不誠実な別れ
遅れて申し訳ありません。今回は普段よりも長めの話になっております。
私は家に戻った後、直ぐに自分の部屋へ行き、ベッドの上で泣いた。
「ふっ...ぅ...なん...でぇ...?」
綾乃さんは私が好きなんだと自惚れていた。年上の、あんなにも美人なあの人が、私なんかを好きになるわけがない。
「...さいあく..。」
ゴトン
バッグを置いた所から何やら重たい音が鳴った。
「...あぁ、これも渡し忘れてた。」
中から細長い形の箱が出てきた。蓋を開けると、中には2つの指輪。ペアリングだ。学生のバイト代で買える程の金額だけど、結構頑張った。家の金だったらもっと高いものを買えたけど、自分で稼いだ金で渡したかった。
「渡さんくて良かった。もういらんよな。」
そう言って、近くにあったゴミ箱に無造作に投げた。
ピリリリリリ
「静かにしてや...。」
うるさく鳴る電話の画面を見ると綾乃さんからだった。
「...取るわけないやろ。いっつもこんな感じやったんかな。あの男とヤった後に平気で電話かけてきたりしてたんかな。それにいちいち喜んで...はっアホくさ。」
プツリと電話が切れたところで、次はメールが来た。
通知だけだったから、頭の文しか見えなかったけど、何となくわかった。
『渚。進路希望の紙忘れ...』
とだけ表示されていた。あんな紙、また学校で貰えばいい。進路も進学したい大学の場所は決まった。
「...調べるか。」
パソコンを開いて、東京にある大学を探しまくった。
いいなと思うところを何個か見つけてから、それに見合う勉強をするための一日のスケジュールを立てた。
3日もした頃、綾乃さんからのメールや、留守電話の履歴などが溜まってきた。
責めるような電話のコールから心配するようなメール、そして今、1件のメールがきた。
合鍵についてのメールか何かだろう。
もし家に来たとしても、五月や、部下達に通さないよう言ってあるので、意味無いのだけど。
あの人はポストの中をこまめに見たりする人じゃないから。だから3日たった今になって気づいたんだろう。
「このまま終わられへんよな…。」
鳴り響く電話の音を鬱陶しく思いながら、画面の斜めになった電話のマークを押す。
『もしもし、なぎ?』
「...。」
『渚...?』
「なに。」
低い声が出た。背筋が凍るような低い声が。
『っ...なぁ...なんで電話とかメールとか見ぃへんの?こんなこと1回も無かったやん...。』
なんでこの人はこんなつらそうな声を出してるんだろう。なんでこんな声を出せるんだろう。もう、この人が人間ではない何かに思えてきた。よくこんなに悪びれもせず、罪悪感も滲ませず、しゃべれるものだな。
「要件なに?」
イライラと先程から腹立つほどに痛い胸をどうすればいいのか、どこにぶつければいいのか分からなくて、貧乏ゆすりをした。
『...なぁなぎ、私なんかしたかな?』
なんでこんなこと言えるの?本当に訳が分からない。
「...ずっ...ぐすっ...分からへん。綾乃さんが分からへん。」
知らない間に涙がボロボロと零れた。分からない。本当に。泣いてる自分も、なんでもない振りをできる綾乃さんも。
こんなに情けない声を出して。あぁもう、絶対この人には弱い所を見せたくなかったのに。
「失礼しますなぎ...さ様...。あ...えっと...。」
五月が、困惑した様子でドアを開ける。
私は五月の顔を見て、酷く安心した。
「...っ...いつ...きぃ...。」
「渚様!?え!?あーえっと...泣き止んでください...。」
五月の顔を見てたら糸が切れたようにとめどなく涙が溢れた。
『なぎ...?な...』
耳元で大きな声を出す綾乃さんの電話を五月は黙って切った。
「ぐすっ...ふっぅぅ...。」
五月の胸で泣くことなんて、小さな頃だけだったので、死ぬほど恥ずかしかったけど、びっくりするほど安心した。
「...大丈夫ですよ。大丈夫です。」
そう言って、私の髪の毛を指でときながらゆっくりと撫でてくれた。
ガチャッ!
「おーっすなぎ...さ...ってええ??!!大丈夫かよ?!」
次は香織姉さんが私の部屋に乱暴に入ってきたところで、凄い大声で驚き出した。
今日は私の家にいっぱい人が集まるな。
香織姉さん直ぐに私の元まで駆け寄って、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「多分...綾乃とやらがなにかしやがったようで。」
「綾乃って渚の恋人の?」
「はい。...絶対許さへん。大阪湾に沈めたる...。」
「っ...ぅなんで...二人共恋人やってしってんのぉお...。」
二人の会話に驚きを隠せない私は泣きながら情けなくそう叫んだ。
「「だって渚(様)わかりやすい(です)から。」」
二人で声を揃えてそう言われた。
「はずがじぃ゛...ぃぅぅ...ぐすっ...。」
「ふっ...かーわーいーいー渚っ!」
香織姉さんに抱きつかれながら顔中にキスをされる。
「え...ずるいです...。」
五月がなんか言ってたような気がするけど、私は香織姉さんのキスを防ぐので精一杯だ。
「んっぅ...やめ...て...って...!」
終いの果てには口にされた。
ピリリリリリ...
「あ...綾乃ちゃんやん。どうすんの。」
「...取らない...。」
「それだったらもういっその事連絡先から消してしまえばよいのでは?」
「...ぅでも...それは...」
「未練がましいな。1回ちゃんと話してみ。私ら部屋で待ってるから。報告しに来て。」
そう言って、あっさりと二人は部屋から出ていった。なんの用だったのか。
「...っ...どうすればええん...わから」
ピリリリリリ
休む暇もくれないコール。怖すぎる。
「...っもしもし。」
『...なぎ...私何したんかな...。私が分からへんってなに...?』
自分が被害者のような声を出して電話をするものだ。本当に凄い。
先程の焦りが嘘のように消えた。頭から氷水をかけられたような感覚だ。
「...綾乃さん、進路希望調査表はそっちで捨てといて。もう新しいのもらったから。あと、もう別れよう。綾乃さんはもしかしたら私と付き合ってると思って無かったんかもしれへんけど。」
『は?待って。意味わからへん。なんで?付き合ってるやろ!なんでそんなこと言うん?』
焦ったような声。この人は色んな声が出せるんだな。
「やっぱり付き合ってたよな。じゃあなんで他の人とキスしてんの?あれ弟とかお兄さんとかそんなん?」
あははっ...っと自嘲気味に笑う。
『え...?なに?え?』
「...私あの日途中で忘れ物に気付いて綾乃さんち戻った。その日じゃなくても別に大丈夫やったけど、もっかい会いたかったから。やから戻った。」
『...。』
ひゅうっと息を飲む音が電話越しで、した。
「実はな、もう1つ忘れてたことがあって、これは家に戻って気づいてんけど、私バイトしててん。それで頑張って貯めたお金でペアリング買ってみた。今じゃゴミ箱にinしてるけどな。」
『...なさい...ごめ...』
「まぁ、話戻すけどな、綾乃さんの家に戻った後、なんか綾乃さんの部屋の前に二人おったんよ。光の当たり方で顔が見えへんくて、でも体格的に男と女。なんか女の方が男の首に腕まわしててさ、うわぁイチャイチャしてんなーって思ってたら顔が近づいたんよ。」
『...ごめん...ごめん...』
「そこで、びっくりするほど、バッドタイミングで私の横を車が通り過ぎた。車のライトで照らされたから、その二人の男女の顔がくっきり見えた。もうさ、怖いくらいに頭に鮮明に張り付いてんの。気持ち悪いくらいこびり付いてんの。いい感じのガシッとした体格の男の人と私が愛して愛して愛して愛して愛してっ...愛しまくってる女の人がキスしてた。綺麗やった。映画見てる見たいやった。」
『ごめんなさい。ごめんなさい。渚、ごめ...』
「だってついさっきまで私に向けてた最低に綺麗な笑顔で男の顔見てんねんもん。」
『渚ぁぁ...ごめんなさい。そんな喋り方しやんとって...泣かんとって...ごめんなさい。ごめんなさい。渚がこんなに壊れるまで...。』
泣く...壊れる...?何言ってんのこの人。
「ひっぅ...ぅうぅううぁぁぁ...。」
溢れ出る涙と同じくらい大きな声を押し殺した。
必死に押し殺した。押し殺されたその声は普通の泣き声よりも悲痛なものとなり、部屋に虚しく響いた。
自分が泣いてることに気付かない程に、心がすり減っていた。冷たくなってた。今思うと、喋ってる時も声は震えてたと思う。
『彼と喧嘩中だったの...ごめんなさい...。それでも戻ってきてくれたことが嬉しくて...ごめんなさい。本当にごめんなさい。』
要するに綾乃さんは私と出会った時点ではもう彼氏がいて、でも喧嘩してて、ヤケクソで私と付き合った。ってことだった。私はただの当て馬だったのだ。
「...もう..疲れた……バイバイ。」
『待って渚!それでも私は...』
ブツリと、電話を切った。これ以上声も聞きたくなかった。もう二度と会いたくなかった。
私は静かにベッドに沈んだ。
そこから、私は本気で恋をすることを忘れた。
告白してきた子を抱いて抱いて抱いて抱いて...それでも埋まらなかった心の穴を見て見ぬふりをして女の子を抱きまくった。好きって言われることに満足感を得ていたから。さすがに学校で噂になるのは避けたかったから、他校の先輩や、大人の人などを抱いた。
冬休み前の放課後に凛子と喋っていたら、校門前に誰かいる、とまだ教室に残っているクラスの生徒が騒ぎ出した。
「誰だろ。渚、見てみよーぜ。」
ぴょいっと凛子が窓に顔を出す。
「誰やった?」
「めっっっちゃ綺麗な人……。」
ほえぇぇ。っと情けない声をだした。
「ふーん。」
どうでもよかった私はのむのオススメのSF小説を読んでいた。
「渚!見てみろよ!ほら!」
そう言って無理やり私を窓に引っ張った。
いやいや校門前を見ると、見覚えのある顔が立っていた。いや、頭から離れない顔があった。
「な…んで…。」
私は机の横にかかったリュックを右肩に掛けて、下駄箱に走った。
「……渚!」
私を見つけた綾乃さんは、どこか以前よりも痩せ細っているような気がした。
「何しに来たん。」
殺意に近い敵意を向けて、綾乃さんに話す。
「…話を、しに来た。」
今更話なんて。馬鹿みたいだ。
「話じゃなくて、言い訳の間違いやろ?」
「ちが……」
「渚、待てよ!」
後ろから凛子が息を切らして走ってきた。
「…凛子。」
「…その人知り合い?」
凛子は怪訝な顔をして私に聞いた。
「…あー、うん。」
「渚がおかしくなったのはその女のせいだな。分かった。」
何故か敵意むき出しの狼のような形相で綾乃さんを睨む凛子。
「え、いや、は?何言ってんの凛子?」
「行くぞ。」
そうやって凛子は私の手首を掴んで無理やり凛子の家に連れ込まれた。
綾乃さんは後ろでなにか抗議していたが、よく聞こえなかった。
「ったく、なんなんまじで?」
意味の分からないこの状況を生み出した主犯に質問をしてみた。
「なんなん、はこっちのセリフだよ。最近のお前何なの?のむにまで手ぇ出してさ。」
凛子、気付いてたのか。
私の通っている学校で唯一抱いたのが、この前言った
のむだ。まさかのむが私のことを好きだとは思わなかった。ついこの間、のむが私に告白してきた。サラサラの黒髪を揺らして。
綾乃さんと付き合う前の私なら、誠実に真っ直ぐな言葉で断ってたと思う。だけど、今の私は自分の身勝手で彼女にこんな条件を投げかけた。
『セフレならいいよ。』
酷く傷ついた彼女はそれでも私にすがりついて、私のセフレになってしまった。本当に最低だな私。
「……」
「黙ってんじゃねぇよ。なぁ、あの女と何があったのか言え!」
迫真の顔で迫られ、私は綾乃さんのことを洗いざらい全部話させられた。
「……あの女クズじゃねぇか。」
「そうやねん。クズやねん。」
凛子に出してもらったココアをすすりながらぽつぽつと綾乃さんのことを零した。
「私な、東京の大学……いくねんよ。あの人から離れるために。」
そして、親にも言っていない進路を凛子に話した。
「え……。」
「ごめん、急に。おどろいたよな。」
「いや、うん。驚きまくった。……私も東京の大学行く予定だから……。」
そっか、凛子も…………凛子も…?
「はぁぁぁぁ!?!?」
「いや!え?私東京の〇〇大学入ろうとしてて、まさか渚も行くとは……!」
「え、私は△△大学……近くない?」
「やべぇ、…嬉しい。お父さんには言ってんの?」
「……。」
「はよ言え。」
凛子のサポートおかげで綾乃さんと会うことも無く、父の支援は5ヶ月間の仕送りだけで、その後は連絡を取らない約束で、私は卒業後、凛子と東京に飛び立った。