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124話:花と雨に滲む(2)

 メリヤナは絶句する。


 フィルクがなにを言っているのかわからなかった。

 わからなくて、再度問う。説明を求めた。


「どういう、こと……? なんでそんなことがわかるの?」


 もうすっかり頭から消えていた〈盟約の証となる報せ(メルディメルグ)〉や、王宮の見取り図のことを思い出した。

 誰かが送った。おそらくエストヴァンの皇族に連なる誰か。たしかに、今思えば皇族であるフィルクも対象だ。だが、皇国にいない皇族は他にもいるという。それだけで、フィルクとは断定できない。


「……調べたんだ」

「調べた?」


「兄上に願って、皇籍に残っていて国にいない皇族の居所を十年分調べた。だから、わかった。そのために、戻ってきたんだ」


 十年分の居所。調べる。戻ってきた。

 卒然(そつぜん)と、メリヤナは思い出す。


『——でも、エストヴァンに戻れば、やるべきことが、ある』


『君のためにできることがある』


 自分のためにエストヴァンに戻ると言っていたこと。それが、調べたことなのだとわかった。


「そう……なんだ」


 メリヤナは、受け取った事実よりも、フィルクにとっては過去と向き合わなければならないはずなのに、帰国までして調べようとしてくれた、そして実際に調べてくれたことのほうが重要で、その思いに胸が突かれた。


 だから、その事実を——かつてのフィルクが、かつてのメリヤナを死に追いやるきっかけになったということを、不思議な気分で自然と受け入れた。


 そういうこともあるかもしれない、と。


 一方で、その事実がメリヤナのなかに投擲(とうてき)されたことによって、別の波紋が広がる。なにか記憶に引っかかるものがあった。神とのやり取りだ。すぐに思い出せない。だが、その波紋のほうが、フィルクの話した事実よりも、メリヤナには重要な気がした。


 メリヤナは思い出しながら、フィルクに尋ねる。


「なんで……かつてのあなたは、そんなことをしたのかしら」


「わからない。わからない……が、僕のもうひとつの血がおそらく君を殺した」


 女神ヴァンニテの加護だ、とメリヤナはノクセン公との会話を思い出しながら聞く。


「マルムスの血。〈冥い炎〉。怒りをもたらす。おそらく前の僕はきっとその怒りに(さいな)まれた。……さっきもそうだ。この怒りは理性を焼く。だから、今回もまた、君を殺してしまう」


 メリヤナは、引っかかった記憶を隅にやって、今一度フィルクの目を見た。見なければいけなかった。そこには赤黒いものはなく、いつも通りの青紫の深海の色があった。


 メリヤナはその色に、きゅっと胸が締まる。鼓動が早くなる。


 殺してしまう、と言ったフィルクに笑む。恋心が込み上げてくるようだった。込み上げたものを笑みに変えて、安堵させるように首を振る。


「前のあなたはどうだか知らないけど、少なくとも今のフィルはわたしのことを殺したりなんかしないわ」


「……するよ」


「しないわよ。だって、さっきも止まっていたじゃない。大丈夫。あなたは、わたしを殺したりしない」


 自信を持って言える。フィルクにはそんなことはできない。少なくとも殺し殺されるような関係を自分たちは育んできてはいないはずだ。

 メリヤナがその気持ちを込めて言えば、フィルクが今度は首を振った。


「するんだ」


「もうなによ。わたし、そんな恨みを買うことをした?」



「ちがう」



 メリヤナがあえて諧謔(かいぎゃく)をまじえてそう言えば、フィルクの明確な、強い意志のある否定があった。


 手首がつかまれる。


 ぎょっとして顔をあげて、メリヤナはそこに宿るものを見た。冥いものではない。炎。熱。ずっと垣間見えていたなにか。今のメリヤナが求めてやまない、それ。深い青紫がたたえたものをそのままに、メリヤナを見定めた。

 つかまれた手首の内側に唇が寄せられる。そして、滑った。なにかを伝えるように滑って、ぞくっ、と言い知れぬ感覚が、メリヤナにもたらされる。


 たたえていたものが限界を迎えて一雫(ひとしずく)あふれたように、宣告は、あった。




「——君が……リヤが、好きだ」




 メリヤナは蒼穹(そうきゅう)の双眸を見開いた。

 (こと)()を、忘れる。時が止まる。言い知れぬ甘い痺れが手首から伝わるように、全身の時間を止めたようだった。



「君が、ずっと恋しい。恋しくて、あまりにも愛おしい」



 続けられる言葉に、メリヤナは唇がなにかを返そうと震えた。震えて、何もならない。言の葉を忘れてしまって、何も言えない。胸奥(きょうおう)が、歓喜して震えていた。



「リヤ……メリヤナ。僕の、〈唯一〉」



 そう言って、フィルクがメリヤナの手首から血管を上っていくように、唇を寄せた。

 痺れが続く。メリヤナの時を止める。


「……っ」


 声にならない声が出る。フィルクの名前を呼ぼうとして、それも音にならない。

 のぼってきたものは、メリヤナの首筋を這った。官能が、強烈な麻痺をもたらした。


「……っ、まっ——」


 あまりの感覚に制止しようとして、麻痺ではなく呑まれた。すべて。メリヤナからの拒否を一切許さないように、フィルクの唇が重なった。


 甘美な感覚を思い出す。サルフェルロから帰国した時の祝宴。火祭りでの湖のなか。


 だが、今は、これまで以上に甘く切なかった。呑まれたもののなかに、メリヤナの言の葉がある。同じ気持ちである、と返したくてたまらないものが、口づけを甘くする。どこまでも溶かす。メリヤナの思考や気持ちを奪っていく。


 メリヤナのなかに侵入があると、もう何も考えられなかった。ただ、受け入れる。ただ、浸る。泥濘(ぬかるみ)のなかに入っていくように。

 息が継げなくて呼吸できなくなる。


 そうして、やっと解放された。


「……っは」


 その場に崩れ落ちる。乱れた息を整える。何が起きたのか考える。何を言われたのか、もう一度脳内で思い起こす。


 思い起こそうとして、


「——だから、」


とフィルクの低すぎない低音が上から響いた。


「僕は君を殺してしまう」


「……フィ、ル」


 メリヤナは呼吸を整えながら見上げる。何を言っているのかわからない。思考が読めない。その赤黒く光っている瞳の意味が理解できない。


「君の幸せを願っていた。君を絶望から救うことを願っていた。だが……君の〈唯一〉は王太子だ。そして、王太子と君は近い未来、結ばれる。それが神との契約のはずだ」


「まっ、て……」


 メリヤナはちがうと言いたかった。

 少なくとも、自分の〈唯一〉はちがうのだと言いたかった。

 だが、乱れた呼吸で、痺れた体では、まともな言葉が発せない。

 フィルクはそのまま、()()()()を続けたまま、語り続ける。


「僕はもう……それを見ていられない。まずは王太子を殺す。さっき止められていなかったら、きっとそうした」


「ふぃ……っ」


 メリヤナは、その言葉に、どれほどの感情が詰まっているのか垣間見た。どれほど自分を想ってくれているのかを。

 それでも、メリヤナは返せない。何より、神との契約、という言葉を覆せない。


「次に君だ。王太子の隣にいる君を……殺す。王太子と結ばれるリヤを見たくない。……()えられない」


 メリヤナの(まなじり)に涙が浮かんだ。言いたくても言えない言葉。否定できない事実がメリヤナをも苛む。

 崩れたメリヤナを、それでもフィルクはこの上なく優しく持ち上げる。立ち上がるように補助してくれる。それなのに、次に放たれた言葉にメリヤナは強く穿(うが)たれた。




「——僕はもう、君の協力者ではいられない」




 痛みが涙を呼ぶ。今までの絆が崩壊する。炎の洗礼を経て得た絆が。


「……フィルっ」


 メリヤナは名を呼ぶので精いっぱいであった。

 フィルクは首を振る。



「もう、おしまいだ。リヤ。さようなら。——帰って」



 そう言って、部屋の外に押しやられる。優しいのに、力強い拒否がメリヤナを押しやる。


「じゃあね」


 そうして、私室から追い出された。

 メリヤナはただ泣いて、泣きじゃくって、随分とそうしていたはずなのに、いつもすくってくれる人は、私室から姿を見せることはなかった。


 涙が()れるまで、メリヤナはそうしていた。




   *




 皇太子の執務室。

 ユステルは侍医にルデルを診せたのち、客室で休むよう促した。文句を言いそうでもあったが、メリヤナに振り払われたということが王太子には衝撃となったらしい。黙って、ユステルに従った。


「あっちはどうなっているかな」


 メリヤナがフィルクのあとを追った。


 少しはふたりにとってましな方向に進むといい、と思う。

 そして、ましな方向に進んだ時のために、ユステルには意を揃え準備をしておかなければいけないことがある。


 それが、弟への最大限の(むく)いだ。側室の子というのはエストヴァンではあまりにも哀れだ。それを助長したのが昔のユステルだ。

 穴があったら入りたい気持ちで、弟に報いる。それがユステルなりの謝罪の仕方だ。


「神の血なぞ残さなくても、この地は統治できる」


 ユステルはつぶやく。つぶやいてから、呼び鈴を鳴らして自身の筆頭補佐官を呼んだ。

 そして、告げる。



「今すぐ、三公を呼べ。——協議したいことがある」


 

次章から19章です。

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