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第8章「夢の跡地」③

 『月の国』より北に馬を走らせて一日の距離。

 『光の帝国』より東北東の方角に、わたしの故郷はあった。


 『月の国』の周辺国を迂回しながら馬を走らせること三日。時刻は昼頃。大きな山の輪郭が見えてきてすぐ、どす黒く枯れ果てた大地がそこにあった。


 金色の砂漠から線を引いたように区切られた、もはや土とさえ呼べない足元。

 そこに残る凹凸から、かつてよく使っていた道だとわたしは知る。

 何度も駆け回って踏みしめたはずの大地は、馬から下りたわたしの足を力無く沈み込ませる。まるで積まれた枯れ葉の上に立っているようだった。


 ()渡す。

 家は無い。

 かつての水路と畑とに囲まれて盛り上がったところが所々に四角く残り、食器や鍋、作業場の若干の道具とが見て取れる。そこに紛れて黒ずんで盛り上がったものが、人間の頭蓋の形をしていた。それが場所によっては四つや五つ。小さな三個を覆うように、二人分の腕が重ねられ、その傍らには両親のものと思しき頭があった。


「涙は……出ないか」


 悲しいとは思う。酷いと思う。惨いと思う。

 残酷な所業の後に残されたそこには、草木一本、羽虫の一匹すら見つからない。

 青いはずの空は巻き上げられた黒い灰に覆われて濁り、楽しかったはずの思い出を塗りつぶしていく。

 川だったはずの場所が埋まっているように見えて、手を伸ばす。分厚い灰の積もった下に流れの止まった水があり、その少し下流にはおびただしいほどの人間や動物の死骸が積もって水を堰き止めていた。

 おそらく炎に焼かれながら必死に逃げてきたのだのだろう。更に上流もこうなっているようだった。


 変わり果てた故郷を見て、それでもわたしの目からは涙の一滴も零れ落ちなかった。

 きっとわたしは壊れてしまったのだ。

 ただただ、怒りとも憎しみとも絶望とも、どれとも似てどれとも違った熱いものが胸の奥を締め付ける。


「バケモノ……」


 口を突いて出た言葉は、ただ虚空に紛れて消えていった。

 馬に積んできたシャベルを手に、更に歩く。

 道の脇に井戸がある。

 初めてあのバケモノに会った場所だ。

 そこからあと少しで、わたしの家に辿り着く。


 見覚えがあった。

 全ての景色が懐かしくて、悲しくて苦しくて恨めしくて恨めしくて恨めしくて、ただただもう憎悪しか無かった。

 この道の三軒目がわたしの家だった。


 辿り着く。

 玄関から家の中への段差を作っていた四角い石を跨ぐ。

 二人分の遺体。

 寄り添うようにした二人の間にはひとり分の空白があって、辛うじて『HappyBirthday』と読み取れる黒く変色したメダルが、あの日のままにそこにあった。


 こここそがわたしの帰るべき場所だったんだ。


 シャベルが手から落ちた。

 涙が止まらなくなった。

 声が出なくなる前に「ただいま」と言う。

 何度も何度も繰り返す。

 嗚咽で声が出なくなる。

 痛む喉を突き破って、その場にうずくまって大声で泣いた。


 気がつけば、日が暮れていた。

 もう涙は出ない。それでもすぐには立ち上がれなかった。

 黒くなってしまったメダルに手を伸ばし、ポケットの奥深くに仕舞う。

 それからシャベルを支えに立ち上がると、わたしはお父さんとお母さんの骨を拾い集めた。

 用意してきた大きな布に包むと、軽くなってしまったお父さんとお母さんを背負う。


 向かう先は、ここから一番近い丘の上。菜の花畑があったところだ。


「ただいま、ナナお母さん」


 丘の上に着くと、わたしは言う。


 丘の上には、『Nana』と刻まれた小さな岩。

 本当はそこから、村の景色が一望できたはずだった。

 ここを辺り一面、菜の花畑にしたのもお父さんだった。


 この土の下には、わたしを生んでくれたほうのお母さんが眠っている。

 わたしは岩のすぐ横にシャベルで穴を掘ると、そこにお父さんとミミお母さんの骨を埋めた。


「お父さん、お母さん……」


 わたしを厳しく育ててくれた父と、優しく支えてくれた二人の母。

 もしかしたらここに眠っているのはただの骨で、三人はもうここにはいないのかもしれない。


 『剣の国』を出てから半年の間に、たくさんの人が命を落とすのを見てきた。

 たくさんの人が誰かを守ろうと必死で剣を持ち、恨みが無いはずの相手に敵意を持って刃を構えるのを見てきた。

 わたしも一人殺した。

 この手で命を奪ってしまった人は、とても誠実で優しい人だった。

 命の重さと、命の軽さと、その両方を見てきた。

 この丘に来るとき、たくさんの亡骸の横を掻き分けて歩いてきた。


 生きることさえ息苦しく思える今ここで、ただひとつだけ嘘をつく。


「ナナミは元気にやっているよ」


 本当に、この世界には嫌気が差す。

 わたしが大切だと思っていたものは、黒い灰になってしまった。


 それでも、こんな世界でも、お父さんとお母さんがわたしを生かそうとしてくれた世界だ。

 幸せになれるかも分からない未来に、それでも歩めと、いっぱいいっぱいわたしを守って育ててくれた。

 だからわたしは、生きててよかったと思えるまで、生きなきゃいけないんだ。


「……ねぇ。わたし、好きな人ができたんだ」


 金色の髪に青い瞳をした少年。

 自分の国のために、自分を犠牲にした『月の国』の王子。


「悪い人じゃないの。とても優しい人。とっても素敵な人。だけど、その人はもうどこにもいないの……」


 本当のランスはもういない。

 自分の国を守るために手を赤く染め、きっと自分を責めながらもそれを繰り返し、いつしか何も感じなくなってしまった。


「死んだわけじゃない。だけど今はもう、同じようには見られない。

 その人はね、バケモノなの。嬉しいことも悲しいことも、何も感じることの出来ないバケモノになっちゃってたの。

 わたしが好きになったその人は、もうずっと前に、この世にはいなかったんだ」


 ポケットの中に手を入れる。

 そこにはバケモノから手渡された手鏡があった。

 握る拳に自然と力が入る。

 怒りで手が震えた。

 臓物(はらわた)が煮えくり返って叫びだしそうなのを、怒りを、恨みを、憎しみを、けれど自分の中にぐっと押さえ込む。


 全てを滅茶苦茶にしたバケモノに刃を向けるそのときのために。


 わたしにとっての剣をポケットから出すと、正眼に構える。


「だからわたしが、あのバケモノを殺します」


 誓う。

 お父さんのため。二人目のお母さんと、わたし達の幸せを願ってくれていた、生んでくれたお母さんのために。

 ランスのために。

 そして、わたし自身のためにも。


「あのバケモノは、この世界にはいちゃいけない。もうこんな悲しみを、誰にも味合わせちゃいけない。このままじゃ許せないから、だから殺す。わたしがやらなきゃ駄目なんだ」


 たぶん、お父さんやお母さんたちが生きていたら、反対されたんだと思う。

 馬鹿なことを言うなって(しか)られたんだと思う。


「お父さん、お母さん……ごめんね。あなたたちの娘は大馬鹿者です。

 だけど、わたしがやらなくちゃいけないんです」


 わたしは手鏡の切っ先で、二人分の名前を岩に刻む。


「またね。近いうちに会いに行くから」


 丘を降りる。

 変わり果てた土を踏み、面影を残さない景色を視ながら。

 黒く塗りつぶされた思い出が脳裏を掠める度に、指の爪が手のひらを(えぐ)る。

 足が速くなる。


「……殺す」


 おかしくなりそうな頭から、口を突いて心が漏れた。


 殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……


 怒りが止まらなくなった。

 それを振り切りたくて走る。

 斜面を駆け下り、少しでも丘から離れる。


 ここならもう三人に聞こえることは無いだろうかと足を止めたそこは、井戸がすぐ近くにある道の上。

 あのバケモノと最初にあった場所だった。


「殺すっ! 絶対に殺してやるっ!」


 叫んだ。


「殺す殺す殺す、ふざけんなふざけんなふざけんなっ! お父さんが何をしたっていうのよ! お母さんのどこが悪かったって言うのよっ! 良い人たちだった、優しい人たちだった! 二人がいればわたしは幸せだったのにっ! 本当の笑顔があって、優しさがあって、誰かのために汗も涙も流せる人だった。あんたの持っていないものを全部持ってた! あの家にはそれが全部全部あったのに! あんたが切り捨てた大切なものが、何もかもそこにあったのに。あんたの目には見えないものが、人間として何より大切なものがそこにはあふれていたのに。死ね、死ね、死ね、消えろ消えろ消えろ、わたしが跡形も無く消してやる! 何でお父さんやお母さんが死ななきゃいけなくて、あのバケモノは今もまだのうのうと生きてるのよ! わたしたちの全てを滅茶苦茶にしておいて、どの口で正義を語るのよ! 認めない、絶対認めないっ、あの国もバケモノも、あいつを許す奴も全て全てすべて何もかも許さないっ! 返せっ、わたしの大切な人たちを返せっ! 返せ返せ返せっ、返してっ、返してよぉぉぉぉっ!」


 声が出なくなるまで何度も何度も同じことを叫び続けた。


 体は疲れているはずなのに、ぐちゃぐちゃの心を塗りつぶすほどの怒りのせいで眠る気にはなれなくて。

 気持ちがちっとも治まらないまま、わたしは馬を留めておいた場所へと向かった。

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