第1章『月の国』⑧
王族が一堂に会しての夕食の後。
部屋に戻ってきたランスから、『剣の国』が滅びたという旨が伝えられる。
どこかと戦争をして勝った負けたと言う話ではなく、殲滅。兵士ではない人たちも含めて、生き残った国民はほとんどいない。
正確には三月末日の夜のことだそうだ。
思い出したのは、先ほど市場街で会った、ナイフを売っていた少年のことだ。
父親の病の薬を買って帰ったときに、父親が亡くなっていたことと、自分の国が滅んでいたことを知ったら、あの少年はどれだけ嘆き悲しむだろう。
そして、思う。
かつてのわたしにも、わたしのことを大切にしてくれる人がいたのだろうか?
かつてのわたしにも、大切にしたいと思える人がいたのだろうか?
いつもの就寝の時間を過ぎ、見張りの兵士を残して城内のほとんどの人間が寝静まった午前二時。
わたしはベッドを抜け出すと、当ても無く部屋を出る。
とにかくじっとしていられなかった。
王宮の敷地内をいくらかうろうろして、そのうち薔薇園に辿り着く。
どうやら先客がいたようで、薔薇園の中心にある洒落たテーブルには、一人の少年が腰を掛けていた。
ランスだ。
もしかしてランスも寝付けなかったのだろうか?
「今日で四月も終わりだ。明日でちょうど一ヶ月だね」
わたしに気づいたようで、ランスが声を掛けてくる。
「そうね。正確には、もう日は変わっちゃったけど」
もう午前三時を回ったぐらいだろうか。
すでに日が変わって、今日は五月一日だ。
「ランスに拾ってもらって、『ナナミ』って名前ももらって、このお城で働かせてもらえるようになって……まだ一ヶ月なんだね」
「そうだね」
「わたしは随分、長かったように感じる。充実してるというよりは必死なときのほうが多かったけど、何も知らないわたしにとっては、いろいろなことがあったから」
わたしがランスに出会ったのは、『穂の国』のはずれにある、小さな町だったらしい。
わたしはそのときは、意識も朦朧としていて、自分がどこを歩いているのかも分かってはいなかった。
まぶしい青い空とどこまでも続く土の色が次第に真っ白になっていって、気が付いたらまぶたが落ちていた。一歩も歩けなくなって、立ち上がれなくなって、苦しかった息が次第に苦しく感じなくなっていくのを、ただただ怖いと思っていた。
行き倒れと言うのだろうか。そんな状態のわたしに、ランスは手を差し伸べてくれた。そのときは視察で『穂の国』を訪れていたらしい。
リアちゃん、ミリア、エミリアさんもいっしょだった。
介抱してもらって、王宮まで運んでもらって、また介抱してもらって、使用人として紛れ込ませてもらって今に至る。
感謝してもし尽くせないぐらいだ。
「ランス、ありがとうね」
「どうしたの、いきなり。手鏡のこと?」
「それもあるけど、全部。ねぇランス、覚えてる? ランスがわたしを助けてくれたときのこと。本当に死ぬんだなぁって思ってて、だけど体力も残ってなかったし、意識も消えかけててさ。自分が何者かも分からなかったし、悲しんでくれる人もいなかったしね。だからもう、生きることを諦めてたのよね」
だけどそのとき、ランスは言ってくれたのだ。
わたしに手を差し伸べて、『もう一度、生きてみない?』と。
「だからランスが『生きてみない?』って言ってくれたとき、本当に新しい命を貰ったような気さえしたんだ。そんなはずはないんだけれどね。でも、通りかかる人みんなが、わたしのことに気づいているのに、食べ物とか飲み物とか分けてくれる人もいなくて。もちろん、大切な人とか、もう一度会いたい人とかも分からなくてさ。苦しくて苦しくて、死ぬのは不安なんだけれど、何のために生きていけばいいのか分からなくなっちゃってた。なんで生きてるんだろう、何で生きようとしてるんだろうって、ずっと考えてたの」
「今はどう?」
「生きたい!」
ランスの問いに、わたしは胸を張ってそう答える。
「言葉にするのは難しいんだけど、楽しいからかな? 嬉しいからかな? 大切で、ずっと一緒にいたい人ができたからかな? なんかいろいろ、とにかく明日が楽しみなの! だからさ……なんだろう。改まって言うと恥ずかしいんだけど、ランスには感謝してるのよ」
「『感謝』か、ふふふっ……」
「わたし変なこと言った? ちょっと、涙うかべて笑うほどのことじゃないでしょ、もぉ。ってか、大丈夫? ツボに入った? その笑い方、本当に苦しそうなんだけど……」
「ごめんごめん、素直に嬉しくてね」
「じゃぁもっと素直に笑ってよ」
そうは言いつつも、もしかしたら仕方が無いのかとも思う。どうしてかランスはどんなに良いことをしても、感謝されないのだ。
王族として異端な振る舞いをしていることと、関係でもあるのだろうか。
「僕からもひとつ、聞いていいかな?」
ランスが言う。とても優しい口調だ。
木々がわざめく。
ひんやりとした風が頬を撫でた。
思わず風上に目を向けてしまう。
再びランスに向き直ると、優しい笑顔を作る口元と目元と、けれど瞳の奥に真剣な眼差しを感じて、わたしは頷いた。
緊張してるのだろうか。ランスが息を呑む。
そして、言った。
「記憶が戻るのは、まだ怖い?」
それは、わたしがこの王宮に来た日にされた質問だった。
わたしは、記憶喪失だ。
気が付いたときにはどことも分からない場所を歩いていて、今までどうやって生きてきたか、誰とともに過ごしてきたか、自分の名前さえも分からなかった。
ランスに助けられてからも、毎夜のようにあの夢を見た。その夢が記憶を失う前のわたしの本当の記憶かもしれないと思うと、いっそ全てを忘れてしまいたくなるぐらい怖かった。
ランスに助けられて二日後に王宮に着いた。
記憶を取り戻したいかと尋ねられて、そのときわたしはただ一言、『怖い』と答えた。
震える唇で、やっとのことでその短い言葉を搾り出したのを、今でも鮮明に覚えている。
それから一ヶ月。
怖くないかといえば嘘になる。今でも不安に決まっている。
けれど、なんとかやっていけそうな気もするのだ。
一人じゃ無理だけど、何も持っていない一ヶ月前のわたしには無理だったけれど、今なら何とかなる気がする。
もし今、ふと記憶が戻ったとして、あの夢が本当にわたしの過去だったとしても、何とか踏ん張って乗り越えられるような気がするのだ。
「ありがとう、ランス」
わたしは言う。
ランスがわたしを心配してくれていることが嬉しくて。
「今はもう大丈夫だよ。不安だし怖いけど、今この瞬間に記憶が戻ったとしても大丈夫な気がするの。そうね、でも今はこの生活が楽しいから、戻っても戻らなくてもどっちでもいいかな」
「そっか」
そう言ってまたランスは笑った。
ふと空を見上げる。今夜は満月だった。
気が付くとランスも月を見上げていて、だからわたしはランスのすぐ横にそっと腰を下ろした。




