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104話:視察へ

「——ということなんだけど、視察に行っているあいだ、頼める? ユス兄上」


「それは構わんが、ルクスは、なんでまたこんなことを調べるんだ」


「少し確認したいことがあるだけだよ」


 皇太子の執務室だった。

 フィルクは外出着で、ユステルは普段通りの装いだ。


 これからフィルクは、十日ほどの視察にメリヤナと出る予定だった。ちょうど連れて行きたいと彼女に話した場所も巡ることになる。

 ユステルはフィルクが頼んだ内容について、腑に落ちない様子がありながらも、それ以上のことは聞かなかった。


「まあいい。とりあえず確認しとく。各地の〈守手(もりて)〉に連絡を取れば、わかるはずだ」


「ありがとう、兄上」


 聞かないでいてくれることにも内心で感謝する。

 兄は、にかっと人の良い笑みを浮かべた。


「おう。ヤナと楽しんで来い」


 フィルクは肯いて応じると、執務室を出た。控えていたグラン——第三皇子の〈守手〉が後ろに従う。


「準備は整っております」

「わかった。——メリヤナは?」

「すでに下でお待ちです」


 昇降機に足を踏み入れ、地上に向かう。

 後方のグランの気配を感じる。


 〈守手(もりて)〉は、陰で皇族の見守りを担う者たちのことだった。近衛と異なり、基本的に姿は見せない。フィルクも帰国するまで、守手がついていることを知らずに過ごしてきた。その気配を感じるようになったのは、帰国して皇宮で過ごすようになってからだ。


 守手は隠密に長けている。気づいてグランに姿を表すように命じたのは、監視されているようで不快だったからだ。守手であることは隠し、あくまで近衛兼侍従として側に置いていた。


 グランの存在を知って日は浅かったが、悪い人間ではないと感じる。長らくフリーダにいたフィルクを見守っていたと言われると、不気味な気分になりつつも、その期間はおよそ十年だ。並大抵の神経でできるものではない。

 とはいえ、フィルクはまだグランを信用しきれずにいた。



   *



 馬車で三日ほど行ったウィラという村が視察先のはじまりだった。そこから下って、一日行ったところ、ベステという街が視察先の終わりとなっていた。


「——ようこそ、ウィラの村へ。第三皇子殿下と、フリーダ王国大使さまのご来訪を歓迎いたしますわ」


 恰幅のいい女の村長だった。農園のほうへ、と言われてフィルクたちは案内される。


 ウィラは葡萄酒作りを古くから行っている歴史のある村だった。〈双極の塔〉から近く、大使を招くのに良い場所と選ばれたのがウィラだった。フリーダでも葡萄酒は作られるが、ウィラとは気候が異なるために、扱う葡萄の品種や味が異なる。フリーダは、主として赤い葡萄酒、ウィラでは白い葡萄酒が作られていた。


「ごめんなさいね、今は実が生ってないの」


 村長は言う。

 葡萄の収穫期は秋だったから致し方なかった。収穫期は村人総出で葡萄を摘むのだという。


 一通り歩くと、今度は圧搾所(あっさくじょ)に向かう。ここがメリヤナの興味を示したところだった。

 フリーダでは圧搾は発酵後に行うが、ウィラでは、発酵する前に行うのだと聞いて驚いていた。質問して、熱心に話を聞いていた。


「リヤって、そんなに葡萄酒の製造工程に興味あったの?」


 倉庫の見学や試飲が終わったのち、フィルクは尋ねた。

 メリヤナは一度首をかしげてから、合点がいったように、答えた。


「すごく興味があったわけじゃないけれど、石鹸作りをして以来、何かを作る工程のちがいって面白いなーって思うようになったのよね。葡萄酒もただ品種がちがうだけだと思っていたけど、製造工程にも違いがあるんだなと思うと、面白くてついつい聞いちゃったの」


 知らなかった、と思いつつ、たしかに石鹸を作っていた時はかなり夢中になってのめり込んでいたことをフィルクは思い出す。基本的に何かにのめり込んだりする性質なのだろう。……王太子への気持ちのように。

 考えると、不快な気分が湧いてくる。どろどろとした淀みが泡を出す。〈冥い炎〉が咆哮をあげようとする。


(こんな時でさえ……)


 フィルクは浮かびあがってきたものを鎮めるように思考を振り払った。


 ウィラの街で一泊すると、翌朝は、ベステの街へと向かう。

 ウィラとベステの街の間には、運河が通っていた。フィルクには、縁のある運河だった。



「——ちょっといいっすか、殿下」



 そんな運河の船上だったが、平底(ひらぞこ)で幅の狭い舟には、フィルクやメリヤナに随行する人間も乗り合わせていた。


 なんとなくきまりの悪い空気が流れていた。

 特にフリーダ側は、来訪からこの方、フィルクが、フリーダの元貴族であり王宮務めを行っていたからか、顔を知っている者も多い。だが、身分的に堂々とフィルクに聞くことはできない。されど、様々な憶測が飛び交っており、この際誰か聞けよ、という暗黙の競り合いが行われていた。


 そして、口を開いたのがタルノーだった。


「今更あらたまって、なに。僕と君、別に気をつかうような間柄じゃないと思うんだけど」


「あ、いや、まあ……そうなんっすけど」


 一応皇子さまだし、とタルノーは頭を掻きながら言う。

 フィルクは、はあ、と溜息をつく。


 イアン・タルノーという男は、フィルクにとってただの元同僚だ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、この男は基本的に飾らない。入府してすぐの頃、何かあった覚えもあるが、人とそつなく会話ができ、フィルクに対して喋ってくるこの男を、フィルクはそれなりに同僚として信頼していた。上司であったマブロンもだ。


 だから、皇子である、とわかっただけで、言動が変わることに、無意識に少し落胆を覚えた。それが溜息となって出る。


「別に、気にしなくていいよ。なんか気になることがあれば聞けば」


 フィルクの不機嫌さは発言にも出たのだろう。タルノーが、うっ、と言葉を詰まらせた。

 きまり悪い空気が、さらに悪くなる。フィルクにはそんな空気はどうでも良かった。はやく舟を下りて、メリヤナとふたりで話したいなどと考えはじめる。

 いよいよ誰も口が聞けなくなりそうな空気のなかで、ぷっ、と吹き出す音が聞こえた。


「なに()ねてるの」


 当のメリヤナだった。あはは、とひとり笑って見せる。

 全員がぽかんとして、メリヤナを見た。フィルクも、もちろんそのひとりだ。


「ちゃんと言えばいいのに。友だちなんだから、殿下とか敬語なんか使わなくても大丈夫って言わないと、伝わらないわよ?」


「……は?」


「友だちに気をつかわれるのはいやなんだって、ちゃんと言わないと伝わらないって言ったの」


 今度は気詰まりではなく、フィルクとメリヤナのやり取りに皆の注目が集まる。


「別に友だちじゃない。同僚だ」

「あら、でもタルノーさまからはよく話すって聞いたわよ」

「同僚なら当たり前だろ」

「同僚でも喋らない人はいるでしょう」

「ただ話しやすいだけだ」


「話しやすいっていいことじゃない。信頼してるってことでしょ? それが本音じゃない」


 ぐっとフィルクは言葉に詰まる。


「信頼している人間に敬語とか使われたくないから、使わなくていいんだってちゃんと説明をしないと。ただ、拗ねてるだけに聞こえるわ、さっきの発言」


 メリヤナの言葉に、場が、しーん、とする。馬が()き舟を行う、水の流れる音だけが聞こえた。


 フィルクは、メリヤナの言葉を噛みしめる。拗ねている、というのは的を射ていた。信頼している男に気をつかわれたのがいやだったのだ、自分は。

 一度小さく嘆息すると、フィルクはふっと力を抜いて言った。


「——タルノー、君に気をつかわれるとやりづらい。僕は気にしないから、今までと同じように話してくれ」


「お、おう」


 この時、タルノーをはじめ、フィルクの元同僚たちには、感動のようなものが渦巻いていた。


 あのローマンが(元ローマンか)。

 あんなに喋るなんて。

 それも素直に言うなんて。

 すごいぞ、ドール公女。

 やっぱり元ローマンは公女さまのことが好きなんだな。


などと、各々で口に出したら失礼なことを思っていた。


 フィルクが、これでいいだろ、とメリヤナをちらっと見ると、彼女は、よくできました、と言わんばかりに、にこにこしている。


(やっぱり、かなわない)


 彼女には。彼女がいると、自分の調子が狂ってしまう。


 フィルクは肘をついて窓から覗く河のほうを見る。赤くなりそうな顔を見られたくなかった。

 そんなフィルクとメリヤナの様子を、侍女カナンと守手グランは優しい目で見守っていた。


 そのあと、気をつかわなくなったタルノーから質問されると、フィルクは話せることは答え、濁すべき話題は伏せながら話した。マブロン局長が戻ってこいと言っている話題になると、さすがに一国の皇子は連れ戻せないだろうという話になり、マブロン局長の親ばかの話に移ろい、そのうち、船上は賑やかになっていく。



 ——この男、ヴァルト・エッセン以外は。



(ルデルアン殿下……)


 エッセンは現状を非常に危惧している。愛や恋がわからなくても、主君の婚約者と、第三皇子とわかったこの男をこのままにはしていけなかった。それは、これまでの経験と知識で判断できることだった。


 このふたりの仲をこれ以上深めてはいけない、と。


 ルデルアンの不安はこれだったのだろう。フィルク・ローマンが外務局を辞職し、故郷であるエストヴァンに戻ったかと思えば、エストヴァンから婚約者の姫君に招待があるなんて、偶然が重なりすぎている。


 これだったのだ、とエッセンは確信していた。

 すでに手は打ってあるが、それまでにエッセンは主君のためにできることをしたい。


 賑やかな舟のなか、話題が各所で飛び交うなか、姫君が笑って話している時、皇子は焦がれるように彼女を見る。皇子が元同僚たちと訥々と話しているなか、姫君の視線は——その意味をエッセンは深くはわからない。


 ただそこに、主君には向けないものが宿っていることだけはわかった。

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