第11章「ナナミのユメ」⑤
リアちゃんが自分の左胸に右手を重ね、取り出したのは血のように赤い歪な形の結晶。
リアちゃんの左手が砂のように崩れて、風の中に溶けていく。
「動かないでくださいです。一歩でも動けば、わたしの左手が全身を腐らせますよ」
「リアちゃん……」
「これで詰みです。粒子化したわたしの腕を密集させれば、ナナミさんを骨だけにするのに半秒も掛かりません。能力を使ったり剣を抜いたりしたら殺します。ナナミさんがいなければ、わたし一人でも五万人の兵士を全滅できますし……どうです? 身動き取れませんよね?」
その通りだ。
エミリアさんはともかく、ミリアとリアちゃん、そしてランス王子の相手ができるのはわたしだけだ。
だから兵士達は待機させてきた。
現状ではどれだけ人間がいようと、『光の帝国』の戦力はわたし一人だ。
考えてあったリアちゃんへの対策を今ここで使うべきか考えていると、わたしが抵抗しないと思ったのか、真剣だったリアちゃんの表情が変わる。
「ナナミさん……帰ってきませんか? 『月の国』に」
リアちゃんはわたしに微笑んで、そう言った。
「ナナミさんの料理と慌しさにはいつも困らされましたけど、ナナミさんがいた日々はとっても楽しかったんです。ミリア姉もエミリア姉さんもいますけど、やっぱりナナミさんもいてほしいよねって、ときどきそんな話にもなるんです。
だから三人で決めたんです、ナナミさんを説得しようって。
こんな乱暴な方法になっちゃってごめんなさいです。だけど、ナナミさんにとってもわたしたちとの時間が楽しいものだったのなら、やっぱり嬉しいかなって、そう思ったから」
「……わたしが一瞬で、能力を使う間もなくあなたを殺せるとは考えないの?」
「できると思います。でも、しませんよね? それなら初めから、わたしたち三人の首を跳ね飛ばしてるはずです。それに、一緒にお仕事をしていたんです。顔を見ればそれぐらいは分かるつもりです。それよりも返事、聞かせていただけませんか?」
躊躇う。
言葉にしてしまえば、決心が鈍りそうで。
『剣の国』での記憶を思い出さなかった方が幸せだったかもしれないと、そう考えたこともある。
二度と戻ってはいけないはずの日々に、未練や愛着が無いといえば嘘になる。
お父さんとお母さんを殺したはずの人たちを、どこかで憎みきれていない自分がいることも分かっている。
悩んだ末、どうせ言葉にするのなら、最大の感謝の気持ちを込めようと決めた。
「楽しかったよ。本当に、毎日が楽しかった」
「ナナミさん、それじゃぁ……」
「でも、ごめんね。もうわたしは、あの日には帰れないの」
リアちゃんが今にも泣き出しそうな顔で歯を食いしばる。
「なんでっ、どうして分かってくれないんですかっ!」
「あのバケモノの存在だけは、どうしても許せないからよ」
一歩、歩を進める。
一緒に仕事をしていたのはわたしも一緒だ。
顔を見ればリアちゃんに殺す気があるかの判断ぐらい、わたしにもできる。
肌に刺すような痛みが走り、服の生地が、皮膚が、朽ちてどす黒く変色していく。
それでも肉が削がれ、体が朽ちることは無かった。
「本当に……本当に殺しますよっ!」
「無理よ、それはリアちゃんにはできないわよ」
「できます! 本当のお父さんとお母さんだって、わたしはこの手で殺したんです。だからわたしはもう、大切な人だって殺せるんです!」
「違う。それは違うよ。だってそのことを何より後悔してるのが、リアちゃんだから」
リアちゃんの場所まであと数歩。
涙を流しながら、それでも仲間のために頑張ろうとする小柄な十二歳の少女の姿がそこにあった。
砂を蹴る音。
突然、リアちゃんがわたしの体に抱きついてくる。
「ええ、たしかに殺すのは怖いです。だけどランス様やミリア姉にさせるぐらいなら、すでに手が汚れてしまっているわたしがやります」
そう言ったときの、リアちゃんの目は本気だった。
「駄目ぇぇぇぇぇっ!」
少しはなれたところでミリアが叫ぶのが聞こえる。
一歩も動くことのできないミリアは、それでもこちらに腕を伸ばす。
しかしその腕は一瞬で腐り落ち、肘から先が欠落した。
リアちゃんが能力で腐らせたのだ。
そして次の瞬間、足元に黒く細い線が刻まれるかのように、これ以上朽ちるはずのないはずの砂が朽ちる。
直径十メートルほどの円の中に更に円がふたつ。それに沿って文字が書かれ、内側に芒星が描かれた文様。
それがわたしとリアちゃんを囲むように、一瞬で作られたのだ。
「これは、魔法式……」
「ナナミさん。せめて、わたしが一緒に逝ってあげます。独りは寂しいですから」
リアちゃんの笑顔が炎に照らされて赤く染まる。
足元の魔法式からは炎の柱が立ち上がり、一瞬でわたしたちを包んでいた。
あの時と同じだ。
何も分からないままに全てが炎に包まれて、全てを失ったあの日。
何も出来なくて、何も守れなくて、それなのに自分だけが生き残ってしまったあの日。
後悔だけが駆け巡って、頭が割れそうに痛くなる。
何も考えられない頭で、何も守ることが出来なかったはずの両腕でわたしは、今度こそリアちゃんを抱きしめていた。
「あ……」
炎がわたしとリアちゃんの体を避けていく。
四方を炎に包まれながら、それでも全く熱くなかった。
あのときと一緒だ。
それでもただひとつ違うのは……
「……守れた」
頬を水滴が伝うのを感じる。
どうして自分が泣いているのかも分からないまま、それを拭うことも忘れて、わたしは少しの間、呆然としていた。
「ナナミさん、これは……」
戸惑っているリアちゃんの声で我に帰る。
わたしはリアちゃん右手に自分の指を重ねると、その手にある赤い結晶を砕く。
魔法式を掻き消すと炎は消え、安堵したようなミリアの顔が見えた。
おそらく能力を使いすぎた反動だろう、気を失ったリアちゃんを砂の上に横たえる。
わたしも頭痛が酷い。
わたしもこれ以上能力を使えば倒れてしまうだろう。
ポケットに手を入れる。
冷たい金属の感触。
わたしは手鏡を取り出すと、その淵に刻まれた魔法式を展開する。
ふらつく足を踏ん張って、霞んで焦点の合わない視界で、金髪碧眼の少年の姿を睨んだ。
「来たわよ、ランス」




