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なんでも手袋

作者: 安達邦夫


古谷課長は、いつも奥さんに頭が上がらない。

今朝も、うだつが上がらないとこっびどく貶されて、満員電車の中で、妻の小言は自分への愛の裏返しなのだと、自分に言って聞かせている。

定年間近の中年サラリーマンに世間の風は冷たい。

帰りにガード下の一杯飲み屋で焼鳥をつまみに、ハイサワーや焼酎を飲むのが、精一杯の幸せなのだ。

妻の寝静まる時間を見計らって、そろりと足音を忍ばせて帰るが、その日はちょっと違った。

一駅分の電車代をケチって、いい気分で歩いて行くと、レトロな佇まいの木造モルタルのペンキも剥げた店舗があった。入り口は半ば開いていて、好奇心から覗こうとすると、半白のいかにも人の良さそうな老人が、にこやかに顔を出した。

さあ、どうぞとでも言うように、恭しく手まねいている。



あっはっは!!

二人は、奥にある小さなテーブルに向かい合わせて談笑していた。店に入ると、子供の頃に見た漫画雑誌や玩具。大好きだった駄菓子があって、老人がたった十円で、たくさんのお菓子を分けてくれた。不思議にも古谷は、少年の頃の気持ちを思い出して、老人と意気投合して、つい時間を忘れて楽しんでいたのである。


長い間居たようだったが、時計を見ると、まだ10時になったばかりである。時間の感覚がおかしくなったのだろうか?

それにしても不思議な店で、不思議な老人がいたものだ。

まるで、昭和の時代にもどったかのような老人だった。

彼は、妻の寝静まっていることを確認して、リビングのソファに腰を下ろした。テーブルに紙袋の中身をだす。

それは、手袋だった。もう春先だから、必要ないと老人に返そうとすると、

「これは、とても珍しい手袋です。あなたの願いを叶える力があるから、ぜひぜひ!」と、あの大黒さまのような笑顔で言われて、ついいただいてしまったのである。

手につけると、ぴったりだった。

そして、不思議な夢を見たのである。


ーー次の日の朝。彼が目覚めると、にぎやかな音に気づいた。

台所のテーブルに妻と今年大学生になったばかりの娘の顔があった。

どうやら音は、家の外で車のクラクションらしかった。

いつもうるさい妻と娘もにこやかに何も言わず微笑んでいるのが、不気味だ。

彼は、跳ね起きると、家の外に飛び出す。

黒塗りの高級車が家の前に横付けになり、古谷が顔を出した途端、クラクションもピタリと止んだ。

お仕着せの運転手が恭しく言った。

「おはようございます!会長。お迎えに参りました。」

何かのドッキリかと思い、古谷はニヤリとした。

(面白い!乗ってやろうじゃないか!)

大方、定年間近の中年男に、同僚の仕組んだサプライズなのかも知れない。

高級車の後部座席は、フカフカとして最高の乗り心地だ。しかも、出来立てのカフェ・オ・レか紅茶も入れ立てである。座席の横にポットがあり、運転中でも倒れないように凹みになっている。さすがに車内に食べるものはないが……。

こんな気分は生まれてはじめてだった。

夢かな?

イテッ!

頬を思いっきりツねって、痛みに飛び上がる。

今まで、艱難辛苦に耐えてきた苦節を思えば、当然許されることだろう。

などと思っていたら、車が停車してドアが開けられた。



広いエントランスに下り立つと、数十名のスタッフが迎いに出てきていた。

一斉に、

「おはようございます!会長」とおじぎをする。

(なんか気持ちいい)

だが、そんな気振りは微塵も見せずに、歩を進める。

さっと、若い女性が横に寄り添うように付いてきた。

今日の予定をてきぱきと読み上げた。

秘書らしかった。

このあたりから、古谷は、現実味がなくなるように雲の上を歩くような気分だった。

昼食は、高級レストランで洋食。味も分からない。

横には秘書がいて、至れり尽くせりに気配りをするから、なにかエスカレーターか動く歩道を行くように自分は、なぜこんなことになったのか。そんなことばかりが、頭に浮かんできた。

やはり努力してなったことでの達成感でなければ、本当の満足はないのだろう。


ピンポーン!

その瞬間鳴ったのは、どんな趣向か。悪い冗談のように、夢から覚めたのである。


「あなた!」目覚めるなり、妻の声がした。あー、良かった。彼は、心から、そう思ったのである。



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