非力男子
悪魔的に可愛い女性。それは確かに存在する。歴史の節目には傾国の美女とも呼ばれる者たちがいたことも事実である。しかし、こと現代においては一人の女性が傾けられるのは一社長の家庭と権力くらいが関の山だろう。
それは純粋な力によるものではなく、妖艶な魅力だけでも足りない。己のポテンシャルの使い方を熟知し、ブレない芯を持つものでなければ、行動に移す前に心がついていかない。
「あの女は悪魔だ」
そして、この物語の主演となる美女はその全てを持ち合わせているらしかった。
「このままだと、俺はあいつに全部奪われちまう。名誉も地位も人脈も財産も、全部だ!」
「大変なんだな。まぁ頑張れや」
「助けてくれるんじゃないのかよ!」
「誰がてめぇなんて助けるか! さっさと帰れ」
「帰れないんだよ。帰ったら殺される」
「はぁ?」
「だから殺されるっていってるんだよ」
斗森塚は自分の身を抱きながら小刻みに震えていた。恐怖の形相を浮かべ、焦点の合わない瞳で宮路原を見つめてくる。
(目、怖っ!)
斗森塚は宮路原の肩をつかみ激しく揺さぶった。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 放せこの野郎」
「頼む。助けてくれ!」
「いやだ。何で俺がそんなこと、それにもう助けただろ」
「もう一回だけ」
「ふざけんな、既にこっちは重症なんだ」
「そんな、じゃあ僕はどうしたら」
「自分で考えろ。何があったかは知らねぇがな」
「聞いてくれるのかい?」
「言ってねぇ」
宮路原の言葉をスルーして斗森塚は語り出す。単純な男女の恋愛から発展した恐ろしい事件を。
「初めは彼女の方からだったんだ。食事に誘われて、そこでお酒を飲んで、そして気づいたらベッドに」
宮路原は左手で斗森塚の首を握った。
「ぐががががっ、首が首がしまふっ」
「何で俺が自分の好きな女優の交友録を聞かなきゃならないんだ。ざけんじゃねぇ」
「息が……」
「じゃあなにか、てめぇはその夜アマシーとフィーバーしたってのか」
「覚えてないんだ。でも起きたとき俺は一人だった。そして部屋のテーブルに数枚の写真が置かれてた。身に覚えのないものだったけど、とても他の人に見せられるものじゃなかったよ」
「つまりお前とアマシーが◯◯◯したとか、◯◯◯◯◯したとかの写真か」
「まぁそんなところだね」
その言葉を聞いて宮路原の怒りは一瞬ピークに達したが、同時に重たい倦怠感が肩に圧し掛かり、溜め息をつきながら斗森塚の肩を叩いた。
「もういいや、もういい。俺の青春は終わったんだ。お前ももう楽になれ」
「それは僕に死ねと言っているのかい」
「女のために死ねるなんざ、男にとっては最高の幸せだろう」
「それは時と場合によるだろう。僕は別に網島遥を好きなわけじゃないんだ」
「その辺にしときなニーチャン。てめぇ一人ハッピーな気分味わっといて、その上好きじゃねぇだと。冗談も大概にしとけ。でねぇと……」
また宮路原の手が斗森塚の首元に迫る。
「いやぁぁぁああああああ、また命を狙われるぅぅうううう!!」
「さっさと出ていけ」
「それは出来ない」
「はぁ?」
斗森塚の返答に宮路原は呆れ顔になった。今にも泣きそうな表情で唇を噛み締める斗森塚。
(情けない面だな。ホントにこれが人気絶好調の俳優かよ)
宮路原はまた溜め息を吐き、
「心配すんな。その程度ではお前の印象は変わらねぇよ。イメージ通りだ」
「そういう意味じゃない。それに、一応清純派で売り出しているんだよ。昔はよく遊んでたけど、最近はマネージャーが変わって僕も本気になったんだ。日本一の俳優になろうって」
「それは無理だ、安心しろ」
「そんな、ヒドイ」
「女みたいなしゃべり方してる奴になれるわけない。そんなに甘くねぇんだよ芸能界は!!!」
個室に宮路原の声が響き渡る。直後、病室の扉が開き、看護師が飛び込んでくる。
「何かあったのですか!!?」
「あ、いえ、なにも」
看護師は呆然と立ち尽くし、斗森塚に気が付くと驚いた表情を見せて小さく会釈をした。看護師が斗森塚に握手を求めると、斗森塚は一瞬で仕事モードに顔つきを変え、腰に手を当てながら握手に応じた。
(無駄に俳優してるなぁ)
看護師は最後に宮路原の方を睨み付けて踵を返した。その時、扉が外側から開かれた。看護師と入れ替わりに一人の女性が病室に現れる。
その瞬間、斗森塚の表情が酷く青ざめた。目の前に立つ女性を見つめたまま直立不動になっている。
「アマシー……」
宮路原は呟いた。テレビで見るより数百倍可愛いリアルアマシーに体が震える。彼女は宮路原に微笑みかけ、それだけで宮路原はノックアウトされた。
「さぁ帰りましょ、ともりん」
斗森塚を迎えに来たらしい網島に斗森塚は静かに首を横に振る。
「昨日は大変な目に遭ったって聞いたから飛んできたの。大好きなともりんにもしものことがあったら私……」
うるうると瞳を濡らして、網島は言う。彼女は斗森塚の手を引いて自分の方へと引き寄せた。そのまま口づけを一回、続けて熱い包容を交わした。実際には網島が斗森塚を抱き締めただけで斗森塚は身動き一つ取らなかったが、宮路原は眉間に深く皺を寄せていた。
(こんなものを見せられて、斗森塚は俺に殺されたいのか?)
斗森塚の背中を睨み付けていると、網島が宮路原に近づき、額に唇を押し付けた。宮路原の思考回路が停止する。現実を理解できず、再び意識が遠退きそうになる。
「私たちのことは秘密にしてね」
「イエッサー!」
気が付くと宮路原は網島遥に敬礼していた。網島は嬉しそうに頭を下げ、斗森塚の手を握って病室を出ていった。
宮路原が我に返ったときには、そこには誰も残っていなかった。
「最大の不幸と最大の幸福を同時に味わった気分だ」
白い天井を仰ぎ見て、ニヤつく。アマシーの唇の感触がまだ額に残っている。
(何が悪魔だ。女神の間違いだろう)
ぐふふ、と笑い、今度は窓の外を見る。太陽が西の空に沈んでいく。
(さぁもう一眠り)
そう思ってベッドに潜り込んだ時、斗森塚が去り際に見せた悲しそうな顔が脳裏をよぎった。
斗森塚の芸能活動休止という知らせが飛び込んだのは、一週間後の朝刊だった。一面に大きく取り上げられた記事には休止のいきさつや現状、これからのことが事細かに書かれていた。
活動休止のきっかけはアマシーこと網島遥のファンによる暴行だった。斗森塚の自宅前で待ち伏せていたアマシーのファンにバッドで殴られたという。
幸いにも、俳優仲間である鬼音将が一緒にいたため大事には至らなかったそうだ。しかし、心身ともに深い傷を負った斗森塚は無期限の活動休止となり、渦中のお相手、アマシーも一時的な活動休止を余儀なくされた。
宮路原は病院のベッドでその記事を読み、身を震わせていた。
斗森塚の言った、殺される、という言葉が鮮明によみがえる。
(おいおいおい、こんなこと……)
宮路原は更に記事をよく読んだ。
被害者である斗森塚は暴行を受ける以前より、網島との関係がきっかけでファンに追い回されていた。その事から考えれば、この事件に不自然な部分は見られない。実際の記事にも事件以前の斗森塚の周囲の状況が事細かに書かれており、疑うべくもなかった。
何をかくそう、宮路原もそのファンの内の一人だったのだから。
「だけどなぁあ、あれ見ちまったらなぁ」
誰もいない部屋に宮路原の声が響く。宮路原は新聞を据え付けのテーブルに置いて横になった。
「事件の臭いだ。たぶん、俺しか知らない事件の臭い」
しばし考え、宮路原は結論を出す。
「まぁ、俺には関係ないな」