった。


 離れて、それからフィルクの体が寝台から下がった。

 メリヤナに無理をさせたのを詫びるように、洞窟に木霊する声が言う。


「もう少し、休んで。ここまで来て……疲れただろ」


「うん……そうする」


 フィルクの耳は赤くて、メリヤナの顔も赤かった。


 互いに気持ちをたしかめ合ったはずなのに、明るいだけで、すべてがぎこちなくなる。


 メリヤナは恥ずかしい気持ちに蓋をするように、寝台のなかに潜るように眠った。

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