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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。  作者: 稿 累華
第16章:皇子殿下と視察に参りましょう

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101話:身重のイーリス妃(2)

「なんだか知らないが、自分の〈唯一〉だから結婚しろとある日突然、連呼しまくる。付いてくる。実家に引きこもっても、毎日のように訪ねてくる。結婚してくれなければ、おれは国を滅ぼすとまで言ってくる。もはや脅しだ」


「…………」


 イーリスは滔々(とうとう)と語る。聞いておきながらフィルクは無言だ。


「しまいには、この男は何を仕出かしてくれたと思う?」


 興が乗ったように、イーリスはメリヤナとフィルクに尋ねた。

 ユステルは、口笛を吹きながら壁を見ている。

 メリヤナとフィルクが首をかしげていると、イーリスは思い出すのも怖気が走るように答えを言った。


「なんと、家の前で、愛の讃歌とかいう歌を大声で歌いはじめた。近隣に憚らず。それもとても下手だった。音痴も甚だしい。だが、そこには熱烈な愛の文言の数々。求婚を許可してくれるまでは歌い続けると言うのだ。わたしの羞恥心が限界を迎えるのか、近隣から苦情が入るのが先か、それが問題だった。……とまあ言ったが、結果的にわたしよりも父母のほうが限界を迎えて今に至る」


「……うわ」

「えーっと……」


 フィルクは春虫でも口に含んだように顔を歪め、メリヤナが若干引きながらも何か言おうとする。


「今考えてみても、あの行動は理解できない。まさしく気狂いというやつだ。実際、本人はどうなんだ?」


 イーリスが膨らんだ腹をさすりながら、尋ねる。

 そんなことを聞きつつも皇太子妃が、皇太子のことを憎からず思っているのは、そういった仕草から感じられた。


「さあな。あの時のことは、おれもよく覚えてないからな」


 口笛をやめて、感慨深げにユステルは言う。


「おれの〈唯一〉に振り向いてもらうためにはどうすればいいか、行き着いた先がその行動だったというやつだな。たぶん、この権能は、自分の〈唯一〉に振り向いてもらうという目的に対して、感情制御とか手段とか選んでいられなくなる、というものだと思ってる。制御不能。以上」


 制御不能、という言葉にメリヤナは思い当たる節がある。ルデルへの執着。サレーネへの嫉妬。そういうものだろう、と。

 だが、メリヤナはかつての生でそれを自覚してなかった。知識として得たゆえにそうであろうと思っていたが、ひとつわからないことがある。


「〈唯一〉って……いつわかるものなのですか?」


 ぽつりと、メリヤナが内心をもらすように尋ねる。

 それから、ユステルが不敵に笑って答えた。


「わかるまではな、別にふつうの自分なんだよ。適当な恋とかもしてたし。会って、そうだな……知って、ある時、びびっとくる。あ、これはおれの〈唯一〉だって。まあ、段々と認識する場合もあるかもしれないが、おれはびびっとだな」


「びびっと……」


 それはメリヤナにはちょっとわからない感覚だった。

 前の生では、基本的にずっとルデルに夢中だったし、ルデルのことしか考えていなかったから、正直なところわかるまではふつうというのがよくわからない。段々と認識、という状態に近いのだろうか。


「そうだな。で、こう認識すると、いや認識が近くなると、もう他はだめだ。他の女とかに近寄られたりすると、あまつさえ、さわられたりなんかしたら、吐き気に頭痛、動悸、目眩(めまい)、あらゆる神経系症状の大行進だな。無理ってやつ。まあ、ちょっとした社交くらいなら、手套(しゅとう)をすれば、できるけどな」


「吐き気に、目眩……?」


 覚えがある症状に、メリヤナは口を覆った。何か強烈な寒気のようなものを覚えた。

 だが、頭のなかで否定する。

 あの時は多忙だったゆえだ、と。


「そうだ。あとは他の男の影がちらつこうもんなら、切り捨てたくなる。そこに思考はない。感情だな」


「…………」


 それも、覚えがあった。再度社交界から追放されたサレーネの顔が思い浮かんだ。

 メリヤナは押し黙る。


「ユステル、そんな感じでこれから側妃は取れるのか?」


 いつになく毅然(きぜん)とした様子で、イーリスがユステルに尋ねた。

 メリヤナはびっくりしてイーリスを見る。


 そこにある表情は皇太子妃の顔で、イーリスという個人の顔ではなかった。皇太子妃という立場から尋ねているのだとわかった。

 だが、対するユステルは皇太子然とした様子は一切出さない。ユステルはユステル自身であることを誇りに思っているように答えた。


「おれは、側妃は取らん。第一、症状ひどすぎて無理だと思う」


「取らんと言ったところで、取らねばなるまい? 必要なことをするために、薬も飲むと聞いた。わたしはそう聞いているぞ。覚悟も、とうにできている」


「取らんと言ったら取らん」


「そう我儘言うものじゃないだろう。皇太子だろう」


「——おれには無理だ。父上やそれまでの先代のように義務的にもできないし、父上のように無関心にもできない。やるやらないじゃない。できないだ。おれは、イーリスがいれば、それでいい」


 決然とした宣言だった。

 少し前までのふざけた調子は一切なく、それがユステルの明確な意志だとわかる宣言だった。

 メリヤナもイーリスもユステルの空気に呑まれたように、次の言葉を見つけられなかった。


 ふいっ、とイーリスが顔を背ける。


「……わたしの覚悟が無駄みたいじゃないか」


 つぶやくように言う。耳が桃色に染まっているようだった。


「まあ、もしうるさい元老院どもが何か言ってきたら、議場で高らかにまた歌でも歌ってやるさ」


「それはやめろ」


 真面目になった空気を払拭するように、ユステルはにかっと笑って言ってみせた。

 イーリスがすかさず突っ込みを入れる。


 メリヤナは思わず、くすっと笑う。笑いながら、フィルクがどこか茫然とした定まらない目で、ここではないどこかを見つめているのを認めた。



『父上やそれまでの先代のように義務的にもできないし、父上のように無関心にもできない』



 ユステルはそう言ったが、義務的な結果生まれ、関心を一切向けられないという過程を通して、フィルクス・フィーユ・マルムスという人間が構築されていた。ユステルはただ、イーリスのためを思っての発言だったが、同時にイーリスを想っているからこそ、傷ついている人間には気付かない。


 フィルクは、感情を感じないようにしているのだ、おそらく。

 麻痺させて、現実から浮き出て、今を感じないようにしているのだ。

 そうでもしないと、現実があまりにも無情すぎて、受け入れられない。生き抜いていけない。浮き出て麻痺させて感じないようにすることが、フィルクの生きる術なのだ。


 だが、メリヤナはそんなフィルクを、飛んでいってしまわないように、重石になりたかった。重石になって、あなたはここにいるよ、大丈夫だよ、と言いたかった。地面はここにある。あなたがそうなるのは境遇として当たり前だから、だからこそ一緒にいよう、と言いたくてたまらなかった。一緒にその気持ちを抱えたいと、かつて言われた言葉をなぞらえるように、寄り添いたかった。


「——ですが、ユステル殿下」


 メリヤナは唇を湿らせる。

 ユステルとイーリスがこちらを見る。



「わたしは、そうやって生まれてきてくれたフィルにとても感謝をしています。フィルがいてくれなければ、今のわたしはいなかったから」



 メリヤナは、微笑む。フィルクのはっとしたような視線を受けながら。



「ただ、同じような境遇の子がこれ以上生まれることは望みません。そう言った意味で、わたしも殿下の意志を尊重いたします。そうならぬことを心から願っています」



 メリヤナはそう締めくくった。

 束の間、間が合ってから、ふっ、とユステルの息が吐かれた。


「そうだな。サルフェルロでもそうだが、いつも姫君には諭される。

 ——すまない、ルクス。配慮に欠けた」


 ユステルの謝罪に、フィルクは、気にしていない、と首を振った。両膝のうえでかたく拳が握られている。我慢するように、何かを堪えているようでメリヤナにはどこか痛ましかった。


「ルクスとヤナは先に出ていってもらってもいいか? 少しイーリスと話したい」


 ユステルもまたその拳を認めたからなのかわからないが、この場からフィルクが離れられるように慮ってくれたのだとわかった。

 メリヤナは肯く。フィルクもまた首を縦に振り、そして、ふたりでイーリスの居室をあとにした。






 ユステルは、はあっ、と大きく嘆息した。


「失言だったな」


「すまない、わたしもメリヤナに言われるまで気付かなかった。あとでフィルクスには詫びを入れる」


 イーリスは腹を撫でながら言う。

 ユステルはそんなイーリスの肩を片腕で引き寄せると、自分の胸にイーリスの体がかかるようにした。イーリスは力を抜いて応じる。イーリスの腹を撫でる手に重ねるように、ユステルは自分の手を重ねた。空いたもう一本の手は、髪を撫でる。

 イーリスはそれを心地よさそうに受けて目を瞑った。


「ルクスは……不遇だが、メリヤナに出会えたことだけは幸運だったな」

「そうだな」

「ああいうところを見てしまうと、やはりルクスの想いは成就させてやりたい」

「……まさか、フィルクスの〈唯一〉は、メリヤナなのか?」


 驚愕したようにイーリスがユステルを見上げる。

 ああ、とユステルは肯定する。


「それはなんというか……、なんというか……戦争か?」

「おい、おれと同じ発想をするな」


「いや、だって、そうなりかねないだろう。国交正常化を祝っている場合じゃないぞ」

「おれとて、そうならないよう考えているところだよ」


「そういえば、そもそもメリヤナの〈唯一〉は誰なんだ? さっきの様子を見ると、やはりフィルクスか?」


 イーリスがその思考に至るのは当然だ。ふたりのやり取りや様子を見ていれば、誰もが合点がいく。だが、ユステルは倦んだように、一方でやや面白がりながら答える。


「ルデルアン王太子、だそうだ」

「げっ」

「と、ルクスは言っている」


「なんだ。勘ちがいか。なんでそうこじらせているんだ。本人に直接聞いてないのか?」

「言わせようと思ったら、イーリスが話題をかっさらって言ったんだろうが」


「……さっきのは、事前に打ち合わせてないと、無理があるぞ」


 話題を持っていってしまったことには自覚があるようだったが、イーリスは苦し紛れにそう言った。とはいえ、ユステルにとってずっと思っていたことをあの場で言えたことは良かった。失言ではあったが、言った内容は後悔していない。


「ただなあ、どうも、ヤナ姫のほうも自覚をしてなさそうなんだよな」

「あれで? 冗談ではないか? 王太子といた時とは、あきらかにちがうぞ。この短時間でもわかったぞ?」


「……だよなあ」

「なんでそんなにこじれたことになってるんだ……?」

「おれにもわからん」


 異母弟(おとうと)の表情を見ると、どうやらふたりだけにしかわからないことがあるらしい。それを後生大事そうに抱えているようだが、そのせいで互いに勘ちがいと思い込みに発展していると、ユステルは客観的に判断している。


「ということは、メリヤナを自覚させるのが最優先だな。メリヤナが自覚して、フィルクスに猛攻させれば、こじれ解決はあっという間だろう」


「それをしようと思ったら、イーリスが話題をかっさらったんだよなあ」


「…………以後、気をつける」


 心のなかでフィルクに詫びるイーリスだった。


「まあ、今日は機を逸したが、最優先は変わらないだろう。自覚させてやらないと、あまりにもルクスが哀れだ。あとから気づけば、結果的にヤナも不幸になる」


 そんな言葉では生ぬるいかもしれないとユステルは思う。

 この権能は、神の権能だ。互いが気付かずにすれ違えば、おそらくどちらも自分を保っていられないだろう。これは、そういう呪いとも言えるものだ。

 同じつながりを持つ、ユステルだからこそわかる。


「あとは、王太子とフリーダだな……こればかりはおれひとりではどうにもならん」


「戦争をするなら、わたしが出産を終えてからにしてくれ。義弟と、親友とも思っているメリヤナのためだ。この槍を十分振るってやる」


 イーリスは寝椅子のそばに立てかけてある短槍にふれながら、物騒なことを言う。


「イーリス、忘れているかも知れないが、おれはこの首の痣のせいで、王太子とは喧嘩っぱやいことはできない。よく考えてくれ」


「…………」


 午後の優雅な夫婦の会話だった。

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